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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第1.5章:神桜の魔法使い

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1話:神桜蕾②

先に仕掛けたのは零だった。

低く腰を落としたまま石畳を蹴り、一直線に蕾の懐へ飛び込む。

迷いなく突き出された左拳が、蕾の顔へ迫った。

だが、蕾は半歩だけ身体を開く。

拳は頬を掠めるように空を切り、その風圧に黒髪がふわりと揺れた。


「おっ」


思わず蕾の口から声が漏れる。

予想していたよりも鋭い一撃だったのだろう。

桜色の瞳が、わずかに見開かれた。

零はその反応を見逃さない。

今の一撃は、確かに届きかけていた。

黄金色の瞳を細め、口元へわずかな笑みを浮かべる。


「これならどうだ?」


拳を引くと同時に腰を捻る。

その勢いを乗せた裏拳が、間髪入れず蕾へ襲い掛かった。

蕾は上体を反らし、紙一重でかわす。

鼻先を鋭い風が通り過ぎ、長い黒髪がさらりと宙へ流れた。


「残念!」


楽しそうに笑いながら、人差し指を一本立てる。

その桜色の瞳には、悪戯っぽい光が宿っていた。


「まだまだ!」


挑発するような笑顔につられ、零の口元にも自然と笑みが浮かぶ。

勝負の最中だというのに、このやり取りだけは昔と何も変わらない。


「言うじゃん」


互いに一歩だけ距離を取る。

春風が二人の間を吹き抜け、揺れた黒髪が一瞬だけ互いの視界を遮った。

呼吸を整える時間は、ほんのわずか。

次の瞬間、二人は再び石畳を蹴っていた。


今度は蕾が先に出る。

小柄な身体が地面を滑るように駆け、零の右側へ回り込んだ。

放たれたのは、鋭い掌底。

零は咄嗟に腕を差し入れ、その軌道を外側へ逸らす。

同時に身体を沈め、蕾の軸足を狙って低い足払いを放った。


「――っ!」


体勢を崩された蕾の身体が、わずかに浮く。


「もらった!」


零はすぐさま踏み込み、右拳を突き出した。

黄金色の瞳が、体勢を崩した蕾を真っ直ぐに捉えている。

今度こそ届く。

そう確信した一撃だった。


しかし――。

蕾は倒れ込む勢いに逆らわず、その場で身体をくるりと回転させた。

零の拳が、あと数センチのところで空を切る。

蕾は片手を石畳へつき、しなやかに身体を翻すと、軽やかに着地した。


「惜しい!」


振り返った蕾が、楽しそうに笑う。


「あとちょっとだったね!」


零は悔しそうに舌を鳴らした。

今の読みは悪くなかった。

狙いどおりに体勢を崩し、確実に追撃へ繋げたはずだった。

だからこそ、あと一歩届かなかったことが悔しい。


「今のは入ったと思ったんだけどな」


「甘い甘い!」


蕾は人差し指を左右へ振り、悪戯っぽく目を細める。

余裕のある振る舞い。

だが、決して油断しているわけではない。

桜色の瞳は、零の僅かな動きさえ見逃すまいと真っ直ぐに向けられていた。


「もっと考えて!」


その言葉に、周囲で見守っていた新人たちから笑い声が上がる。


「息ぴったりだな」


「本当に新人か?」


感心したような声が、観覧席のあちこちから聞こえてきた。

目の前で繰り広げられているのは、とても新人同士とは思えない攻防だった。

零と蕾は、日本にいた頃から何度も模擬戦を繰り返してきた。

季節が巡り、場所が変わっても、それだけは変わらなかった。

勝敗は、いつも蕾の勝ち。

零は、まだ一度も勝てていない。

それでも諦めることなく挑み続ける零と、その成長を誰より近くで見守ってきた蕾。

長い年月を共に過ごしてきたからこそ、二人は互いの癖も、呼吸も、視線の動きさえ知り尽くしていた。



-----



観覧席では、エレノアが二人の足運びを静かに目で追っていた。


「本当に、息がぴったりですね」


感心したように呟く。

隣に立つ玄一は腕を組み、どこか誇らしげに笑った。


「あいつらは、昔からああなんだ」


その視線の先では、零が次の機会を窺いながら、じりじりと間合いを詰めている。


「競い合って、笑って、また競い合う」


玄一は懐かしそうに目を細めた。


「そうやって強くなってきた」


エレノアは小さく頷く。

資料を読んだだけでは分からなかった、二人を繋ぐ信頼。

それが、交わされる拳の一つひとつから伝わってきた。



-----



訓練場では、再び激しい攻防が始まっていた。

零が一気に間合いを詰める。

拳から肘へ。

さらに身体を捻り、蹴りへ繋ぐ。

一切の間を与えない、流れるような連撃。

踏み込むたびに乾いた音が石畳へ響き、次々と攻撃が繰り出される。


蕾も一歩も引かない。

受け流し、かわし、ときには真正面から拳を打ち合わせる。

互いの攻撃が交差するたびに風が巻き起こり、黒髪と訓練着の裾を激しく揺らした。

乾いた衝撃音が連続して響く。

周囲で見守る隊員たちは息を呑み、誰一人として二人から目を離そうとしなかった。


そして――。

零が右拳を振り抜いた、その瞬間。

蕾は身体を僅かに沈め、零の右腕を外側へ払った。

勢いを逸らされ、零の体勢が前へ流れる。

生まれたのは、ほんの一瞬の隙。

蕾の桜色の瞳が鋭く細められた。

迷いなく零の懐へ潜り込み、その腕を取る。


「――っ!」


次の瞬間、零の身体がふわりと宙へ浮いた。

一瞬だけ重力が消えたような感覚。

視界が大きく反転する。

一本背負い。


「しまっ――!」


零は咄嗟に顎を引き、身体を丸めた。

肩から石畳へ落ちながら受け身を取り、その勢いを利用して横へ転がる。

訓練着に砂埃が付くことも気にせず、すぐさま石畳を蹴った。

大きく後方へ跳び、蕾との間に距離を作る。


「あっぶねぇ……」


胸元へ手を当て、苦笑を浮かべた。

反応があと少し遅れていたら、そのまま一本を取られていただろう。


それでも、黄金色の瞳から闘志は消えていない。


「危うく終わるところだった」


負けかけたというのに、その口元には楽しそうな笑みさえ浮かんでいた。


「でも――まだだ」


零が体勢を整え、再び踏み込もうとした、そのときだった。


「遅いよ」


柔らかな声が、すぐ近くから届く。

零の瞳が大きく揺れた。

目の前には、すでに蕾がいる。

受け身を取ったあと、零が後ろへ跳ぶことまで読んでいたかのように、迷いなく間合いを詰めていた。


零が拳を握るよりも早く――。

蕾の右拳が、胸元でぴたりと止まる。

触れる寸前。

だが、この距離から放たれていれば、避けることはできなかった。

訓練場に静寂が訪れる。

先ほどまで響いていた拳の音が嘘のように消え、春風だけが二人の間を通り抜けた。

教官は二人の位置を確認すると、静かに頷く。

そして、右手を高く掲げた。


「――そこまで!」


張り詰めていた空気が、一気にほどける。

見守っていた隊員たちから、感嘆の声とともに拍手が湧き起こった。

蕾は胸元で止めていた拳を下ろすと、満面の笑みを浮かべる。


「私の勝ち!」


その笑顔を前に、零も自然と肩の力を抜いた。

自分の胸元へ視線を落とし、小さく息を吐く。

今日も、届かなかった。

あと一歩。

確実に近付いているはずなのに、その一歩がまだ遠い。

それでも、黄金色の瞳に宿る光は少しも曇っていなかった。

悔しさの奥では、次こそ勝つという意志が強く燃えている。

やがて零は苦笑を浮かべ、降参を示すように両手を上げた。


「参った」


照れ隠しのように頭を掻く。


「今日も勝てなかったな」


蕾は嬉しそうに零のもとへ駆け寄ると、右手を差し出した。

その弾むような足取りからは、勝った喜び以上に、零と本気で戦えたことへの嬉しさが伝わってくる。


「でも、今日はすっごく危なかったよ!」


その声に、お世辞は一切なかった。

本気でそう感じたからこそ、蕾の笑顔にも嘘はない。

零は差し出された手を見つめる。

一瞬だけ照れくさそうに笑うと、その手をしっかりと握り返した。

蕾がぐっと腕を引き、零を立ち上がらせる。


「慰めになってねぇ」


零が苦笑交じりに返すと、蕾はぶんぶんと首を横に振った。

黒髪が、その動きに合わせて左右へ揺れる。


「慰めじゃないもん」


蕾は零の手を離すと、改めて正面から向き合った。

桜色の瞳には、一片の曇りもない。

そこに宿っているのは、幼い頃から少しも変わらない信頼だった。


「零、また強くなったね!」


零は気恥ずかしそうに視線を逸らす。

褒められることには、昔から慣れていない。


「……勝てなきゃ意味ないだろ」


「そんなことないよ」


蕾はすぐに否定すると、一歩だけ零へ近付いた。

桜色の瞳を柔らかく細め、真っ直ぐにその顔を見上げる。


「いつか、きっと勝てるから」


短く言い切った声には、不思議なほど迷いがなかった。

その言葉を聞いた零は、僅かに目を丸くする。

やがて呆れたように笑った。

けれど、その表情には少しだけ嬉しさも滲んでいる。


「……そのときは、ちゃんと勝たせてもらう」


「うん!」


蕾は太陽のような笑顔で、大きく頷いた。

春風が二人の間を吹き抜ける。

どこからか運ばれてきた桜の花びらが、寄り添うように二人の足元へ舞い落ちた。

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