03 はじめてのお茶
大きな人間は森の奥深くを住処にしているようだった。
村や町で見た人間が住んでいたものよりもずいぶんとぼろぼろで、これまた小さい。けども大切に使われているということをグレイスはすぐに分かった。
「マーカス!」
人間がその中に入ろうとする前、慌ててザリティアが人間を呼んだ。
マーカス、というのがあの人間の名前らしい。マーカスは振り返り、ザリティアそっくりの赤い瞳を丸くして大きな笑顔を浮かべた。
「珍しいな、ザリティア。昼間から来るだなんて」
「ふふっ、会いたくなっちゃった」
ザリティアは両手を大きく広げ、マーカスへと抱き着く。マーカスは優しくザリティアの体を受け止め、躊躇しながらもザリティアの背中に太い腕を回した。
しばらくザリティアはマーカスの胸の顔を埋めた後、見上げてマーカスの黒髪に手を伸ばす。その下にはまだ赤い血が滲んでいる傷があった。
「痛いでしょうに」
「別に平気だよ。いつものことだからね」
優しい声色で、少しばかり困ったように笑うマーカスはようやく様子を見ていたグレイスに目を向けた。
「それで、そちらの小さなお客人はどなたかな。君と共にいるということは、魔物なのだろうけど」
「森の魔女。名前はグレイス」
「……噂で聞いた魔女は、年老いていると……」
噂とはどういうことだろうか。
グレイスは小さく頭を傾げると、ザリティアが言う。
「確かに彼女は私よりもずっと長く生きているから、ある意味では間違ってはいないわね」
「ううん、難しいな」
なんだろう。ちょっとだけザリティアが失礼なことを言った気がしなくもない。
ついついグレイスはむすりと頬を膨らませる。それに気づいたマーカスは慌ててザリティアから腕を外して笑いかけた。
「外にテーブルと椅子を用意するから、お茶なんてどうかな」
お茶。
グレイスはお茶というものがよく分かっていないが、ザリティアが止めようとしないどこか笑顔をさらに輝かせているのを見て、悪いものではないと理解した。
だからグレイスは小さく頷くとマーカスは安心したように肩から力を抜き、準備するためだろう、慌ただしく動き始めた。
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小さな四角に足が四本。これがテーブル。そして同じ作りの小さい四角。これが椅子。テーブルの上に置かれた木のコップ。中に入っている茶色の液体がお茶。
一つずつザリティアが何も知らないグレイスに丁寧に教えてくれた。マーカスはほんの少しその様子を見て目を丸くしていたが、何故か薄く微笑みを浮かべて様子を見ていた。
白い湯気は熱い証拠。火傷に注意すること。
ザリティアに言われた通りにふうふうと口から息を吹いて冷まし、お茶を小さく一口飲んでみる。
果実のような甘さはない。ほんのり葉っぱの苦みと渋みがあるけども悪くはなかった。
「どうかな」
「飲めるわ」
「それなら良かった。けどごめんね、今はそれしかなくて」
マーカスは眉をひそめて小さく肩を落とした。どうしてそんなに困った顔をしているのか、グレイスには分からないことだった。
こくこく、とさらに一口、二口を飲みすすめる。
ゼインはこのお茶というものは好きだろうかとぼんやりと思いつつ、何げなくマーカスに問いかけた。
「どうしてザリティアと一緒にいるの?」
「どうしてって。共にいたいからだよ」
「それと愛しているからでしょ?」
突然のグレイスの問いに、マーカスは淀みなく答えた。さらに重ねてザリティアが言うと、強く口を横に結んで眉間にしわを刻む。
しばらく視線を彷徨わせたマーカスは、笑顔を向けるザリティアを見て、困ったように笑った。
「まぁ、うん。そういうことだ」
「どうして?」
さらにグレイスが問うと、ザリティアが聞きたがりの理由をマーカスに教えた。
「グレイスってば、最近になって愛っていうものを知ったのよ」
「そうだったのかい? それはまたどうして」
「森の外にほとんど出なかったからだと思うわ」
「なるほど……。と言うことは、今はその愛している相手がいるということであっている?」
「ええ、そう。私もまだ、その人間のことは知らないけど」
マーカスは納得したように数度頷き、軽く腕を組む。しばらく視線を上に向け、そして改めてグレイスを見つめた。
「森の魔女殿は、魔王の為に今、人間を排除しているのかな」
「そうよ。そしたら欲しいものが手に入るって聞いたから。ザリティアは貴方が欲しいって言っているわ」
「うん。知っているよ」
柔らかく微笑むマーカスを見て、グレイスは羨ましくなった。
その理由は、さすがのグレイスも理解出来た。
マーカスはザリティアと一緒にいる。マーカスとザリティアは見つめあい、同じように微笑みあっている。見ているとぽかぽかになる。けども、すごく苦しくなる。
だって、グレイスの隣にはゼインがいないのだから。
「見ての通り、僕は人間だろう? 魔物であるザリティアとは生きられる年月に限りがあるから、どうすれば一緒に長くいられるかと思っていたところに魔王が現れてね」
「そうなの。だから私が魔王様にお願いして、マーカスを長く生きられるようにしてもらおうと思っているの。たぶん、というか確実に私達と同じ魔物になるけども」
「構わないよ。今だって人間なのに、魔物扱いだからそう変わらないさ」
見つめあい、そして互いの手を重ねた。
そんなことをしても良いのかとグレイスは思った。そして同時、どうしてああやって触れなかったのかと今更ながらにグレイスは思い、さらに苦しさが増した。
それから逃れようとグレイスは冷えてきたお茶をさらに飲み込む。苦みと渋みのおかげで苦しさが和らいだ。そしてザリティアが言った言葉に気付いた。
「魔物になりたいの?」
「ザリティアを置いて行かない魔物になりたいんだ。さすがの魔王なら出来るだろうとは思っているんだけど、魔女殿は何かご存じなのかい?」
小さなテーブルに向かい合って座っているせいで、ほんの少しマーカスが体を傾けるだけで迫りくるように感じた。
グレイスは無意識に身体を後ろへと傾け、傾く帽子を片手で抑えた。
「魔物かは分からないけど。別に、命を分ければすむ話だと思ったのだけど違う?」
「それが出来れば苦労しないわよ」
「そうなの? 皆出来るものだと思っていたわ」
グレイスは何も知らない。分からない。けども、そういったやり方はあることは知っていた。
なにせ何も知らないグレイスが知っているわけだし、出来ることも分かっている。だから誰もが知っているし出来るものだと思っていたが、どうやらそれは違ったらしい。
ザリティアとマーカスは顔を見合わせる。そして力強く頷きあうと、マーカスはザリティアの肩に手を添えてグレイスへ真っすぐに赤い瞳を向けた。
「森の魔女殿。いや、グレイス殿。どうか願いを叶えてはくれないだろうか」
「お願い、グレイス」
続いて、ザリティアが懇願してきた。
断る理由なんてないグレイスはどうしてそんなに強く懇願するのか分からないまま、一つ頷いた。
「ええ、良いわよ」
ザリティアとマーカスはぱっと顔を見合わせ、まだやっていないというのに強く抱き合った。
なんだかとてもつまらなくなったグレイスはやっぱり止めようかと思ったが、そうしたらザリティアが離れてしまいそうだと思い、踏み留まる。
今頃ゼインは何をしているのだろうかと思いながら、グレイスは残りのすっかり冷めた渋さが増したお茶を飲みほした。




