2話:幻影の先へ⑥〜ゆめまぼろし〜
ひと息つくため、零は演習場の地面へ腰を下ろした。
鈴華も少し離れた場所に座ると、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
「それで、どうやってあの答えにたどり着いた?」
「顔を洗っていた時、水面に月が映っていたんです」
「月?」
予想していなかった言葉に、零の眉がわずかに上がる。
魔法の仕組みは、受けてみて分かった。
だが、その発想がどこから来たのかまでは、想像していなかった。
鈴華は頷き、水飲み場で見た光景を思い返した。
「水面の月は、本物ではありません。でも、それを見ている間は、確かにそこに月があるように感じました」
水面へ映っていたのは、本物とは別に作られた月ではない。
空に浮かぶ月が、その姿を水面へ映しているだけだった。
たとえ本物が別の場所にあったとしても、人は自分が見ているものを本物だと思い込む。
「それで、新しい幻影を作らなくても、黒神くんの中にある私への認識をその場へ残せばいいんじゃないかと思ったんです」
「それで、俺の意識から本物のお前を外したわけか」
「はい」
零が捉えた鈴華の姿や足音、魔力の気配。
鈴華はそれらの認識を正面へ固定し、本物の自分だけをその意識から外したのだ。
零は納得したように頷く。
「なるほどな。ちゃんと自分なりの答えを見つけたってわけか」
とはいえ、実際に成功させたのは今の一度だけだ。
仕組みを理解することと、実戦の中で自在に使いこなすことは別の話だった。
零は少し考えたあと、何気ない口調で尋ねる。
「名前は?」
「え?」
鈴華が意外そうに目を瞬かせる。
零は片膝を立て、その上に腕を乗せた。
「新しい使い方なんだろ? 技名くらいあってもいいんじゃねぇか」
「技名……」
そこまでは考えていなかった。
鈴華は視線を落とし、今しがた自分が使った魔法について考える。
相手が本物だと思って追い続ける自分は、実際にはそこにいない。
その性質を表す言葉は、すぐに思い浮かんだ。
鈴華は顔を上げ、零の黄金色の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「――夢幻」
「むげん?」
「はい。夢と幻と書いて、夢幻です」
零はその名前を確かめるように、小さく繰り返した。
「相手が本物だと思って見ている私は、そこにはいません。相手の認識の中に残された、夢か幻のようなものですから」
「なるほどな」
零は魔法の性質と、その名前を頭の中で照らし合わせる。
やがて、満足そうに口元を緩めた。
「いいんじゃねぇか。今の魔法に合ってる」
その一言に、鈴華の表情が明るくなった。
「ありがとうございます」
「礼を言う相手が違うだろ」
鈴華が不思議そうに首を傾げる。
零は空を仰ぎ、何でもないことのように言った。
「俺はヒントを出しただけだ。答えを見つけたのは白河だろ」
「……はい」
鈴華は自分の手のひらへ視線を落とし、柔らかな笑みを浮かべた。
自分で見つけた答え。
自分の幻影魔法から生まれた、新しい力。
まだ完成したとは言えない。
それでも、強くなるための一歩を自分自身で踏み出すことができた。
「さてと……」
零は地面へ手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
制服についた砂を払いながら、鈴華へ視線を向ける。
「まあ、当面はその夢幻の発動時間を延ばすことだな」
魔法を長く維持できるようになれば、相手の認識が戻った直後にも、間を置かず次のずれを生み出せる。
一度、二度で終わらず、攻撃を届かせるまで相手の認識から外れ続けられる。
それが、夢幻を実戦で使うための最初の課題だった。
「まだ少し時間あるし、もう少しやるか」
零の周囲へ、再び漆黒の魔力が集まり始めた。
紫銀の粒子を纏った銀河星が、一つずつ宙へ浮かび上がる。
鈴華も立ち上がり、乱れた制服を整えると、零と向かい合った。
「もちろんです。よろしくお願いします」
鈴華は新たに生み出した夢幻を自分の力にするため、再び腰を落として構えた。
-----
四月に『漆黒の流星』の偽物が起こした事件から、もう一か月以上が経つ。
蕾が望んでいた、普通の高校生活。
少し騒がしく、面倒なこともある。
それでも零は、そんな毎日を少しずつ当たり前のものとして受け入れ始めていた。
だが――。
遠く離れた異国から届いた一つの知らせが、その日常を再び揺るがすことになる。




