06 『グレイス』の魔女
グレイスはようやく年数というものを覚えた。
季節が一回りすれば一年。これはゼインが教えてくれたことだ。
そして、ゼインと出会ってからすでに十年の年月が過ぎ去ろうとしていた時だった。
「しばらくここには来ることが難しくなってきそうなんです」
すっかり十分に大きく成長したゼインは、出会った頃よりも低くなった声でグレイスにそう告げた。
「そうなの?」
ゼインは頷く。顔つきだってずいぶんと変わってしまった。
ふくふくとした丸みのある頬はすっかりと痩せた。いつまでもあっても良いものだと思っていたグレイスは内心とても残念に思えた。
ゼインは後少しで成熟する。
よく森を荒しに来る大きな男の人間に段々と近くなってきている。だというのにどうしてか、ゼインのきらきらは変わらなかった。
灰混じりの銀の髪も変わらない。青い瞳だって変わらない。いや、丸さはなくなって目元がほんの少しだけ鋭くなったがグレイスを見つめる目は何一つだって変わらなかった。
だからグレイスはいつものように、ゼインの顔をよく覗き込めるようにと両の頬を挟むように触れ見上げた。
「どうして? ゼイン」
「それは……」
グレイスの問いに、ゼインは何故か言い淀み、視線を逸らそうとする。グレイスは当然ながらそれを赦さずに自分の顔をゼインに近づけた。
「ゼイン」
「うぅ……、近いです。グレイス」
「前と変わらないわよ?」
「それはそれです。僕は……グレイスにとっては変わらないでしょうけど、もう成人をしたんですよ。……つい、最近ですけど」
「そうだったの?」
どうやらもうすでに成熟していたことに、グレイスは純粋に驚いた。そしてそのまま両手を上へと移動させ、頭を撫でた。
「ごめんなさい、ゼイン。もうすっかり成熟していたの、気付かなかったわ」
「グレイス。人間は木の実とは違って成熟はしませんよ」
「そうだったの?」
「はい。人間は、どんなに生きようとも成熟しない生き物なのですから」
ゼインはそう言って、困ったように微笑みを浮かべていた。
「……グレイス。僕は、貴方の為に戦おうと思います」
「……ゼイン?」
ゼインの言っている意味をグレイスはどうしても分からなかった。そして、今日はいつまでも分からないままだった。
いつもならば分かっていないグレイスの為に、ゼインが教えてくれていたのに、どうしてか今日はそのまま微笑んでいたからだ。さらに言えば、ゼインは小さなグレイスの体を抱き寄せたことも意味が分からないものだった。
どうして戦わなければならないのか。どうしてゼインはグレイスの為に戦おうとするのか。誰と戦うのか。
一体、森の外で何が起きているのか。
グレイスは強さが増すゼインの腕の中で、小さく一人でに頷いた。
❖❖❖
まさか、森の外へ出る日が訪れるだなんて、ゼインと出会う前のグレイスには想像もつかないことだったはずだ。
ゼインの居場所は分かっている。何せ目印をつけているのだから。
だからグレイスは足取り軽く、意気揚々と森の外へと出て行ったわけである。もちろん飛んで。
翼がなくたってグレイスは元から飛べるのだ。だから移動はとても簡単なことだったし、当然ながら身を隠すための魔法だって使えるので人間達に襲われる心配はなかった。
だというのに森はいつもよりも荒れていたのは、心配故だった。
すぐに戻るからと言って聞かせて、ようやくゼインがいるであろう大きな建物ばかりの場所につき、グレイスはさっそく帰りたくなった。
「人間、いっぱい」
建物の上に身を隠し、グレイスは下に蠢く人間達を見下ろし、こそっと呟いた。
人間。人間。人間。成熟、未成熟の人間達が入り混じっている。まるで虫達のようだが、まだあちらの方が可愛げがあった。
未成熟の人間達が走り回っているが、ゼインとは似ても似つかぬもので、きらきらなんてものは一切なかった。
やはりゼインだけは特別らしい。
そう納得したグレイスは、さらに大きな建物へ向かうためにもう一度空を飛んだ。
「あら、鳥さん達。こんにちは」
飛んでいる途中、ここに住んでいる鳥達を見かけて声をかける。こちらの鳥達は森にいる鳥達と違ってずいぶんとおしゃべりで、すぐに聞いてもいないあれこれを教えてくれた。
「……魔王?」
魔王が復活した。だから人間達がそいつを倒そうとしている。
そう話してくれた鳥達はお腹が空いたらしく、下の方へと降りて行ってしまった。
残されたグレイスはふよふよとしばらくそのままに浮遊し続け、またゼインがいる場所へと向かう。
「魔王……って、何かしら?」
森では全く聞いたことがないものだ。獣の一種だろうかとグレイスは小さく唸りながら、高い塀の上を飛んで超え、そのまま進む。
この高い塀に囲われた大きな建物は幾分か静かだったし、人間の数は少ないようだった。けども魔法がどこにでもあるようで、うっかり壊してしまいそうなほどに脆弱なものだった。
きっと壊したらゼインを困らせてしまう。そうグレイスは必死に想像し、なるべくそこを避けて奥へと飛ぶ。
と、ようやくゼインの姿が見えた。
「何をしているのかしら……?」
ゼインは広い場所にいた。中心に立っていて、剣を握っている。そして、その目の前には青い髪のあの男が同じように剣を持って向かい合っていた。
グレイスは近くの塀に降り立ち、姿を隠したまま座って様子をしばらく眺めることにした。
そして、二人が同時に動き、剣をぶつけあった。
「きらきら」
ゼインが大きく剣を振り下ろし、青い髪の男がそれを受け流して叩き落とそうとする。しかしゼインは分かっていたようで剣を片手に持ちかえ、身を翻す。
くるり、くるり。きら、きらきら。
「すごい、きらきらしてるわ!」
きゃあ、とグレイスは黄色い声をあげて自分の両頬に手を当てる。
ゼインが剣を振るうたび、身を翻すたび、グレイスの目にはきらきらとしたものが映っていた。
灰混じりの銀の髪が光の中で瞬いているように見えるからだろうか。それとも剣か。けどもそれならば青い髪の男も少しはきらきらとしているはずなのに、きらきらしていなかった。
「うふふっ……。ゼイン、とってもきれい」
もはやグレイスの目にはゼインしか映っていない。そも、どうして剣を握っているのか。その剣が本物であり、周囲を圧巻するほどの魔力と殺気を滲ませながら死闘に近いものをしているのかさえ、グレイスには何一つだって分かりやしなかった。
何せ、グレイスは何も知らないから。初めて、森の外に出てしまったから。
ゼインが教えてしまったから。話してしまったから。会ってしまったから。グレイスに、名を授けてしまったから。
小さな森の魔女は、『恵み』の魔女へと変化していたことにゼインも、グレイス自身も分かりやしなかった。
「……もっと、見てみたいわ。ゼインがきらきらしている姿」
グレイスという魔女は、頬を赤らめて微笑んだ。
血が滲み、苦し気に顔を歪め、後少しで膝がついてしまいそうなその姿を見せるゼインの姿を見て、ただただ欲望を零す。
何せグレイスは知ってしまったのだ。
森の外。数多くの人間達。血の赤。剣の色。きらきら。
苦しみながらも立ち、剣を振るうゼインの姿の美しさ。
グレイスはご機嫌に身体を左右に揺らし、ゼインが青い髪の男に倒されるまでずっとそこでひっそりと眺め続けた。




