7話:3年ぶりの再会①〜偽りの笑顔〜
パーティーが始まって、しばらく経った頃――。
煌びやかな大宴会場には、楽団が奏でる優雅な旋律と、招待客たちの談笑が絶え間なく流れていた。
そんな華やかな会場の一角。
「……黒神くん」
「ん?」
鈴華は、隣に立つ零へ視線を向けた。
零の手には、小ぶりなケーキが載った白い皿がある。
鈴華に言われたとおり先に料理を食べ終え、ようやくデザートへ移ったところだった。
「先に言っておくけど、ちゃんと料理は食ったぞ。もう文句ねえだろ?」
「まだ何も言っていません」
先回りして釘を刺され、鈴華は困ったように眉を下げた。
それでも、ケーキを前にした零が先ほどまでより機嫌よく見えるのは、気のせいではない。
「ですが、随分と嬉しそうですね」
「いいか、白河。甘いものってのは――」
「脳の疲労回復にいいんですよね? それは前にも聞きました」
零が用意していたらしい説明を、鈴華が先に口にする。
それでも零は動じることなく、もっともらしい顔で頷いた。
「分かってるならいい」
零はケーキを一口食べた。
甘さを確かめるように咀嚼したあと、その表情が僅かに緩む。
どうやら本人は、甘いものが好きだということを隠しているつもりらしい。
しかし、訓練の合間に一緒に昼食を取った時から、そのことは鈴華にもすっかり知られていた。
鈴華はあえて追及せず、デザートの並ぶテーブルへ視線を向けた。
そこで、あるものを見つける。
「黒神くん。あちらに《ショコラトリー・ルミエール》の限定ショコラがありますよ」
「どこだ?」
間髪を入れず、零の黄金色の瞳が示された方向へ動いた。
予想以上に素早い反応だった。
鈴華の口元へ、悪戯が成功したような柔らかな笑みが浮かぶ。
「脳の疲労回復のため、ですよね?」
「……白河、お前、わざと言っただろ?」
ようやく試されたことに気づいたらしい。
零が恨めしそうな視線を向けると、鈴華は何も知らない顔で小さく首を傾げた。
「何のことでしょう?」
零は疑わしそうに鈴華を見つめた。
しかし、その視線はすぐに限定ショコラへ戻っていく。
鈴華は堪えきれず、小さく笑った。
「せっかくですから、一緒に食べましょう」
「白河も食うのか?」
予想していなかったのか、零が鈴華へ顔を戻す。
鈴華は柔らかな笑みを浮かべたまま頷いた。
「はい。脳の疲労回復にいいのでしょう?」
零は一瞬だけ目を丸くしたあと、楽しそうに口元を緩めた。
「……分かってるじゃねえか」
二人は肩を並べ、限定ショコラの置かれたテーブルへ向かった。
そんなやり取りを交わしているうちに、鈴華が会場へ入った直後に感じていた緊張は、いつの間にか薄れていた。
影山に散々からかわれたせいもある。
何より、隣にいる零が普段とまったく変わらない。
学校にいる時と同じように振る舞う零を見ていると、ここが自分とは縁遠い世界であることさえ忘れそうになる。
もちろん、零が完全に気を抜いているわけではなかった。
ケーキやショコラを味わいながらも、その視線は時折、会場の出入口や警備員の配置へ向けられている。
ホテルへ入った直後に感じた、殺気にも似た気配。
あれから同じものを感じることはなかったが、零はまだ警戒を解いていなかった。
その時――。
会場を満たしていた楽団の演奏が、静かに止まった。
「ん?」
零がフォークを持つ手を止める。
招待客たちも会話を中断し、次々と会場正面へ顔を向けた。
正面に設けられた壇上へ司会者が立つと、係員の手によって大宴会場の扉が閉ざされる。
壁際に控えていた警備員たちも、周囲を警戒するように持ち場を移した。
やがて、静まり返った会場へアナウンスが響く。
『皆様、これより先の進行は非公開となります』
会場の空気が、僅かに変わった。
『撮影および録音、ならびに、この場で知り得た情報を外部へ口外することは固くお控えください』
撮影や録音が禁止されていることは、受付でも説明されていた。
だが、ここまで明確に念を押されたことで、招待客たちの間に小さなどよめきが広がっていく。
表向き、このパーティーをアルディア王家は欠席することになっている。
これから行われることも、公式の記録には残らない。
『それでは、特別なご来賓をご紹介いたします』
司会者の声に合わせ、壇上脇の扉へ人々の視線が集まった。
『アルディア王国第一王女――アイリス・アルディア殿下です』
扉がゆっくりと開かれる。
一瞬の静寂。
直後、大きな拍手が会場を包み込んだ。
「……!」
鈴華の碧色の瞳が、大きく見開かれる。
数人の護衛に付き添われながら、一人の王女が姿を現した。
腰まで伸びた、美しい金色の髪。
シャンデリアの光を映す、澄んだ琥珀色の瞳。
身に纏っているのは、淡い青と白を基調とした華やかなドレスだった。
大勢の招待客から視線を向けられても、アイリスの歩みが乱れることはない。
背筋を伸ばし、王女に相応しい穏やかな笑みを浮かべながら、壇上へ向かっていく。
「……綺麗な方ですね」
鈴華の口から、自然と言葉が零れた。
自分と三歳しか違わないとは思えないほど、堂々としている。
しかし、その隣で零は何も答えなかった。
「…………」
三年前よりも伸びた金色の髪。
幼さの薄れた顔立ち。
それでも、招待客へ向けられた笑顔が、昔のように心から浮かべたものではないことくらいは分かった。
母と兄を失ってから、まだ数日しか経っていない。
悲しみを覆い隠し、王女としてこの場所へ立っているのだ。
「黒神くん?」
「ん?」
呼び掛けられ、零はようやく鈴華へ顔を向けた。
「どうかしましたか?」
「三年も経てば、変わるもんだなって思ってただけだ」
零は気の抜けた調子で答えた。
だが、その黄金色の瞳はすぐに壇上へ戻っていく。
鈴華はその横顔に浮かぶ僅かな翳りに気づいたものの、それ以上は尋ねなかった。
「……悲しいもんだな」
不意に横から聞こえた声に、二人が顔を向ける。
いつの間に戻ってきたのか、そこには影山が立っていた。
「影山くん」
鈴華が声を掛けると、影山は軽く片手を上げた。
先ほどまで二人をからかっていた時とは違い、その目は真剣にアイリスの姿を追っている。
「母親と兄を亡くして、まだ数日だ。それでも王女というだけで、ああして笑わなきゃならない」
影山の声には、普段の芝居がかった調子がなかった。
壇上へ進むアイリスは、招待客へ向けて変わらず笑みを絶やしていない。
けれど、その指先がドレスの裾を僅かに握り締めていることに、鈴華は初めて気づいた。
「……平気なはずがありませんよね」
鈴華の声が小さくなる。
零は何も言わず、皿を持つ手へ僅かに力を込めた。
アイリスの出席が伏せられていたのは、安全に日本へ入り、この会場へ到着するまで狙われる危険を少しでも減らすためだったのだろう。
そのうえで、王家が外交上の務めを放棄していないことを、ここに集まった者たちへ示す。
母と兄を失った直後であっても。
自分の命まで狙われているかもしれなくても。
それが、アイリスへ課せられた王族としての責務だった。
「……気に入らねえ話だな」
零が誰に聞かせるでもなく呟いた。
普段と変わらない気怠げな声音。
しかし、壇上へ向けられた黄金色の瞳には、先ほどまでとは違う鋭い光が宿っていた。
壇上へ上がったアイリスは、用意されていたマイクの前で足を止める。
司会者が一歩下がり、場所を譲った。
会場から再び拍手が起こる。
その音が少しずつ静まるのを待ち、アイリスはゆっくりと息を吸った。
そして、マイクへ手を伸ばす。
その瞬間――。
零の指が、皿の縁で止まった。
「…………」
感じた。
ホテルへ入った直後、ほんの一瞬だけ肌を撫でたものと同じ気配。
それが今、会場のどこかから壇上へ向けて、明確な殺気となって鋭く膨れ上がった。
次の瞬間、すべての照明が消えた。
「――っ!?」
大宴会場が、一瞬で闇に包まれる。
シャンデリアも、壁際の照明も、アイリスを照らしていたライトさえ、一斉に光を失った。
招待客たちから驚きの声が上がる。
グラスがぶつかり、椅子が引かれ、何かが床へ落ちて砕けた。
つい先ほどまで会場を満たしていた優雅な空気が、瞬く間に混乱へ塗り替えられていく。
「停電……?」
鈴華が周囲を見ようとする。
だが、突然訪れた闇に目が慣れず、ほとんど何も見えない。
その手へ、横から何かが押しつけられた。
「白河、これ頼む。それと、ここから動くなよ」
「え?」
反射的に受け取る。
手の中に収まったのは、零が食べていたケーキの皿だった。
「黒神くん?」
呼び掛けたが、返事はない。
鈴華は皿を落とさないように抱えたまま、先ほどまで零がいた場所へ手を伸ばす。
しかし、そこにはもう誰もいなかった。
「黒神くん……?」
つい数秒前まで隣にいたはずの零は、気配すら残さず闇の中へ消えていた。




