4話:夕暮れの教室②
夕陽に染まる教室で、2人は並んで箒を動かしている。
窓から吹き込む春風が舞い上がった埃を静かに外へ運んでいく。
誰もいない教室には、箒が床を掃く音だけが心地よく響いていた。
しばらく無言で掃除を続けていると、不意に零が口を開く。
「白河。」
鈴華は箒を止め、顔を上げる。
零は机を元の位置へ戻しながら、何気ない調子で尋ねた。
「魔法って、何でできるか知ってるか?」
突然の質問だった。
鈴華は少しだけ考える。
だが、それは授業で何度も学んだ基礎知識だ。
「体力と魔力です。」
迷いなく答える。
「どちらか一方でも欠ければ、魔法は使えません。」
一度言葉を区切り、続けた。
「体力が尽きれば、魔力が残っていても魔法は使えません。」
「逆に、魔力がなくなれば体力が残っていても使えません。」
答え終えた鈴華は、少しだけ不安そうに零を見る。
「……合っていますか?」
零は口元を少しだけ緩めた。
「ああ、正解。」
一拍置き、ウンウンと頷きながらどこか面白そうに笑う。
「さすが風紀部。」
「優等生は違うねぇ。」
鈴華は少しだけ頬を膨らませた。
「……それ、からかっています?」
碧色の瞳がじっと零を見つめる。
零は軽く手を振る。
「してない、してない。」
「ちゃんと褒めてる。」
飄々とした返事だった。
その様子に、鈴華も思わず小さく笑う。
「本当ですか?」
「本当だって」
零は肩の力を抜いたまま頷く。
「基礎はちゃんと頭に入ってる。」
「そこは大したもんだ。」
素直な一言だった。
鈴華は少し照れたように笑う。
「ありがとうございます。」
零は教卓へ軽く腰を預ける。
「じゃあ、もう1つ。」
黄金色の瞳が静かに鈴華を見る。
「同じくらい魔力がある奴同士でも、強さが違うのは何でだ。」
鈴華は少し考え込む。
授業では聞いたことのない内容だった。
夕陽が長い黒髪を淡く照らしている。
「……魔法の相性、でしょうか。」
少し自信なさげに答えた。
零は小さく笑う。
「半分正解かな。」
鈴華の表情が少し明るくなる。
「半分……ですか?」
零は頷いた。
「属性相性は確かにある。」
一拍置き、少し苦笑する。
「でも、それだけなら。」
頭を軽く掻いた。
「一般魔法がからっきしの俺は、一生二流だ。」
その言葉に、鈴華は思わず顔を上げた。
「そんなことありません!」
静かな教室へ声が響く。
自分でも驚いたように口元を押さえ、少しだけ頬を赤らめる。
「黒神くんは……。」
碧色の瞳が真っ直ぐ零を見つめる。
「私が今まで見てきた中で、一番綺麗で、一番強い魔法使いです。」
迷いのない言葉だった。
零は少しだけ目を丸くする。
やがて照れ隠しのように鼻を擦り、小さく笑った。
「……ありがとよ。」
ぶっきらぼうな返事だったが、その声はどこか柔らかい。
「話を戻すぞ。」
教室の中央を顎で示す。
「本当に強い奴を決めるのは、魔力制御だ。」
鈴華はその言葉を小さく繰り返した。
聞いたことはある。
授業でも、魔法を学ぶ一番最初に教わる基礎中の基礎だ。
魔法を安定して扱うための技術。
誰もが身につける当たり前のもの。
だからこそ。
それが魔法使いの強さを左右するなど、一度も考えたことがなかった。
そんな鈴華の表情を見て、零は小さく笑う。
「まぁ、言葉で説明するより……」
教室の中央を顎で示した。
「見た方が早いか。」
「白河、ちょっとそこに立て。」
「……え?」
鈴華は戸惑いながらも教室の中央へ歩いていく。
夕陽が2人の影を長く床へ伸ばしていた。
零は数歩離れた場所で足を止める。
黄金色の瞳が静かに鈴華を捉える。
「今から魔法は使わねぇ。」
淡々とした口調だった。
鈴華は不思議そうに首を傾げる。
「それで、何をするんですか?」
零は静かに答えた。
「1つ試す。」
一拍置く。
「お前を膝つかせる。」
その言葉に、鈴華は思わず目を丸くした。
(魔法も使わずに……?)
風紀部でも、魔力による威圧や牽制の基礎は学んでいる。
犯罪者を制圧する際に用いられる、ごく基本的な技術だ。
だからこそ、自分も多少は耐えられる自信があった。
鈴華は小さく息を吸い、真っ直ぐ零を見据える。
「準備できました。」
その瞳に宿る闘志を見て、零はわずかに口元を緩めた。
「そういう目は嫌いじゃねぇ。」
短く呟くと、一歩だけ後ろへ下がる。
夕陽が2人の間へ長い影を落とした。
「じゃあ。」
「始める。」
ギン――と目を細める。
その瞬間だった。
教室の空気が震えた。
目には見えない重圧が、一気に鈴華へ叩きつけられる。
「っ……!」
思わず息を呑む。
全身が鉛のように重い。
まるで巨大な岩を背負わされたようだった。
踏ん張ろうと足へ力を込める。
しかし、思うように身体が動かない。
(重い……!)
身体だけじゃない。
心まで押し潰されそうになる。
鈴華の碧色の瞳が揺れた。
風紀部で経験した威圧とはまるで別物だった。
あれは相手を気圧させるための魔力。
だが今、自分へ降り掛かっているのは、高密度に圧縮された魔力そのもの。
空気が重い。
呼吸さえ思うようにできない。
「くっ……!」
歯を食いしばる。
負けたくない。
風紀部として積み重ねてきた訓練がある。
ここで簡単に膝をつくわけにはいかない。
さらに足へ力を込める。
それでも身体は少しずつ沈んでいった。
膝が震える。
「まだ……!」
ドンッ。
右膝が床へ落ちた。
鈍い音が静かな教室へ響く。
「はぁっ……!」
肩で荒く息をする。
額には汗が滲み、呼吸は大きく乱れていた。
それでも鈴華は震える瞳で零を見上げる。
「な……。」
ようやく絞り出した声は掠れていた。
その姿を見た零は、一瞬だけ目を丸くした。
「……あ。」
予想以上だった。
ここまで耐えるとは思っていなかった。
零は苦笑しながら前髪をかき上げる。
「悪ぃ。」
一度鈴華へ視線を向け、小さく笑う。
「思ったより粘るもんだから。」
「つい力が入った。」
その一言と同時に、教室を満たしていた重圧がふっと消えた。
鈴華はその場へ両手をつき、大きく息を吸い込む。
「はぁ……っ。」
肺へ空気が流れ込む。
乱れていた鼓動が少しずつ落ち着いていく。
零はゆっくり歩み寄ると、鈴華の前でしゃがみ込んだ。
何も言わず右手を差し出す。
「大丈夫か?」
鈴華はその手を見つめた。
先ほどまで圧倒的な魔力を放っていた人物とは思えないほど、どこか気まずそうな表情だった。
そのギャップが可笑しくなり、小さく笑みが零れる。
「……はい。」
鈴華はその手を握る。
ぐっと引き上げられ、ゆっくり立ち上がった。
まだ膝は少しだけ震えている。
零はそんな様子を見ると、安心したように小さく頷いた。
「根性あるじゃねぇか。」
ぶっきらぼうな一言だった。
けれど、それは零なりの賛辞だった。
鈴華は少し照れくさそうに笑う。
「ありがとうございます。」
呼吸を整えながら零を見る。
「私が思っていた魔力制御とは……全然違いました。」
零は床へ落ちた箒を拾い、そのまま掃除を再開する。
まるで今の出来事が特別なことではなかったかのように。
「今のが魔力制御。」
鈴華も慌てて箒を持ち直し、その横へ並んだ。
さっきまでの重圧が嘘のように、教室には穏やかな空気が戻っている。
「魔法は撃つだけじゃねぇ。」
零は床の埃を集めながら続けた。
「魔力そのものが武器にもなる。」
鈴華は先ほどの感覚を思い出し、小さく息を呑む。
「だから……あんなことが。」
「ああ。」
零は短く頷く。
箒を動かす手は止めない。
「ただ、今のやつは魔力量が少ねぇ奴には真似できねぇ。」
教室へ、箒の音だけが静かに響く。
鈴華は耳を傾けながら、小さく頷いた。
零は窓の外へ一瞬だけ視線を向ける。
「いくら制御が上手くても。」
「押し切るだけの魔力がなきゃ意味がない。」
一拍置いて、鈴華へ視線を戻す。
「逆に魔力だけあっても、制御できなきゃ宝の持ち腐れだ。」
夕陽が二人の影を長く床へ伸ばす。
鈴華はその言葉を胸の中で何度も繰り返した。
魔力量。
魔力制御。
そのどちらか一つでは、本当の強さには届かない。
零は箒を肩へ担ぎ、教室を見回す。
「だから。」
一度だけ鈴華へ目を向ける。
「強い奴ってのは、ちゃんと魔法を扱える奴。」
「それだけだ。」
鈴華は静かに頷いた。
授業で教わった魔法とは、まるで違う世界。
それでも、不思議とその考え方は胸へすっと入ってきた。
零は小さく笑う。
「……まぁ。」
箒で床を軽く叩く。
「今日はここまでだ。」
「掃除するぞ。」
その一言で、教える側からいつもの気怠げな零へ戻る。
「はい。」
鈴華も自然と笑みを浮かべた。
2人は再び並んで箒を動かし始める。
夕焼け色に染まる教室へ、静かな箒の音だけが心地よく響いていた。
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箒を動かしながら、鈴華はそっと零の横顔を見つめた。
圧倒的な実力を持ちながら、それを誇ることはない。
加減を間違えたと素直に謝り、何事もなかったように掃除へ戻る。
その自然な振る舞いが、不思議と心に残っていた。
(黒神くん……。)
今日知ったのは、魔法の技術だけではない。
その強さの裏にある、余裕と優しさ。
もっと知りたい。
もっと、この人のことを知りたい。
そんな小さな想いが、夕暮れの教室で静かに芽生え始めていた。




