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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第1.5章:神桜の魔法使い

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7話:誘拐④〜友達として〜

ホテルを出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。


昼間の賑わいはすでになく、ロンドンの街は静かな闇に包まれている。

蕾は正面玄関から少し離れたところで足を止めると、バッグから一枚の写真を取り出した。


時計台で撮った、三人の記念写真。

そこには、昨日と変わらない笑顔を浮かべるアイリスの姿が映っていた。


「アイリス様……」


桜色の瞳が、静かに揺れる。


『また、お会いできますよね?』


別れ際に交わした言葉が、胸の奥でよみがえった。

蕾は唇を強く結ぶ。

写真を持つ手に、少しずつ力が入っていく。


(受け渡しは、明日の夜……)


先ほど聞いた犯人の要求を、頭の中で思い返す。

指定された場所は、旧時計塔跡。

期限は明日の夜。

まだ時間は残されている。

しかし、それはアイリスが明日まで無事でいられるという保証ではない。


(まだ……間に合う)


その瞬間、桜色の瞳から迷いが消えた。


(助けに行かなきゃ)


護衛任務は、もう終わっている。

自分はまだ訓練生で、勝手な行動を許される立場でもない。

それでも、このまま何もせずに待っていることなどできなかった。

アイリスを助けたいのは、護衛対象だからではない。


一緒に笑い合った、大切な友達だから。

理由なんて、それだけで十分だった。

犯人が指定した受け渡し場所――旧時計塔跡。

アイリスがそこに捕らわれている保証はない。


それでも、犯人へつながる手掛かりがあるとすれば、今はあの場所しかなかった。

大勢で動けば、相手に気付かれるかもしれない。

けれど、自分一人なら、誰にも見つからず様子を探れる可能性がある。

蕾は写真を大切にバッグへしまうと、夜の街を駆け出した。

しかし、その足は旧時計塔跡とは別の方角へ向かっていた。


このままの格好で向かうわけにはいかない。

まずは一度、自宅へ戻る必要があった。



-----



ロンドン郊外。

黒神家。

玄関の扉が静かに開いた。


「ただいま」


蕾は小さな声で告げたが、返事はなかった。

家の中は薄暗く、物音一つ聞こえない。

零はもう眠っているのかもしれない。

蕾は足音を忍ばせながら、自分の部屋へ向かった。


クローゼットを開き、私服からアストラル・オーダーのへ着替える。

最後に黒いコートへ腕を通し、必要なものをバッグへ詰めていく。

準備を終えた蕾は、胸元へ手を伸ばした。


内ポケットから取り出したのは、アストラル・オーダーから支給された一冊の手帳。

表紙には、組織を象徴する星の紋章が刻まれている。

ただし、それは正式な執行官へ与えられるものではない。

所属と身分を証明するために支給された、訓練生用の手帳だった。


蕾はまだ正式な執行官ではない。

アストラル・オーダーへ配属されたばかりの、訓練生にすぎなかった。

本来なら、すぐにエレノアへ報告するべきなのだろう。


けれど、犯人はこちらの動きを詳しく把握している。

護衛が終わった直後を狙い、アイリスを連れ去った。

それほど正確に動けたということは、ホテルから誰が出たのか、どこへ連絡を取ったのかまで監視されている可能性がある。


あるいは、内部に犯人へ情報を流している者がいるのかもしれない。

不用意に応援を求めたことで、アイリスの命を奪われたら――。

そう考えると、今は誰かに連絡することさえ躊躇われた。


「それでも……」


蕾は訓練生用の手帳を胸元で強く握り締め、静かに顔を上げる。


「私は、見捨てたくない」


まだ正式な執行官ではなくても、この手帳を持つ者として、目の前で苦しんでいる人を見捨てることだけはしたくなかった。


その想いは、誰に止められても変わらない。

蕾は手帳を胸元へ戻すと、部屋を出た。

玄関へ向かう足取りに、もう迷いはなかった。

ドアノブへ手を掛けた、その時だった。


「蕾」


暗いリビングから、聞き慣れた声が届いた。

蕾の動きが止まる。

ゆっくりと振り返ると、ソファに座っていた零が立ち上がるところだった。

どうやら、眠らずに蕾の帰りを待っていたらしい。

黄金色の瞳が、アストラルのコートを着た蕾を真っ直ぐに見つめている。


「……どこ行くんだ?」


口調は普段と変わらない。

けれど、その目は明らかに何かを疑っていた。

写真を渡すだけだったはずの蕾が、夜遅くになって帰ってきた。

それなのに、今度はわざわざアストラルのコートへ着替え、再び出掛けようとしている。

何かがあったことは、見ればすぐに分かった。

蕾は零の視線から逃れるように、わずかに顔を伏せる。


「ちょっと、用事ができたの」


「こんな時間に?」


零が訝しげに問い返す。

その視線を受け、蕾の肩が小さく揺れた。


「……うん」


それ以上、詳しく話そうとはしない。

言えば、きっと止められる。

あるいは、零まで一緒に来ようとする。

これは、自分が勝手に決めたことだった。

零まで巻き込むわけにはいかない。

蕾は意を決して顔を上げると、心配させないように微笑んだ。


「ごめん、零。明日の朝には戻るから」


零は何も答えなかった。

ただ、何かを見定めるように蕾を見つめている。

その沈黙に耐え切れず、蕾は逃げるように玄関の扉を開いた。

冷たい夜風が、家の中へ吹き込む。


「それじゃあ、行ってきます」


明るく告げたつもりだった。

けれど、その声はわずかに震えていた。

蕾は返事を待たず、夜の街へ駆け出していく。

やがて玄関の扉が閉まり、家の中に再び静寂が戻った。

零は閉ざされた扉を見つめたまま、小さく息を吐く。


「明日の朝には戻る、か……」


いつもの蕾なら、どこへ行くのか聞かれる前に楽しそうに話し始める。

それを隠したということは、自分には言えない何かが起きたのだ。

しかも、わざわざアストラルのコートへ着替えていた。

黄金色の瞳が、静かに細められる。


「分かりやすすぎるんだよ」


零は呆れたように笑った。


「俺に隠し事なんて、100年早いっての」


テーブルの上へ視線を向ける。

そこには昼間、蕾から渡された三人の写真が置かれていた。

夕焼けに染まる時計台を背に、楽しそうに笑う蕾とアイリス。

そして、どこか面倒そうな顔をしながらも、二人と一緒に笑っている自分がいる。

零は写真を一度見つめると、自分のコートを手に取った。


「……ったく。しょうがねぇな」


その声音に、迷惑そうな響きはなかった。

零はコートへ腕を通すと、夜の街へ駆け出していった。

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