第1章エピローグ②:黒の休息
漆黒の流星事件から数日後――。
星峰魔法高等学校・屋上。
穏やかな春風が、金網のフェンスを優しく揺らしていた。
青空には薄い雲がゆっくりと流れ、昼休みを過ごす生徒たちの賑やかな声が、校舎の向こうから微かに聞こえてくる。
数日前に起きた事件の余韻など、どこにも感じられない。
学校はすっかり、いつもの日常を取り戻していた。
その喧騒から少し離れたフェンス際で、零は一人、空を見上げている。
片手をポケットへ入れたまま、気怠げに佇むその姿も、少しずつこの場所に馴染み始めていた。
そんな静かな時間を破るように、屋上へ軽快な足音が近付いてくる。
「よう、同志黒神」
聞き慣れた声だった。
零は振り返ることなく、短く答える。
「影山か」
影山怜治は零の隣まで歩いてくると、フェンスへ肘を預けた。
二人はしばらく、何も話さなかった。
ただ並んで同じ空を見上げる。
心地よい春風だけが、二人の間を静かに吹き抜けていった。
やがて、零がふいに口を開く。
「世話になったな」
影山が僅かに目を瞬かせる。
零は空を見上げたまま、ぶっきらぼうに言葉を続けた。
「情報提供、助かった」
思いがけない感謝の言葉だった。
影山は少し驚いたように零の横顔を眺めたあと、ゆっくりと口元を緩める。
「おっと。同志黒神から感謝の言葉とは」
わざとらしく空を見上げ、片手を額へかざした。
「今日は雪でも降るか?」
零が横目で睨む。
「取り消すぞ」
「冗談だって」
影山は悪びれることなく、肩を揺らして笑った。
事件を通して、少しだけ互いのことを知った。
以前よりも自然に言葉を交わせるようになった二人の間には、どこか心地よい空気が流れている。
やがて、影山は笑みを収めた。
「ところでよ」
僅かに落ちた声の調子に、零は嫌な予感を覚えた。
こういう時の影山は、大抵ろくな話を持ってこない。
零が黙ったまま横目を向けると、影山はフェンスの向こうへ視線を向けた。
「今回の事件。表向きは、魔力暴走による自爆ってことになってるらしいな」
「……そうみたいだな」
「現場にいた白河も、そう証言した」
零は僅かに目を細める。
その反応を見ながら、影山は声を潜めた。
「ただ、捕まった連中は全員、似たようなことを言ってるらしい」
一拍置き、影山が零へ視線を向ける。
「本物にやられた――ってな」
春風が、二人の間を吹き抜けた。
零は何も答えない。
影山も、それ以上は続けなかった。
短い沈黙。
それだけで、互いに何を考えているのかは十分に伝わっていた。
零は諦めたように息を吐く。
(ったく……)
(本当にこいつは、どこから情報を集めてくるんだ)
学校内の噂だけならまだ分かる。
だが、今回は警察の事情聴取に関わる話まで把握している。
冗談半分で名乗っている情報屋という呼び名も、どうやら伊達ではないらしい。
味方なら頼もしい。
けれど、敵には回したくない。
影山は、そう思わせる相手だった。
零は再び空へ視線を戻し、何気ない調子で口を開く。
「知ってるか?」
「何をだ?」
影山が首を傾げる。
零は僅かに口元を上げた。
「世の中には、知らなくていいこともあるんだぜ」
それは肯定でも否定でもなかった。
けれど、影山にとっては十分な返事だった。
しばらく零の横顔を見つめたあと、何かを察したように小さく笑う。
「それはそうだな」
影山は、それ以上踏み込まなかった。
零が隠そうとしているものを、無理に暴くつもりはない。
情報屋としての好奇心よりも、今は友人としての信頼を選んだ。
「悪かった。今の話は忘れてくれ」
零は横目で影山を見る。
その表情に、いつものふざけた様子はなかった。
「助かる」
短い返事だった。
それでも、先ほどの感謝より僅かに柔らかな響きがあった。
二人は再び、並んで空を見上げる。
青空に浮かぶ薄い雲が、風に流されてゆっくりと形を変えていた。
しばらくして、影山が何かを思い出したように口元を緩める。
「しかし――白河嬢にも、随分と信頼されてるじゃねぇか」
わざとらしく呼び方を変えた。
その声色だけで、また何か面倒なことを言い出すつもりだと分かる。
零は露骨に眉をひそめた。
「……は?」
「事情聴取でも、お前のことは何も話さなかったらしいぞ」
影山は楽しそうに零の反応を窺う。
「随分と必死に庇ってたって話だ」
零は盛大に息を吐いた。
「なんで、そんなことまで知ってんだよ」
「情報屋だからな」
影山は得意げに胸を張る。
あまりにも迷いのない即答だった。
零は呆れたように目を細める。
「その一言で、何でも済むと思ってないか?」
「実際、済んでるだろ?」
悪びれる様子は微塵もない。
零はしばらく影山を見つめたあと、諦めたように空を仰いだ。
「便利なんだか、面倒なんだか」
「両方だ」
またしても即答だった。
その堂々とした返事が妙に可笑しくて、零の口元から笑みが零れる。
「違いねぇ」
影山もつられるように笑った。
二人の笑い声が、春の青空へ静かに溶けていく。
学校へ通い、くだらない話をして、気の置けない友人と笑い合う。
少し前までの零にとっては、どれも自分とは縁のないものだった。
けれど今は、隣にこうして笑い合える相手がいる。
ここでなら――あいつと交わした約束を、少しずつ叶えていけるのかもしれない。
零は流れていく雲を見つめ、穏やかに目を細めた。
(学校生活か……)
勉強は嫌いだし自分には似合わないと思った。
それでも、今は――。
(悪くない)
心の中で零れたその言葉は、心地よい春風とともに、静かに青空へ溶けていった。




