1話:白河鈴華
春の柔らかな陽光が、星峰市の街並みを包み込んでいた。
満開の桜が風に揺れ、花びらが通学路を淡く彩る。
今日は星峰魔法高等学校の入学式。
白河鈴華は真新しい深紅のブレザーの襟元を整えると、静かに息を吐いた。
春風に、腰近くまで伸びた艶やかな黒髪がさらりと揺れる。
華奢な肩から描かれる柔らかなシルエットは自然と人目を引く。
それでいて嫌味はなく、凛とした立ち姿が彼女の落ち着いた雰囲気を際立たせていた。
澄んだ碧色の瞳には、新しい学校への期待と、ほんの少しの緊張が宿っている。
「今日からですね……。」
自然と口元がほころんだ。
新しい学校。
新しいクラス。
どんな一年になるのだろう。
胸を弾ませながら、鈴華はゆっくりと通学路を歩いていく。
その時だった。
「だからよぉ!少しくらい付き合えって言ってんだろ!」
路地裏から怒鳴り声が響いた。
鈴華は思わず足を止める。
視線を向けると、制服姿の少女2人が3人の男子生徒に囲まれ、逃げ道を塞がれていた。
怯えた表情が痛々しい。
鈴華の胸が締め付けられた。
(どうしよう……。)
相手は3人。
こちらは1人。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも――。
困っている人を、このまま見過ごすことなんてできなかった。
鈴華は制服の内ポケットへ手を伸ばす。
取り出したのは、1枚の腕章。
魔法学生風紀機構――通称『風紀部』の証。
左腕へ静かに巻き終えると、もう一度だけ深く息を吸った。
迷いは、もうない。
「やめてください!」
鈴華は路地裏へ駆け出した。
長い黒髪が春風を受けてふわりと舞う。
不良たちが一斉に振り返る。
「は?」
「なんだ、お前。」
鋭い視線に射抜かれ、肩がわずかに震える。
それでも足は止まらなかった。
鈴華は少女たちを庇うように前へ立ち、まっすぐ相手を見据える。
「嫌がっています。」
「放してください。」
不良の1人が舌打ちをした。
「風紀部か。」
「入学初日から面倒なのが来たな。」
男が一歩前へ踏み出す。
右手へ魔力が集まり始めた。
鈴華も無意識に拳を握る。
(間に合わない……!)
その瞬間だった。
ヒュッ。
風を裂く鋭い音が、鈴華の耳元を掠める。
「え……?」
反射的に振り返った。
路地裏の空間へ、無数の漆黒の星が静かに浮かび上がっていた。
夜空を切り取ったような深い黒。
その周囲では、紫銀色の粒子が星屑のように静かに舞っている。
禍々しさはなく、目を奪われるほど美しかった。
鈴華は思わず息を呑む。
「……綺麗。」
小さく漏れたその声は、誰にも届かない。
不良たちも異変に気付き、慌てて路地の入口へ目を向けた。
逆光の中、一人の男子生徒が立っている。
鈴華と同じ深紅のブレザー。
少し着崩した制服。
気怠そうに立つその姿は、どこか場違いなくらい力が抜けていた。
朝日に照らされ、表情までは見えない。
「……朝から面倒ごとか。」
男子生徒は頭を軽く掻き、小さくため息をつく。
その声にも焦りはない。
不良の1人が怒鳴った。
「なんだてめぇ!」
再び魔力を練り始める。
しかし、その魔法が形になることはなかった。
「銀河星――バージョン隕石。」
静かな声が路地裏へ響く。
男子生徒は右手を軽く持ち上げた。
「連射。」
次の瞬間。
無数の黒い星々が一斉に走る。
流星群のように複雑な軌道を描きながら、不良たちへ降り注いだ。
肩。腕。脚。急所だけを正確に外し、魔法を発動する隙すら与えない。
「ぐあっ!」
「なぁ!?」
「速っ――!」
最後の一発が炸裂する。
3人まとめて吹き飛ばされ、地面へ転がった。
鈴華が目を見開く。
(強い……!)
その直後だった。
深紅のブレザーが風を切る。
鈴華が瞬きをした、その一瞬で。
男子生徒はすでに少女たちの前へ立っていた。
移動した瞬間が見えなかった。
まるで、その時間だけ切り取られてしまったかのようだった。
男子生徒は倒れた不良たちを一瞥する。
確認はそれだけ。
少女たちへ軽く手を振った。
「さぁ、終わったぜ。」
まるで散歩でも終えたような口調だった。
「ほら、急げよ。」
「学校に遅れるぞ。」
少女たちは何度も頭を下げる。
「ありがとうございました!」
鈴華も我に返り、慌てて声を掛けた。
「あの!」
その時だった。
遠くから魔法警察のサイレンが聞こえてくる。
男子生徒は音のした方へ顔だけ向けた。
「げっ……。」
露骨に嫌そうな顔をする。
「面倒くせぇ。」
頭を掻きながら、小さく肩をすくめた。
「エレ姉からの小言が増えるな……。」
そう呟くと、そのまま駆け出す。
人混みへ溶け込むように、その背中はあっという間に見えなくなった。
鈴華はしばらく、その背中を見つめていた。
顔も知らない。
名前も知らない。
それでも、夜空のように美しく輝いた、あの漆黒の星だけは。
碧色の瞳へ、深く焼き付いて離れなかった。
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その後。
鈴華は駆け付けた魔法警察へ事情を説明し、怯えた少女たちの対応にも追われていた。
路地裏には規制線が張られ、通学途中の生徒たちや近隣の住民が足を止めている。
若い警察官がメモ帳を閉じ、鈴華へ軽く頭を下げる。
「風紀部の方ですね。」
「ご協力ありがとうございます。」
鈴華も丁寧に一礼した。
「いえ。当然のことですから。」
そう答えながらも、碧色の瞳は自然と路地の奥へ向く。
もう、あの男子生徒の姿はどこにもなかった。
警察官は少女たちへ視線を移す。
「助けてくださった方の特徴は覚えていますか?」
1人の少女がこくりと頷いた。
「星峰高校の制服でした。」
「髪はダークブラウンで、前髪が少し長かったと思います。」
もう1人の少女も続けた。
「目も……金色だった気がします。」
「あと、黒い星みたいな魔法でした。」
「流れ星みたいで、本当に綺麗だったんです。」
鈴華は小さく息を呑む。
脳裏へ浮かぶのは、あの漆黒の星々。
夜空のように静かで、目を奪われるほど美しかった。
(黒い星の魔法……。)
胸の奥へ残ったのは、恐怖ではない。
あの不思議な輝きだった。
事情聴取が終わると、鈴華は左腕の腕章を外し、制服の内ポケットへ丁寧にしまう。
もう一度だけ現場を振り返った。
人だかりの向こうに、もうあの背中はない。
「失礼します。」
一礼すると、鈴華は学校への道を歩き始めた。
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星峰魔法高等学校。
1年C組。
入学式を終えた教室には、まだ少し緊張した空気が漂っていた。
黒板の上には、星と峰をモチーフにした星峰の校章が静かに掲げられている。
この学校は約80年の歴史を持つ伝統ある名門校で、魔法だけでなく一般教科や運動・文化活動も重視する「バランス型のエリート校」として知られていた。
窓の外では桜の花びらが春風に舞い、柔らかな午後の陽光が机の間を優しく照らしている。
担任教師が出席簿を開いた。
「それじゃあ、一人ずつ自己紹介をしてもらう。」
名前を呼ばれた生徒たちは順番に立ち上がり、自分のことを話していく。
緊張しながら話す者もいれば、堂々と笑顔を見せる者もいた。
鈴華は静かに耳を傾けながら、1人1人の顔を覚えていく。
そして――
「黒神零。」
担任に名前を呼ばれ、窓際の席から一人の男子生徒がゆっくり立ち上がった。
少し乱れたダークブラウンの髪。
目元へかかる長めの前髪。
そして、どこか気怠げな雰囲気。
鈴華の胸が小さくざわつく。
(……似てる。)
今朝、路地裏で出会った男子生徒と。
逆光で顔はよく見えなかった。
それでも、立ち姿や雰囲気がどこか重なって見える。
零は教室を一度だけ見渡した。
「黒神零です。」
「よろしく。」
軽く一礼すると、そのまま席へ腰を下ろした。
それ以上は何も話さない。
鈴華は無意識のうちに零の横顔を見つめていた。
(もしかして……。)
胸の奥に浮かんだ考えを、すぐに打ち消す。
今朝は顔を見ていない。特徴が似ている。それだけだった。
自己紹介はそのまま続いていく。
「白河鈴華。」
名前を呼ばれ、鈴華は静かに立ち上がる。
教室を見渡し、一礼した。
「白河鈴華です。」
柔らかな笑みを浮かべる。
「風紀部にも所属しています。
これからよろしくお願いします。」
もう一度頭を下げると、鈴華は席へ戻った。
自己紹介が終わる頃には、教室の空気も少しだけ柔らかくなっていた。
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ホームルーム終了後。
担任が教室を出ると、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
あちこちで椅子を引く音が響き、生徒たちは近くの席同士で話し始める。
教室には少しずつ笑い声が増えていった。
鈴華は小さく息を吐く。
胸の奥には、まだ今朝の出来事が残っていた。
迷った。
けれど、このまま何も聞かずにいる方が気になってしまう。
意を決し、零の席へ歩み寄った。
「あの……黒神くんですよね?」
声を掛けられ、零はゆっくり振り向く。
黄金色の瞳と碧色の瞳が重なった。
「ん?そうだけど。」
気の抜けた返事だった。
鈴華は少しだけ緊張しながら口を開く。
指先をそっと握りしめる。
「今日の朝、学校へ来る途んで事件があったんです。」
「黒い星みたいな魔法で助けてくださった方がいて……。」
零は何も言わない。
ただ鈴華へ視線を向けたまま、続きを待っていた。
「その方が、黒神くんに少し似ていたので……。」
「もしかして、黒神くんだったりしますか?」
ほんの一瞬。
零の黄金色の瞳が細くなる。
鋭い光が宿ったようにも見えた。
だが、それは一瞬だった。
次の瞬間には、いつもの気怠そうな表情へ戻っている。
「あー。」
頭を軽く掻き、少しだけ考えるように天井へ視線を向けた。
「人違いじゃね?」
あまりにも自然な返答だった。
鈴華は思わず首を傾げる。
「そう……ですか。」
零は肩をすくめる。
「そんなことしてたら、入学式に遅れるだろ。」
確かに、その通りだった。
あまりにももっともな理由に、鈴華も苦笑する。
「そう……ですよね。」
少しだけ残念そうに笑う。
「突然、変なことを聞いてしまってごめんなさい。」
軽く頭を下げると、改めて名乗った。
「私は白河鈴華です。」
「これからよろしくお願いします。」
零は一瞬だけ鈴華を見る。
そして、小さく頷いた。
「よろしく。」
短い返事。
それだけなのに、不思議と素っ気なくは感じなかった。
鈴華も微笑み返す。
「ありがとうございます。」
もう一度だけ一礼すると、自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、零は頭を軽く掻く。
(……見られてたか。)
窓の外へ視線を向ける。
桜の花びらが春風に乗ってゆっくり流れていた。
(まあ、バレてないなら、セーフだな。)
口元だけをわずかに緩める。




