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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第1.5章:神桜の魔法使い

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2話:初任務①

翌朝――。

ロンドン郊外、アストラル・オーダー本部。


朝の柔らかな陽光が、長い廊下を静かに照らしていた。

窓の外では、各執行部の隊員たちが朝の訓練に励んでいる。

魔法がぶつかり合う乾いた音と威勢のいい掛け声が、澄み切った空気へ心地よく響いていた。


第1執行部『星刻』の作戦室へ続く廊下。

胸元に収めた訓練生手帳へそっと触れながら、蕾は小さく息を吐いた。

今日からは、任務に参加する訓練生だ。

昨日までとは、たったそれだけの違い。

それなのに胸の奥は落ち着かず、鼓動だけが少し速くなっていた。


「緊張するなぁ……」


思わず本音が漏れる。

隣を歩く零は窓の外へ視線を向けたまま、いつもと変わらない足取りで歩いている。


「そうか?」


あまりにも気楽な返事に、蕾は思わず眉を寄せた。


「そうか、じゃないよ」


零の顔を覗き込むように、僅かに身を寄せる。


「初任務なんだよ? 失敗したらどうしようって考えちゃうじゃん」


零はようやく蕾へ視線を向けた。

黄金色の瞳はどこまでも落ち着いていて、とても初任務を前にしているようには見えない。


「まだ始まってもないことで疲れるなよ」


そう告げると、再び窓の外へ目を向ける。


「始まったら、そのとき考えりゃいい」


肩の力が抜けた、いつもの口調だった。

蕾はきょとんと目を瞬かせる。

次の瞬間、堪えきれずに吹き出した。


「ふふっ」


張り詰めていたものが解けるように、肩から力が抜けていく。


「やっぱり零らしいね」


「そうか?」


不思議そうに首を傾げる零に、蕾はくすくすと笑う。

その飄々とした様子を見ていると、不思議と大丈夫だと思えた。


「うん!」


蕾は笑顔で大きく頷いた。


「そのくらい気楽な方がいいのかも!」


開かれた窓から、朝の風がゆっくりと吹き込む。

柔らかな風に長い黒髪を揺らしながら、蕾は大きく息を吸い込んだ。


「よし!」


両手で軽く頬を叩く。


「頑張るぞ!」


その姿を見た零は、僅かに口元を緩めた。


「それくらい元気なら十分だ」


短い言葉。

けれど、それだけで背中を押されたような気がした。

二人は並んで作戦室の前へ立つ。

蕾は制服の襟元を整え、一度だけ深呼吸をすると、扉を三度ノックした。


「失礼します!」


扉を開けると、室内ではエレノアがすでに資料を机へ並べ終えていた。


二人に気付くと、穏やかな笑みを向ける。


「おはようございます」


「おはようございます!」


蕾は元気よく頭を下げた。

その隣で、零も軽く会釈する。


「おはようございます」


「どうぞ、お掛けください」


促されるまま、二人は並んで席へ腰を下ろした。

机の上には数冊の資料。

その隣には、見慣れない紋章が刻まれた一通の封筒が置かれている。


王冠と花を組み合わせた、格式を感じさせる紋章。

蕾が興味深そうに見つめていると、エレノアが二人を見渡して小さく頷いた。


「それでは、お二人の初任務について説明します」


穏やかな声が、静かな作戦室に響く。

エレノアは封筒から、一枚の依頼書を取り出した。


「今回の依頼は、アルディア王国の伯爵より正式に要請された護衛任務です」


依頼書には、先ほどの封筒と同じ王国の紋章と、流れるような筆跡の署名が記されていた。

正式な依頼書を目にし、蕾の表情が自然と引き締まる。

続いて、エレノアは一枚の写真を二人の前へ滑らせた。


「今回の護衛対象はこちらの方です」


写真には、一人の少女が写っていた。

陽の光を受けて輝く、長い金色の髪。

透き通るような琥珀色の瞳。

上品なドレスを身にまとっているものの、その笑顔には年相応のあどけなさが残っていた。


「アルディア王国第一王女――アイリス・アルディア様です」


「わぁっ!」


蕾は思わず机へ身を乗り出した。

桜色の瞳が、ぱっと輝く。


「すっごく可愛い! 本当にお人形さんみたい!」


あまりにも素直な反応に、エレノアも思わず目元を緩めた。

一方の零は写真を手に取り、少女の姿を静かに眺める。

僅かに目を細め、ぽつりと呟いた。


「思ったより、俺たちと歳が近そうだな」


「アイリス様は15歳です」


エレノアの答えに、蕾は驚いたように目を丸くした。


「えっ、15歳なんだ!」


改めて写真へ視線を落とす。


「じゃあ、私たちとそんなに変わらないんだね」


「ええ」


エレノアは頷くと、次の資料を手に取った。


「アイリス様は、本日から一週間にわたってロンドンへ滞在されます」


二人の前へ、滞在中の行動予定を記した資料を置く。


「その間、お二人にはアイリス様の護衛任務へ参加していただきます」


王女の護衛。

その言葉に、蕾の胸が高鳴る。

憧れにも似た気持ちと同時に、初任務で背負う責任の重さが、少しずつ現実味を帯びていった。


「王女様の護衛かぁ……」


小さく呟き、写真の中で微笑むアイリスを見つめる。

やがて、その桜色の瞳には真っ直ぐな決意が宿った。


「しっかり守らないと」


隣では、零が写真を机へ戻し、その端を指先で揃えていた。


「相手が誰でも、やることは同じだ」


気負った様子はない。

守るべき相手を守る。

それが零にとって、ごく当たり前の答えなのだ。

蕾は自然と笑みを浮かべた。


「うん!」


力強く頷く。


「私たちらしく頑張ろう」


零も僅かに口元を緩め、軽く片手を上げた。


「おう」


二人のやり取りを見守りながら、エレノアは優しく微笑んだ。

緊張しながらも、真っ直ぐ前を向く蕾。

どのような状況でも自然体を崩さない零。

対照的な二人だったが、その歩幅は不思議なほどよく合っていた。


エレノアは次の資料へ手を伸ばす。

紙の擦れる音が、静かな作戦室に小さく響いた。

そこには、今回の護衛体制をまとめた一覧表が記されている。

担当者の配置や行動予定が、時間ごとに細かく書き込まれていた。

蕾は真剣な表情で資料へ目を通していたが、不意に小さく首を傾げた。


「あの……」


桜色の瞳が、エレノアへ向けられる。


「一つ、質問してもいいですか?」


「もちろんです」


エレノアは穏やかに微笑み、続きを促した。

その優しい笑みに安心したのか、蕾は小さく頷いて口を開く。


「護衛任務なら、第3執行部『守護』の担当じゃないんですか?」


配属初日に教わった各部隊の役割を思い返す。

零と蕾が所属する第1執行部『星刻』は、危険度の高い魔法犯罪やテロ組織への対処を主任務とする実働部隊。

一方、第3執行部『守護』は、要人警護や重要施設の防衛を専門とする護衛部隊だ。


だからこそ、今回の任務に自分たちが選ばれた理由が、蕾には少し不思議だった。

エレノアも、その疑問を予想していたのだろう。

納得したように頷くと、一枚の資料を二人の前へ差し出した。


「ええ。本来であれば、そのとおりです」


資料には、アイリスだけでなく、アルディア王国から訪れる一行の名前が並んでいた。


「今回、ロンドンを訪問されるのは、アイリス様だけではありません」


蕾は身を乗り出すようにして、資料を覗き込んだ。

そこに並んだ名前を見つけ、思わず小さく読み上げる。


「女王陛下と……王太子殿下?」


「はい」


エレノアは資料へ視線を落としたまま、説明を続ける。


「女王陛下は、イギリス政府との首脳会談に出席されます」


予定表の一か所を指先で示す。


「王太子殿下は、国営魔法研究施設や軍事施設を視察される予定です」


蕾は一覧表へ目を走らせた。

首脳会談。

施設の視察。

歓迎式典。

三人の予定は、見事なまでに分かれている。


「本当だ……。ほとんど別行動なんですね」


その横から、零も資料を手に取った。

予定表をざっと眺め、すぐに全体の状況を理解する。


「なるほど」


資料を机へ戻しながら、エレノアへ視線を向けた。


「護衛部隊を、一か所に固められないってわけか」


「ええ」


エレノアは静かに頷いた。


「第3執行部『守護』の主力部隊は、女王陛下と王太子殿下の護衛を中心に、複数の班へ分かれて行動します」


窓の外から、魔法が炸裂する鈍い音が響く。

その音が静まるのを待ってから、エレノアは言葉を続けた。


「もちろん、アイリス様にも第3執行部とアルディア王国の護衛隊が同行します。必要な警備体制は、すでに整えられています」


その説明を聞き、蕾は僅かに表情を和らげた。


「では、私たちは……」


「護衛班の補佐です」


エレノアは零と蕾を順番に見つめる。


「お二人には、周囲の警戒やアイリス様への付き添いを担当していただきます。現場では、第3執行部の護衛責任者とアルディア王国の護衛隊の指示に従ってください」


ようやく、蕾の表情から疑問が消えた。

自分たちだけで王女を守るわけではない。

経験豊富な護衛部隊に同行し、その仕事を間近で学ぶための初任務なのだ。


「だから、現場研修も兼ねて私たちが選ばれたんですね」


「はい」


エレノアは柔らかな笑みを浮かべた。


「実際の任務を通して、護衛の基本と他部隊との連携を学んできてください」


零は資料を閉じ、端を揃えて机へ置いた。


「つまり、現場で見て覚えろってことか」


エレノアは、その言い方に僅かに目元を緩めた。


「簡単に言えば、そういうことです」


そこで、エレノアは僅かに表情を引き締めた。


「ただし、私は別の任務があるため、今回は護衛に同行できません」


「えっ?」


思わぬ言葉に、蕾が目を丸くする。


「エレノアさん、一緒じゃないんですか?」


初任務なのだから、指導役であるエレノアも傍にいるものだと思っていたのだろう。

エレノアは安心させるように、穏やかな笑みを浮かべた。


「心配しなくても、お二人だけに護衛を任せるわけではありません。先ほど説明したとおり、現地には第3執行部とアルディア王国の護衛隊がいます」


それでも、蕾の表情には僅かな不安が残っていた。

エレノアはその変化に気付くと、二人の前に置かれた資料へ視線を落とす。


「今回は、正式に任務へ参加する訓練生として扱われます。分からないことがあれば、現地の護衛責任者へ必ず確認してください」


「はい……」


蕾は資料へ視線を落とした。

初任務だけでも緊張していたところへ、エレノアも同行しない。

先ほどまでよりも、任務という言葉がずっと重く感じられた。

そんな蕾の隣で、零は特に動じた様子もなく椅子の背へ身体を預けていた。


「別に大丈夫だろ」


「零?」


蕾が隣へ顔を向ける。

零は机の上に置かれた写真を一瞥した。


「困ったら、そのとき考えりゃいい」


廊下で聞いたものと、ほとんど変わらない言葉だった。

けれど今度は、先ほどとは少しだけ意味が違って聞こえた。

一人ではない。

零も一緒にいる。

そのことを改めて思い出し、蕾の表情から少しずつ不安が消えていく。


「……うん!」


いつもの明るい笑顔を取り戻し、力強く頷いた。


「二人で頑張ろうね、零!」


「ああ」


零は僅かに口元を緩める。


「任せろ」


二人の様子を見つめていたエレノアも、安心したように表情を和らげた。


「それでは次に、現地での行動予定と注意事項を説明します」


新たな資料が、二人の前へ置かれる。

初めての任務。

その始まりが、少しずつ現実のものになろうとしていた。

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