7話:3年ぶりの再会②〜襲撃〜
照明が消えた瞬間。
一つの影が、大宴会場を駆け抜けた。
突然の停電に驚き、立ち上がろうとする招待客たち。
その隙間を正確に縫い、迷うことなく壇上へ迫っていく。
まるで、この闇が訪れることを最初から知っていたかのように。
男の狙いは、ただ一人。
アルディア王国第一王女――アイリス。
壇上付近にいた護衛たちも、停電と同時に動いていた。
一人がアイリスの前へ立ち、もう一人が退路を確保しようとする。
だが、暗闇の中で殺到する人々の声と動きが、互いの位置を僅かに狂わせた。
男はその一瞬の隙を見逃さない。
魔力を外へ漏らさぬまま、両脚へ集中させる。
踏み込んだ床が微かに軋み、次の瞬間、その身体が闇の中を弾丸のように駆け抜けた。
前へ出た護衛の腕を低い姿勢で掻い潜り、もう一人の身体を死角として利用し、その脇を一気に抜ける。
その動きに、迷いも無駄もなかった。
「――っ!」
誰かが近づいてくる気配に気づき、アイリスが咄嗟に振り返った。
その時にはすでに、男は目の前まで迫っている。
暗闇の中から、一本の腕が伸びた。
武器は持っていない。
男には必要なかった。
鍛え抜かれた肉体と、標的を確実に仕留めるためだけに磨き上げられた体術。
伸ばされた五指が狙っているのは、アイリスの喉元だった。
掴めば終わる。
首をへし折り、混乱に紛れて会場を離れる。
これまで幾度となく繰り返してきた仕事と、何も変わらない。
(今回も、こんなもんか)
指先が、アイリスの白い肌へ迫る。
あと僅か。
その喉元を捉える――はずだった。
どこかで、グラスの割れる甲高い音が響く。
それとほぼ同時に、男の手首へ別の手が絡みついた。
「――?」
腕が止まった。
いや、止まったのではない。
止められた。
「……!」
男は即座に腕を引こうとする。
しかし、動かない。
さらに力を込めても、手首を掴む指は微動だにしなかった。
(いつの間に……?)
男の目が僅かに見開かれる。
気配を感じなかった。
アイリスへ迫る直前まで、そこには誰もいなかったはずだ。
それなのに今、一人の少年が、アイリスを背後へ庇うように立っていた。
派手な光も、魔力の奔流もない。
少年は魔力を外へ一切漏らすことなく、脚と腕の内側だけへ精密に巡らせている。
身体強化。
ありふれた魔法のはずなのに、その力は男の全力を正面から封じていた。
ただ、制服姿の少年が、片手で男の腕を受け止めている。
「…………」
アイリスにも、その姿はまだ見えていなかった。
ただ、自分と男の間へ誰かが割り込んだ。
そして、自分へ伸ばされた腕を止めてくれた。
それだけは分かった。
直後――。
会場の照明が、一斉に復旧した。
「――っ!」
眩い光が大宴会場を満たす。
混乱していた招待客たちの視線が、壇上へ集まった。
そこにいたのは、アイリスへ腕を伸ばした一人の男。
その手首を片手で掴み、王女を背後へ庇うように立つ、深紅の制服姿の少年だった。
「……黒神くん?」
離れた場所にいる鈴華は、ケーキの皿を両手に抱えたまま壇上を見つめていた。
いつの間に、どうやって。
先ほどまで自分の隣にいた零が、今は遥か前方でアイリスを守っている。
その隣では、影山も先ほどまでとは別人のような鋭い目で、零と男の動きを追っていた。
護衛たちも態勢を立て直し、左右から男との距離を詰め始める。
「参加者を下がらせろ!」
「殿下をお守りしろ!」
警備員たちの声が飛び交い、会場の混乱がさらに大きくなる。
男は周囲へ一瞬だけ目を走らせると、掴まれた腕を強引に捻った。
同時に、空いている肘を零の顔面へ叩き込もうとする。
零は手首を放し、迫る肘を片腕で受け流した。
そのまま掌を男の胸元へ当て、アイリスから引き離すように押し返す。
「……っ!」
男は自ら後方へ跳び、零の力を逃がした。
数メートル先へ着地すると、低く姿勢を落とす。
零は追わなかった。
アイリスを背後へ庇ったまま、空いている手を男へ向ける。
紫銀色の粒子が、零の手のひらへ集まっていく。
星屑を思わせる光に包まれながら、その中心へ拳ほどの漆黒の魔力弾が生成された。
銀河星――バージョン隕石。
技名を告げることなく、零が一発目を放つ。
紫銀色の軌跡を引きながら、漆黒の魔力弾が男の胸元へ一直線に迫った。
「――っ!」
男は身体を斜めへ沈め、紙一重で軌道から外れる。
隕石はは男の肩口を掠めるように通過する。
背後の招待客へ届くより先に、漆黒の魔力弾がほどけ、紫銀色の粒子となって霧散した。
男が体勢を戻す。
その時にはすでに、零の手のひらへ新たな紫銀色の粒子が集まっていた。
二つ目の漆黒の魔力弾が生成されていく。
魔力が膨らんだ瞬間、男は零が放つよりも先に床を蹴った。
直後、二発目の隕石をが放たれる。
紫銀色の軌跡を残しながら、男が一瞬前まで立っていた場所を漆黒の魔力弾が貫いた。
「へぇ……一回で見切るんだ」
零の口元へ、微かな笑みが浮かぶ。
一発目を見ただけで、銀河星が生成されてから放たれるまでの間と、その弾道を読み切った。
だが、零の黄金色の瞳は、二発目の行方など見ていなかった。
床を蹴った男の動きから、その着地点をすでに捉えている。
紫銀色の粒子が、再び零の手のひらへ集まる。
三つ目の隕石が生成された。
「――そこだろ」
男が着地する直前。
逃げ場を塞ぐように、三発目の隕石が放たれた。
空中にいる男は、もう軌道から外れられない。
それでも、その目に焦りはなかった。
男は右手の指を揃えると、手の縁へ魔力を集中させる。
薄く研ぎ澄まされた魔力が、刃のように手刀を覆った。
迫る隕石を正面から見据える。
一発目で速度を二発目で、漆黒の魔力弾と、その周囲を巡る紫銀色の粒子の流れをーー
男はすでに魔法を形作る核の位置まで見抜いていた。
「――っ!」
鋭く振り下ろされた手刀が、隕石の中心を捉える。
甲高い音が響いた。
次の瞬間、拳ほどの漆黒の魔力弾が、真っ二つに両断される。
二つに分かれた隕石は形を保てない。
漆黒の魔力がほどけ、無数の紫銀色の粒子となって男の両脇へ散っていった。
男はそのまま床へ着地する。
手刀を覆っていた魔力は消え、手袋の縁には細い裂け目が走っていた。
無傷で斬ったわけではない。
それでも、零の銀河魔法を正面から両断してみせた。
零の黄金色の瞳が、僅かに見開かれる。
やがて、その口元へ楽しそうな笑みが浮かんだ。
ただ速いだけではない。
二度見ただけで相手の魔法を分析し、三度目には自らの手で斬り伏せる。
目の前の男は、間違いなく相当な使い手だった。
男もまた、すぐには動かなかった。
ただの学生にしか見えない少年。
その少年が、自分の接近へ反応した。
そればかりか、全力で伸ばした腕を片手で止め、見たこともない漆黒の魔法を立て続けに放ってみせた。
手刀に残った痺れを悟らせないまま、男の目が零の全身を値踏みするように細められていく。
魔法の正体までは分からない。
だが、目の前の少年がただの学生ではないことだけは、疑いようがなかった。
零はそれ以上攻撃しなかった。
黄金色の瞳で男の動きを捉えたまま、アイリスを守る位置から離れない。
目的は、男を倒すことではない。
今は何よりも、背後にいるアイリスを守ることが優先だった。
その短い睨み合いの中――。
アイリスは、零の周囲を漂う紫銀色の粒子を呆然と見つめていた。
見覚えがある。
紫銀色の星屑をまとい、闇を駆け抜ける漆黒の魔力弾。
三年前のロンドン。
魔法を教えてもらった時に見せてくれた、そして自分が連れ去られた旧時計台跡で、少年が放ったものと同じ魔法だった。
自分を助けるため、蕾とともに戦ってくれた少年。
その手のひらから、何度も放たれた銀河魔法。
あの光をアイリスが忘れるはずがない。
視線が、舞い散る紫銀色の粒子から、目の前に立つ少年の背中へ移る。
三年前よりも背が高くなっている。
身体つきも、あの頃とは違う。
それでも、銀河魔法も。
自分を守るように前へ立つ姿も。
三年前から、何も変わっていなかった。
「ったく……三年前は誘拐で、今度は暗殺かよ。王族ってのは、相変わらず大変だな」
零は暗殺者へ視線を向けたまま、背後にいるアイリスへだけ届く声で告げた。
周囲では警備員たちの指示が飛び交い、招待客のざわめきも大きくなっている。
その声が、離れた場所にいる鈴華や影山へ届くことはなかった。
「…………!」
アイリスの琥珀色の瞳が揺れた。
魔法を見た時から、分かっていた。
それでも、三年前より少し低くなった声を耳にして、胸の内にあった確信が温かな実感へ変わっていく。
そのどこか気の抜けた話し方も、記憶にある少年と何も変わらない。
「……零くん?」
分かっていながらも、確かめずにはいられない。
そんな小さな呼び掛けだった。
その呼び掛けを聞き、零の黄金色の瞳から僅かに鋭さが抜ける。
暗殺者への警戒は解かないまま、空いている手をネクタイの結び目へ掛けた。
ホテルへ入る前、鈴華がきっちりと締め直したネクタイを僅かに緩め、首元のボタンを一つ外す。
窮屈さから解放されたように息を吐くと、零は少しだけ顔を横へ向けた。
三年ぶりにアイリスの琥珀色の瞳を見る。
零の口元へ、小さな笑みが浮かんだ。
「久しぶりだな、アイリス王女――いや、アイリス姉」
「――っ!」
その呼び方を聞いた瞬間、アイリスの表情が崩れた。
王女として招待客へ見せていた、整えられた笑顔ではない。
三年前、ロンドンで零や蕾と一緒に過ごした頃と同じ、一人の少女としての表情だった。
三年前、ロンドンで別れた二人。
空港で届けられた写真の裏に、零が残した言葉。
『またな』
再会する場所としては、あまりにも物騒で。
最悪とさえ言える夜だった。
それでも、あの日に交わした約束は――。
三年という時を越え、ようやく果たされた。




