6話:2人でパーティ③〜待ち合わせ〜
翌日――。
夕刻。
星峰市内にある高級ホテル。
夕日を映したガラス張りの外壁が、淡い金色に輝いている。
大きく張り出した車寄せには、高級車が次々と滑り込んでいた。
制服姿のドアマンが扉を開けるたび、タキシードや華やかなドレスに身を包んだ招待客が降りてくる。
その光景を、鈴華は正面玄関の前から眺めていた。
風紀部の活動を終え、そのまま待ち合わせ場所へ来たため、服装は星峰魔法高等学校の制服だ。
白いシャツの襟元も、胸元のネクタイも、深紅のブレザーもきちんと整えてある。
風紀部の仕事を終えたあと、化粧室の鏡でもう一度身だしなみを確認してきた。
それでも、目の前を行き交う招待客と比べれば、自分だけがひどく簡素な格好に思えてしまう。
同年代と思われる招待客も何人かいた。
その中には、異なる学校の制服を着た者もいる。
しかし、多くは仕立てのよいスーツや、落ち着いた色合いのドレス姿だった。
『学生なら、制服で問題ないってエレ姉が言ってた』
『俺も制服で行く。それなら、白河だけ浮くこともないだろ?』
零からそう聞かされた時は、それで大丈夫だと思っていた。
参加要項にも、学生は制服での出席を認めると記載されている。
規則上、何の問題もない。
頭では分かっているのだが、実際に会場へ来てみると話は別だった。
「……本当に、大丈夫でしょうか」
正面を通り過ぎた招待客が、鈴華の制服へ目を留めたような気がした。
実際には、待ち合わせで一人立っている学生が珍しく見えただけかもしれない。
それでも、一度意識してしまうと、周囲の視線が妙に気になってしまう。
鈴華はスマートフォンを取り出し、時刻を確かめた。
風紀部の活動が予定より早く終わったため、待ち合わせまではまだ少し時間がある。
零が遅れているわけではない。
(黒神くんも、もうこちらへ向かっている頃でしょうか)
そう考えただけで、服装とは別の緊張が胸へ広がった。
昨日、あれほど考えすぎないようにしようと決めたはずなのに。
いざ待ち合わせ場所へ来ると、零と二人で夜のパーティーへ参加するという事実を、どうしても意識してしまう。
「……落ち着いてください、私」
鈴華は自分へ言い聞かせ、熱を逃がすように静かに息を吐いた。
今夜はあくまで、パーティーへ同伴するだけだ。
普段どおりにしていればいい。
そう気持ちを整えようとした時だった。
「早いな、白河」
「――っ!」
聞き慣れた声に、鈴華の肩が跳ねた。
振り返ると、宣言どおり学校指定の制服を着た零がこちらへ歩いてきていた。
片手をポケットへ入れ、ただし、ネクタイは緩められ、シャツも第二ボタンまで開いていた。
制服を着てはいるものの、着こなしは普段とまったく変わっていない。
「黒神くん」
「待ったか?」
「いいえ。私も少し前に来たところです」
鈴華は手にしていたスマートフォンを鞄へしまった。
零は疑うことなく頷くと、目の前にそびえるホテルを見上げる。
「でけぇな。ホテルっていうより、城じゃねえか」
「本当に、ここで合っているのですよね?」
「ああ。住所も会場名も合ってる。堂々としてりゃいいんだよ」
気楽に答えながらも、零の黄金色の瞳はゆっくりと動いていた。
車寄せに立つ警備員。
玄関の両側へ設置された監視装置。
外から確認できる出入口と、ホテルの周囲へ配置された人員。
一見すると、ただ物珍しそうに建物を眺めているだけに見える。
しかし、その視線は周囲の警備状況を一つずつ確かめていた。
正式な任務ではない。
それでも、万が一に備えるため呼ばれたことを、零は忘れていなかった。
「ん?」
鈴華の視線に気づき、零がホテルから顔を戻した。
「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
「いえ、その……」
鈴華は言いにくそうに周囲を見回した。
ちょうど一台の高級車が車寄せへ停まり、ドレス姿の女性が男性に手を取られながら降りてくる。
「本当に、この格好でよかったのでしょうか?」
「制服のことか?」
「はい。規則上は問題ないと分かっていますが、皆さん随分と華やかな格好をされていますし……」
鈴華は自分の制服へ目を落とした。
「今からでは遅いですけど、やはりドレスを用意しておくべきだったのではないかと」
「気にしすぎだろ」
零は周囲を見回すと、玄関近くにいる数人の学生を顎で示した。
「あそこにも制服の奴がいる。俺たちだけってわけじゃない」
「それは、そうですけど……」
「エレ姉にも確認したんだ。入口で追い返されたら、その時はその時だろ」
「その時で済ませないでください」
鈴華が思わず窘めると、零は楽しそうに口元を緩めた。
「冗談だよ。それに――」
零は改めて鈴華へ目を向けた。
深紅のブレザーから、きちんと整えられた襟元までを確かめるように眺める。
「白河はちゃんと着こなしてるし、制服も似合ってる。変じゃねえんだから、堂々としてろよ」
「……え?」
思いがけない言葉に、鈴華は碧色の瞳を瞬かせた。
零は深く考えず、見たままの感想を口にしただけらしい。
すでに鈴華の服装から興味を失い、玄関付近の警備へ視線を戻している。
鈴華はすぐに返事をできなかった。
制服が似合っている。
ただそれだけの言葉なのに、胸の奥にあった不安が急速に薄れていく。
「……黒神くんは、そういうことを何でもないように言うのですね」
「何が?」
零が怪訝そうに振り返る。
本当に分かっていないらしい。
鈴華は困ったように眉を下げながらも、柔らかな笑みを浮かべた。
「いいえ。ですが、おかげで安心しました。ありがとうございます」
「そっか。ならよかった」
零はそれ以上気にした様子もなく、軽く笑った。
その飾り気のない笑みに、鈴華の胸がもう一度小さく跳ねる。
だが、今度は慌てて顔を逸らすことなく、その表情を静かに見つめ返した。
その時、緩められたままのネクタイと、第二ボタンまで開いたシャツが目に入った。
「それより、黒神くん」
「ん?」
「私の服装を褒める前に、ご自分のネクタイとボタンをきちんとしてください」
鈴華が指摘すると、零は自分の胸元へ目を落とした。
「これくらい、いつもどおりだろ?」
「今日は、その制服を正装として着ているのですよね?」
零は緩んだネクタイの結び目を指でつまみ、面倒そうに眉を寄せた。
「別に、このままでも入れるだろ」
「入れるかどうかの問題ではありません。少しじっとしていてください」
鈴華は零の前へ一歩踏み出した。
開いたシャツのボタンを順に留め、そのまま緩んでいたネクタイの結び目へ手を伸ばす。
「おい、自分でできるって」
「でしたら、最初から直してきてください」
鈴華に正論を返され、零は言葉に詰まった。
やがて抵抗を諦めたように両手を下ろす。
「へいへい。好きにしてくれ」
鈴華は曲がっていた襟を整え、ネクタイの結び目を襟元まで押し上げた。
作業へ意識を向けているうちに、自分と零の距離が思っていた以上に近いことへ気づく。
顔を上げれば、すぐ目の前に零の顔がある。
ガラス張りの外壁には、制服姿で向かい合う二人の姿が映っていた。
傍から見れば、同級生の身だしなみを整えているというより、連れ立ってパーティーへ来た親しい二人に見えるかもしれない。
意識した途端、鈴華の胸が大きく跳ねた。
ネクタイへ添えていた指先が、わずかに止まる。
「白河、手が止まってるぞ?」
「……今、直しています」
どうにか平静を装って答えたものの、声はほんの少しだけ上ずっていた。
鈴華は最後にネクタイの位置を確かめると、素早く手を離す。
「できました」
「おう。ありがとな」
零は整えられたネクタイへ触れ、満足そうに頷いた。
鈴華は一歩下がると、わずかに熱を持った頬を落ち着かせるように息を整える。
服装への不安は消えていた。
その代わりに、別の意味で零の隣にいることを意識してしまっている。
零はそんな彼女の内心など知らないまま、鞄から招待状を取り出した。
「そろそろ入るか」
歩き出そうとした零が、不意に足を止める。
先ほどまでの気楽な雰囲気を残しながらも、その声が少しだけ低くなった。
「中に入ったら、なるべく俺から離れるなよ」
「はい。ただし、黒神くんも一人で先へ行かないでくださいね」
鈴華がまっすぐに見つめ返すと、零は意外そうに片眉を上げた。
「俺の心配してんのか?」
「今夜は私が、黒神くんの同伴者なのですよね?」
その言葉に、零は一瞬だけ目を丸くした。
やがて、どこか楽しそうに口元を緩める。
「分かったよ」
「約束ですよ」
「はいはい。んじゃ、行くか」
零は正面玄関へ向かって歩き出した。
鈴華も今度こそ迷わず、その隣へ並ぶ。
制服姿の二人が近づくと、正面のガラス扉が音もなく開いていく。
涼やかな空気とともに、ホテル内で奏でられている穏やかな音楽が流れてきた。
零と鈴華は肩を並べ、煌びやかなホテルへ足を踏み入れた。




