1話:神桜蕾④
「それでは、今日はこれで解散です」
エレノアは、訓練生手帳を大切そうに持つ二人へ視線を向けた。
「また明日の朝、本部のロビーでお会いしましょう」
「はい!」
蕾は真っ直ぐに返事をした。
初任務を前にした期待が、弾けるような笑顔から溢れている。
零も隣で軽く頷いた。
「了解しました」
エレノアは小さく会釈すると、訓練場をあとにする。
春風に銀色の髪を揺らしながら歩いていくその姿は、やがて本部の建物へ消えていった。
二人はしばらく、その背中を見送る。
やがて、零が小さく息を吐いた。
「……思ったより優しそうな人だったな」
黄金色の瞳には、どこか安心したような色が浮かんでいる。
蕾はくすりと笑った。
「うん。でも……」
エレノアが消えていった建物へ、もう一度目を向ける。
「すっごく強そうだった」
「それは同感」
零は僅かに苦笑した。
「あんなに隙がない人、初めて見た」
「笑ってるのに、全然勝てる気がしなかったもんね」
蕾の視線が、胸元に抱いた訓練生手帳へ落ちる。
黒い革張りの表紙。
銀色に刻まれた、アストラル・オーダーの紋章。
その下に記された――『訓練生』の四文字。
それが、今の二人が立っている場所だった。
「半年後には、あの人みたいになれるかな」
零も、自分の手にある手帳を見下ろす。
すぐに答えることはせず、表紙に刻まれた紋章をしばらく見つめていた。
「まずは、その半年を乗り越えないとな」
やがて顔を上げ、僅かに口元を緩める。
「長いようで、案外あっという間だろ」
「うん!」
蕾は力強く頷いた。
「一緒に頑張ろうね、零」
「ああ」
交わしたのは、それだけだった。
けれど、幼い頃から同じ道を歩んできた二人には、それだけで十分だった。
そんな他愛もない話をしながら、二人は訓練場をあとにする。
本部へ続く廊下を歩き始めた、その直後だった。
ぐぅ……。
静かな廊下に、小さな音が響いた。
蕾の足が、ぴたりと止まる。
「…………」
数秒の沈黙。
その頬が、みるみる赤く染まっていく。
零は何も言わなかった。
ただ、気まずそうに立ち尽くす蕾を見て、その口元が僅かに緩む。
「……笑った?」
蕾が、じとっとした目で零を見上げた。
桜色の瞳が、不満そうに細められている。
零は咄嗟に表情を戻すと、何事もなかったかのように前を向いた。
「いや」
短く否定してから、廊下の先へ歩き出す。
「何か食べて帰るか」
その一言で、蕾の表情がぱっと明るくなった。
「いいね!」
先ほどまでの恥ずかしさはどこへやら。
蕾は弾むような足取りで零の隣へ並んだ。
「初任務の前祝いもしなきゃ!」
「前祝いって……まだ何もしてないだろ」
呆れたように言いながらも、零は店を考える。
ふと頭に浮かんだのは、昔から変わらない蕾の好物だった。
「……和菓子屋でいいか?」
蕾は待っていましたと言わんばかりに笑う。
「わかってるじゃん」
どこか得意げに胸を張った。
「じゃあ、私はお団子にしようかな」
「やっぱり団子か」
「好きなんだから仕方ないでしょ」
少し照れくさそうに笑う蕾へ、零も苦笑を返す。
「俺は大福にする」
「ふふっ、決まり!」
蕾は零の袖を軽くつまんだ。
「行こ、零!」
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二人は肩を並べ、ロンドンの街をゆっくりと歩いていく。
傾き始めた春の日差しが、歴史ある石造りの建物と石畳を柔らかく照らしていた。
通りを走る赤い二階建てバス。
道沿いに立ち並ぶ街灯。
行き交う人々の楽しそうな話し声。
初任務を翌日に控えているとは思えないほど、街には穏やかな時間が流れていた。
やがて、通りの一角に小さな和菓子屋が見えてくる。
海外では珍しい暖簾を見つけた途端、蕾の顔がぱっと明るくなった。
「やっぱりここだよね!」
嬉しそうに店を指差す。
零も、懐かしむように僅かに目を細めた。
「ああ。前と変わってないな」
二人が暖簾をくぐると、甘い餡の香りが優しく鼻をくすぐった。
木の温もりに包まれた店内。
障子越しに差し込む柔らかな光の下で、提灯が静かに揺れている。
窓の向こうにはロンドンの石造りの街並みが広がり、赤い二階建てバスがゆっくりと通り過ぎていった。
日本とロンドンが溶け合うような、不思議で心地よい空間だった。
二人がテーブル席へ着くと、ほどなくして三色団子と苺大福、温かな緑茶が運ばれてくる。
蕾は待ち切れない様子で手を合わせた。
「いただきます!」
「いただきます」
零も隣で軽く手を合わせる。
蕾は早速、三色団子を一口頬張った。
もちもちとした食感と優しい甘さが口いっぱいに広がり、その表情がたちまち明るくなる。
「ん~! やっぱり美味しい!」
幸せそうに頬を緩める蕾を見て、零も自然と口元を緩めた。
「そりゃよかったな」
そう返しながら、苺大福を一口かじる。
その瞬間だった。
蕾の視線が、吸い寄せられるように零の手元へ向けられる。
「ねぇ、零」
「やらねぇぞ」
間髪を入れずに返ってきた言葉に、蕾は不満そうに頬を膨らませた。
「まだ何も言ってないじゃん」
「顔に書いてある」
零は残った苺大福を、蕾から遠ざけるように自分の方へ引き寄せる。
しかし、そんな抵抗など最初から想定していたのだろう。
蕾はにこりと笑った。
「一口ちょうだい」
「自分で頼めよ」
「えー……」
わざとらしく肩を落とす。
だが、その桜色の瞳に諦める気配はまったくない。
そして案の定、蕾は零の方へ身を乗り出すと、当然のように口を開けた。
「あーん」
「……お前な」
零は半眼で蕾を見る。
ここで断ったところで、素直に引き下がるはずがない。
昔から変わらないその性格は、誰よりも零が知っていた。
「……しょうがねぇな」
諦めたように呟くと、フォークで苺大福を一口大に切り分ける。
そのまま、待ち構えている蕾の口元へ差し出した。
蕾は嬉しそうに大福を頬張る。
「あ〜ん~!」
苺の甘酸っぱさと餡の甘さが広がった瞬間、満面の笑みを浮かべた。
まるで太陽のようなその笑顔に、店内の温かな空気まで明るくなったように思える。
零はそんな様子を横目で見ながら、小さく笑った。
「美味いか?」
「うん!」
蕾は何度も頷く。
「やっぱり、人の大福は美味しいね!」
「意味わかんねぇ」
呆れながらも、零の顔には笑みが浮かんでいる。
二人の楽しそうな声に、店主も思わず頬を緩めた。
木の香りと甘い餡の香りに包まれた店内には、ゆったりとした時間が流れていた。
――楽しい。
ただそれだけで、胸がいっぱいになる。
大好きな零と一緒に笑って。
他愛もない話をして。
同じ甘いものを分け合って。
私は、そんな何気ない時間が大好きだった。
明日から始まる初任務も。
その先に待っている、訓練生としての毎日も。
零と一緒なら、きっと大丈夫。
あの頃の私は、何の迷いもなくそう信じていた。
そして――翌朝。
黒神零と神桜蕾。
二人にとって初めての任務が、静かに幕を開ける。
1.5章から2000文字〜4000文字くらいで
エピソードを区切るようにしました。
エピソードが長くなりますが宜しくお願いします。




