2話:幻影の先へ②〜魔力強化〜
学校から少し離れた飲食店。
昼時をわずかに過ぎていたこともあり、店内には比較的ゆったりとした空気が流れていた。
窓際の席へ向かい合って座った二人は、それぞれメニューを開いている。
だが、鈴華は料理を選ぶよりも先に、向かいに座る零へ視線を向けた。
「黒神くん。いつも、すみません」
「ん?」
零はメニューへ目を落としたまま、気の抜けた返事をした。
何のことか分かっていない様子の零へ、鈴華は申し訳なさそうに続ける。
「毎日のように、私の魔法の訓練に付き合ってもらって。しかも今日は、せっかくのお休みなのに……」
「ああ、そのことか」
ようやく意味を理解した零だったが、特に気にした様子はなかった。
メニューをめくり、料理の写真を眺めながら軽い調子で答える。
「気にすんなって。俺も今じゃ、結構楽しんでやってるし」
「でも、毎日となると、黒神くんも大変なんじゃ……」
それでも遠慮する鈴華に、零はメニュー越しに目を上げた。
「なんだ? 迷惑か?」
「そ、そんなことありません」
思いがけない返しに、鈴華は慌てて首を横へ振る。
零との訓練を迷惑だと思ったことなど、一度もなかった。
「むしろ、黒神くんにはとても感謝しています」
「なら、問題ないだろ?」
零はあっさりと言い切ると、再びメニューへ視線を戻した。
これ以上話を続けても、鈴華の遠慮を受け入れるつもりはないらしい。
「ほら。そんなことより、早く決めろよ。腹減った」
「……はい」
これ以上気にする方が、かえって零を困らせてしまうのかもしれない。
鈴華はくすりと笑い、自分のメニューへ視線を落とした。
注文を終えると、ほどなくして二人の料理がテーブルへ運ばれてきた。
朝から身体を動かし続けていたせいか、漂ってくる香りだけで、いつも以上に食欲をそそられる。
二人は揃って箸を手に取り、少し遅めの昼食を始めた。
しばらく食事を続けていた鈴華は、ふと自分の手へ視線を落とす。
初日と比べれば、確実に長く動けるようになっている。
幻影を維持できる時間も、以前より伸びていた。
ただ、零がなぜ毎回、体力だけでなく魔力まで限界近くまで使わせるのか、その理由を詳しく聞いたことはなかった。
「黒神くん」
呼びかけられた零が、料理を口へ運ぶ手を止めて顔を上げる。
「どうして毎回、魔力を使い切るところまで訓練するんですか?」
不満があるわけではない。
強くなるために必要なら、これからも続けるつもりだった。
ただ、そこまで徹底する理由を知っておきたかった。
「ああ、それか。筋トレみたいなもんだよ」
「筋トレ……ですか?」
予想外の答えに、鈴華は首を傾げる。
零は少しだけ考えたあと、自分なりの言葉で説明した。
「ああ。限界まで使って、休ませる。回復したら、また使う。それを繰り返すんだ」
零の説明は、相変わらず大雑把だった。
筋肉は、強い負荷を受けたあと、十分に休ませることで以前よりも強くなる。
魔力も、それとよく似ている。
保有する魔力を限界近くまで消費し、睡眠や食事によって十分に回復させる。
それを繰り返すことで、身体は以前より多くの魔力を蓄えられるようになり、少しずつ総量が増えていく。
だから零は、鈴華に余力を残したまま訓練を終わらせようとしなかったのだ。
「ただ、勘違いすんなよ」
零は箸を置くと、人差し指を一本立てた。
「やればやるだけ、ずっと増え続けるわけじゃねぇからな。どれだけ魔力を蓄えられるかは、そいつが持ってる器次第だ」
人によって筋力や体格に違いがあるように、魔力にも術者ごとの個人差がある。
訓練によって総量を増やすことはできるが、生まれ持った魔力の器を越えて、際限なく増やし続けることはできない。
上限へ近づくほど、伸び方も次第に鈍くなっていく。
「白河は、こういう鍛え方を始めたばかりだろ?」
「はい」
「だから今は伸びやすい。今まで使い切れてなかった分、まだ伸ばせる余地があるってことだ」
零は説明を終えると、再び箸を手に取った。
「まあ、お前はまだ上限なんて気にしなくていい。今は使って、休んで、また使う。それで十分だ」
「なるほど……だから、毎回あそこまで魔力を使わせていたんですね」
「そういうこと」
訓練の目的を理解した鈴華は、納得して頷いた。
そこで、ふと向かいに座る零へ視線を向ける。
午前中、魔力を使ったのは鈴華だけではない。
零も何度となく銀河星を生み出し、鈴華へ向けて隕石を放ち続けていた。
それなのに、零は腹が減ったと口にしていたくらいで、疲れている様子をほとんど見せていない。
思い返せば、四月の実技試験でもそうだった。
屋外プールを跡形もなく消し飛ばし、地面へ巨大なクレーターを残した『超新星』。
あれほどの砲撃魔法を放った直後でさえ、零は息一つ乱していなかった。
「黒神くんは、疲れていないんですか?」
「俺?」
零は自分を指差し、不思議そうに瞬きをした。
「はい。あれだけ魔法を撃ち続けていましたよね?」
「ああ。俺は人より、ちょっと魔力量が多いみたいでな」
「ちょっと……」
思わず繰り返した鈴華の脳裏に、夕暮れの教室で感じた零の魔力が蘇る。
教室全体を呑み込むような、凄まじい威圧感。
さらに、屋外プールを一撃で消し飛ばした超新星。
それらを思い返す限り、とても「ちょっと」で済む魔力量には思えなかった。
「本当に、ちょっとですか?」
「細かいことは気にすんな」
零は追及を避けるように料理へ箸を伸ばした。
その態度だけで、本人も「ちょっと」で済む量ではないと分かっていることが伝わってくる。
「それに、前にも言っただろ。魔法を使うには、魔力だけじゃなくて体力もいる。でかい魔法なら、なおさらだ」
零は料理を口へ運びながら、何でもないことのように続けた。
「いくら魔力量が多くても、身体が動かなきゃ意味ねぇ。だから、そっちも一応鍛えてる」
「それで、あれだけ魔法を使っても平気なんですね」
「まあ、慣れてるだけだよ」
零は軽く答えた。
その言い方は、あまりにも素っ気ない。
だが、それが一朝一夕で身についたものではないことくらい、鈴華にも分かる。
膨大な魔力に頼っているだけではない。
どれだけ魔法を使っても動き続けられるよう、零は今まで何度も身体を鍛えてきたのだろう。
「それより、白河」
零は話を自分から逸らすように、鈴華へ視線を向けた。
「お前も最初の時と比べれば、魔力量は増えてると思うぞ?」
「私もですか?」
「ああ。まだ一週間ちょっとだし、大して変わってないだろうけどな」
零はそう言って、再び料理へ箸を伸ばす。
褒めるというより、訓練の結果をそのまま伝えただけの口調だった。
それでも、自分の変化を零がきちんと見てくれていたことが、鈴華には嬉しかった。
「……最近、以前より魔力が長く持つようになったのも?」
「少しずつ総量が増えてるんだろうな」
鈴華は自分の手のひらへ視線を落とした。
初日は途中から、幻影を一体作り出すことさえ難しくなっていた。
けれど今日は、それ以上の数を、より長い時間維持できた。
まだ零には指一本触れられていない。
それでも自分は、確かに前へ進んでいる。
鈴華は少しだけ身を乗り出し、声を落とした。
「この訓練方法も、アストラル・オーダーで教わったんですか?」
「あー……」
零はすぐに答えず、記憶を辿るように視線を上げた。
しばらく考えたあと、どこか曖昧な口調で答える。
「いや。たしか、京都にいた時かな」
「京都?」
予想外の地名に、鈴華は碧色の瞳を瞬かせた。
零がアストラル・オーダーに所属する魔法使いであることは知っている。
その本部があるイギリスで育ち、そのままアストラル・オーダーへ入ったのだとばかり思っていた。
「あれ? 言ってなかったっけ? 俺、九歳までは京都にいたって」
零は箸を止め、不思議そうに鈴華を見る。
「初めて聞きましたよ」
「そうだっけ?」
首を傾げる零に、鈴華は少しだけ咎めるような視線を向けた。
「そうです」
それでも、零は悪びれる様子を見せない。
本人にとっては、わざわざ話すほどのことでもなかったらしい。
「わりー、わりー」
まったく反省しているようには聞こえなかった。
零は軽く謝ると、再び料理を口へ運ぶ。
そのあまりにも軽い態度に、鈴華は呆れたように息をついた。
それでも、零が九歳まで京都にいたという事実は、鈴華にとって初めて知る彼の過去だった。
「あー、あと」
零は何かを思い出したように、再び箸を止めた。
「この訓練、一人の時は絶対にやるなよ」
「一人では、ですか?」
先ほどまでとは違う声の響きに、鈴華も自然と表情を引き締める。
零は鈴華がきちんと聞いていることを確かめてから、理由を告げた。
「限界まで魔力を使う以上、加減を間違えれば倒れるだけじゃ済まない。怪我することだってある」
魔力がほとんど残っていない状態では、普段なら難なく扱える魔法でも制御が乱れやすくなる。
その状態で限界を越えて魔法を使おうとすれば、魔力が術者の制御から外れる危険もあった。
「そこで無理に魔法を使おうとして、魔力暴走なんて起こされたらたまらねぇからな」
「魔力暴走……」
その言葉に、鈴華の表情がわずかに強張る。
零はそんな鈴華を安心させるように、軽く手を振った。
「心配すんな。俺が見てる間は、そこまで無理させねぇよ」
「黒神くんが……」
鈴華が顔を上げると、零の黄金色の瞳がこちらを見ていた。
普段の気怠げな様子とは違い、その眼差しに冗談の色はない。
「お前にあとどれだけ魔力が残ってるかくらいは見てる。危ないと思ったら、その前に俺が止める」
零はそれを特別なことだとは思っていないらしい。
何でもないことのように告げると、再び料理へ箸を伸ばした。
「だから、俺がいる時は余計なことを気にせず、限界までやればいい」
ぶっきらぼうな言い方だった。
それでも、自分が限界まで訓練を続けられたのは、零がずっと状態を見てくれていたからなのだと分かる。
「ただし、一人の時は別だ。自分ではまだいけると思ってても、身体の方が先に限界を迎えることもある」
零は念を押すように、箸の先を軽く鈴華へ向けた。
「だから、一人で限界を試すような真似は絶対にすんな」
「分かりました。絶対にしません」
鈴華が真剣に答えると、零はそれ以上言うことはないとばかりに頷いた。
「ならいい」
その返事を聞き、鈴華はこれまでの訓練を思い返した。
体力も魔力も使い切り、演習場の地面へ倒れ込んだ自分。
その隣で、零は何も言わずに座っていた。
「だから毎回、私が回復するまで待ってくれていたんですね」
「そりゃそうだろ。強くするための訓練で身体壊したら、意味ねぇし」
零は当然のことのように答えると、残っていた料理を口へ運んだ。
鈴華はそんな姿を見つめ、ふっと表情を緩める。
「……ありがとうございます」
「なんで礼を言うんだよ」
不思議そうに見返され、鈴華は少しだけ考えた。
訓練を引き受けてくれたこと。
風紀部の活動がない時は、毎日、自分の成長を見守ってくれていること。
限界まで挑戦できるよう、傍で支えてくれていること。
理由はいくつも思い浮かんだが、すべてを言葉にするのは少し気恥ずかしかった。
「なんとなくです」
鈴華が柔らかく微笑む。
先ほどまで魔法について真剣に話していた空気が、少しだけ和らいだ。




