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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第2章:天輝花

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7話:3年ぶりの再会③〜はじまして〜

照明を取り戻した大宴会場に優雅な音楽が戻ることはなかった。


「アイリス殿下をお守りしろ!」


護衛たちの鋭い声が飛び交う。

数人がアイリスを守るように幾重もの壁を作り、残る者たちが暗殺者を取り囲む。


つい先ほどまでグラスを片手に談笑していた招待客たちも、ようやく起きたことを理解し始めていた。

王女を狙った暗殺未遂。

その事実が伝わるにつれ、人々の間へ恐怖が広がっていく。


「押さないでください! 順番にご移動をお願いします!」


ホテルの係員たちが声を張り上げ、招待客を会場の外へ誘導する。

足早に出口へ向かう人々。

床へ落とされたグラス。

慌ただしく行き交う警備員。

先ほどまでの華やかな空気は、見る影もなく失われていた。


「…………」


包囲された男は、周囲へ鋭い視線を巡らせる。

正面には零。

左右からは、護衛たちが距離を詰めている。

その奥には、幾重にも守りを固められたアイリス。

奇襲は失敗した。

これ以上ここへ留まれば、退路まで完全に塞がれる。

男が僅かに腰を落とす。


「逃がすな!」


護衛の一人が叫んだ。

次の瞬間、男が床を蹴る。


「――っ!」


向かった先は出口ではない。

再び、アイリスのいる方向だった。


「殿下を!」


護衛たちが一斉に内側へ動く。

零もアイリスとの間へ割って入るため、僅かに重心を前へ移した。

しかし、男の狙いは最初から別にあった。

アイリスへ迫ると見せかけ、踏み込んだ足を軸に身体を反転させる。

護衛たちが内側へ集まったことで生まれた、ほんの僅かな隙間。

男は迷うことなく、そこへ飛び込んだ。


「しまっ――!」


護衛の一人が腕を伸ばす。

男はその手を掻い潜ると、脇腹へ肘を叩き込んだ。


「ぐっ……!」


護衛が体勢を崩す。

男はその一瞬を利用して包囲を抜けると、避難する招待客たちの間へ飛び込んだ。

怯える人々を盾にするように流れへ紛れ、会場脇の扉へ向かっていく。


「追え!」


数人の護衛が、すぐさまそのあとを追った。

男は一度も足を止めない。

ただ、扉を抜ける直前に一度だけ肩越しに振り返った。

その視線が捉えていたのは、アイリスではない。

零だった。


「…………」


零もまた、男が消えた扉を見据える。

追おうと思えば、追えない距離ではない。

だが、会場内には避難途中の招待客が大勢残っている。

避難する人々の中へ逃げ込んだ男へ、これ以上魔法を放てば、無関係な者まで巻き込む恐れがあった


何より、相手が一人だけとは限らない。

自分がアイリスのそばを離れた直後、別の襲撃者が動く可能性もある。

すでに護衛が追跡へ向かった以上、零が優先すべきなのは暗殺者を追うことではなかった。

零は背後を振り返る。

幾重もの護衛に囲まれたアイリスに、怪我はない。


「……ま、無事ならいいか」


零が小さく息を吐いた、その時だった。


「黒神くん!」


聞き慣れた声に、零が顔を向ける。

避難する人々の流れを避けながら、鈴華がこちらへ駆け寄ってきていた。

その両手には、零が渡した小さなケーキの載った皿が大切そうに抱えられている。

少し遅れて、影山も人混みを縫うように歩いてきた。


「大丈夫でしたか?」


「ああ。かすり傷一つねぇよ」


零は暗殺者の腕を掴んだ方の手を開いてみせた。

しかし、鈴華は言葉だけでは安心できなかったらしい。

零の手を取り、指先から手首まで確かめるように視線を走らせる。


「……本当に、怪我はないようですね」


「だから言っただろ?」


鈴華はようやく緊張を解き、安堵したように息を吐いた。

その視線が、零の首元で止まる。

ホテルへ入る前、自分が締め直したはずのネクタイは緩み、襟元のボタンも外されていた。

視線の意味に気づいた零が、僅かに眉を寄せる。


「これは今、関係ないだろ?」


「……分かっています。今は何も言いません」


鈴華は静かに答え、零の顔へ視線を戻した。

今は――。

その言葉に含まれた意味を察した零は何か言いかけたが、結局、口を閉ざした。


「さすがだな、同志黒神」


二人のそばまで来た影山が、暗殺者の消えた扉へ目を向ける。

先ほどまでの軽薄そうな笑みは消え、その灰色の瞳には鋭い光が宿っていた。


「暗闇の中で、よくあの動きに反応できたものだ」


「殺気が分かりやすかっただけだよ」


零は何でもないことのように答えた。

影山は自分らがいた場所から壇上までの距離を確かめるように、会場へ視線を巡らせる。


「殺気だけで、あの距離を?」


「俺、足速いんだよ」


あまりにも雑な説明だった。

影山は横目で零を見たが、その口元には再び薄い笑みが戻っている。

納得したわけではない。

ただ、今ここで追及しても零が答えないことを理解したのだろう。


「失礼いたします」


落ち着いた声が、三人へ向けられた。

零がそちらへ顔を向ける。

護衛の一人を伴い、整えられた金髪の男が歩いてきていた。


レオン・アルフォート。

三年前、まだ十二歳だった零と蕾へ、アイリスの護衛を依頼した人物だった。

その後方には、護衛たちに囲まれたアイリスもいる。

周囲を警戒する護衛たちは、いつでも彼女を移動させられるように隊列を組んでいた。


アイリスの視線は、零へ向けられている。

三年ぶりの再会。

しかも、自分の命を救われるという、思いもよらない形での再会だった。

聞きたいことも、話したいことも数え切れないほどある。

それでも今のアイリスは、王女として大勢の視線に晒されていた。

込み上げる感情を抑え、レオンの後ろで静かに足を止める。

レオンは零の前まで来ると、深く頭を下げた。


「この度は、アイリス殿下を救っていただき、誠にありがとうございます」


「礼はいらねぇよ。たまたま手が届くところにいたから、止めただけだ」


大変なことをしたという自覚すらなさそうな返事だった。

その変わらない零の態度に、アイリスの口元がほんの少しだけ緩む。

レオンは顔を上げると、改めて零へ向き直った。


「申し遅れました。初めまして。アルディア王国伯爵、レオン・アルフォートと申します。アイリス殿下の側近を務めております」


「…………」


ほんの一瞬だけ、零とレオンの視線が交わる。


――初めまして。


当然、二人は初対面ではない。

三年前、アイリスを守るために共に動いた間柄だ。

それでもレオンは、あえて初対面として挨拶をした。

周囲には、まだ大勢の招待客や警備員が残っている。

誰が敵と繋がっているのか分からない以上、以前から面識があることを明かすわけにはいかない。


「ご丁寧にどうも。黒神零だ。こちらこそ、初めまして」


零も初対面として名乗った。

その答えを聞き、レオンがごく僅かに頷く。

アイリスも一瞬だけ琥珀色の瞳を揺らしたが、レオンが周囲へ向けている警戒の視線に気づき、すぐに意図を理解した。

王女としての表情を崩さず、二人のやり取りを見守る。

レオンは声を落とし、零へ告げた。


「殿下には、このまま警備を整えた部屋へ移っていただきます」


その表情には、先ほどまで以上の緊張が滲んでいた。


「黒神様にも、先ほどの襲撃者についてお伺いしたいことがございます。ご同行いただけますか?」


「喜んで」


零は迷うことなく答えた。

そのままアイリスへ視線を移し、口元を僅かに上げる。


「なんたって俺は――王女様のファンだからな」


「……!」


アイリスの瞳が見開かれた。

三年前、ロンドン国際空港で、一人の新聞記者から渡された白い封筒。


『姫様の大ファンだというお二人から、お預かりしておりまして』


その言葉とともに届けられた、零と蕾と三人で撮った一枚の写真。

零の一言だけで、あの日の記憶が鮮明に蘇った。


「それは光栄です」


アイリスは王女として、穏やかに微笑む。

それでも零を見つめる琥珀色の瞳には、隠しきれない喜びが宿っていた。


「私も、とても嬉しく思います」


表向きは、王女を救った少年へ向けた感謝の言葉。

しかし、そこに込められた本当の意味を零とレオンだけは理解していた。

鈴華は三人の表情を順番に見つめる。

レオンと零は、確かに「初めまして」と挨拶を交わした。

それなのに二人の間には、初対面とは思えないほど自然な理解がある。

アイリスもまた、零の言葉に特別な意味を見いだしているようだった。


(わざと、初対面のふりをしている……?)


理由までは分からない。

だが、レオンが何度も周囲を警戒していることから、ここで尋ねるべきではないことくらいは察せられた。

鈴華は疑問を胸へ留め、何も言わなかった。

一方、影山も黙ったまま三人を観察している。

零の父親から送られた招待状。

停電と同時に、迷わずアイリスのもとへ向かった零。

そして、初対面を装う零とレオン。

詳しい事情までは分からない。

それでも、零とアルディア王国側に何らかの繋がりがあることだけは察したようだった。


「……なるほどな」


影山は誰にも聞こえない声で呟き、意味ありげに口元を緩める。

しかし、それ以上は何も聞かなかった。

今ここで口にするべきことではない。

その一線を、影山は理解していた。

レオンが護衛へ移動の合図を送ろうとしたところで、零が口を開く。


「白河と影山も一緒でいいか?」


レオンの視線が鈴華と影山へ向けられた。


「二人とも口は固い。白河は俺の同伴者だし、影山は変な奴だけど……まぁ、信用していい」


「変な奴は余計だろう」


影山は苦笑しながら一歩前へ出るとタキシードの胸元へ軽く手を添えた。


「影山怜治だ。同志黒神の親友――」


「悪友の間違いだろ」


零が間を置かずに訂正する。

親友ではないと突き放したのではなく、影山との関係を零なりの言葉で言い換えただけだった。

その意味に気づいた影山の笑みが、僅かに深くなる。


「ほう。友人であることは否定しないのだな」


「揚げ足取るな」


零は面倒そうな視線を向けた。

そんな二人のやり取りを見て、鈴華は困ったように微笑む。

それから姿勢を正し、レオンへ丁寧に頭を下げた。


「白河鈴華です。よろしくお願いいたします」


レオンは二人の顔を確かめたあと、静かに頷く。


「黒神様が信頼されている方々であれば、私に異存はございません。お二人もご一緒に」


「ふふっ……」


その時、小さな笑い声が聞こえた。

零たちがそちらへ顔を向けると、アイリスが口元へ手を添えている。


「失礼しました。皆様、とても仲がよろしいのですね」


「まあ、学校でよくつるんでる奴らだよ」


零が気のない調子で答えた。

出会ってから、まだ二か月も経っていない。

それでも今では、教室で昼食を共にし、放課後や休日にも顔を合わせることが増えていた。

零にとって鈴華と影山は、すでに学校生活の中へ自然にいる存在となっている。


アイリスは、もう一度柔らかく笑った。

壇上で見せていた、王女として整えられた笑顔ではない。

自然に溢れた、一人の少女としての笑みだった。

レオンが護衛たちへ合図を送る。

護衛たちはアイリスを中心に、隊列を組み直した。

これ以上、この場へ留まるわけにはいかない。


「では、参りましょう」


レオンが先頭に立ち、会場脇の扉へ向かう。

アイリスも護衛に囲まれながら、そのあとへ続いた。

零も歩き出そうとして、不意に足を止める。


「白河」


「はい?」


鈴華が振り返る。

零の視線は、彼女が両手で抱えている皿へ向けられていた。


「それ、返してくれ」


「……これですか?」


鈴華も自分の手元を見る。

停電直後に突然預けられた皿。

その上には、零が途中まで食べていたケーキが、奇跡的に形を崩さず残っている。


「ああ」


零は当然のように手を差し出した。

鈴華は何とも言えない表情を浮かべながら、その手へ皿を返す。


「どうぞ」


「サンキュ」


零は残ったケーキを確かめると、フォークで一口分を切り分けた。


「なんなら、白河も食べるか?」


冗談交じりの口調で、フォークを鈴華の方へ差し出す。

つい数分前、王女を狙った暗殺者の腕を受け止めたばかりだというのに、今は食べかけのケーキを惜しんでいる。

こんな時でも、零は零だった。

そのことが妙におかしくて、同時に、鈴華の胸へ残っていた緊張を和らげてくれる。


「では、一口だけいただきます」


「えっ?」


零の黄金色の瞳が、珍しく見開かれた。

どうせ断られると思っていたのだろう。

本当に食べると言われるとは予想していなかったらしく、差し出したフォークを手にしたまま困惑している。

そんな零の反応を見て、鈴華も改めて差し出されたフォークを意識した。

零の手から、そのまま食べることになる。

頬へじわりと熱が集まり、鈴華は恥ずかしそうに視線を伏せた。


「……いけませんか?」


「いや。言ったのは俺だけど……」


零の困惑は消えない。

それでも鈴華は今さら返事を取り消せず、わずかにためらってから、差し出されたフォークへそっと顔を寄せた。

そのまま、切り分けられたケーキを口にする。


「……美味しいですね」


「……そりゃ、よかった」


零はケーキのなくなったフォークと、残りのケーキを交互に見た。

自分から勧めた手前、文句は言えない。

それでも、大切な一口がなくなったことには、どこか釈然としないらしい。

一方の鈴華は、零の手からケーキを食べたことを改めて意識していた。

頬の熱は先ほどよりも増し、零の顔をまともに見ることができない。

影山は、名残惜しそうにケーキを見つめる零と頬を赤くして俯く鈴華を交互に見た。


(……本当に苦労しそうだな、白河は)


その口元に浮かんだのは、からかいというよりも同情に近い苦笑だった。

少し先では、アイリスが口元へ手を添えている。


「ふふっ……」


零が顔を向けると、アイリスは楽しそうに目を細めた。


「いえ。何でもありません」


そう答えながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。

王女として整えられた笑顔ではない。

三年前と同じ、一人の少女として自然に零れた笑みだった。

零は不思議そうにしながら、残っていたケーキを口へ運ぶ。


鈴華と影山を伴い、アイリスたちのあとを追った。

一行が会場脇の扉を抜けると、背後で重い扉が閉ざされる。

騒然とした大宴会場の声が、急速に遠ざかっていった。

向かうのは、警備を整えたホテルの一室。

大勢の目から離れた場所で、三年前に別れた者たちは、ようやく本当の再会を果たそうとしていた。

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