2話:幻影の先へ①〜レベルアップ〜
あの日から、数日が経った。
零と鈴華の訓練は、それからも続いていた。
風紀部の活動がある日は、そちらを優先する。
だが、活動のない日は放課後になると演習場へ向かい、零の指導を受ける。
それは学校のある日だけではない。
休日であろうと、二人の予定が合えば訓練は行われた。
最初に零から与えられた課題は、幻影魔法を使いながら、五分間、零の魔法を避け続けること。
初日は一分も持たず、体力と魔力を使い切って倒れ込んだ。
それでも、鈴華は諦めなかった。
銀河星の軌道を見る。
零の視線や指先から、次に狙われる場所を予測する。
幻影を生み出すタイミングを変え、必要以上に魔力を消費しないよう意識する。
何度失敗しても、そのたびに自分の動きを振り返り、次の訓練で試した。
そして数日後――。
「はぁっ……はぁっ……!」
鈴華は荒い呼吸を繰り返しながら、それでも倒れずに立っていた。
演習場に設置された時計へ目を向ける。
針は、訓練を始めてから五分が経過したことを示していた。
「やった……」
安堵と喜びが入り交じった声が、自然と漏れる。
まだ余裕があるとは言えない。
足は重く、制服の内側には汗が滲んでいる。
それでも、初日は一分も持たなかった零の攻撃を、最後まで避け切ることができた。
鈴華が喜びを噛み締めていると、少し離れた場所に立つ零が小さく頷いた。
「よし。避ける方は、だいぶ形になってきたな」
「はい!」
鈴華は額の汗を拭い、嬉しそうに返事をする。
ようやく、零から与えられた課題を達成できた。
今日はこれで訓練も終わりだろう。
そう思って息をついた鈴華だったが、零は再び右手を掲げた。
「じゃあ、そろそろレベルを上げるぞ」
「……え?」
鈴華の笑顔が固まった。
「まだ続くんですか?」
「何言ってんだ」
零は呆れたように片眉を上げた。
「避けてるだけじゃ、いつまで経っても勝てねぇだろ?」
鈴華は思わず言葉に詰まった。
確かに五分間、隕石を避け切るという課題は達成した。
でも実戦なら五分間逃げ続けたところで、相手が諦めてくれるとは限らない。
「でも、今回は幻影魔法を使いこなすための訓練では……?」
「そうだよ。だから今度は、その幻影を攻撃につなげるんだ」
鈴華は、零の言葉の意味を考える。
自分の幻影魔法は、偽物の姿を作り出して相手を惑わせる魔法。
幻影そのものに相手を攻撃する力はない。
「私の幻影魔法には、攻撃力がありません」
「魔法そのもので攻撃する必要はねぇだろ」
零は自分の胸元を親指で示した。
「幻影で相手を惑わせて、その隙にお前が攻撃すればいい」
「私自身が……」
「ああ。守りたいなら、逃げ続けるだけじゃ足りない。相手を止めなきゃならない時だってある」
零の黄金色の瞳が、鈴華を真っ直ぐに捉える。
「避けるのも、幻影を作るのも、そのための手段だ。そこで満足したらダメだ」
厳しい言葉だった。
だが、五分間避け切った鈴華の成長を否定しているわけではない。
それを土台に、さらに先へ進めと言っているのだ。
鈴華は息を整えながら、静かに頷いた。
「……分かりました」
「よし。次の課題だ」
零は改めて、自分の胸元を指した。
「隕石を避けながら俺に近づけ。一度でも触れたら、お前の勝ちだ」
「黒神くんに、ですか?」
「ああ。身体のどこでもいい。指一本でも触れれば合格にしてやる」
言葉だけを聞けば、先ほどまでの訓練と大きく変わらないようにも思える。
零はその場から動かず、隕石を放つだけ。
五分間避けられるようになった今なら、そのまま距離を詰めればいい。
しかし、鈴華の考えを見抜いたように、零の口元が僅かに上がった。
「簡単そうだと思ったか?」
「……少しだけ」
鈴華が正直に答えると、零は右手を掲げた。
その周囲へ漆黒の銀河星が一つ、また一つと生成され、紫銀の星屑を纏いながら宙へ浮かび上がる。
「離れてれば、隕石が届くまで多少は時間がある。でも、俺に近づけば、その時間もなくなる」
鈴華は、零の周囲に浮かぶ銀河星を見つめた。
離れた場所から放たれる隕石なら、飛んでくる方向を見てから躱すだけの猶予がある。
だが、零との距離が縮まれば、その猶予も短くなる。
目の前で生成された隕石が、ほとんど間を置かずに迫ってくる。
「今までより早く見て、早く決めろ。一瞬でも迷えば、そこで終わりだ」
零はそれ以上の説明をしなかった。
何を見て、どう判断するのか。
幻影をどこへ生み出し、どう相手の意識を逸らすのか。
それは鈴華自身で考えろということなのだろう。
これまでの訓練は、隕石から逃げ続ければよかった。
だが、今回は違う。
攻撃を避けながら、自分から危険な距離へ踏み込まなければならない。
幻影を使って相手の狙いを惑わせ、その隙に距離を詰める。
そして最後には、自分の手で相手へ攻撃を届かせる。
「一度でも黒神くんに触れれば、いいんですね?」
「ああ」
零は浮かび上がった銀河星へ一瞥を向けた。
「ただし、今までみたいに避けるだけじゃ、俺には届かねぇぞ」
鈴華は静かに息を整える。
疲労は残っている。
それでも、碧色の瞳に迷いはなかった。
「……分かりました。やってみます」
「いい返事だ」
零の指先が動いた。
「連射」
銀河星が一斉に放たれる。
鈴華は地面を蹴った。
一発目を右へ躱し、続く二発目の下へ身体を沈める。
頭上を漆黒の流星が通過した直後、着地点を狙って三発目が迫った。
鈴華は着地と同時に再び地面を蹴る。
隕石が、ほんの僅かな差で背後を通過した。
以前なら体勢を崩していた連撃。
今は次の攻撃まで見えている。
「ミラージュ!」
淡い光が弾けた。
一人だった鈴華の姿が二人、四人、八人と増えていく。
生み出された幻影は本物と入り乱れながら、一斉に散開した。
右から二人。
左から三人。
残る幻影は正面から零との距離を詰める。
本物の鈴華はその中へ紛れ、零の死角へ回り込んだ。
零の背後まで少し詰める。
鈴華がその背中へ手を伸ばすがーー
「発射」
「っ!」
振り返りもしないまま、零が右手を僅かに動かした。
一つの銀河星が、鈴華の進路へ滑り込む。
距離が近い。
避ける方向を考える暇さえなかった。
鈴華は反射的に足を止め、身体を後ろへ反らす。
鼻先を紫銀の光が通過した。
その一瞬で、零との距離が再び開いてしまう。
さらに残っていた銀河星が動き出した。
一人。
また一人。
幻影だけが正確に撃ち抜かれ、淡い光の粒子となって消えていく。
「まだです!」
鈴華は魔力を練り直した。
見破られるなら、もっと増やす。
「ミラージュ!」
新たな幻影が現れ、一斉に零を取り囲む。
先ほどより数は多い。
動きも、それぞれ変えている。
しかし――。
「連射」
漆黒の流星が再び駆け抜けた。
幻影が次々と撃ち抜かれていく。
どれだけ数を増やしても。
どれだけ動きを複雑にしても。
零は迷わない。
本物の鈴華だけを正確に捉え、その進路を塞いでくる。
それでも鈴華は止まらなかった。
避ける。
幻影を生み出す。
零へ近づく。
阻まれれば距離を取り、別の角度から仕掛ける。
初日より動ける。
初日より長く魔法を使える。
五分間、攻撃を避け続けることもできるようになった。
より確実に前へ進んでいる。
けれど――。
午前の訓練では零には指一本触れられなかった。
-----
しばらくして、零は演習場に設置された時計へ目を向けた。
朝から始めた訓練も気づけば昼を迎えようとしている。
「よし。午前はこんなもんだな」
零は演習場の端に置いてあったスポーツドリンクを一本取り、鈴華へ軽く放った。
鈴華は慌てて両手で受け止める。
「ありがとうございます」
礼を言う鈴華へ、零は自分のドリンクを手にしながら告げた。
「少し休んだら、飯食いに行くぞ」
「お昼ですか?」
「ああ。腹が減っては戦はできぬってな」
零はスポーツドリンクの蓋を開けながら、続ける。
「腹ごしらえしたら、午後の訓練だ」
「はい。午後こそ、黒神くんに触れてみせます」
疲労は残っている。
それでも、鈴華の碧色の瞳から意志は失われていなかった。
鈴華はスポーツドリンクを口に運びながら、先ほどまで隕石が飛び交っていた演習場を見つめる。
課題に加わったのは、零へ一撃を与えるという条件だけ。
それだけのはずなのに、難易度はこれまでとは比べものにならないほど上がっていた。
逃げるだけなら、零から距離を取ることができる。
だが、一撃を与えるには、自分から隕石の飛び交う中へ踏み込み、零との距離を縮めなければならない。
距離が縮まった瞬間、隕石の速度がまるで上がったように感じられた。
実際の速度が変わったわけではない。
ただ、隕石が届くまでの距離が短くなり、判断に使える時間が減っただけ。
それでも、離れた場所で避けていた時とは比べものにならないほど難しい。
隣では、零が壁へ背中を預けながらスポーツドリンクを飲んでいる。
涼しい顔をしているが、鈴華が限界に近づく直前には、必ず攻撃を止めていた。
無茶をさせているようで、決して身体を壊すところまでは追い込まない。
鈴華がそんな零を一度だけ見つめると、彼は何かを思いついたように口元を緩めた。
「さーて。午後はどうやってやろうかなー」
その声は、どこか楽しそうだった。
最初に魔法を教えてほしいと頼まれた時は、あまり乗り気ではなかった零も、何度失敗しても前を向く鈴華を見ているうちに、いつしか訓練を楽しむようになっていた。
しかし、楽しそうに思案する零の横顔を見て、鈴華は僅かに頬を引きつらせる。
「……お手柔らかにお願いします」
「ああ、善処するよ」
零は意地悪そうに笑って答えた。
その笑顔を見て、鈴華は悟った。
午後の訓練は、午前よりもさらに過酷なものになるだろう、と。




