8話:偽物の影②
翌日――土曜日。
本来なら、学校は休み。
しかし、事件が動き続けている以上、風紀部まで休むわけにはいかなかった。
朝。
星峰市魔法警察本部・合同会議室。
警察と風紀部による合同緊急会議が開かれていた。
会議室の壁には、事件現場の写真や星峰市内の地図が貼られている。
集まった者たちの表情は一様に険しく、室内には朝とは思えないほど重苦しい空気が漂っていた。
風紀部星峰支部から出席しているのは、支部長、副支部長、鏡野、そして鈴華の四人。
やがて照明が落とされ、前方のスクリーンへ事件資料が映し出された。
警察の分析担当者が、集まった者たちを見回す。
「現時点で判明している情報を共有します」
画面が切り替わった。
映し出されたのは、昨日の廃倉庫街で採取された黒い魔力残滓の解析結果だった。
「現場に残されていた魔法は、火属性と闇属性を組み合わせた複合魔法であることが判明しました」
その報告に、会議室のあちこちから小さなどよめきが上がる。
別支部から参加している男子部員が、緊張した面持ちで手を挙げた。
「では、本物の『漆黒の流星』が関与している可能性もあるのでしょうか?」
分析担当者は、すぐには答えなかった。
わずかに間を置いてから、慎重に口を開く。
「現時点では、完全に否定することはできません」
再び画面を切り替え、照会状況をまとめた資料を映し出す。
「現在、日本政府を通じ、アストラル・オーダー本部へ照会を行っています」
そこで、担当者の表情が曇った。
「ただし、『漆黒の流星』に関する情報は機密指定されています。どこまで情報が共有されるかは分かりません」
再び、重苦しい沈黙が流れた。
鈴華は手元の資料へ視線を落とす。
(火属性と闇属性の複合魔法……)
脳裏へ蘇ったのは、昼休みの模擬戦で零が放った魔法だった。
宙を駆ける、漆黒の星。
その周囲を彩るように舞っていた、紫銀色の粒子。
そして昨日、黒い魔力残滓を調べた澪が告げた言葉。
――この魔法と黒神零の魔法は別物よ。
現場に残されていたのは、火属性と闇属性を組み合わせた黒い炎。
零が使う漆黒の星とは、見た目だけでなく、魔力の性質も構築も異なっている。
(やっぱり、黒神くんの魔法とは違う)
鈴華は、膝の上で資料を握っていた指からそっと力を抜いた。
黒い魔法という共通点だけで、零まで事件へ結びつけられてしまうのではないか。
そんな不安が、胸のどこかに残っていた。
だが、現場の分析が進めば、二つが異なる魔法であることは正式に証明されるはずだ。
そのことに、鈴華は少しだけ安堵していた。
分析担当者が、次の資料を表示する。
画面には、昨日拘束された男たちの顔写真が並んでいた。
「廃倉庫街で拘束したグループへの事情聴取は、現在も継続しています」
一人ひとりの顔写真を示しながら、説明を続ける。
「いずれも末端の構成員と見られ、組織の全容や指示役の正体については、未だ有力な証言を得られていません」
男たちが口にしていた『ボス』。
本当の首謀者は、未だ姿を隠したままだった。
「さらに――」
担当者の声が、一段低くなる。
「昨夜、新たな事件が発生しました」
画面が切り替わった。
夜の路上を照らすパトカーの赤色灯。
張り巡らされた規制線と、慌ただしく行き交う救急隊員。
生々しい現場写真が次々と映し出されていく。
「通報を受けて現場へ急行した警察官二名が襲撃され、重傷を負いました」
会議室の空気が一変した。
鈴華も思わず息を呑む。
昨日までとは違う。
犯人たちは、警察官を相手にしても迷わず魔法を振るっている。
分析担当者は、緊張した面持ちで全員を見回した。
「犯人グループは、当初の想定以上に危険です」
その言葉に、誰一人として声を上げる者はいない。
「本日より、警察と風紀部の連携をさらに強化します。風紀部の皆さんには情報収集と周辺調査を担当していただき、危険が予想される場所への突入は警察が行います」
星峰支部長が頷いた。
「承知しました」
担当者も頷き返し、市内地図を表示する。
地図上には、三か所の赤い印が記されていた。
「これまでの目撃情報と魔力反応から、拠点候補を三か所まで絞り込んでいます」
赤い印の一つひとつを指し示す。
「この三か所については、本日午後より警察を中心とした一斉調査を開始します」
一度、説明を止めた。
「繰り返しますが、風紀部の皆さんにお願いするのは周辺調査です。犯人や拠点を発見した場合、決して自分たちだけで対処しないでください」
担当者の鋭い視線が、風紀部員たちへ向けられる。
「直ちに本部へ連絡し、警察の到着を待つこと。危険を感じた時点で、調査を中止してください」
会議室にいる全員が、真剣な表情で頷いた。
「了解しました」
この事件は、もはや『漆黒の流星』の名を騙っただけの愉快犯ではない。
誰もが、その事実を理解していた。
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会議終了後。
風紀部星峰支部。
支部長は警察との追加協議へ残ったため、支部では副支部長が指揮を執っていた。
支部室には事件資料が山のように積み上げられ、壁一面に市内地図や事件の時系列表が貼られている。
部員たちは慌ただしく動き回り、目撃情報や担当区域を確認していた。
鈴華も机の上へ資料を広げ、昨日までに起きた事件を一つずつ確認していく。
そのときだった。
「鏡野先輩! 白河先輩!」
弾んだ声とともに、一人の少女が小走りで近づいてきた。
星峰支部の情報分析を担当する後輩――星野美羽。
中学二年生の少女は、肩まで伸びた栗色の髪を揺らし、両腕で大量の資料を抱えている。
ずり落ちかけた眼鏡を、慌てて押し上げた。
鏡野は資料から顔を上げる。
「おはよう、美羽」
「おはよう、美羽ちゃん」
「おはようございます!」
美羽は二人の前まで来ると、抱えていた資料を机の上へ置いた。
かなりの重さだったのか、ほっとしたように息を吐く。
「昨日から今朝までに寄せられた目撃情報と、不審集団の行動をまとめました」
一番上の資料を開き、色分けされた一覧表を二人へ見せる。
「SNSの投稿や匿名掲示板、警察に寄せられた通報記録も照らし合わせてあります」
鏡野は資料を受け取り、素早く数ページへ目を通した。
目撃された時刻と場所。
情報の信頼度。
過去の事件との共通点まで、ひと目で分かるように整理されている。
「見やすくまとまっているわ」
鏡野の表情が、わずかに和らぐ。
「ありがとう、美羽」
美羽の顔が、ぱっと明るくなった。
「えへへ。頑張りました!」
鈴華も隣から資料を覗き込む。
昨夜遅くまで調べていたのだろう。
細かな書き込みから、美羽がこの事件を少しでも早く解決しようと努力したことが伝わってきた。
「本当に助かるよ」
鈴華は美羽と目を合わせ、優しく微笑む。
「ありがとう、美羽ちゃん」
「調べ物なら、私に任せてください!」
美羽は照れ臭そうに笑いながら、眼鏡の位置を整えた。
そのやり取りを見ていた副支部長が、部屋の中央へ進み出る。
「全員、注目してください」
声が響いた瞬間、慌ただしかった支部室が静まり返った。
部員たちが作業を止め、一斉に副支部長へ向き直る。
「支部長は、引き続き警察との協議に出席しています」
副支部長は集まった部員たちを見回した。
「その間、私が支部の指揮を執ります」
手にした資料を掲げ、壁の地図へ視線を移す。
「警察が把握している三か所とは別に、私たち星峰支部でも独自に目撃情報を精査しました」
地図へ、いくつかの印を書き加える。
「その結果、新たに複数の要調査区域が浮上しています」
部員たちは、配られた資料へ視線を落とした。
いずれも、警察が捜査対象としている三か所ほど確かな情報ではない。
黒い魔法が使われた痕跡も、現時点では確認されていなかった。
あるのは、不審な集団を見たという目撃情報。
事件の発生前後に、普段は使われていない建物への出入りが増えたという証言。
微弱な魔力反応を感じたという、信憑性の定かではない通報。
犯人の拠点であると断定できる情報はない。
それでも、見落とすわけにはいかなかった。
「警察には、危険度の高い三か所を優先してもらいます」
副支部長は、地図に付けられた別の印を指し示す。
「こちらの区域は、私たち星峰支部が独自に予備調査を行います」
部員たちの表情が引き締まった。
副支部長は手元の担当表へ視線を落とす。
「今日は警察との合同調査に加え、他地区への応援派遣も重なっています。そのため、支部に残っている人員だけで、すべての区域を同時に確認するのは困難です」
わずかに言葉を切り、全員の顔を見回す。
「そこで、各自に一つずつ担当区域を割り振ります」
支部室に小さなどよめきが広がった。
副支部長は、それを制するように言葉を続ける。
「任せるのは、聞き込みと魔力痕の確認を中心とした予備調査です」
その声には、はっきりとした厳しさが込められていた。
「倉庫や工場の内部へ入ることは許可しません。犯人らしき人物を発見しても、追跡や接触はしないでください」
一人ひとりへ言い聞かせるように、ゆっくりと告げる。
「十五分ごとに定時連絡を行い、異常があれば直ちに本部へ報告すること。連絡が途絶えた場合は、近隣を担当する部員と警察が確認へ向かいます」
そして、さらに強い口調で続けた。
「危険を感じたら、すぐにその場を離れてください。これは命令です」
支部室の空気がぴんと張り詰める。
警察官二人が重傷を負ったばかりだ。
自分たちだけで対処できる相手ではないことを、全員が理解していた。
「決して無理はしないこと。いいですね?」
部員たちは、力強く頷いた。
「了解しました!」
副支部長は担当表へ視線を落とす。
一人ひとりが緊張した面持ちで、自分の名が呼ばれるのを待っていた。
「鏡野」
呼ばれると同時に、鏡野が一歩前へ出る。
「北地区の廃倉庫街、その周辺をお願いします」
昨日とは別の一画。
不審な車両の出入りが、複数回目撃されている区域だった。
鏡野は迷うことなく頷く。
「了解しました」
副支部長は担当表を指でなぞり、次の名を呼んだ。
「白河」
鈴華は前へ出る。
「街外れの工場地帯をお願いします」
副支部長は、担当区域の地図と資料を鈴華へ差し出した。
「最近になって、不審な集団を見たという証言が三件寄せられています。ただし、黒い魔力反応は確認されていません」
鈴華は受け取った資料へ視線を落とす。
人通りの少ない工場地帯。
目撃情報が寄せられた場所には、それぞれ印が付けられていた。
「外周から調査を始め、周辺での聞き込みと魔力痕の確認を行ってください」
「……了解しました」
鈴華は真っ直ぐ副支部長を見つめ、しっかりと頷いた。
その後も各部員へ担当区域が割り振られていく。
やがてすべての指示を終えると、副支部長は全員を見渡した。
「定時連絡を忘れないように」
最後にもう一度、念を押す。
「それでは、各自行動開始」
その一言を合図に、部員たちは資料や通信端末を手に、それぞれの担当区域へ向かって支部室を出ていった。
鈴華も地図を鞄へしまい、支給された通信端末を確認する。
(まずは、外周からの聞き込みと魔力痕の確認……)
任されたのは、あくまで予備調査。
建物の内部へ入ることも、不審者へ接触することも禁じられている。
指示どおりに動けばいい。
そう自分へ言い聞かせても、一人で向かうことへの不安までは消えてくれなかった。
昨日捕らえた男たち。
未だ姿の見えない首謀者。
そして、昨夜襲われた二人の警察官。
無意識に、鞄の持ち手を握る指へ力がこもる。
そのとき、不意に夕暮れの教室で交わした零との会話が蘇った。
――目の前の誰かを見捨てられないなら、見捨てなくていい。
――その代わり、自分も一緒に帰ってこられるくらい強くなれ。
黄金色の瞳が、真っ直ぐに自分を見つめていた。
厳しい言葉だった。
けれど、突き放すために言ったのではないことは、鈴華にも分かっている。
鈴華は胸元へそっと手を添えた。
あのときは、ただ頷くことしかできなかった。
しかし今なら、その言葉に込められた意味が少しだけ分かる気がする。
誰かを助けたいという気持ちだけでは、守り切れないものがある。
自分まで倒れてしまえば、助けられたはずの人にも手を伸ばせなくなる。
(そうだ……)
鈴華は一度目を閉じ、ゆっくりと息を整えた。
(私は、もっと強くならないと)
目の前にいる誰かを守るために。
そして、自分も無事に帰るために。
それでも、強くなることと無謀になることは違う。
副支部長の命令も、零の言葉も、そのことを教えている。
鈴華は通信端末を握り直し、目を開いた。
(大丈夫)
不安が消えたわけではない。
だからこそ、慎重に行動する。
一人で抱え込まず、危険を感じたら必ず助けを求める。
(今の私にできることを、きちんとやろう)
胸の奥にあった不安が、少しずつ静かな決意へ変わっていく。
鈴華は真っ直ぐ前を向き、支部室をあとにした。




