4話:突然の事件③〜レオンの一手〜
しばらくして――。
王宮内の小会議室。
部屋にいるのは、レオン。
先ほどまでアイリスに付き添っていたメイド。
そして、レオンが最も信頼を置く護衛の男だけだった。
「……本当に、よろしいのでしょうか」
重い沈黙を破ったのは、メイドだった。
アイリスの前では抑えていた不安が、その顔にはっきりと表れている。
「今のアイリス様を、国外へお連れするなんて……」
「私も同意見です」
護衛の男が低い声で続ける。
「女王陛下と第一王子殿下が亡くなられた直後です。次にアイリス様が狙われる可能性もあります」
「分かっています」
レオンは、二人の意見を否定しなかった。
本来であれば、今のアイリスを国外へ出すべきではない。
警備の整った王宮に留めておく。
それが最も安全な選択に思える。
「ですが、本当にこの王宮が安全だと言い切れるでしょうか」
問い掛けられた二人の顔が強張る。
女王と第一王子は、厳重な警備に守られていた。
それにもかかわらず、二人はほぼ同時期に命を落としている。
公には死因を調査中としているが、王宮では何者かに殺害された可能性が高いと見られていた。
「実行犯が何者なのか。その背後に誰がいるのか。未だ何も掴めていません」
王宮内部に協力者がいるのか。
王位継承へ関わる貴族が動いているのか。
あるいは、まったく別の勢力によるものなのか。
今の段階では、何一つ断定できない。
「加えて、陛下と第一王子殿下は亡くなる直前まで、天輝花の違法流通について調査しておられました」
「では、やはり天輝花が……?」
メイドの問いに、レオンは首を横へ振った。
「分かりません」
王位継承を巡る企みなのか。
天輝花の利権が目的なのか。
あるいは、その二つがどこかで繋がっているのか。
疑うことはできても、今ある情報だけでは答えを出せなかった。
「ですが、陛下と第一王子殿下を殺した者が、次にアイリス様を狙わないという保証はありません」
レオンの眼差しが鋭くなる。
「だからこそ、王宮内へ残ることにも危険があるとお考えなのですね」
護衛の男が確認すると、レオンは頷いた。
「すでに王宮の関係者には、アイリス様の滞在先や日本での移動経路について、それぞれ異なる情報を流しています」
「異なる情報を?」
「誰に伝えた情報が外へ漏れるのか。その反応を見るためです」
現時点では、どの情報にも動きはない。
しかし、日本への出発が近づけば、内通者が何らかの行動を起こす可能性がある。
「正式な滞在先と移動経路を知る者は、必要最低限に留めます。内通者を特定するまでは、誰が相手であっても情報を広げるわけにはいきません」
レオンが二人をこの場へ呼んだのも、アイリスを任せられる数少ない人物だからだった。
護衛の男はしばらく考えたあと、険しい表情のまま口を開く。
「それでも、国外へ出れば王宮の警備は使えません」
「日本側とは、すでに警備体制について協議を進めています。私も同行しますし、あなたにもアイリス様の傍を離れないでもらいます」
「承知しました」
護衛の男は迷いなく答えた。
「何があろうと、必ずアイリス様をお守りします」
「お願いいたします」
レオンは、その言葉を噛み締めるように頷く。
「それに、現地ではもう一つ、表向きの警備とは別の備えを用意しています」
メイドが不思議そうに顔を上げた。
「アストラル・オーダーへ、護衛を依頼されたのですか?」
「いいえ。正式な要請は出しておりません」
国際魔法機関へ協力を求めれば、頼もしい戦力を得られる。
三年前の事件でも、その力によってアイリスは救われた。
しかし、正式な要請を出すためには、王宮の重臣や外交担当者を通さなければならない。
「王宮内に内通者がいるのなら、正式な要請を出した時点で、我々が暗殺を疑い、特別な護衛を用意していることまで知られる恐れがあります」
「では、どなたに?」
レオンはすぐには答えなかった。
机へ目を落とし、数日前に交わした会話を思い返す。
「一人の新聞記者です」
「新聞記者……?」
「英国タイムズ所属――神黒一玄」
その名前を聞き、メイドが何かに気づいたように目を見開いた。
「三年前、アイリス様へ写真を届けてくださった方ですね」
「ええ」
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数日前――。
アルディア王都にある、一軒のホテル。
女王と第一王子の死を受け、各国から大勢の報道関係者が集まっていた。
英国タイムズの記者として王都を訪れていた神黒一玄も、その中の一人だった。
人目を避けて用意された一室で、レオンは一玄と向かい合っている。
一玄は黒いスーツ姿のまま、椅子へ深く腰掛けていた。
テーブルを挟んで座るレオンは、女王と第一王子の死、天輝花の違法流通、そして王宮内に敵と繋がる者がいる可能性について説明を終えた。
「――事情は以上です」
一玄はすぐには答えなかった。
腕を組み、レオンから聞いた話を頭の中で整理するように目を細めている。
やがて、低い声を漏らした。
「なるほどな。王宮の中にも敵がいるかもしれねぇ。だから、表立ってアストラルに助けを求めるわけにもいかないってことか」
「はい」
レオンは頷いた。
「もちろん、私の考えすぎである可能性もあります」
そうであってほしい。
すべてが自分の杞憂に終わるのなら、それが一番いい。
「何も起きなければ、それで構いません。ただ、もしもの時に備えておきたいのです」
「けど、いいのか?」
一玄は椅子の背もたれへ身体を預け、冗談めかして口角を上げた。
「俺はアストラルの人間でも、この国の騎士でもねぇ。ただの記者だぜ。今の話を記事にすりゃ、王国を揺るがす特大スクープになる」
もちろん、それは一玄の表向きの顔にすぎない。
神黒一玄の正体が、アストラル・オーダー第二執行部『蒼穹』に所属する黒神玄一であることを、レオンは知らない。
一玄はあえて「ただの記者」という立場を強調してみせた。
レオンがどこまで自分を信頼しているのか。
そして、どれほどの覚悟でこの話を持ちかけてきたのか。
それを試していた。
「そのときは、私に人を見る目がなかった――それだけのことです」
レオンは一玄から目を逸らさなかった。
一玄はわずかに目を見開いたあと、愉快そうに笑う。
「はっ。言うじゃねぇか」
レオンにとっても、これは一つの賭けだった。
王宮の中にさえ敵が潜んでいる可能性がある以上、頼れる者は限られている。
それでも、三年前にアイリスを救った二人と面識のある一玄ならば、王宮の思惑に縛られず、信頼できる人物を選んでくれるかもしれない。
今のレオンには、この記者の力を借りるしかなかった。
一玄はテーブルの上へ目を向けた。
そこには、一通の招待状が置かれている。
日本で開催される国際親善パーティー。
アルディア王国の随行者へ割り当てられた招待状の一通だった。
「これを使い、表向きの警備とは別に、アイリス様を守れる者を会場へ入れていただきたいのです」
「俺に人選を任せるってことか?」
「はい。あなたなら、信頼できる人物を選んでくださると考えています」
一玄は何も答えず、招待状を手に取った。
会場と日付を確かめたあと、何かを思いついたように口元を緩める。
「ちょうど、うってつけの奴がいる」
「心当たりがあるのですか?」
レオンが身を乗り出す。
しかし、一玄はその人物の名前を明かさなかった。
代わりに招待状を軽く掲げ、豪快な笑みを浮かべる。
「腕は俺が保証する。それに、事情を知れば、あいつは絶対に断らねぇよ」
そこまで断言する一玄の目には、先ほどまでの冗談めいた色はなかった。
レオンは短い沈黙のあと、深く頭を下げる。
「……分かりました。お願いいたします」
「そっちは任せておけ」
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「……その方を信用しておられるのですね」
メイドの声に呼ばれ、レオンは数日前の記憶から意識を戻した。
「少なくとも、三年前の一件があります」
英国タイムズの記者を名乗る神黒一玄。
しかし、これまで大きなスクープを報じたことは一度もない。
それどころか、記者としての実績は皆無だった。
レオンが信じたのは、その肩書きではない。
三年前、アイリスを救った二人から大切な写真を預かり、約束どおり彼女のもとへ届けた。
少なくとも、託されたものを裏切るような男ではない。
レオンは護衛の男へ視線を移した。
「ですが、私たちの責務が変わるわけではありません。日本では、あなたと現地の警備担当者を中心に、予定どおり警備を進めてください」
「承知しました」
護衛の男は深く頭を下げた。
レオンは窓の向こうへ目を向ける。
王宮を取り囲む人々の声は、今も途切れることなく響いていた。
女王と第一王子を殺した者。
王位継承を巡って動く者。
そして、水面下で再び流れ始めた天輝花。
それぞれがどこで繋がっているのか、まだ見えていない。
それでも、これ以上大切な者を失うわけにはいかなかった。
今度こそ、アイリスを守り抜くために。
そのための手は――すでに打ってある。




