8話:神桜の魔法使い③〜四神召喚『青龍』〜
「神桜式召喚魔法――」
桜色の魔力が、一気に天井へ駆け上がった。
舞い上がった無数の花びらが一点へ収束し、巨大な輪郭を描き始める。
長くしなやかな胴体。
天を突く二本の角。
鋭い牙を覗かせる巨大な顎。
花びらの隙間から、澄み切った碧い光が溢れ出す。
水面を震わせるような、低く澄んだ咆哮が旧時計塔全体へ響き渡った。
「四神召喚――」
蕾は重ねていた両手を解き、右手を高く掲げる。
「東方守護神――『青龍』!」
その瞬間。
桜吹雪が弾け飛んだ。
眩い碧い光とともに、一頭の神龍が姿を現す。
瑠璃のように輝く碧い鱗。
長大な身体は空を泳ぐように時計塔の内部を悠然と旋回し、巨大な尾が激しい風を巻き起こした。
その身の周囲では清らかな水が幾重にも渦を巻き、無数の桜の花びらが寄り添うように舞い続けている。
古びた時計塔を、碧と桜の輝きが鮮やかに染め上げた。
神々しいまでの光景だった。
アイリスは目の前に現れた神龍を見上げ、息を呑む。
「綺麗……」
思わず漏れた声は、青龍の咆哮にかき消された。
一方、零は召喚された神龍を見上げ、僅かに眉を寄せる。
「青龍……?」
木の魔法を操る相手なら、本来選ぶべきは火を司る朱雀だ。
蕾が、その程度の相性を見落とすはずがない。
零は訝しげに蕾を見つめたあと、ふと隣に立つアイリスへ目を向けた。
琥珀色の瞳を輝かせ、現れた神龍を夢中で見上げている。
その横顔を目にした瞬間、零の眉間から力が抜けた。
「……なるほどな」
納得したように呟くと、桜吹雪の中心に立つ相棒へ向き直る。
その口元には、呆れにも似た笑みが浮かんでいた。
「蕾も味な真似するじゃねぇか」
「え?」
「こっちの話だ」
不思議そうに見上げてくるアイリスへ、零はそれ以上説明しなかった。
今ここにいる魔法使いの中で、蕾が一番強い。
先ほどアイリスへ告げた言葉が決して強がりではなかったことを、零は誰よりもよく知っていた。
対する近衛兵の表情から、初めて余裕が消える。
「……召喚魔法だと?」
驚きと警戒が入り交じった視線が、青龍の巨体を捉える。
「しかも、この魔力量は……」
言葉を失う近衛兵を見下ろすように、青龍が低い咆哮を響かせた。
そして長い身を大きくうねらせながら、蕾の背後へと降りてくる。
まるで主を守護する騎士のように、その巨体を宙へ浮かべたまま静止した。
蕾は振り返らない。
青龍もまた、主の意思を理解しているかのように静かに頭を垂れる。
次の瞬間。
グランド・ユグドラシルによって生み出された木の巨人が、轟音とともに一歩を踏み出した。
朽ちた床板が大きく沈み、旧時計塔全体が激しく揺れる。
それに応じるように青龍も身をうねらせ、真正面から巨人を睨み据えた。
神獣と巨人。
二つの巨大な存在が、旧時計塔の中央で対峙した。
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先に動いたのは、木の巨人だった。
巨大な腕が空気を押し潰しながら、青龍へ振り下ろされる。
青龍はしなやかに身体をくねらせ、迫る拳を紙一重で躱した。
巨人の拳が床へ叩きつけられる。
凄まじい衝撃とともに床板が砕け、周囲へ無数の木片が飛び散った。
その一撃を潜り抜けた青龍は、巨人の腕へ一気に巻きつく。
長い胴体が枝と幹で作られた腕を締め上げ、鋭い牙が深々と食い込んだ。
太い枝が折れ、幹が軋みを上げる。
青龍が勢いよく頭を振り抜いた。
巨人の片腕が肩口から引き千切られ、轟音を響かせて床へ転がる。
「すごい……!」
アイリスの表情が明るくなる。
青龍は攻撃の手を緩めない。
切断した腕を離すと、そのまま天井近くまで舞い上がる。
長大な尾が大きく振るわれた。
碧い水流を纏った一撃が巨人の頭部を横から打ち抜き、巨体が大きく傾く。
床板を踏み砕きながら、木の巨人が数歩後退した。
そこへ青龍が追いすがる。
前脚の鋭い爪が胸部を切り裂き、幹を守っていた無数の枝を削ぎ落としていく。
木片と葉が舞い散る中、青龍は大きく顎を開いた。
その口元へ清らかな水が集まり、渦を巻きながら巨大な球体を形作っていく。
「撃て!」
蕾が掲げていた右手を、真っ直ぐ前へ振り下ろした。
主の意思に応じ、青龍の口元に集まった水が激しく脈打つ。
次の瞬間――。
凄まじい勢いで放たれた水の奔流が、木の巨人を真正面から呑み込んだ。
その身体が大きく後方へ押し流される。
両足が床板を削り、深い溝を刻んでいく。
濁流に耐え切れず、全身を覆っていた枝葉が次々と千切れ飛んだ。
胸部の太い幹にも亀裂が走り、巨体がゆっくりと傾いていく。
「押してる……!」
アイリスは胸の前で両手を握り締めた。
木の巨人は濁流に押し切られ、背後の壁へ激突する。
朽ちた壁面が砕け、激しい土煙が巻き起こった。
しかし――。
近衛兵は動じていなかった。
崩れゆく巨人を見つめるその口元には、薄い笑みさえ浮かんでいる。
「確かに、強大な召喚獣だ」
近衛兵は静かに片手を掲げた。
「だが――相手が悪かったな」
その言葉に呼応するように、土煙の奥で木の巨人の全身が大きく脈打った。
青龍の水を浴びた枝から、次々と鮮やかな若葉が芽吹いていく。
引き千切られたはずの右腕も、切断面から無数の枝が伸び、絡み合いながら新たな腕を形成した。
胸部に刻まれた亀裂が塞がる。
砕けた幹が再生していく。
それだけではない。
周囲に溢れた水を吸い上げるように、無数の根が床板を突き破った。
水を得るたびに幹は太くなり、枝葉はさらに広がっていく。
巨体が一回り、また一回りと膨れ上がった。
先ほどまで青龍に押されていた木の巨人が、天井へ届かんばかりの姿となって再び立ち上がる。
「そんな……」
アイリスの表情から喜びが消える。
「青龍の攻撃を吸収してるの……?」
小さく漏れた疑問を裏付けるように、木の巨人は周囲に溢れた水を取り込み、さらに大きく膨れ上がっていく。
その様子を見つめる近衛兵の口元に、勝利を確信した笑みが浮かんだ。
掲げていた手が勢いよく振り払われる。
その動きに合わせ、木の巨人の背中から無数の枝が放たれた。
鋭く尖った枝が、槍のように青龍へ殺到する。
青龍は空中で身を翻し、迫る枝の間を縫うように飛び回った。
一本、二本、三本、その巨体からは想像もつかない俊敏な動きで、次々と攻撃を躱していく。
それでも、枝の勢いは止まらない。
巨人の背中から新たな枝が伸びるたび、青龍の逃げ道は少しずつ塞がれていった。
「右!」
蕾の声に反応し、青龍が大きく身体をひねる。
直後、先ほどまで頭部があった場所を太い枝が貫いた。
さらに正面から迫った二本の枝を前脚の爪で切り裂き、巨人の頭上へ抜ける。
そのまま巨大な尾を振り下ろした。
水流を纏った尾が、木の巨人の肩を打ち砕く。
だが、飛び散った木片は床へ落ちる前に無数の蔦へ変わった。
蔦はまるで意思を持っているかのように宙を這い、青龍の尾へ絡みつく。
青龍が身をよじり、強引に引き千切った。
しかし、僅かに動きを止めたその瞬間を、木の巨人は逃さなかった。
再生した巨大な右腕が、青龍の胴体を横から殴りつける。
重い衝撃音が響き、その身体が大きく弾き飛ばされた。
「危ない……!」
アイリスが悲鳴を上げる。
しかし、青龍は壁へ激突する寸前で身を翻した。
前脚から水流を放ち、その反動で急停止する。
傷はない。
碧い鱗は先ほどと変わらない輝きを保っている。
青龍は低く唸ると、巨人の周囲を旋回し始めた。
速度を上げるたび、周囲の水が高く巻き上げられていく。
それは瞬く間に巨大な渦へと変わり、木の巨人の全身を包み込んだ。
青龍はさらに高度を上げ、渦の中心から巨人を見下ろす。
そして大きく顎を開くと、今度は細く圧縮した水流を牙に纏わせた。
「喰え。青龍!」
牙に研ぎ澄まされた水が、木の巨人の左脚を食いちぎった。
支えを失った巨体が大きく傾く。
その機を逃さず、青龍が空から急降下する。
碧い光を纏った頭部が、巨人の胸部へ真正面から突き刺さった。
巨体が床へ倒れ込む。
時計塔全体を揺るがすほどの轟音とともに、床板が大きく陥没した。
「やった……?」
アイリスが期待を込めて呟く。
青龍は倒れた木の巨人の上空を旋回しながら、油断なく敵を見据えていた。
次の瞬間。
砕けた床の隙間から、無数の根が一斉に飛び出した。
青龍が離れるより早く、その身体へ幾重にも巻きついていく。
首へ、胴体へ、前脚へ無数の根が動きを封じ、倒れていた木の巨人へ強引に引き寄せる。
青龍が咆哮を響かせた。
全身を包む水流が激しく膨れ上がり、絡みついた根を内側から押し広げていく。
何本もの根が弾け飛んだ。
だが、断ち切られた根は青龍の水を吸収し、瞬く間に再生していく。
一本を引き千切れば、二本に増える。
二本を切り裂けば、四方から新たな根が伸びてくる。
青龍が力を解放するほど、木の巨人はその水を糧に強さを増していた。
「ふはははっ!」
近衛兵の笑い声が響く。
「無駄だ!」
木の巨人は残された左腕を床へ突き立て、ゆっくりと身体を起こした。
切断されたはずの左脚も、青龍から奪った水によって既に再生を始めている。
巨人の全身からさらに太い蔦が伸び、青龍をきつく締め上げた。
そして、動きを封じたまま巨大な手で掴み上げる。
その腕が勢いよく横へ振り抜かれた。
青龍の巨体が宙を舞い、時計塔の壁へ叩きつけられる。
古びた壁面が大きく崩れ、煉瓦と土煙が周囲へ飛び散った。
「そんな……!」
アイリスが思わず一歩踏み出す。
「大丈夫だ」
零の落ち着いた声が、その動きを止めた。
土煙の中から、低い咆哮が響く。
碧い水流が一気に膨れ上がり、周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
青龍は傷一つ負うことなく、再び宙へ舞い上がる。
ただ、その鋭い瞳には、先ほどよりも強い警戒が宿っていた。
力では、青龍が上回っている。
木の巨人の攻撃を受けても傷つくことはない。
だが、青龍が水の力を振るうたび、相手はそれを吸収して成長してしまう。
属性の相性だけが、決定的な障害となっていた。
近衛兵は青龍を見上げ、ゆっくりと目を細める。
「火を選ばれていれば、厄介だった」
青龍の周囲では、清らかな水が絶え間なく流れ続けている。
近衛兵はその姿へ指を突きつけた。
「だが、水では駄目だ」
木の巨人が軋みを上げながら立ち上がる。
その身体は、戦いが始まった時よりも遥かに巨大になっていた。
肩から伸びた枝が天井を突き破り、無数の根が旧時計塔の床一面へ広がっていく。
「木は水を得て育つ。お前の召喚獣がどれほど強大であろうと、その水はすべて私の力になる」
近衛兵の声に、確かな勝利の色が滲む。
「相性はこちらが上だ。その青龍では――私には勝てん」
アイリスは不安そうに蕾を見つめた。
青龍の力が通用しない。
それどころか、攻撃すればするほど敵を強くしてしまう。
それでも――。
蕾の表情は、少しも曇っていなかった。
青龍へ向けて右手を差し伸べたまま、真っ直ぐ近衛兵を見据えている。
その桜色の瞳には、焦りも動揺もない。
むしろ、勝利を確信しているかのように――。
蕾は小さく笑った。




