3話(幕間):女王の決断
アルディア王国。
王都の中心に建つ王宮、その最上階に設けられた執務室。
豪華な装飾が施された室内には、重苦しい沈黙が漂っていた。
大きな執務机を挟み、アルディア王国を治める女王と、一人の侯爵が向かい合っている。
「もう一度申し上げます、陛下」
侯爵は机の上へ置かれた資料を指先で示した。
「天輝花の研究を、医療目的だけで終わらせるべきではありません」
資料には、天輝花から抽出された成分と、それを投与された魔法使いの変化が記されている。
天輝花は、本来なら魔力欠乏症の治療へ用いられる希少な花だった。
しかし近年の研究によって、一時的に保有魔力を増幅させる効果が発見された。
その危険性から、軍事利用は国際的に禁じられている。
それでも侯爵は、その効果を国防へ転用すべきだと説き続けていた。
「適切な量を投与すれば、我が国の魔法使いをこれまで以上に強化できます」
「その先にあるものは、軍事利用でしょう」
女王の落ち着いた声が、侯爵の言葉を遮った。
その眼差しに迷いはない。
「騎士団へ天輝花を与え、魔力量を強制的に引き上げる。あなたの提案は、つまりそういうことですね」
「すべては、この国を守るためです」
侯爵は悪びれる様子もなく答えた。
「周辺諸国の軍事力は年々増しています。いつまでも現在の戦力で国を守り続けられるとは限りません」
天輝花を使えば、魔法使い一人ひとりの戦闘能力を短期間で引き上げられる。
それを騎士団全体へ施せば、アルディア王国の軍事力は飛躍的に向上するだろう。
侯爵の主張は、国防という一点だけを見れば理にかなっているようにも聞こえた。
しかし、その資料には都合よく省かれている事実があった。
「一時的な魔力の増幅と引き換えに、身体へ深刻な負担がかかる」
女王は別の報告書を手に取った。
「継続して使用すれば依存症状が現れ、魔力の制御能力も低下する。最悪の場合、魔力暴走を引き起こし、命を失う危険まである」
「それは過剰に投与した場合の話です。量と間隔を正しく管理すれば――」
「その安全な量が、まだ判明していないのでしょう」
女王の指摘に、侯爵の言葉が止まった。
現在の研究では、同じ量を投与しても効果や副作用に大きな個人差が生じている。
安全性を保証できる基準など、まだどこにも存在していなかった。
「未完成の薬を騎士たちへ与え、その身体を使って安全な量を調べるつもりですか?」
「人体実験を行えと申し上げているわけではありません」
「言葉を変えただけです」
女王は資料を机の上へ置いた。
小さな音だった。
それでも、侯爵の提案を拒絶するには十分だった。
「国を守る騎士たちは、使い潰してよい兵器ではありません。まして、国民を救うために見出された天輝花を、人を傷つける力へ変えるなど認められません」
「陛下は理想だけで国を守れるとお考えですか?」
侯爵の声から、それまでの慇懃な響きがわずかに薄れる。
女王は椅子へ座ったまま、その鋭い視線を正面から受け止めた。
「国際的に禁じられているとはいえ、他国が裏で研究を進めていないと言い切れますか? 戦争が始まってからでは遅いのです」
「だからこそ、我が国が禁を破る最初の国になるわけにはいきません」
天輝花の研究で最先端を行くアルディア王国が禁を破れば、周辺諸国も対抗するために同じ研究へ乗り出す。
より強い効果を求め、危険な投与が繰り返される。
その先に待つのは、天輝花によって強化された魔法使いたちが争う、終わりのない軍拡だった。
「天輝花は人を救うために使います。それ以外の研究は、すべて中止してください」
女王の声が、執務室に響く。
「原料となる天輝花の栽培施設と研究資料についても、王家の管理下へ移します。軍や貴族が独自に扱うことは認めません」
侯爵の目が、ほんの一瞬だけ細められた。
「……それが、陛下の最終的なご決断ですか?」
「はい」
女王は迷うことなく答えた。
「軍事転用につながる研究は、アルディア王国女王の名において一切認めません」
侯爵は何も言わなかった。
しばらく女王を見つめたあと、机の上に置いていた手をゆっくりと引く。
「承知いたしました」
その声音から、先ほどまでの感情は消えていた。
侯爵は恭しく頭を下げ、女王へ背を向ける。
「失礼いたします、陛下」
重い扉が閉じられ、執務室へ静寂が戻った。
女王は侯爵が残していった資料へ視線を落とす。
国を守るという言葉を使いながら、血を分けた弟の目に映っていたのは国民ではない。
より強大な力。
そして、その力によって得られる権力だった。
女王は一枚の書類を手に取り、側近を呼ぶためのベルへ手を伸ばした。
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執務室を出た侯爵は、長い廊下を無言で歩いていた。
すれ違う騎士たちへ穏やかな笑みを返しながら、先ほどの決定を頭の中で繰り返す。
医療目的以外の研究の全面中止。
栽培施設と研究資料の、王家による接収。
このままでは、自らが進めてきた計画のすべてを失うことになる。
やがて人の気配がなくなったところで、侯爵は足を止めた。
「……残念です、姉上」
その口元に浮かんだのは、先ほどまで女王へ向けていた臣下の笑みではなかった。
「あなたなら、賢明な判断をしてくださると思っていたのですが」
王宮の窓から差し込む夕日が、侯爵の顔へ濃い影を落とす。
その日を境に、侯爵の計画は水面下で動き出した。




