8話:神桜の魔法使い①〜漆黒の星〜
近衛兵は、蕾を静かに見据えた。
ゆっくりと右手を床へ向ける。
深緑色の魔力が腕を伝い、足元へ流れ落ちていった。
「ルート・グロウ」
低い詠唱が響いた次の瞬間。
轟音とともに床がひび割れた。
裂け目から何本もの太い木の根が飛び出し、蛇のようにうねりながら蕾へ襲い掛かる。
「っ!」
蕾は反射的に横へ跳んだ。
木の根はそのまま背後の木箱を貫き、粉々に砕く。
木片と土煙が舞い上がる中、蕾は床へ着地した。
目の前で不気味にうねる木の根を見つめ、桜色の瞳をわずかに細める。
「木の魔法……?」
聞いたことのない属性だった。
火、水、風、土、雷、光、闇。
現在確認されている基本属性は、その七つ。
木という属性は存在しない。
だが、例外はある。
二つ以上の属性を組み合わせ、新たな性質を生み出す――複合魔法。
蕾は一瞬だけ思考を巡らせる。
そして、すぐに答えへ辿り着いた。
「なるほど!」
桜色の瞳が明るく輝く。
「土属性で植物の形を作って、水属性で急速に成長させている……」
うねる木の根を見つめながら、蕾は納得したように頷いた。
「木属性じゃなくて、土と水の複合魔法ですか!」
元近衛兵が、わずかに目を細める。
「……一目で見抜くとはな」
うねる木の根越しに、蕾を鋭く見据えた。
「さすがは、アストラル・オーダーの魔法使いだ」
蕾は少し照れくさそうに笑う。
「ありがとうございます。」
しかし、すぐにいつもの明るい笑顔へ戻った。
「でも、仕組みが分かったなら攻略できます!」
小さな拳を握り、力強く言い切る。
「大きく出たな」
元近衛兵が、右手の指をわずかに動かした。
その瞬間。
先ほどかわした木の根が、蕾の背後で大きくしなる。
「後ろだ」
「分かってます!」
蕾は勢いよく振り返った。
「風刃!」
右手を真横へ振り抜く。
鋭い風の刃が一直線に走り、迫る木の根を真っ二つに切り裂いた。
「よしっ!」
思わず笑みがこぼれる。
しかし、その笑顔はすぐに驚きへ変わった。
切断された断面から、細い枝が何本も伸び始めたのだ。
枝同士が絡み合い、見る間に元の太さへ戻っていく。
「えぇっ!?」
蕾は再生した木の根を見上げ、思わず声を上げる。
「切ったのに、再生するんですか!? そんなの反則じゃないですか!」
元近衛兵は、表情一つ変えない。
「木は土へ根を張り、水を糧として育つ」
再び右手を動かすと、再生した根が大きく持ち上がった。
「俺の魔力が続く限り、何度でも蘇る」
「なるほど……」
蕾は迫る木の根をかわしながら、小さく頷いた。
切断されても、水と土から再び育つ。
だからこそ、木の姿をしているのだ。
「でも!」
蕾は着地と同時に床を蹴った。
木の根の間を駆け抜け、近衛兵との距離を一気に詰める。
「弱点がない魔法なんて、ありません!」
右手を突き出す。
「火玉!」
放たれた火球が木の根へ直撃した。
爆ぜた炎が表面を包み込み、瞬く間に燃え広がっていく。
さらに、別方向から二本の根が迫る。
蕾は走る勢いを緩めることなく、右足で強く床を踏み込んだ。
「土槍!」
床から鋭い土の槍が突き上がり、一本の根を床へ縫い留める。
しかし、残る一本が炎を回り込むように伸び、蕾の横腹へ迫っていた。
「わっ!」
蕾は咄嗟に両腕を交差させる。
直後、木の根がその身体を横薙ぎに打ち付けた。
「くっ……!」
小さな身体が数メートル先まで吹き飛ばされる。
蕾は床を滑りながら受け身を取り、すぐに立ち上がった。
「いたた……」
打ち付けられた腕をさする。
それでも、その表情に怯えはない。
むしろ桜色の瞳は、先ほどよりも楽しそうに輝いていた。
「面白い魔法ですね」
近衛兵が鼻を鳴らす。
「怖気づいたか?」
「まさか!」
蕾は即座に言い返した。
その声にも、真っ直ぐな瞳にも、迷いはない。
「難しい相手の方が燃えます!」
力強く答えたあと、蕾は一瞬だけ背後へ視線を向ける。
そこには、両手を縛られたまま戦いを見守るアイリスの姿があった。
「それに――」
蕾は再び元近衛兵へ向き直る。
「私は、アイリス様を守るって約束しました」
その真っ直ぐな言葉が、静まり返った時計塔へ響く。
「だから、ここで負けるわけにはいきません!」
近衛兵は、静かに目を細めた。
「……甘い娘だ」
先ほどまでよりも低い声だった。
「その甘さが、お前の命取りになる」
男が右手を持ち上げる。
蕾の左右から、二本の木の根が同時に襲い掛かった。
そして――。
その陰に隠れるように、一本の細い根が床の亀裂へ潜り込む。
蕾に気付かれないよう床下を這い、拘束されたアイリスのもとへ伸びていった。
「まだです!」
蕾は風刃を放ち、左右から迫る木の根を次々と切り払う。
「私は、絶対に諦めません!」
その瞬間だった。
アイリスの足元で、床が大きく盛り上がる。
「っ!」
蕾の瞳が見開かれた。
細い木の根が床を突き破り、アイリスへ襲い掛かる。
狙いは、自分ではない。
近衛兵は最初から、蕾の注意を引き付けている隙にアイリスを狙っていたのだ。
「アイリス様!」
蕾は迷うことなく床を蹴った。
だが、行く手を阻むように、何本もの木の根が立ち塞がる。
「邪魔です!」
右手を突き出す。
「火玉」
燃え盛る炎が木の根を飲み込み、一気に焼き払った。
しかし、焼け落ちた根の隙間から、新たな根が次々と床を突き破る。
「そんな……!」
再生しているのではない。
燃やされた根を囮にして、別の根を生み出している。
近衛兵は、焦る蕾を冷静に見据えていた。
「お前の意識は、常に俺へ向いていた」
蕾とアイリスの間を遮るように、木の根が壁を作り上げていく。
「守ると口にしながら、守るべき相手から目を離した」
細い木の根は、すでにアイリスの目前まで迫っていた。
「アイリス様!」
蕾はさらに速度を上げる。
あと少し。
手を伸ばせば届く。
だが、間に合わない。
アイリスが恐怖に目を閉じた、その瞬間――。
「銀河星――バージョン隕石」
静かな声が、時計塔に響いた。
その場にいた全員が、反射的に入口へ視線を向ける。
暗闇の中に、漆黒の球体が三つ浮かんでいた。
夜空を閉じ込めたような黒い魔力をまとい、紫銀の粒子を星屑のように散らしている。
漆黒の球体が、わずかに震えた。
「連射」
次の瞬間。
三つの黒い流星が、時計塔の内部を一直線に駆け抜けた。
激しい衝撃音が立て続けに響く。
アイリスへ迫っていた根。
蕾の行く手を塞いでいた根。
さらに、床下から伸びようとしていた根。
三本すべてが寸分違わず撃ち抜かれ、粉々に砕け散った。
木片が宙を舞う。
直前までの轟音が嘘のような静寂に変わった。
蕾は大きく目を見開き、入口を振り返る。
「……零!」
時計塔の入口から、一人の少年が歩いてくる。
片手をポケットへ入れたまま、いつもと変わらない気怠そうな足取りで。
黄金色の瞳が、真っ直ぐ蕾を捉えていた。
零は呆れたように息を吐く。
「まったく」
散らばった木片を一瞥し、蕾へ視線を戻した。
「守るって言うなら、ちゃんと後ろも見てろよな」
「零くん……!」
アイリスの安堵した声が響く。
蕾も驚きを隠せないまま、零を見つめていた。
「どうしてここに……?」
零は歩みを止めることなく、片手で頭を掻く。
「お前と何年一緒にいると思ってんだよ」
気怠そうな口調のまま、小さく鼻を鳴らす。
「何か隠してる時のお前、昔から分かりやすいんだよ」
「えっ……」
蕾の口から、間の抜けた声が漏れる。
心配を掛けないよう、うまく笑ったつもりだった。
何でもないふりをして、家を出た。
それでも、幼い頃から一緒に過ごしてきた零だけは誤魔化せなかった。
「隠したつもりだったんだろうけどな」
零の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「俺が気付かないとでも思ったか?」
呆れたような口調。
けれど、その黄金色の瞳に責める色はなかった。
蕾はその視線を受け、気まずそうに頬をかく。
「うぅ…… やっぱり、零には隠し事できないね」
誤魔化すように、小さく笑った。
それから、申し訳なさそうに頭を下げる。
「……ごめんなさい」
零は短く息を吐いた。
「まあ、和菓子と緑茶のセットで手を打ってやるよ」
「それでいいの?」
「高いやつな」
冗談めかして告げると、零は近衛兵へ視線を向けた。
一瞬で、時計塔の空気が変わった。
先ほどまで浮かんでいた気怠さが消える。
鋭く細められた黄金色の瞳が、元近衛兵を静かに射抜いていた。
蕾はそんな零の横顔を見つめ、安心したように笑う。
「……うん!」
先ほどまで胸を占めていた焦りは、もうない。
零が来てくれた。
それだけで、不思議と負ける気がしなかった。




