第三十一話 凌End『深緑色のお守り〜深緑の芽吹きと、不器用な歩み〜』
あの奇跡の生還から数日後――。
放課後の学園。
夕暮れの柔らかな陽射しが校舎を茜色に染め、吹き抜ける風が木々の葉を揺らしていた。
中庭のベンチに一人座り、ぼんやりと空を見上げる少年――凌。
『恋エグ2』の攻略対象として現れ、最初は野良猫のように毛を逆立てて突っかかってきた彼。
けれど、一緒に過ごすうちに少しずつ心を許してくれて、不器用ながらも一生懸命に手を差し伸べてくれるようになった、愛おしい後輩。
玲は探していた姿を見つけると、ほっと安堵の笑みを浮かべ、静かにベンチへ歩み寄った。
「隣、いい?」
突然の声に、凌が肩を跳ねさせる。
「か、会長……!? な、なんでここに……。」
慌てて姿勢を正す凌に、玲はくすりと笑い、その隣へ腰を下ろした。
「探してたんだよ。」
そう言って、制服の胸ポケットへそっと手を添える。
「修学旅行から帰ってきてから、ずっと渡したいものがあったから。」
玲は胸の内ポケットから、大切に温めていた包みを取り出した。
丁寧な包装を解き、手のひらに乗せて凌の目の前へ差し出す。
夕日を浴びて深く輝く、深緑色のお守り。
「これ……京都で買ったお守り。凌くんに持っていてほしくて。」
玲は柔らかく微笑んだ。
「え……俺に……?」
凌は目を丸くしたまま、お守りと玲の顔を交互に見つめる。
照れ隠しのように頭を掻きながら、小さく呟いた。
「……学業お守りって。俺が勉強苦手なの知ってて、煽ってんのかよ……。」
「ふふっ。違うよ。」
玲は小さく笑って首を横へ振る。
「このお守りはね、『勉強を頑張って』って意味じゃない。凌くんが夢に向かって頑張る姿を、一番近くで応援したいっていう、私の願い。」
そして、真っ直ぐに凌を見つめた。
「あのね、凌くん。」
その優しい声に、凌の表情が自然と引き締まる。
「私があの隔離空間で、ずっと手に握りしめていたのは……このお守りだったんだよ。」
「……っ!?」
凌の息が止まる。
玲はお守りを胸元でそっと握り締めた。
「凌にこのお守りを渡したかった。無事に帰って、凌の笑顔が見たかった。……それが、あの時の私のたったひとつの生きる希望だった。」
「会長……。」
「最初はね、頑張る凌くんを応援したいだけなんだって思ってた。一生懸命な姿を見守っていたいだけなんだって。」
夕風が二人の間を静かに吹き抜ける。
「でも……違ったんだ。」
玲はゆっくりと、凌との距離を詰めた。
「いつも凌くんが、私を助けようと必死になってくれたこと。二人で出かけようって誘ってくれたこと。……思い出すたびに、全身が熱くなる。」
「……っ。」
凌は何も言えない。
ただ、その瞳だけが大きく揺れている。
「みんなのことも大切。でも……凌くんへの『好き』は、それとは違う。」
玲は少しだけ頬を赤らめながら、小さく笑った。
「私は、凌くんを一人の男の子として好きなんだ。」
静寂が、中庭を包み込む。
凌は耳まで真っ赤になったまま固まっていた。
何か言おうとして口を開くけれど、声にならない。
その沈黙が、玲には別の意味に伝わった。
玲は困ったように笑う。
「……ごめんね。急にこんなこと言われても困るよね? 忘れて? 今の話……全部忘れてくれていいから……。」
慌てて立ち去ろうとする玲の手首を咄嗟に掴むと、凌は大きな声で言った。
「〜〜〜っ! ふ、ふざけんなよ……っ!」
「……!?」
「俺が……っ! どれだけあんたのこと追いかけてるか……分かっててそんなこと言ってんのかよ……っ!」
掴まれた手首に力が込められ、勢いよく引き寄せられる。
「っ……!」
身体がぶつかり、そのまま抱きすくめられる形になった。
ドクン、ドクン――。
凌の鼓動が、痛いほど伝わってくる。
凌は、玲の手からお守りを掠め取るように奪うと、それを自分の胸へ強く押し当てた。
「……少し遅く生まれたからって、常に側にいられねーし。お前が消えそうな時も、全然何にもできねーし。」
悔しそうに唇を噛む。
「その度に自分の無力さに打ちひしがれるけど……お前の隣に立てるようにって、こっちは必死に頑張ってんだよ! それを勝手に決めつけて、なかったことにすんなっ!」
夕暮れの中庭へ、叫ぶような告白が響いた。
不器用だけど誤魔化しようのない、純粋で真っ直ぐな愛。
「俺、もっと背も伸びるし。もっと勉強して、強くもなる! あんたが頼れるくらい、他の誰にも目を移せなくなるくらい……絶対、かっこいい男になるから!」
「凌……。」
「だから……俺から離れようとすんなよ。会長は俺の『一番気になる人』なんだから!」
借り物競争の時とは違い、凌はもう自分の気持ちを誤魔化すことはしなかった。
必死に想いをぶつけてくる凌が、愛おしくてたまらなかった。
玲は赤くなった彼の頬に、そっとキスを落とした。
「へっ?」
突然のことに、凌はきょとんとした。
「ふふっ。あまりにも凌くんがかわいくて、つい……。」
玲はいたずらっぽく笑う。
「じゃあ、私たちは両想いってことで……これからもよろしくね?」
夕陽に照らされた笑顔は、眩しいほど美しかった。
「……二人で出かける約束、忘れてないよね?」
「わ、忘れるわけねーだろ。」
「ふふっ、良かった! 楽しみにしてるね、凌。」
ちゃっかり呼び名を変えて、玲は立ち上がると校舎へ向かって歩き出す。
校舎へ入る間際、凌の方を振り返ると玲は小さく手を振った。
「凌……大好き!」
そう言って消えていく背中を見送りながら、凌は額へ手を当て、大きく空を仰ぐ。
「俺の恋人……とんでもない人たらしだ。」
照れくさそうに笑うと、小さく肩をすくめた。
「会長には……敵いそうにねぇな。」
◇
――そして季節は巡り。
街が眩しいイルミネーションに彩られる十二月。
恋人同士になって初めて迎える、クリスマス・イブ。
約束の場所で待っていると、人混みの向こうから凌が歩いてきた。
いつもはお洒落でストリート感のある服装が多い凌だが、今日は高級感のある、少し丈の長い大人びたロングコートを着ている。
(あれ? いつもと雰囲気が違うな……?)
どこか落ち着かない様子で首元を気にする凌に、玲は小さく微笑んだ。
「凌、今日はいつもと雰囲気が違うね。すごく大人っぽい。」
「〜〜っ、べ、別におかしくねぇだろ? 俺だってこれくらい着こなせるし!」
照れ隠しにふいっと顔を背けるが、耳の先端が真っ赤になっていた。
その後、凌が案内してくれたのは、夜景が見える静かな高級フレンチレストランだった。
テーブルに並ぶのは、見たこともないような繊細で上品な料理の数々。
『年上の玲にふさわしい、大人なエスコート』をしようと意気込んできた凌だったが――。
(……やっぱり。)
カトラリーを握る凌の手はガチガチに緊張していて、会話も食事も弾まない。
玲を喜ばせたくて、一生懸命調べて予約してくれた気持ちは痛いほど伝わってくる。
けれど、凌自身が全く楽しめていないのだ。
コース料理が終わると、凌は少し引きつった笑みを浮かべ、必死に格好つけながら言った。
「よ、よし……この後は、展望台で夜景を――」
「――却下!」
「えっ……!?」
玲は立ち上がると、テーブル越しに凌の両頬をギュッと手で挟み込んだ。
「むぐっ……!? な、なにすんだよ会長……っ!」
変顔になった凌を真っ直ぐ見つめ、玲はクスッと笑う。
「凌、今楽しくないでしょ? 無理してる!」
「なっ……俺はあんたを喜ばせようと……っ!」
「うれしいよ? 気持ちはすごく嬉しい。でも、凌が楽しめてないのは嫌! 本当に行きたい所に行こう!」
そう言うと、玲は凌の手を強く引いてレストランを飛び出した。
二人がやってきたのは――ネオン輝く街角にある賑やかなカラオケ店。
「……は? カラオケ……!?」
呆然とする凌をよそに、玲はノリノリでドリンクとフードを注文する。
運ばれてきたのは、山盛りのフライドポテトに唐揚げ、そして大きなグラスに入ったメロンソーダとピッチャーに入ったミネラルウォーター。
「ほら凌、食べて! やっぱりクリスマスはこれだよ!」
「あんたなぁ……フレンチの後に唐揚げとポテトって……」
呆れつつも、揚げ立てのポテトを口に放り込んだ凌の表情が、一気にふっと緩んだ。
「……うまっ。」
「でしょ? 高級料理より、凌とこうやって笑って食べるご飯の方が百倍おいしい!」
玲の言葉に、凌はドッと肩の力を抜いて、参ったように笑った。
「……たく。格好つかねぇなぁ、俺。」
「ふふっ。やっといつもの凌になった。……よし! お腹も満たされたし、カラオケ全国採点対決いってみよう!」
前世、週三でカラオケに行っていた玲は、歌にはかなり自信があった。
高得点を叩き出し、「どうだ!」と胸を張る。
しかし――マイクを握った凌の歌声が響いた瞬間、玲は目を丸くした。
抜群の音感、圧倒的な声量、完璧な表現力。
(いやー、文化祭のナレーションで良い声とは思ってたけど……これほどとは……!)
画面に表示されたスコアは、玲の記録をあっさりと塗り替える最高得点だった。
「うそー!?? 私、結構自信あったのに、点数負けたー!?」
ショックを受ける玲に、凌はドヤ顔でニンマリと鼻を鳴らした。
「悪いけど、俺、週五でカラオケ行ってるから!」
「週五!? ちょっとは勉強しなさい!!」
「ぶはっ、テスト前は行ってねぇよ!」
「当たり前でしょー!」
部屋中に二人の爆笑が響き渡る。
ようやく取り戻した、二人らしい弾けるような笑顔。
「……なぁ、玲。」
凌は少し照れくさそうに頭を掻くと、ポケットから小さな箱を取り出した。
「……これ。本当は夜景のところで渡すつもりだったんだけど。」
中に入っていたのは、太陽と月が一対になっているシルバーのネックレス。
「前、一緒に買い物した時、太陽と月のぬいぐるみ、買ってくれたじゃん?」
それぞれのバッグには、その時に買ったマスコットが今でも付けられている。
「二つで一つっていうのが良いなって思って……」
そう言うと、凌は玲に太陽モチーフのネックレスを、玲は凌に月モチーフのネックレスをそれぞれ付け合った。
「すごく嬉しい……。ありがとう、凌!」
嬉しそうに、胸元のネックレスを見つめる玲。
「私からのプレゼントは……まだ用意できてなくて。また今度、渡すから。楽しみにしてて。」
「……ああ、分かった。」
こうして、聖なる夜は更けていった。
二人の胸元で、太陽と月が呼応するようにキラリと光った。
◇
――そして、春。
柔らかな春風にのって校庭の桜が舞い散る卒業式の日。
玲は一年生の凌を生徒会長に、二年生のソノを副会長に任命した。
式が終わり、誰もいなくなった生徒会室で二人は引き継ぎ作業のため向かい合っていた。
「今日で……最後なんだな。」
会長机を寂しそうに見つめる凌に、玲は優しく微笑みかける。
「明日からは凌がこの部屋の主だよ。新生徒会長、よろしくね?」
「ああ。あんたが作った最高の生徒会、俺がちゃんと引き継ぐから。」
強がる凌だったが、ふと玲の手を握ると、弱音を吐くように握り締めた。
「……一刻も早く追いつく。東京で、変な男に捕まるなよ?」
「ふふっ。私の『一番』は凌だけだよ。」
それでもどこか不安そうな凌に、玲は優しい笑顔を向ける。
「そうだ! クリスマスの時に渡しそびれたプレゼント、準備できたんだ!」
そう言うと、手のひらサイズの箱を凌に手渡す。
箱を開けると、一つの鍵が入っていた。
「ん? これは……?」
「今度一人暮らしする部屋の合鍵。凌に持っててほしくて。」
「!!」
「私も毎日連絡するし、休みになったら会いに行くから。」
「凌も、いつでも会いに来て?」
ああ、この人は……いつも俺が欲しいものをくれるんだな。
「やっぱり、玲には敵わないなぁ……。」
◇
――そして、翌日。
卒業式が終わり、三年生がいなくなった放課後の生徒会室。
夕陽が静かに差し込む部屋で、凌はぽつんと一人、会長机を見つめていた。
昨日まで当たり前のようにそこにいた、大好きな人の姿はない。
静まり返った部屋に、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような寂しさと感傷が押し寄せてくる。
「はぁ……。マジで卒業しちゃったんだな……。」
凌が小さくため息をついた、その時だった。
ガチャッと勢いよく扉が開く音が響いた。
「お疲れさま〜〜!」
「……っ!?」
聞き慣れたあまりにも明るい声に、凌は跳び上がるように振り返った。
そこに立っていたのは、私服姿で手に差し入れの飲み物を持った玲だった。
「新生徒会長、頑張ってる〜?」
「はぁ!? な、なんであんたがここにいんだよ!?」
「へ? 大丈夫かなぁって、心配で……。」
きょとんとした顔で首を傾げる玲。
凌は、額に青筋を立てて頭を抱えた。
「まだ一日目だぞ!? あんた、そんなに暇なのかよ!?」
「暇じゃないよー! 引っ越しの準備の合間に、凌の顔が見たくて来ちゃったんだもん!」
呆れ返りながらも、凌の頬はみるみる赤くなっていく。
二人がいつものように夫婦漫才を繰り広げていると、後ろから副会長になったソノが静かに姿を現した。
その瞳は、どこまでも生温かい光を宿している。
(神……。思ったより過保護なんですね。)
心の中でそっと呟くソノをよそに、凌は大きくため息をつくと、机の上の書類の山を玲へ押し付けた。
「分かった、分かったから! じゃあ、この書類手伝ってくれ! その分、今度の土日はあんたの新居の引っ越しの片付け、手伝いに行くから!」
「ほんと!? 来てくれるの!? 助かる〜〜!」
パッと花が咲いたような笑顔で喜ぶ玲を見て、凌は呆れつつも、どこか嬉しそうに目元を緩めた。
「はぁ~……あんた、そんなんで東京で一人暮らしとか大丈夫かよ? 週末は毎週そっちに行った方がいいのか……?」
「わぁ、そんなに来てくれるの? 合鍵渡しておいて良かったぁ!」
屈託のない笑顔で抱きついてくる玲に「〜〜っ、調子乗んな!」と言いつつ、嬉しそうに受け止める凌。
それを見ていたソノは、静かに深く納得した。
(似た者同士……やっぱり、お似合いだな……。)
あの日、生徒会室で始まった出会い。
野良猫のように尖っていた少年が見せてくれた、不器用な優しさ。
そして、深緑色のお守りに込めた願い。
すべてが今日、この瞬間へと繋がっていた。
背伸びをやめた後輩と、過保護な先輩が歩む未来は――
これからも騒がしく、弾ける笑顔と溢れる幸せに満ちて、明日へ続いていく――。
凌End『深緑色のお守り〜深緑の芽吹きと、不器用な歩み〜』
Fin.




