第10話 そのツラ拭けや
チェーンなしの人生は、もう楽じゃなかった。鍛冶屋へ向かう一歩ごとに、首が軽すぎるのを、ベルトが何も引っ張ってねえのを感じてた。残念ながら、腰を突き出して歩くのも、もう場違いってヤツだ。
屋台の売り子数人との協議の末、赤レンガ造りの建物の、デカい看板の下までたどり着けた。中に入るには、汗と、悪臭と、金属の削りカスの浮かぶ、濃くて重い空気を突破する必要があった。手探りで、カウンターらしき形のモンにたどり着いた頃には、レイスよりさらにデカい男に、頭から爪先まで測られてた。
「ども……」
小声でもごもご言った。裸の胸板にぶら下がった、フライパンみてえなデカい乳首二つを、じろじろ見ちまわねえように努めながらだ。
「おう」
その声は、すぐ後ろに据えられた金床よりも重く響いた。
「レイスの使いだ。装備を、取りに来た」
できるだけ固く聞こえるように努めたが、この見た目の前じゃ、大した足しにはならなかった。うちの団地のジムでも、ここまでデカい男は見たことがねえ。
「トーチャン! トーチャン!」
横のどっかに向かって、キーキー喚き出した。
「客が来てるよ!」
思わず、軽く耳を塞いだ。俺の世界なら、ある種のお店の深夜電話番で余裕で食っていけそうな低音が、ほとんど悲鳴に化けてた。
左手のどっかから、背中の曲がったチビのジイさんが、のそのそ現れた。頭には、麦わら帽子っぽい何かが載ってる――ただし、人生の苦労をひと通り味わってきたタイプのやつだ。軽く身を乗り出すようにして、こっちを眺めてきた。
「何か用か」
しわがれた声が飛んできた。
「レイス様のお使いで、学院用の装備を受け取りに来たんだが」
さっきより堂々と言えた。あの肉の山が、煙のどっかへ消えてくれてたからだ。
「誰だい、アンタは」
「ヤンだ。若様――ってのが、レイスや連中の言い方だと、そうなるな」
「金は、あんのか」
眉の下から、じろりと睨んできた。
「それなんだがな。レイス様が、こちらにツケを開いて、後日精算なさるそうだ」
「ああ?」
顔をしかめた。
「あっちだ、あっち!」
ドアを指さした。
「いや、俺には装備が……」
「金がねえなら、要るモンもねえ! ほれ、シッシッ!」
ジイさんはカウンターの奥から出てくると、軽く押しながら、俺をドアの外まで追い立てた。
何が起きたのか把握する前に、俺はまた通りに立ってた。聞こえたのは、錠がガチャガチャ鳴る音だけ。ショーウィンドウのガラスには、俺が引き返さねえのを見届けようとする、しなびた小せえツラが貼りついてた。
帰り道は、いくつか疑問を生んで、そのどれにも答えなかった。レイスに白状するか? あの口ヒゲが、例のムカつく薄笑いの形を作るところを想像しただけで、腹の底が拒否した。空は、うっすら暗くなりはじめてた。噴水のところには、この世界で唯一、俺に友好的な生き物の姿はなかった。残念ながらだ。ここで目を覚ましてから、もう二日。
(あっちの世界での俺の葬式って、いつなんだろうな)
この問いへの答えも、持ち合わせちゃいなかった。
問題がまだ足りねえとでも言うように、噴水の裏から、またレイスが現れた。
(こいつ、絶対俺を尾行してんだろ。趣味ってヤツだ)
短いやり取りの末、鍛冶屋の武器はどれひとつお気に召さなかった、と報告しといた。ならば城の武器庫でお揃えしましょう、というご判断だった。口ヒゲはどのみち、赤らんだ頬の上で、うっすら持ち上がってた。敗北だ。いちばん普通に見える剣と、俺にはちょいデカすぎる、シンプルで軽い鎧を見繕い終えると、足りないものはあとひとつだけ、と来た。
「若様にはまだ、従者が必要でございます!」
あごヒゲを撫でながらの、お言葉だった。
「従者?」
「はい。座学のお時間の間に、実技に向けて若様のご装備を整える者にございます」
人差し指を立てて言った。
「待て待て。実技ってなんだよ? 学院なんだろ、あそこ。ってことは、メインは座学じゃねえのか?」
眉をひそめた。深く息を吸う。その目に諦めの色が浮かぶ頻度は、どんどん上がってた。
「学院とは、若様、東の国境沿いに置かれた学校のひとつにございます。勇者たちを、考えうる限り最も過酷な戦場に備えさせるための場所かと」
目の前が、軽く暗くなった。耳の裏が、むずむずし出す。
(東ってどういうことだよ。親父のヤツ、ほんの数時間前に、あっちで何か出るとかミーティングやってただろ)
東が今あんまり安全じゃねえらしいことくらい、俺でも知ってた。で、俺には、この先も延々と別の世界で目を覚ませる保証なんざ、どこにもねえ。テリクスの言葉が、さっきよりデカい音量で戻ってきた。
「え。東ってなんだよ? 勇者って誰の話だ? 俺、王になるんじゃなかったのか?」
レイスの表情筋は、俺の相手にはもううんざりだが、それでもどうにか付き合っていくしかない――そう悟らせようとする試みを、どんどん大胆にしていった。
「はい。若様は、王位の候補であらせられます。ですが……陛下は、ご自身の遺産が確かな手に渡ることを、お確かめになりたいのでございましょう」
(前のヤンは、一体何をやらかしたんだ? 親父にまで愛されてねえって、どういうことだよ)
「分かった。……で、お前も一緒に来るんだよな?」
遠慮がちに、笑いかけてやった。
「いいえ。若様は明日、もうひとりの勇者候補と共に、ご出発なさいます」
「強えのか、そいつ」
「将軍のご子息です。最強かと。この私が、直々に鍛えましたゆえ」
目に、誇りがよぎった。
「――ですが、夜も更けて参りました。無駄話の時間ではございません。若様には、まだ従者をお選びいただかねばなりませんので」
どこへ向かってんのかも知らねえまま、レイスの後ろをのろのろ歩きながら、俺は考えてた。テリクスの戦闘スキルは、ウルトラ級勇者なのか、それともウルトラエピック級勇者なのか。間違いなく、後者だな。
リングへ通じる門を抜けて数メートル、数人の男たちが一列に並んでた。そばに衛兵が一人。俺たちの姿を見ると、連中に気をつけの合図を出した。
「どうか、賢明なご選択を。死ななければ、学院の間、お供となる者にございます」
正直、あの瞬間の俺は、うつろな目で連中を眺めてただけだった。視界も、なんかぼやけてた。最初の一人を、数分間じっと見つめた。なんか、歪んで見えた。立ち方が曲がってる。二人目は、歯並びを拝見した瞬間、その気が失せた。三人目は、立ち姿がどうにも不揃いに見えた。四人目か五人目がテリクスでありますように――せめて、あの鍛冶屋の息子でありますように。そう祈った。残念でした。ヒョロガリで、なんか印象が薄い。なんつうか……キョロキョロ泳ぐ目玉が、怯えきったツラに取り付けられてる。顔面は、泥まみれ。貧相なチビで、165センチがいいとこだ。筋肉は、俺の左ふくらはぎと同じくらい。
「こいつだ」
指をさしてやった。
「前へ!」
少年は、今にも泣き出しそうな顔で、一歩前に出た。
「ボロ切れか何か、あるか?」
隣に立つ衛兵に聞いた。少しして、水たまりに浸かってた、泥まみれの古いチュニックの切れ端が手に渡された。
「ほれ、そのツラ拭けや」
列の前に立つソイツに、放ってやった。
これで、はっきり見えた。
どっからどう見ても――ナマダじゃねえか。




