03 目印
赤い果実をすっかり食べきったゼインは、汚れた手を見下ろしていた。だからグレイスは指先をくるりと回し、小さな水の球を浮かべた。
「ねぇ、ゼインはどうしてここにいるの?」
水の球をゼインへと差し出しながら、グレイスはそう問いかけた。
だって不思議だったのだ。この森はたまに人間がやってくるが、皆荒らしてくる。森の入口だけであれば、ちょっとした実りを与えるのは良いとは思っているけども、わざわざ奥に入ってきて荒らすのだから困ったものだ。
だというのに、この人間はこんな森の奥へとやってきた。何をするわけでもなく、ぽつりと一人、お腹を空かせて。
「手、洗わないの?」
「あ、ありがとう、ございます」
ゼインは肩を小さく震わせて、水の球を使って手を洗う。綺麗になったのを見計らい、グレイスは水の球をえいや、と遠くへ投げ飛ばした。
ちょうど近くにいたらしい獣が驚いて、大きく跳ねたのが見えた。
「……人さらいに、あって」
「ひとさらい?」
「えっと、知らない人達に、つれてこられて。それで逃げてきたんです」
驚かせてしまった獣にごめんなさいと思いつつ、グレイスはすぐにゼインの話に耳を傾けた。
ひとさらい。ひとさらい、ってなんだっけ。
グレイスはちょっとだけ意味が分からなかったが、連れてこられてしまったということだけはようやく分かった。
じゃあ、荒らす人間と同じなんだなと思いつつ、グレイスは森の木々を見渡し大きく頭を傾けた。その時ちょっとだけ帽子がずれたがそのままにした。
「今、森の中にはふたつの人間がいるわ」
ゼインに気を取られていたばかりに、どうやら森に入ってきた人間達に気づけなかったことにグレイスは少しだけ自分のことなのに驚いた。
いつもならすぐに分かるというのに。もしかしたらこのゼインという人間が、何か特別なものでも持っているのではないか。
そう考えつつ、グレイスは俯くゼインに問いかけた。
「見に行く?」
荒らしにきた人間か。それともゼインを連れてきた人間かは分からないが、とにかくも見に行く必要はありそうだった。
別にゼインを連れて行く必要はないのだけども、何となくグレイスが問うと、ゼインは大きく頷いて立ち上がった。
❖❖❖
一先ずは近い方から。
ずいぶんと奥へ入ってきた人間達は、よく森を荒らす人間とは少し様子が違っていた。大きな荷物なんてものはない。とても動いやすそうな恰好で、すごく嫌な気配を漂わせていた。
グレイスは手を軽く振って、森の獣達を下がらせる。そうしてゼインに振り返った。
「あの人間達は?」
「悪い人達です」
「そうなのね」
すぐに言い切ったゼインに、グレイスは頷いて人間達を再度見る。
ゼインが逃げたから追いかけてきた大きな人間の数は五。小さな人間相手にはずいぶんと多い気もするが、こんな小さなゼインが逃げ出すことが出来たのだから群れないといけないくらいに弱いのだろう。
グレイスは両手で杖を握り、大きく杖の頭を揺らす。それに合わせて、周囲の木々が呻りを上げるように揺れ動いた。
人間達は動きを止め、一つに固まる。なんて馬鹿な人間達なのだろうかとグレイスは思いつつ、人差し指をくるり、と回せば地面から木の根が姿を現し、そのまま人間達をひとまとめに締め付けた。
耳障りな音を発する人間達をそのままに、グレイスはゼインへ笑いかけた。
「どうする? ゼイン」
いつもならグレイスは人間達を容赦なく外へと追い出す。
別に殺したって良いのだが、汚い奴らをここで殺すとなんだか綺麗な森が汚くなってしまいそうだったからやらないでおいている。だけどもこの人間達はゼインを追いかけてきた人間だ。それならゼインがこの人間達をどうするか決めるべきだとグレイスは考えた。
何故かゼインは目を丸くしてグレイスを見つめていた。どうしたのかとグレイスは大きく首を傾げつつ、もう少し強く締め上げていれば、慌ててゼインが口を開いた。
「森の外に縛り付けておいてほしいです」
「分かったわ」
良かった。この森を汚くしないですんだ。もしここで殺すことになったら、ゼインも一緒に埋めるところだった。
グレイスは機嫌良く、笑顔を浮かべて杖の先を地面でつく。いつものようにとても硬い草の蔦で縛り付け、そのまま森の外まで引きずって投げておく。いつもならそこで自由だけども、ゼインのお願いだ。ちゃんと縛ったままにしておかなくては。
それからゼインの手を引いて、まだ森の入り口あたりにいる人間達のところまで連れていく。
先ほどの人間達に比べて、変に嫌な感じはない。それに森を荒そうという素振りはなく、慎重に森を傷つけないようにしながら進もうとしている。道理でずいぶんと進みが遅いはずだ。
「あの人間達は?」
「……ぼくの、迎えです」
「良かったわね」
迎えが来たならもう安全だ。だというのにゼインは大きく顔を俯かせている。
まさかまたお腹が空いたのか。
グレイスはううん、と大きく首を傾げながら様子を見ていると、ぱっとゼインが顔を上げた。
「あの!」
いきなり大きな声を出したゼインに、グレイスはちょっとばかり驚いて大きな帽子を落としかけてしまった。
「また、ここに来ても良いですか……?」
一体どうしたのかと思えば、そんなことを言って来た。
どうしてそれを聞くために不安そうな顔をしているのか分からなかったが、グレイスはよいしょと帽子をかぶり直して、大きく頷いた。
「もちろん! 待っているわ!」
するとゼインは、きらきらとした笑顔を浮かべた。本当に光っていないのに、眩しく見えてしまう笑顔にグレイスはいつまでも見ていたいと思ってしまう。
と、グレイスはそうだと思いついた。
「あ、そうだわ。ね、ゼイン」
「はい、なんで」
グレイスは帽子を少しだけ持ち上げて、ゼインへと近づく。そして、ゼインの小さな額に口づけをし、微笑んだ。
「私の目印。すぐに見つけられるように」
これでゼインが森にいつ来ても分かる。
グレイスにしか見えない花の模様に、グレイスは満足げに笑みを浮かべて、また小さく首を傾げた。
「どうしたの?」
ゼインは石のように固まっていた。しかも、耳まで真っ赤になって。
「……なんでも、ないです」
ゼインはそう言って、転びそうになりながらも迎えに来た人間達へと駆けて行った。
グレイスは、森から出る時までじっとゼインの後ろ姿を見つめ続けた後、ゆっくりとまた森の奥へと戻っていった。




