5話:黒の魔法使い①
黒神零が起こしたプール破壊事故(事件)から数日後。
星峰市の路地裏に、悲鳴が響いた。
薄暗い街灯の下で、数人の男たちが地面へ倒れ伏している。
荒い息。
呻き声。
割れたアスファルトには黒い焦げ跡が残り、焦げ臭い匂いが静かに漂っていた。
その中心に、1人の男が立っている。
右手には黒い炎。
赤でも青でもない。
煤のように暗く、周囲の光を吸い込むような不気味な炎だった。
「な、なんなんだよ……お前……」
倒れた男の一人が震える声で呟く。
男はその姿を見下ろし、ゆっくりと口元を歪めた。
「聞いたことくらいあるだろ。」
一歩だけ前へ出る。
黒い炎が静かに揺れ、男の影を長く伸ばした。
「半年前に姿を消した、黒い魔法使い。」
短い沈黙。
男は愉快そうに笑う。
「漆黒の流星。」
その名を聞いた瞬間、倒れていた男たちの顔色が変わる。
「ま、まさか……。」
恐怖に染まる表情を眺めながら、男は満足そうに頷いた。
「そうだ。」
黒い炎が大きく燃え上がる。
「俺が漆黒の流星だ」
夜風が吹き抜けた。
炎だけが静かに揺れ続ける。
その日を境に、星峰市では『黒い魔法使い』による事件が相次ぐことになる。
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次の日
星峰魔法高等学校は、表面上こそ平穏を取り戻していた。
春の柔らかな風が校舎の間を吹き抜ける。
昼休みになれば生徒たちの笑い声が響き、放課後になれば運動部の掛け声が校庭へ広がる。
どこにでもある学校の日常。
しかし、その穏やかな空気の裏では、一つの噂が静かに広まり始めていた。
黒い魔法を使う何者かが現れた。
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昼休み。
屋上では、いつもの3人がフェンス際へ腰を下ろしていた。
春風が心地よく吹き抜け、それぞれ昼食を広げている。
零は焼きそばパンを片手に、ぼんやりと星峰市の街並みを眺めていた。
校庭からは、生徒たちの笑い声が風に乗って聞こえてくる。
「聞いたか、同志黒神!」
屋上へ影山の大声が響く。
焼きそばパンを口へ運ぼうとしていた零は、その一言だけで嫌な予感がした。
ゆっくりと視線だけを向ける。
「まだ何も聞いてないけど、嫌な予感しかしない。」
影山は待ってましたと言わんばかりにスマートフォンを掲げた。
画面には、星峰市内で起きた事件の記事が表示されている。
「最近、学校周辺で黒い魔法を使う奴が暴れてるらしい!」
天野は箸を止め、スマートフォンへ目を向けた。
「黒い魔法?」
その隣で、零も静かに耳を傾ける。
影山は画面をスクロールしながら説明を始めた。
「これで3件目だ。」
最初に映ったのは、商店街の写真だった。
曲がった街灯と、無残に壊れた看板。
「1件目は商店街。」
「看板を破壊して逃走。」
さらに画面を送る。
今度は、黒く焼けたアスファルトが映し出された。
「2件目は路地裏。」
「不良グループを返り討ち。」
最後の写真へ切り替わる。
焼け焦げたシャッター。
「3件目は倉庫街。」
「器物損壊。」
影山はスマートフォンを下ろし、満足そうに頷いた。
「全部、同じ奴の仕業らしい。」
春風が3人の間を吹き抜けた。
穏やかな昼休みとは対照的に、画面へ映る焦げ跡だけが妙に生々しい。
「そして!」
影山は意味ありげに身を乗り出した。
近くで昼食を取っていた生徒が、何人かこちらを振り返る。
影山は構わず咳払いを一つすると、わざと声を低くした。
「漆黒の流星」
その一言に、天野が首を傾げる。
「漆黒の流星?」
影山は待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべた。
「世界最高峰の魔法組織アストラル・オーダー。」
「その第1執行部『星刻』に所属している特別執行官の異名だ。」
天野は少し目を見開き、記憶を辿るように視線を上げた。
「……それなら名前くらいなら俺も知ってる。」
「海外じゃ、かなり有名な魔法使いだったよな。」
影山は嬉しそうに頷く。
「実力もそうだけど、何かと騒ぎを起こすことで有名だった。」
スマホを見ながら苦笑した。
「上の人間からすれば、胃が痛くなるような問題児だったらしい。」
その話を聞いた零は、牛乳へ手を伸ばしかけた動きを止める。
一瞬だけ眉がぴくりと動き、そのまま何事もなかったように視線を校庭へ逸らした。
「同志黒神?」
影山が不思議そうに首を傾げる。
零は数秒遅れて牛乳を口に運ぶ。
「……いや。」
視線は戻さないまま、気怠げに答えた。
「随分と苦労してそうな奴だなと思って。」
春風が吹き抜け、校庭から運動部の掛け声が聞こえてくる。
影山は笑いながら頷いた。
「だろ? 俺も資料読んでて同情した。」
スマホをもう一度スクロールする。
「……もっとも、そんな漆黒の流星も今じゃ消息不明だったんだけどな。」
天野が眉を上げた。
「行方が分からなかったのか?」
影山は頷く。
「急に半年前から消息不明になってた。」
そこで一度だけ言葉を切る。
もったいぶるように二人の反応を窺うと、1本ずつ指を立て始めた。
「死亡説。」
「極秘任務説。」
「裏切り説。」
そこで一度だけ言葉を切る。
影山は口元をにやりと緩めた。
「そして……恋人と駆け落ち説なんてのもある。」
一瞬だけ屋上へ静寂が流れた。
零はパンを持つ手を止める。
数秒だけ呆気に取られたあと、思わず吹き出した。
「ははっ……。」
苦笑しながら額へ手を当てる。
「……いや、なんでそうなる。」
呆れ半分の返しに、影山は「待ってました」と言わんばかりに身を乗り出した。
人差し指を立て、得意げに笑う。
「そうとも限らんぞ。」
「何しろ、漆黒の流星には恋人がいたって噂もある。」
その一言に、天野が興味深そうに顔を上げた。
「そんな話まであるのか。」
「海外じゃ結構有名らしい。」
一方の零は、静かに天を仰いだ。
そして再び額へ手を当てる。
小さく息を吐くと、苦笑混じりに口を開いた。
(勘弁してくれ……。)
影山はスマートフォンを軽く振ってみせる。
その様子を眺めていた天野は、ふと思い出したように零へ視線を向けた。
入学初日に配られた生徒名簿。
黒神零の経歴には、イギリスの学校からの入学と記載されていたことを思い出す。
「そういえば。」
「黒神、お前もしばらく海外にいたんだよな?」
零はパンを一口運び、何気ない様子で頷く。
天野は腕を組んだ。
「何か知らないのか?」
2人の視線が自然と零へ集まる。
零は少しだけ空を見上げる。
質問の意図を考えるように数秒だけ黙る。
やがて小さく肩の力を抜いた。
「さぁな。」
「そういう噂くらいなら聞いたことはあったかもな」
一拍置いて、パンをもう一口。
「でも、噂なんて尾ひれが付くもんだ。」
「駆け落ちまでは飛躍しすぎだろ。」
そのもっともな返しに、天野は思わず吹き出した。
「確かにな。」
天野も苦笑しながら首を振った。
「誰がそんなこと言い出したんだ。」
影山はスマートフォンをひらひらと振る。
「それは企業秘密だ。」
わざとらしく声を潜める。
「俺には俺の情報網ってものがあるのさ。」
天野は呆れたように目を細めた。
「……余計に信用できないな。」
「失敬な。ネットの噂よりは精度が高いぞ。」
影山は胸を張るが、零は半眼のまま牛乳を飲んだ。
春風が3人の間を吹き抜け、屋上の空気が少しだけ緩む。
その笑いが途切れた頃、天野はふと表情を改めた。
「でも、その事件の犯人って本物なのか?」
影山は腕を組み、小さく唸る。
「さぁな。」
短く答えると、スマートフォンを軽く掲げた。
「さすがの俺でも、アストラル・オーダーの機密までは調べられなかった。」
少しだけ悔しそうに笑う。
「だから、漆黒の流星がどんな魔法を使うのかも分からない。」
一拍置き、口元を緩める。
「でも、1つだけ共通していることがある。」
天野が自然と身を乗り出した。
「共通点?」
影山はスマートフォンを操作し、海外の記事を表示する。
掲載されている写真はどれも遠くから撮影されたものばかりで、黒い影のようなものが映っているだけだった。
「証言は全部バラバラなんだ。」
画面を指でなぞりながら、1つずつ読み上げていく。
「黒い炎だった。」
「黒い光だった。」
「黒い流星みたいだった。」
記事をスクロールしながら続ける。
「形も見え方も一致してない。」
「でも――。」
そこで影山は画面を消し、2人を見回した。
「全員が口を揃えて言ってることが1つだけある。」
「黒い魔法を使っていた。」
昼の風が屋上を吹き抜け、フェンスがかすかに軋んだ。
その話を聞きながら、零はパンを一口かじる。
海外の記事まで集め、目撃証言を1つずつ照らし合わせている。
駆け落ち説のような出鱈目も混じってはいる。
それでも、噂だけで終わらせず、自分なりに情報を整理しているあたりは感心するしかなかった。
(……へぇ。)
(意外とちゃんと調べてるな。)
心の中で小さく感心する。
情報屋を名乗るだけのことはあるらしい。
天野は静かに頷いた。
「黒い魔法……。」
「今回の犯人も同じだな。」
影山も頷き返す。
「そう。」
「だから本物だって噂になってる。」
スマートフォンをポケットへしまいながら続けた。
「でも、それだけじゃ断定はできない。」
一拍置き、2人の顔を見回す。
「見た目が黒い魔法なんて、探せば他にもあるかもしれない。」
「少なくとも、今回の犯人が本物の漆黒の流星だとは言い切れないってことだ。」
影山はスマートフォンをポケットへしまうと、不意に何かを思い付いたように笑った。
「例えばさ。」
そう言って、人差し指を零へ向ける。
「ここにも黒い魔法を使う奴がいる。」
一拍置き、口元をにやりと緩めた。
「そうだろ?」
「同志黒神。」
零は牛乳を一口飲み、ゆっくり紙パックを机へ置く。
「ん?」
影山は身を乗り出した。
「お前も黒い魔法を使うよな。」
「同じ黒い魔法使いとして、どう思う?」
昼の風が屋上を吹き抜ける。
フェンスが小さく軋み、零の前髪を揺らした。
零は少しだけ空を見上げる。
質問の意味を考えるように数秒だけ黙ると、小さく口元を緩めた。
「さあな。」
肩の力を抜いたまま答える。
「黒い魔法なんて、それだけじゃ何も分からねぇよ。」
昼の風が前髪を揺らした。
「見てもいない魔法を、噂だけで同じだ違うだって決めつける方が危ねぇ。」
「実際に見りゃ、案外まるで別物ってこともある。」
天野は感心したように頷いた。
「確かに。」
一度フェンスへ目を向けてから続ける。
「実際に見なきゃ分からないことも多いからな。」
影山は苦笑を浮かべる。
「情報屋としては耳が痛いな。」
3人の間に小さな笑いが広がった。
零は紙パックを折り畳みながら、校舎の向こうへ視線を流す。
黒い炎。
そして、漆黒の流星を名乗る人物。
胸の奥に、小さな違和感だけが残る。
(……今は関係ないか)
だが、その時はまだ。
ただの愉快犯。
その程度にしか思っていなかった。




