4話:魔法の指南③
零が庭園の端にある木陰まで歩いていくと、近くで様子を見守っていたレオンも静かに隣へ並んだ。
木の幹へ背を預け、零は庭園へ視線を向ける。
柔らかな風が芝生を揺らし、中央の噴水からは絶え間なく澄んだ水音が響いていた。
庭園の中央では、蕾が身振り手振りを交えながら説明を続けている。
その隣では、アイリスが目を閉じたまま両手を前へ差し出していた。
レオンはその様子を眺めながら、穏やかに目を細める。
「楽しそうですね」
零も二人へ視線を向けたまま、短く答えた。
「ああ」
その声は素っ気ない。
しかし、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
しばらくの間、二人は何も言わずに庭園を眺める。
アイリスの掌に淡い光が集まりかける。
けれど、球体を形作る前に光は霧のように散ってしまった。
「あっ……」
残念そうな声が零たちのいる木陰まで届く。
蕾はすぐにアイリスの顔を覗き込み、励ますように笑った。
「惜しい、惜しい! 今、ちゃんと魔力が集まってたよ!」
「本当ですか?」
「うん! 最初よりずっとよくなってる!」
蕾の明るい声につられるように、アイリスの表情にも再び笑顔が戻っていく。
「もう一度、お願いいたします!」
「もちろん!」
二人は再び練習を始めた。
その光景を見つめながら、レオンが静かに口を開く。
「アイリス様が、あのように同年代の方と過ごされるのは久しぶりです」
零は木の幹へ背を預けたまま、隣へ視線を向ける。
「同年代の友達はいないのか?」
「友人と呼べる方は、ほとんどおりません」
レオンの声には、わずかな寂しさが滲んでいた。
「王女という立場上、周囲にいるのは家臣や護衛、あるいは政治的な思惑を持って近づく者ばかりです」
再び庭園へ目を向ける。
蕾はアイリスの両手を包み込むように支えながら、魔力の流れを教えていた。
アイリスもその言葉へ懸命に耳を傾けている。
「立場を気にせず接してくださる方と出会う機会は、どうしても限られてしまいます」
零は少しだけ眉を寄せた。
「面倒な立場だな」
あまりにも遠慮のない言葉だった。
だが、レオンは気分を害することなく、小さく笑う。
「ええ。否定はできません」
その答えを聞き、零は視線を庭園へ戻した。
蕾が何かを言うと、アイリスが楽しそうに声を上げて笑う。
少なくとも今の彼女は、王女という立場を意識しているようには見えなかった。
「……いいのか?」
零が不意に尋ねた。
レオンは視線だけを隣へ向ける。
「何がでしょうか」
「姫様なんだろ」
零は顎で庭園にいるアイリスを示した。
「魔法なんて覚えさせて、危なくないのか?」
その問いに、レオンは驚いた様子を見せなかった。
初めから聞かれることを予想していたように、静かに微笑む。
「構いません」
迷いのない返事だった。
「これは、アイリス様ご自身がお望みになったことです」
レオンは庭園へ視線を戻した。
風が吹き抜け、アイリスの金色の髪を柔らかく揺らしていく。
「王女という立場は、多くのものを与えてくれます」
穏やかな声が、噴水の水音に重なる。
「ですが同時に、多くの自由も奪ってしまいます」
零は何も言わない。
ただ、その言葉の続きを待っていた。
「街を自由に歩くことも、同年代の友人と遊ぶことも、何か新しいことへ挑戦することも」
レオンの眼差しが、ほんの少しだけ寂しげに揺れる。
「他の者には当たり前のことであっても、あの方には決して当たり前ではありません」
庭園では、アイリスの掌へ再び淡い光が集まり始めていた。
先ほどよりも強く、はっきりとした光だった。
蕾は声を出さず、期待に満ちた眼差しでその光を見守っている。
やがて光は不安定に揺れながらも、小さな球体を形作った。
「できた……」
アイリスは自分の掌を見つめ、琥珀色の瞳を大きく見開く。
次の瞬間。
「できたー!」
まるで自分のことのように喜んだ蕾が、アイリスの両手を取った。
「すごいよ、アイリス様! ちゃんと魔力を集められた!」
「蕾さんのおかげです!」
二人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑い合う。
その無邪気な笑顔を見つめながら、レオンは穏やかに続けた。
「ですから、せめてこの一週間だけは」
わずかに目を細める。
「王女ではなく、一人の十五歳の少女として過ごしていただきたいのです」
その言葉に、零は小さく笑った。
「なるほどな」
短い一言だった。
けれど、その意味は十分にレオンへ伝わったらしい。
「黒神様と神桜様には、心より感謝しております」
「まだ何もしてない」
零は照れを隠すように、黄金色の瞳を庭園へ戻す。
「それでもです」
レオンは静かに首を横へ振った。
「あの方が心から笑ってくださる。それだけでも、私にとっては十分に意味があります」
零は返事をしなかった。
蕾と一緒になって喜ぶアイリスを、静かに見つめ続ける。
少し前まで緊張していたその表情には、もう王女としての堅苦しさは残っていない。
そこにいるのは、新しい魔法を初めて生み出したことを喜ぶ、一人の少女だった。
零はほんの少しだけ口元を緩める。
「……笑ってる方が、姫様らしいな」
レオンは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
やがて、その表情が穏やかな微笑みへ変わる。
「ありがとうございます」
零は居心地が悪そうに顔を背けた。
「だから、まだ何もしてないって」
「では、一週間後に改めてお礼を申し上げます」
「そういう意味じゃねぇよ」
困ったように零が頭を掻く。
その反応を見たレオンは、どこか楽しそうに笑っていた。
庭園には、蕾とアイリスの明るい声が響き続けている。
零は再び木の幹へ背を預けた。
この穏やかな時間が、少しでも長く続けばいい。
そんなことを、ほんの少しだけ思いながら。
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その頃――。
ホテル上階。
庭園を見下ろす長い回廊。
昼間だというのに、人影はほとんどない。
1人の男が窓際へ静かに歩み寄った。
王国護衛隊の制服。
その姿だけ見れば、誰も疑うことはない。
男は窓越しに庭園を見下ろす。
そこには楽しそうに笑い合うアイリスと蕾。
少し離れた木陰には、零とレオンの姿も見えた。
男は無表情のまま懐へ手を入れる。
取り出したのは、小型の通信機だった。
「俺だ。」
低く抑えた声だけが静かな廊下へ落ちる。
『状況は。』
男は視線を外さない。
「予定どおりだ。対象はホテル内。護衛はアストラル・オーダーの訓練生が二人。」
通信の向こうが少しだけ沈黙する。
『計画を前倒しにするか。』
男はわずかに口元を歪めた。
「必要ない。焦るな。」
庭園では蕾が何かに失敗し、大げさに笑っている。
アイリスも声を上げて笑っていた。
その穏やかな景色を眺めながら、男は冷たく言い放つ。
「予定どおり進める。」
『了解。』
通信が切れる。
男は通信機を懐へ戻した。
もう一度だけ庭園へ視線を落とす。
「せいぜい楽しんでいろ。」
感情のない声だった。
「その時間も、もう長くはない。」
踵を返し、静かに歩き出す。
磨き上げられた廊下へ足音だけが小さく響いた。
「天輝花は――必ず手に入れる。」
低く呟いた男の姿は、そのまま回廊の奥へ静かに消えていった。




