8話:神桜の魔法使い④〜四神武装『青龍刀』〜
蕾は小さく笑った。
「そう思いますか?」
青龍へ差し伸べた右手は、そのまま。
目の前には、戦いが始まった時よりも遥かに巨大化した木の巨人が立ちはだかっている。
天井を突き破るほどに伸びた枝。
旧時計塔の床一面へ張り巡らされた無数の根。
そのすべてが青龍の水を吸い上げ、今なお成長を続けていた。
時計塔を押し潰さんばかりに膨れ上がった巨体を見上げても、蕾の桜色の瞳に恐れはない。
「まだ分からないのか?」
近衛兵は訝しげに眉をひそめた。
「お前の青龍が攻撃するほど、俺の魔法は強くなる。水を操る限り、お前に勝ち目はない」
蕾は答えなかった。
代わりに、その背後で青龍が長い身体をうねらせる。
低く澄んだ咆哮が響き、旧時計塔の空気を震わせた。
「私の魔法が 召喚するだけで終わるなんて――」
蕾の身体から、桜色の魔力が静かに膨れ上がる。
足元を漂っていた花びらが一斉に浮かび、青龍の周囲を巡る水が激しく波打った。
桜吹雪が巨大な渦となり、碧い神龍を包み込んでいく。
荒れ狂う魔力の中心で、蕾は自信に満ちた笑みを浮かべた。
「思わないでください」
近衛兵の顔から、余裕が薄れていく。
今までとは明らかに違う。
召喚獣へ一方的に力を送っているのではない。
蕾と青龍。
二つの魔力が呼応し、一つへ重なろうとしていた。
「何だ、あれは……」
戦場から距離を取っていた太った男が、戸惑いを隠せずに呟いた。
先ほどまで近衛兵の勝利を疑っていなかった男の頬を、冷たい汗が伝う。
「お、おい。本当に大丈夫なんだろうな?」
「黙っていろ」
近衛兵は苛立たしげに吐き捨てたものの、その視線は蕾から離れない。
桜色と碧色の力が重なるたび、肌を刺すような圧力が増している。
直後、蕾の魔力が一気に解き放たれた。
桜吹雪が激しく渦を巻き、青龍の巨体が眩い碧色の輝きに包まれる。
旧時計塔全体が大きく震えた。
床が軋み、割れかけた窓ガラスが細かく揺れる。
天井から吊り下がる錆びた歯車までもが、甲高い音を立てていた。
肌へ叩きつけられるほどの魔力を前に、アイリスは声を失う。
召喚魔法とは、召喚獣を呼び出し、その力を借りて戦う魔法である。
敵と戦うのは召喚獣。
術者は後方から魔力を送り続け、その力を支える。
それが、この世界における召喚魔法の常識だった。
しかし――神桜蕾の魔法は、その先にある。
蕾は差し伸べていた右手を強く握り締めた。
「見せてあげます」
吹き荒れる力に黒髪を靡かせながら、近衛兵を見据える。
桜色の瞳に宿るのは、恐れでも虚勢でもない。
自らの力に対する、確かな自信だった。
「これが――私の全力です!」
蕾は高らかに、その名を叫ぶ。
「四神武装」
その言葉に呼応し、青龍が天井近くまで舞い上がった。
巨体が、眩い光に包まれる。
鱗が、角が、長くしなやかな胴体が、そのすべてが、澄み切った水へと姿を変えていく。
神龍だった奔流は蕾を中心に大きな渦を描き、そこへ桜色の魔力が重なった。
荒れ狂う水の中を、無数の花びらが駆け抜ける。
碧と桜。
二つの魔力は溶け合いながらも、それぞれの輝きを失わない。
やがて巨大な渦は蕾の右手へ集まり、一振りの太刀を形作っていった。
眩い光が収まる。
蕾の手には、水晶のように透き通った碧い太刀が握られていた。
細く、鋭く研ぎ澄まされた刀身。
その内側では、青龍を思わせる輝きが清流のように絶えず巡っている。
柄には桜色の紋様が刻まれ、鍔の周囲では小さな花びらが淡く舞っていた。
収まりきらなかった水が、蕾の右腕へ巻きついていく。
肘までを覆う、龍鱗のような碧い小手。
さらに肩口からは、青龍の尾を思わせる長い水の帯が伸び、右腕を守るように揺らめいていた。
まるで一頭の龍が、その身を武器へ変え、蕾とともに戦おうとしているかのようだった。
召喚獣を従えて戦うのではない。
召喚獣そのものを武器へと変え、その力を自らの身に宿して戦う。
召喚される精霊や神獣は、神話や御伽話に語られる存在そのもの。
人の手では決して生み出せない神秘の力を、その身に宿している。
ならば、そこから生み出された武器もまた、この世の技術では作り得ない神造の武器と呼んでも過言ではない。
それこそが、神桜蕾が編み出した召喚魔法の新たな型。
召喚獣と術者が一体となって戦う。
蕾だけの魔法だった。
「青龍刀」
蕾は右手に握った太刀を、静かに構える。
桜の花びらが舞う。
刃に宿った碧い魔力が、呼吸するように明滅する。
吹き抜けた風が、蕾のコートの裾を大きく翻した。
その姿は、僅か12歳の少女とは思えない。
神々しく、凛々しく、そして、息を呑むほどに美しかった。
「すごい。なに、これ……」
アイリスの唇から、震える声が零れた。
琥珀色の瞳は、青龍刀を構える蕾に釘付けになっている。
零はその反応を横目で見て、どこか得意げに口元を緩めた。
「だから言ったろ」
そして、木の巨人と対峙する相棒へ向き直る。
「一番強いのは、蕾だって」
アイリスが驚いたように零を見上げる。
その視線に気づきながらも、零は蕾から目を逸らさなかった。
「まあ……見てな。ここからが本当の戦いだ」




