2話:幻影の先へ⑤〜一撃〜
演習場へ戻ると、零は先ほどと同じ場所にいた。
フェンスへ背中を預け、鈴華の帰りを待っている。
いつの間にか演習場の照明が灯り、藍色に沈みかけた敷地を白く照らしていた。
足音に気づいた零が顔を上げる。
戻ってきた鈴華の眉間からは先ほどまでの皺が消え、その足取りにも迷いはない。
零はその表情を確かめると、わずかに口元を上げた。
「いい顔して戻ってきたじゃねぇか」
「そうですか?」
「ああ。さっきよりは、だいぶマシだ」
相変わらず、素直に褒めているのか分かりにくい。
それでも、その声には先ほどまでの呆れたような響きはなかった。
「なんか思いついたか?」
「……はい。まだ、できるかは分かりませんけど」
確信を持てているわけではない。
水面に映る月を見て思いついただけで、それを魔法として形にできる保証もなかった。
それでも鈴華は、しっかりと零を見つめる。
「試してみたいことがあります」
「そうか」
零は何を思いついたのか、詳しく尋ねなかった。
フェンスから背中を離し、演習場の中央へ歩き出す。
「なら、やってみろ」
「はい」
鈴華もそのあとを追い、数メートル離れた場所で足を止めた。
二人が向かい合う。
鈴華の表情からは、先ほどまでの焦りが消えていた。
その変化を確認した零は、右手を掲げる。
「銀河星――バージョン隕石」
漆黒の銀河星が生成される。
一つ、また一つ。
紫銀の粒子を纏った銀河星が、次々と零の周囲へ浮かび上がった。
鈴華はその光景を真っ直ぐに見据える。
怖くないわけではない。
何度受けても、零の攻撃は速い。
一瞬でも判断を誤れば、すぐに追い詰められてしまう。
それでも今は、恐怖よりも試してみたいという気持ちの方が勝っていた。
「行くぞ、白河!」
「はい!」
鈴華が腰を落とした直後、零の右手が前へ向けられる。
「連射」
零の周囲に浮かぶ銀河星のうち、三つが漆黒の流星となって放たれた。
鈴華は地面を蹴る。
一発目を横へ躱し、二発目の下へ身体を沈める。
続く三発目は、着地点を狙うように正面から迫ってきた。
鈴華は地面へ片手をつき、その勢いを利用して横へ身体を投げ出す。
三発目の隕石が、紙一重の差で脇を通り過ぎた。
最初の連射は避け切った。
だが、零の周囲にはまだ複数の銀河星が残っている。
鈴華が体勢を立て直すより早く、待機していた銀河星が進路を塞ぐように動き始めた。
これまでなら、ここで複数の幻影を生み出していた。
偽物を増やし、その中へ本物の自分を隠す。
けれど、今度は違う。
『そいつはな――幻影を一体も作らなかった』
昼間に零から与えられたヒントが、頭の中へ蘇る。
鈴華は幻影を生み出さないまま、正面に立つ零を見据えた。
(隠さない)
本物の自分は、最初から零の前にいる。
偽物を増やして、本物を分からなくするのではない。
零が自分を見ているという認識だけを、その場へ残す。
鈴華は走りながら魔力を練り上げ、淡い光を全身へ纏わせた。
「幻影発動!」
魔法が発動する。
しかし、これまでのように鈴華の姿が増えることはなかった。
「……?」
零の眉がぴくりと動く。
魔法を発動したにもかかわらず、鈴華は一人のまま。
幻影を作った様子もなければ、姿を隠そうともしていない。
ただ正面から、零へ向かって駆けてくる。
(何をするつもりだ?)
先ほどまでとは明らかに違う。
何かを掴んで戻ってきたことだけは、その迷いのない表情から分かった。
「面白ぇ」
零は指先を動かした。
周囲で待機していた銀河星の一つが、鈴華の移動先へ回り込む。
黄金色の瞳は、走る鈴華の姿を正確に捉えていた。
進行方向と速度を読み、逃げ道を塞ぐ軌道で隕石を放つ。
漆黒の流星が、一直線に鈴華へ迫った。
(今――!)
鈴華が全身に纏っていた魔力を操作する。
その瞬間、零の認識へ小さなずれが生じた。
零の目には、鈴華が変わらず正面を走り続けているように映っている。
姿だけではない。
地面を蹴る足音も、纏っている魔力の気配も、確かにそこにあると意識が思い込んでいた。
だが、本物の鈴華はすでに進路を変えている。
零の意識から外れ、その側面を静かに駆け抜けた。
それでも零は気づかない。
黄金色の瞳は、正面にいるはずの鈴華を追い続けていた。
隕石が、その身体を貫く。
「――!」
手応えがない。
零の目に映っていた鈴華の姿が、淡い光となって揺らいだ。
まるで――波紋に崩れる、水面の月のように。
次の瞬間、その姿は跡形もなく消え去った。
正面に鈴華はいない。
零の目が見開かれる。
だが、その驚きはすぐに楽しそうな笑みへ変わった。
(たどり着いたか)
かつて零が戦った、鈴華と似た魔法を使う相手。
その魔法使いも、偽物の姿を作り出すことはなかった。
相手の認識へ自分の存在だけを残し、本物はその意識から外れる。
与えたのは、たった一言のヒントだけ。
そこから自分の目で見たものと結びつけ、自分の幻影魔法へ落とし込んでみせた。
零が周囲へ意識を巡らせた時には、すでに鈴華が背後へ回り込んでいた。
(取った――!)
鈴華は地面を強く蹴り、零の背中へ手を伸ばす。
これまで、何度挑んでも辿り着けなかった場所。
幻影を増やしても、死角を狙っても、途中で本物を見破られ、メテオに阻まれていた。
けれど今は、零の認識から自分自身を外すことができた。
あとは、手を伸ばせば届く。
鈴華は、そう思っていた。
だが、認識のずれが解けたあとの零の反応は速かった。
指先が肩へ触れるよりも早く、零がその場から消える。
「え――?」
次の瞬間、背後から鋭い気配を感じた。
鈴華が反射的に振り返ると、その視界いっぱいに拳が映った。
「――っ!」
零の拳が、鈴華の顔の寸前でぴたりと止まっていた。
鼻先まで、指一本分もない。
拳の向こうで、零は驚きと楽しさが入り交じった笑みを浮かべている。
「惜しかったな、白河」
鈴華の身体から、張り詰めていた力が抜ける。
「……いつ、気づいたんですか?」
「隕石が正面のお前を貫いた時だ」
零は拳を下ろし、先ほどまで鈴華がいると思い込んでいた場所へ目を向けた。
「まさか、本当にあのヒントだけでたどり着くとはな」
「分かったんですか?」
「ああ。俺が話した奴と同じだろ?」
零は鈴華へ視線を戻した。
「幻影を作ったんじゃない。正面にお前がいるって、俺の認識そのものをずらした」
「はい」
鈴華が頷くと、零の笑みが深くなる。
「さすが優等生。一つ教えただけで、そこまで考えるとはな」
「その前に考え込んで動けなくなったのは、黒神くんのヒントが難しかったからですけどね」
鈴華が不満を滲ませても、零は悪びれもせずに言い切った。
「結果的にたどり着いたんだから、いいだろ」
「もう……」
鈴華は困ったように息をついた。
それでも、零に認められたことが嬉しいのか、その口元には笑みが浮かんでいた。
「もっと早く背後へ回り込めていれば……」
「少しくらい早くなっても、俺には届かねぇよ」
予想していなかった返答に、鈴華は碧色の瞳を瞬かせた。
あと一歩速ければ、今度こそ触れられたと思っていた。
しかし、零はその考えをあっさりと否定する。
「一回認識をずらして、背後を取れば終わりだと思っただろ?」
「……はい」
「そこが甘い」
零は自分の背後を親指で示した。
「正面のお前が消えた時点で、俺の認識は元に戻ってる。だから背後にいる本物にも気づけた」
そこで零は、周囲へ浮かんだままの銀河星へ視線を向ける。
「だから、魔法は発動させたままにしとけ」
「発動させたまま……ですか?」
「ああ。例えば、ほら」
零は傍らに浮かぶ一つの銀河星を指差した。
漆黒の星は紫銀の粒子を纏いながら、零の周囲をゆっくりと漂っている。
「俺も銀河星が必要になるたび、一つずつ作ってるわけじゃねぇ。先にいくつか作って、周りに浮かせてる」
零が指先を軽く動かす。
それだけで、漂っていた銀河星の一つが少し離れた地面へ飛んでいった。
着弾の直前に勢いを失い、紫銀の星屑となって消える。
「使うタイミングで撃つ。足りなくなったら、また作って補充する。それだけだ」
「それと同じように、私も魔法を準備した状態にしておくんですね」
「そういうこと」
鈴華は先ほどの攻防を思い返す。
一度ずらしたあと、背後へ回り込むことだけに意識を向けていた。
だから正面の自分が撃ち抜かれ、零の認識が戻った時、次のずれを生み出せなかった。
「一回目で背後を取る。相手の認識が戻ったら、二回目でまた外す」
零は説明に合わせて、周囲を漂う銀河星を一つずつ指差した。
「それでも攻撃が届かなきゃ、三回目を使えばいい。相手が本物のお前を捉え直すたびに、何度でも認識をずらせ」
「攻撃を届かせるまで、魔法を使い続ける……」
「ああ。大事なのは、一回だけ認識から消えることじゃねぇ」
黄金色の瞳が、鈴華を正面から捉える。
「戦ってる間、相手にまともにお前を捉えさせないことだ」
それができて初めて、この新しい魔法は実戦で通用する。
「ただし、発動させたままにすれば、その分だけ魔力を使い続けることになる」
零は周囲に残っていた銀河星を消しながら、何でもないことのように続けた。
「いつ認識をずらすか。どれだけ魔力を残すか。その辺も考えながら使えよ」
「はい」
鈴華は自分の手のひらを見つめた。
一度だけ成功させれば終わりではない。
魔法を維持しながら相手の動きを読み、必要な瞬間に何度も認識をずらす。
今の鈴華にとって、決して簡単なことではなかった。
それでも、目指すべき形は見えた。
「次は、黒神くんが私を捉え直す前に、もう一度ずらしてみます」
「おう。できるもんなら、やってみろ」
零の挑発するような笑みに、鈴華も迷いのない表情で頷いた。




