2話:幻影の先へ③〜甘いものは回復のために〜
食事を終えたところで、零はテーブルの端に置かれていたメニューを再び手に取った。
鈴華は、てっきり追加で何か料理を頼むのだと思った。
しかし、零の指は料理のページを迷いなく通り過ぎ、デザートのページで止まる。
パフェにケーキ、プリンにアイスクリーム。
色鮮やかな写真が並ぶページを、零は妙に真剣な顔で眺めていた。
「黒神くん」
「ん?」
零がメニューから顔を上げる。
鈴華は、ずっと気になっていたことを口にした。
「前から少し思っていたんですけど……もしかして、甘いものがお好きなんですか?」
零の手が止まった。
「……前から?」
「はい。罰掃除が終わった日にも、甘いものを食べに誘ってくれましたし」
一週間続いた罰掃除の最終日。
掃除を終えた自分に、このあと暇かと尋ねてきたのは零だった。
そして――。
『じゃあ、甘いもんでも食いに行こうぜ』
あの時は、一週間付き合った鈴華へのお疲れ様会ということだった。
もちろん、それも本当だったのだろう。
「あれは、お疲れ様会だろ」
「それは分かっています」
あの時のことは今でも嬉しかったし、そこを疑っているわけではない。
ただ、今も零が手にしているメニューは、デザートのページで止まったままだ。
「でも、先ほどからずっとデザートのページを見ていますよね?」
鈴華の視線を追った零は、一度だけ手元のメニューを見た。
それから何事もなかったかのように顔を上げる。
「回復には、甘いもんも必要なんだよ」
「回復に?」
「ああ。今日は魔法も使ったし、頭も使っただろ」
零は妙に自信ありげに頷いた。
その口調だけを聞けば、最初から回復のことを考えてデザートを見ていたようにも思えてくる。
「糖分は頭の回復にもつながる。実に理に適ってる」
もっともらしい理屈を並べると、零はメニューを鈴華の方へ差し出した。
「白河も回復のために頼めよ」
「私もですか?」
「お前の方が魔力を使ってるだろ。遠慮すんな」
あまりにも当然のように言われ、鈴華は差し出されたメニューを受け取った。
確かに今日、より多くの魔力を消費したのは自分の方だ。
理屈としては間違っていない。
間違ってはいないのだが――。
「……黒神くん」
「なんだ?」
「それは、甘いものを食べたいだけなのでは?」
鈴華が探るような視線を向ける。
しかし、零は少しも動揺せず、真顔で言い切った。
「違う」
「本当に?」
念を押す鈴華を、零は真っ向から見返した。
「回復のためだ」
あまりにも堂々としているので、何も知らなければ信じてしまいそうだった。
鈴華はしばらく零を見つめていたが、やがて小さく笑ってデザートのページへ視線を落とす。
「では……私も回復しておきます」
「おう。それがいい」
どこか満足そうに零が頷いた。
二人はそれぞれデザートを注文した。
やがて、甘い香りを漂わせながら二つの皿がテーブルへ運ばれてくる。
零は早速スプーンを手に取り、デザートを一口食べた。
その途端、先ほどまで理屈を並べていた時よりも、表情が分かりやすく緩む。
「……美味しそうですね」
「うまいぞ」
返事も早い。
鈴華も自分のデザートを一口食べる。
優しい甘さが疲れた身体へ染み渡り、自然と頬がほころんだ。
そんな鈴華の姿を見て、零はふと目を細めた。
似ているわけではない。
背格好も、性格もまるで違う。
蕾は、いつも太陽のように明るく、思いついたことを迷わず行動へ移す少女だった。
一方の鈴華は穏やかで思慮深く、何かを始める前には周囲のことまで考える。
二人を重ねているわけではない。
それでも――。
共に魔法を使い、そのあと向かい合って甘いものを食べる。
その光景は、かつて蕾と任務へ出ていた頃のことを思い出させた。
任務が終われば、二人で甘いものを食べに寄り道をする。
その日の任務について、ああでもない、こうでもないと話す。
それは当時の零にとって、ごく当たり前の時間だった。
もう戻ることはないと思っていた、何気ない日常。
形は違っていても、今また誰かとそんな時間を過ごしている。
「黒神くん?」
呼びかけられ、零は我に返った。
鈴華がスプーンを手にしたまま、不思議そうにこちらを見つめている。
「どうかしましたか?」
「いや。なんでもねぇよ」
零は軽く答え、デザートをもう一口食べた。
その頬が、また緩んだ。
鈴華は、それを見逃さなかった。
「やっぱり、好きなんじゃないですか」
「回復のためだって言ってんだろ」
零は平然と言い返す。
声も表情も、さっきとまったく変わらない。
ただ、スプーンを口へ運ぶたびに、目元だけがわずかに和らいでいた。
鈴華は堪えきれず、くすりと笑った。
四月のあの日。
どうして零の方から『甘いもんでも食いに行こうぜ』と言い出したのか。
もちろん、お疲れ様会だったのは間違いない。
けれど、甘いものを選んだことについては――どうやら、別の理由も少しくらいはあったらしい。
「そんなに笑うことか?」
「すみません。でも、黒神くんがあまりにも美味しそうに食べるので」
楽しそうな鈴華の視線に、零は眉を寄せる。
だが、デザートを食べる手を止めるつもりはないらしい。
「ったく。甘いもんも含めて、食って休むのも訓練のうちなんだよ」
からかわれたことを誤魔化すための言い訳にも聞こえる。
だが、先ほどまで零が話していた魔力の回復を考えれば、まったく根拠がないわけでもなかった。
零は残っていたデザートを掬いながら、鈴華へ視線を向ける。
「いいか、白河。俺の持論だけどな」
「はい」
「よく遊んで、よく学んで、よく寝る。結局、これが魔法を強くする一番のコツだ」
よく遊び、よく学び、よく寝る。
どれも幼い頃から聞くような言葉だが、それが魔法の上達とどうつながるのかまでは分からない。
鈴華は零の言葉を頭の中で繰り返し、最初の一つに疑問を抱いた。
「遊ぶというのは、本当に遊ぶわけではありませんよね?」
「ああ。魔法をたくさん使えってことだ。実際に使わなきゃ分からないことも多いからな」
魔法を使い、上手くいかなかった理由を考える。
思いついたことを次の訓練で試し、使ったあとは食事や睡眠によって十分に回復する。
言い方こそ零らしく大雑把だが、それはこの一週間、鈴華が繰り返してきたことそのものだった。
「使って、考えて、休む。それだけだ」
「なるほど……」
鈴華は納得して頷きかけたが、ふと向かいに座る零を見つめた。
使って、考えて、休む。
そのうち最後の一つだけは、零も日頃から十分すぎるほど実践している。
「でも、黒神くん」
「なんだ?」
「授業中によく寝ていますし、『よく学ぶ』のところは少し怪しいのでは?」
零のスプーンが、口元へ届く直前で止まった。
心外だと言わんばかりに眉を上げ、鈴華へ顔を向ける。
「失礼な。あれは睡眠学習だ」
「睡眠学習……ですか?」
「ああ。寝ながら学ぶ。効率的だろ?」
あまりにも堂々と言い切る零に、鈴華は碧色の瞳を瞬かせた。
冗談なのか、本気なのか。
少なくとも、授業中に気持ちよさそうに眠っている姿を見る限り、とても勉強しているようには見えない。
「では、中間試験はどうだったんですか?」
「魔法学は良かったぞ」
そこだけは妙に返事が早かった。
しかも、少し得意げだ。
魔法学についてだけは、鈴華も疑っていない。
「そうなんですね。では、ほかの教科は――」
「で、白河。午後の訓練なんだけどな」
零は鈴華の目を見たまま、何事もなかったかのように話を続けた。
あまりにも滑らかで、あまりにも露骨だった。
「黒神くん」
「なんだ?」
「今、話を変えませんでしたか?」
零は表情一つ変えず、デザートの最後の一口を掬った。
「気のせいだろ」
「……そういうことにしておきます」
鈴華は追及を諦めて微笑んだ。
戦っている時は、あれほど頼もしい魔法使いなのに。
こういうところを見ると、同じ教室で授業を受けている普通の高校生なのだと改めて思う。
鈴華はそんな零の一面を少しだけ可笑しく思いながら、残っていたデザートを口へ運んだ。
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店を出た二人は、学校へ戻るため、昼下がりの街を並んで歩いていた。
十分に休み、食事も取ったことで、先ほどまで重かった鈴華の身体にも、少しずつ力が戻ってきている。
「さっきの続きだけどな。午前中の幻影」
不意に零が口を開いた。
鈴華が顔を向けると、零は片手をポケットへ入れたまま、半歩前を歩いている。
「お前、見破られるたびに数を増やしてただろ?」
「……はい。でも、いくら増やしても黒神くんには通用しませんでした」
見た目を本物へ近づけ、動きもそれぞれ変えた。
それでも零は迷うことなく、本物の鈴華だけを捉えていた。
「やっぱり、数を増やすのが間違っているんでしょうか?」
「別に、間違いじゃねぇよ」
零はあっさりと否定した。
問題は、幻影を増やすこと自体ではないらしい。
「でも、数を増やした分だけ、消費する魔力も増えるだろ?」
「それは、そうですね……」
一度に生み出す幻影が増えれば、そのすべてを維持するために必要な魔力も増える。
魔力量が伸び始めたとはいえ、鈴華の魔力にも限りがある。
見破られるたびに数を増やし続けるやり方では、いずれ自分の方が先に魔力を使い切ってしまう。
ほかの方法はないのだろうか。
鈴華が考え込んでいると、零はその横顔を一瞥した。
「参考になるか分からねぇけど、ヒントだけな」
「ヒントですか?」
「俺が今まで戦った中に、白河と似た魔法を使う奴がいた」
鈴華は思わず足を速め、零の隣へ並んだ。
「その人は、どのように幻影を使っていたんですか?」
零は人差し指を一本立てた。
黄金色の瞳が、どこか遠くを見るように細められる。
「そいつはな――幻影を一体も作らなかった」
「え……?」
幻影魔法を使うのに、幻影を作らない。
一見、矛盾しているようにしか聞こえない。
けれど、零がわざわざ挙げた以上、そこには何か意味があるはずだった。
「幻影を作らずに、どうやって相手を惑わせるんですか?」
「さあな」
零は口元に楽しそうな笑みを浮かべた。
「それを考えるのが、午後のお前の課題だ」
そう告げると、零は鈴華を置いていくように少しだけ歩調を速めた。
「ちょっと待ってください、黒神くん」
鈴華は慌てて、その背中を追いかける。
幻影を作らずに、相手を惑わせる。
零の言葉を頭の中で何度も繰り返しながら、鈴華は午後の訓練へ向けて学校へ戻っていった。




