01 魔王城
淫魔はザリティアという名があった。
「最初からザリティアだったわ。誰がそうつけたのかは分からないけども」
「そうなのね」
背中に蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、優雅に飛ぶザリティアの姿にグレイスは少しばかり羨ましく思えた。
鳥達を見ても羨ましいとは欠片も追わず、むしろグレイスは魔法を使って飛んでいる方が楽だと思っていたくらいだというのにだ。
はばたく翼があるからだろうか。それともザリティアの飛ぶ姿がグレイスの目にはきらきらが映っていたからだろうか。
「グレイスって名前、綺麗ね」
「人間がくれたの」
「あら、そうだったの」
先ほど名乗ったグレイスの名をザリティアが褒めてくれ、グレイスはついふわふわと上下に飛んだ。
そんなグレイスにザリティアはくすくすと小さく笑った。
「その人間が欲しい相手?」
「そう。とてもきらきらしているのよ」
それでね、それでね、とグレイスは頬を赤く染めながら微笑むザリティアに話を続けた。
「いつも森に遊びに来てくれていたの」
「今は来てくれないの?」
「やることがあるんだそうよ」
それで、気になって森の外に出て会いに行った。そしたらずっときらきらとしていたゼインを見つけたのだ。
どうして遊びに来てくれている時は、あんなにきらきらしていなかったのかとグレイスは不思議でならなかった。
「その人間って男?」
「そうね」
「ふぅん」
何か言いたげのザリティアにグレイスは頭を傾げようとして、体が傾いた。慌てて隣で飛んでいるザリティアがグレイスの小さな体を支えてくれる。
そうだった。今は飛んでいるのだと忘れてしまっていた。
「もう、何しているのよ」
「ごめんね。ありがとう」
「どういたしまして。それよりほら、あそこがお城よ」
ザリティアが行く先を見つめる。グレイスもそれに倣い、昏い空にある黒を見る。
進むにつれ、どんどんと空が昏くなっていく。重苦しい空気。この場にいるだけで体のあちらこちらが痒くなってきそうだった。
「森に帰りたくなっちゃった」
「駄目よ。私が殺されちゃう」
「何で?」
「ちゃんと出来なかったら殺されちゃうのよ」
それはいけない、とグレイスは思った。ゼインに出会わなかったらそうは思わなかったことだ。しかし、これがザリティア以外だったらと思ったら、即座に帰っているだろうなと思った。
その理由は分からないけども。
❖❖❖
ゼインがいた建物よりも、ここはずいぶんと大きな場所だった。
この建物は、城と呼ぶのだとザリティアが教えてくれた。
「こっちよ」
この城に到着したときから、ザリティアの微笑みはすっかり消え去った。
どうしたのか。ここはやっぱり良くないところなのではないか。
けども先にどんどんと進んでいくザリティアに煽られ、グレイスは黙ってその後ろを急いでついていく他無かった。
城の中には多くの魔物がいた。
ザリティアを見て、集まってくるがその後ろにいるグレイスを見て、何故か一気にあちらこちらに散っていった。
「皆、恐れているのよ」
「何を?」
「グレイスを」
「どうして?」
「強いからよ」
グレイスには分からないことだった。
だって周りの魔物は皆、見た目だけはグレイスよりも大きくて力も強く見える。それにあんなにも数が多いのだから集団でいれば怖くはないはずだ。
それに何もしてこなければ、グレイスは何もしない。だというのに何故、怖がるのか。
けどもとグレイスは考える。
おかげでザリティアとゆっくりおしゃべりが出来るから、これで良いやとグレイスは笑みを浮かべた。
するとどうしてか、周囲がざわめいた。
笑うだけでも怖がられてしまうらしく、グレイスは何となく帽子を深くかぶり直した。
❖❖❖
グレイスは苛立ちのまま、強く杖を握りしめ、つやつやの石畳にこれまた強く突いた。
「偉そう! 何あれ!」
「ほら、こっちにいらっしゃい」
ザリティアがグレイスの小さな背中を両手で押し、城の中にあるこじんまりとした荒れている庭に出た。
そしてそのままザリティアはグレイスを丸い石に座らせて、帽子を外す。
帽子の下に隠れていたのは、ずいぶんと、短くなってしまった小麦色の髪。綺麗にすっぱりとおさげの部分がなくなってしまったせいで後ろから見ると少年のようだった。
「もう、本当に何しているのよ。いきなり魔王様に喧嘩を売って」
「売ってないわ。ただ聞いただけよ? 世界が欲しいっていう理由が分からないから、どうしてって。それがどうして人間を排除することになるのって」
「いろいろと、あったのよ。きっと」
「あったの?」
城の奥に、魔王と呼ばれるそれがいた。
一見すれば人のようだった。けども人ではない黒くて、よく分からない、けどもずいぶんと近しいような存在だった。
だから、グレイスは魔王に聞いてみた。
そしたら魔王は答える代わりにグレイスのおさげを切り落とした。次は無い、と言って。
「今までの魔王と人間の因縁は深いらしいわ。私はよく知らないけど」
「魔王っていくつもいるの?」
「いたのよ。封印されたり、死んだりしながら、何度も何度も現れている」
後ろにいるザリティアは短くなったグレイスの髪に少しずつ刃物を当てて、整えていく。
グレイスは大人しくそれを受け入れながら、大きく顔をしかめた。
「魔王って何のためにいるの?」
「分からないわ。けど、私達はどうしてか従わなきゃいけないの。グレイスみたいに従わなくても大丈夫なのもいるけども」
「そうなのね」
生まれながらにして上に立つ存在ということなのだろう。獣でもそういう存在はいるのだから不思議なことではない。
と、後ろの髪に触れていたザリティアの手が離れた。
「ほら、綺麗になったわよ」
「ありがとう!」
グレイスはすぐに整えられた髪に触れる。ずいぶんと軽くなった後ろ髪に、グレイスは小さく肩を落とした。
「……すぐ伸びると思う?」
「魔法で伸ばせないの?」
「枝になるから嫌なの」
「不便ね」
さらに肩を小さくさせたグレイスが思い出すのは、ゼインの言葉だ。
「……髪、美しいって言ってくれたの」
きらきらの笑顔で、ゼインはグレイスの髪をそう褒めた。
思い出す度に胸がぽかぽかとしてくるが、同時により首の後ろの冷たさに鼻の奥がつん、と少し痛くなった。
「大丈夫よ、長さが違っても美しさは変わらないわ」
「そう?」
「そうよ」
ザリティアは俯くグレイスの顔を覗き込み、微笑んだ。
「それに、貴方にグレイスと名をあげた人間よ? そう簡単に見限るだなんて思わないわ」
そうして細くて白い手でグレイスの頬を包み込み、上へと見上げさせた。
美しいザリティアにそんなことを言われたのだ。ならば大丈夫だとグレイスは小さな花のような笑顔を返した。
「ねぇ、ザリティア。私、今ね、ふわふわしているの」
「ふわふわ?」
「そう。そうなの、とっても嬉しいの」
ぽかぽかのふわふわ。
まるで、ゼインと共にいる時のような温かさだ。
頬に添えてくれるザリティアの手に、比べて小さな手で上から重ねてグレイスは思った事をそのままに伝えた。
「後、よく分からないの。あの子を思うと……、思えば思うほどに、閉じ込めたくて、自由にさせたくて……。どうすれば良いのか、分からなくなるの。ただ、きらきらを見たいだけなのに」
「きらきら?」
「そうよ。きらきらよ」
ザリティアはゼインのようだった。けども、きらきらとしていない。
同じぐらいに美しいのに、どうしてか違って見える。グレイスには不思議でならないことだったがザリティアは目を丸くしてグレイスにその正体を問いかけた。
「愛しているからじゃ、なくて?」
グレイスには知らない言葉だった。
「……愛?」
「そう。きっと、愛しているのよ。その人間を」
「そうなの、かしら」
「だって欲しいんでしょう?」
グレイスは素直に頷いた。そして愛を知っているザリティアに聞いた。
「ザリティアも、愛しているの?」
「ええ、とても。約束したの、いずれ一緒にいましょうって」
さらに美しさが増したザリティアの微笑みを前に、これが愛なのだとグレイスは確信する。
そして、胸の内に刻み込むように、噛み締めるように、呟いた。
「私は、ゼインを、愛している」




