2話:幻影の先へ④〜ヒント〜
昼食を終えた二人は、再び星峰魔法高等学校へ戻ってきた。
午後の演習場。
昼よりわずかに傾いた太陽から、柔らかな陽光が広い敷地へ降り注いでいる。
十分な食事と休憩を取ったことで、鈴華の体力と魔力もある程度回復していた。
それでも頭の中には、学校へ戻る途中で零から与えられたヒントが残っている。
『そいつはな――幻影を一体も作らなかった』
鈴華と似た魔法を使いながら、一体の幻影も生み出さなかったという魔法使い。
その言葉が何を意味しているのか、鈴華にはまだ分からなかった。
「銀河星――バージョン隕石」
零の周囲へ、紫銀の粒子を纏った漆黒の銀河星が浮かび上がる。
鈴華も腰を落とし、正面に立つ零を見据えた。
「行くぞ、白河!」
「はい!」
「連射」
零の号令とともに、銀河星が漆黒の流星となって放たれた。
鈴華は地面を蹴る。
一発目を右へ躱し、続く二発目の下を潜り抜けた。
「ミラージュ!」
淡い光が弾け、鈴華の周囲へ複数の幻影が現れる。
本物と幻影が入り乱れ、それぞれ異なる方向から零との距離を詰めていく。
だが――。
「そこ」
本物の鈴華が進もうとした先へ、一つの銀河星が回り込んだ。
距離が近い。
鈴華は咄嗟に足を止め、迫るメテオを横へ跳んで躱す。
その間に、残っていた銀河星が次々と幻影を撃ち抜いた。
淡い光の粒子が散り、広がっていた鈴華の姿が一人ずつ消えていく。
(やっぱり、見破られる……)
見た目をどれだけ本物へ近づけても、零の視線は迷わない。
動きを複雑にしても、幻影の数を増やしても同じだった。
ならば、ヒントのとおり、幻影を作らなければいいのか。
鈴華は魔力を練りながらも、幻影を出さずに地面を蹴った。
正面から飛んでくる隕石を躱し、そのまま零へ向かって駆ける。
しかし、姿を隠すものがなければ、零にとって鈴華の動きを捉えることなど容易い。
「真正面から来るのか?」
零の指先が動く。
左右から回り込んだ銀河星が、鈴華の進路を塞いだ。
「くっ……!」
鈴華は急停止し、後ろへ跳んだ。
二つの隕石が目の前で交差し、その風圧が長い黒髪を激しく揺らす。
幻影を使えば、見破られる。
使わなければ、初めから狙いを絞られる。
(ただ幻影を作らなければいい、という意味ではない……)
それだけは分かった。
けれど、それなら何をすればいいのか。
鈴華は再び幻影を展開した。
今度は一体だけ。
本物と幻影が左右へ分かれ、別々の方向から零へ迫る。
しかし、零は迷うことなく、本物の鈴華へ銀河星を放った。
次は幻影を先行させ、その背後へ隠れる。
それも通用しない。
幻影を途中で消し、零の意識が逸れた瞬間を狙う。
だが、黄金色の瞳は、最初から最後まで鈴華の姿を追い続けていた。
試しては見破られ、距離を詰めては阻まれる。
体力と魔力が減れば休憩を取り、回復すれば再び訓練を始める。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、太陽は西へ傾き始めていた。
「連射」
再び、漆黒の流星が演習場を駆け抜ける。
鈴華は迫る隕石を躱しながら、一つの幻影を生み出した。
(違う……これも、幻影を作っている……)
それでは、昼に聞いた話と同じではない。
零の戦った魔法使いは、一体の幻影も作らなかった。
幻影を生み出さずに、どうやって相手を惑わせたのか。
どれほど考えても、その答えが見つからない。
鈴華の意識は、次第に目の前の訓練よりも、ヒントの意味を解くことへ向けられていった。
(幻影を作らない……)
なら、魔法を使わなかった?
いや、それなら相手を惑わせることなどできない。
(幻影を作らずに、幻影魔法を使う……?)
そんなことが可能なのだろうか。
考えている間にも、隕石は容赦なく迫ってくる。
鈴華は咄嗟に身体を捻った。
頬のすぐ横を漆黒の流星が通過する。
「っ……!」
反応が遅れている。
それに気づいていながらも、鈴華は考えることを止められなかった。
幻影を作る。
それを消す。
数を減らす。
そもそも何も作らない。
思いついたことは、すでに試している。
(ほかに、何が……)
頭の中で考えが堂々巡りを始める。
次の隕石が正面から迫っていることに気づくのが、一瞬遅れた。
鈴華は慌てて横へ跳ぼうとする。
その時――。
「白河」
零の声が響いた。
同時に、鈴華の目の前まで迫っていた銀河星が空中で静止する。
紫銀の粒子を散らす隕石を前に、鈴華は動きを止めた。
「……はい?」
荒い呼吸を繰り返しながら、零へ顔を向ける。
零は指先を下ろすと、眉を寄せた。
「考えすぎ」
「……すみません」
鈴華は悔しそうに目を伏せた。
もう少しで何かを掴めそうな気もする。
けれど、その何かがどうしても見えてこない。
零はそんな鈴華をしばらく見つめた。
(さすがに、丸投げしすぎたか)
ヒントの意味を解こうとするあまり、目の前の攻撃にまで意識が回らなくなっている。
とはいえ、ここで答えまで教えるつもりはなかった。
自分が戦った相手のやり方をそのまま教えたところで、鈴華が同じ魔法を使えるとは限らない。
自分なりの答えへ辿り着かなければ、鈴華自身の力にはならないのだ。
ならば今必要なのは、これ以上考えさせることではなく、一度その思考から離れさせることだろう。
零は演習場の端にある水飲み場へ視線を向けた。
「顔でも洗ってこい」
「え?」
思いがけない言葉に、鈴華は碧色の瞳を瞬かせた。
「頭冷やしてこい。今のお前じゃ、何やっても同じだ」
鈴華は少しだけ不満そうに唇を結んだ。
それでも、今の自分が考えすぎていることは分かっていた。
「……分かりました」
零に背を向け、演習場の端に設置された屋外用の水飲み場へ向かう。
蛇口を捻ると、冷たい水が勢いよく流れ出した。
鈴華は両手で水をすくい、そのまま火照った顔へ浴びせる。
「冷たっ……」
思わず声が漏れた。
けれど、その冷たさが心地よかった。
もう一度水をすくい、今度はゆっくりと顔を洗う。
熱を持っていた頬が冷え、絡まっていた思考も少しずつ解けていく。
「ふぅ……」
鈴華は静かに息を吐き、蛇口を閉めた。
屋外用の水飲み場には、こぼれた水を受けるための浅い受け皿が設けられている。
その底には、排水口へ流れ切らなかった水が薄く残っていた。
ぽたり。
蛇口の先に残っていた一滴が、その水面へ落ちる。
小さな波紋が、薄く溜まった水の上を走った。
「…………」
鈴華は何気なく、その水面へ視線を落とす。
長く続いた午後の訓練。
気づけば空は夕暮れを越え、藍色へ変わり始めていた。
そして波紋の揺れる水面には――淡い月が映っていた。
風が吹き抜ける。
水面がさざめき、そこに映る月も大きく歪んだ。
鈴華はその光景を、ただ見つめ続ける。
水面にあるのは、本物の月ではない。
手を伸ばしても触れられない。
空に浮かぶ月の姿を、そこへ映しているだけ。
やがて波紋が収まり、穏やかになった水面へ再び綺麗な月が浮かび上がった。
空にある、本物の月。
水面に映る、もう一つの月。
けれど、水面の月は新しく作られた偽物ではない。
空にある月を、別の場所に見せているだけだ。
『そいつはな――幻影を一体も作らなかった』
不意に、零の言葉が頭の中へ蘇る。
「……幻影を作らない……」
鈴華の碧色の瞳が、水面に映る月を真っ直ぐに捉えた。
これまで自分は、本物の姿を隠すために偽物を増やしていた。
本物と同じ姿をした幻影を作り、その中へ紛れ込む。
だが、そうではないとしたら。
新しい偽物を作るのではなく、本物の見える場所そのものを変える。
自分は一人のまま。
幻影も生み出さない。
ただ、相手の目に映る自分の位置だけを、実際とはずらす。
もし、それができれば――。
零が自分を捉えたつもりでも、その視線と攻撃は本当の位置から外れる。
そのわずかな隙を使えば、零との距離を詰められるかもしれない。
まだ、完全な答えにはなっていない。
どのように魔法へ落とし込めばいいのかも分からない。
それでも、これまでとは違う何かが、鈴華の胸の奥で形を持ち始めていた。
空に浮かぶ月と、水面に映る月。
二つの月を見比べた鈴華は、静かに目を見開く。
「もしかして……」




