8話:偽物の影①
黒神零と鏡野澪。
一年生同士とは思えないほど激しい模擬戦が行われてから、数日が過ぎた放課後のことだった。
夕陽に染まる、星峰市外れの廃倉庫街。
錆びついた倉庫が立ち並ぶ通路を、風紀部星峰支部の部員たちが慎重に進んでいた。
その先頭を歩くのは、鏡野澪。
隣では、白河鈴華がスマートフォンに表示された事件資料を確認しながら、不安そうに辺りを見回している。
画面に映っているのは、現場に残された黒い焼け跡。
そして、その傍らに刻まれていた文字だった。
『漆黒の流星』
鈴華は落ち着かない様子で、長い黒髪を耳へかける。
「澪……」
画面から視線を上げ、隣を歩く鏡野を見つめた。
「ここが、本当に犯人の拠点なんでしょうか?」
一度、周囲の倉庫群へ目を向ける。
人の姿は見当たらない。
聞こえてくるのも、隙間風が錆びついた扉を揺らす音だけだった。
「なんだか……嫌な予感がします」
鏡野は歩みを止めることなく、正面を見据えたまま答える。
「漆黒の流星事件に関係する痕跡が、最も集中している場所よ」
街で確認された黒い魔力の反応。
目撃情報と、現場に残されていた魔法痕。
それらを照合した結果、この廃倉庫街が拠点候補として浮かび上がったのだ。
鏡野は鋭い視線で周囲を見回す。
「犯人がいるとは限らないけれど、何か手掛かりは残っているはずよ」
そこで足を止め、後ろに続く部員たちへ振り返った。
「二手に分かれて捜索しましょう」
部員たちが小さく頷く。
鏡野は全員の顔を見渡してから、表情を引き締めた。
「何か見つけても、一人では動かないこと。犯人や関係者を発見した場合も、こちらから接触せず、すぐに応援を要請して」
「了解」
部員たちは短く返事をすると、それぞれの班に分かれて周囲の捜索を始めた。
鏡野と鈴華も並んで、倉庫街の奥へ進んでいく。
しばらく歩いたところで、鏡野が足を止めた。
地面に、黒く焼け焦げた跡が残されている。
近くの壁には、黒いスプレー塗料で大きな文字が乱雑に書き殴られていた。
『Blackstar』
鏡野は周囲へ警戒を向けながら、その場へしゃがみ込む。
焼け跡の傍らへ手をかざし、指先へ意識を集中させた。
かすかに残った魔力から、ひやりとした感覚が伝わってくる。
「……魔力残滓」
その目が鋭く細められる。
「報告にあったものと同じね」
鈴華も隣へしゃがみ込み、黒い焼け跡を見つめた。
「では、やっぱりここが――」
最後まで言い切るより先に、鏡野が片手を上げた。
「待って」
鈴華はすぐに口を閉ざす。
二人が息を潜めた直後、倉庫の奥から複数の男たちの声が聞こえてきた。
「最近は楽だよな」
「『漆黒の流星』って名前を出すだけで、みんな勝手にビビってくれる」
下卑た笑い声が、人気のない倉庫街へ響く。
「警察も風紀部も、勝手に騒いでくれるしな!」
「ははっ! ボスも大喜びだ!」
鈴華と鏡野は、無言で視線を交わした。
鈴華の鼓動が一気に速くなる。
『漆黒の流星』の名を使い、事件を起こしている者たち。
少なくとも、その関係者がこの先にいる。
鏡野は物陰から倉庫内の様子を確認した。
見える範囲には数人の男たち。
人数や武装、ほかの出入口までは分からない。
鏡野は後方に控えていた部員へ、素早く合図を送る。
――関係者を発見。
――警察へ応援を要請。
部員が頷き、物陰へ身を隠したまま通信端末を操作する。
鏡野もその場で待機し、男たちの動きを見張ろうとした。
そのときだった。
「おい、外を見てくる」
倉庫内から声が聞こえる。
一人の男が立ち上がり、こちらへ向かって歩き始めた。
鏡野は鈴華たちへ、さらに身を伏せるよう手で合図する。
乾いた足音が、少しずつ近づいてくる。
やがて倉庫から出てきた男が周囲を見回し――鏡野たちの気配に気づいた。
「誰だ!」
怒声が倉庫街へ響き渡る。
男が仲間へ知らせるより早く、鏡野は物陰から飛び出した。
鈴華たちを庇うように前へ立ち、倉庫内の男たちへ鋭い視線を向ける。
「風紀部よ」
その声に、男たちが一斉に振り返った。
「風紀部!?」
「いつの間に――」
倉庫内へ動揺が広がる。
一人が奥の出口へ向かって走り、別の男は鏡野へ右手を向けた。
このままでは逃げられる。
それどころか、先に魔法を放たれる可能性もある。
鏡野は迷わず右手を振り下ろした。
「大人しくしなさい」
足元から大量の水が勢いよく広がる。
水流が地面を駆け抜け、逃げようとした男たちの足へ絡みついた。
「うわっ!?」
「なんだ、これ!」
体勢を崩した男たちの足元で、水が一瞬にして凍りつく。
「くそっ、動けねぇ!」
一人の男が魔法を放とうと鏡野へ腕を伸ばした。
その視界を、白い水蒸気が一気に覆い隠す。
「なっ……何も見えねぇ!」
液体、固体、気体。
水の三態を自在に操る、鏡野の水魔法。
水流で体勢を崩し、氷で動きを封じ、水蒸気で視界を奪う。
男たちの逃げ道も、反撃の機会も、完全に封じられていた。
制圧に要した時間は、ほんの数秒。
鏡野は身動きの取れなくなった男たちへ、冷たい視線を向ける。
「抵抗はやめなさい」
短い一言。
だが、その場にいた誰一人として、逆らおうとはしなかった。
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拘束された男たちは、応援要請を受けて駆けつけた警察へ引き渡された。
廃倉庫では警察による現場検証が進められ、その傍らで風紀部員たちも魔法痕を確認している。
残された魔力の種類や性質を調べ、犯行に使われた魔法を特定する。
それもまた、魔法犯罪における風紀部の重要な役目だった。
鈴華は、地面に残る黒い魔力の残滓を黙ったまま見つめていた。
男たちは捕まった。
自分たちの口で、『漆黒の流星』の名を利用していたことも認めている。
それでも、胸の奥に残る不安は消えてくれなかった。
黒い魔法。
その言葉を聞くたび、鈴華の脳裏には零の漆黒の星が浮かぶ。
零が事件の犯人だとは思っていない。
事件で使われた黒い炎と、零が操る星は明らかに違う。
それでも、同じ黒い魔法というだけで、零まで事件と結びつけられてしまうのではないか。
その不安だけは、どうしても拭えなかった。
(黒神くん……)
鈴華が誰を思い浮かべているのか。
少し離れた場所で残滓を調べていた鏡野には、何となく察しがついていた。
やがてその場から立ち上がり、鈴華へ顔を向ける。
「少なくとも……」
鏡野が口を開く。
鈴華が顔を上げると、鏡野は黒く焼け焦げた地面へ視線を落としたまま、言葉を続けた。
「この魔法と、黒神零の魔法は別物よ」
「え……?」
鈴華の碧色の瞳が見開かれる。
鏡野は再び残滓へ手をかざし、そこに残る魔力の流れを慎重に読み取った。
「魔力の流れも、魔法の構築も違う」
そのまま、小さく首を横へ振る。
「少なくとも、同じ術者が使った魔法とは思えないわ」
「そこまで分かるんですか?」
「ええ」
鏡野の脳裏に、昼休みの模擬戦が蘇る。
自分が放った氷槍や水刃を次々と撃ち落とした、漆黒の星。
寸分違わぬ軌道。
迫る攻撃だけを選び、最小限の魔法で正確に迎え撃つ精密な制御。
攻撃にも、動きにも、判断にも、一切の無駄がなかった。
「あれだけ近くで直接戦ったのよ。間違えるはずがないわ」
鏡野は、地面に残された痕跡へ目を細める。
魔力を力任せに叩きつけただけの、荒々しい焼け跡。
制御も甘く、魔力の揺らぎも大きい。
「これは粗すぎる。ただ魔力を振り回しているだけよ」
その声には、迷いがなかった。
「黒神零の魔力制御とは、比べものにならないわ」
鈴華はもう一度、黒い焼け跡へ視線を落とした。
黒いという一点は同じでも、それ以外は何もかもが違う。
鏡野には、それがはっきりと分かるのだろう。
「あの制御は、一朝一夕で身につくものではないわ」
そこで初めて、鏡野は鈴華へ視線を向ける。
「現場に残された魔力を正しく分析すれば、黒神零の魔法と同じものだとは判断されない」
その言葉を聞き、鈴華の表情からわずかに力が抜けた。
胸の奥にのしかかっていた重石が、少しずつ軽くなっていく。
「これなら、黒神くんまで疑われることはありませんよね」
「少なくとも、この残滓を調べた警察や風紀部が、二つを同じ魔法だと判断することはないわ」
鏡野は言葉を区切り、黒い焼け跡へ視線を戻す。
「見た目だけではない。魔力の流れも、構築の精度も、まるで違うもの」
鈴華は、胸元で握っていたスマートフォンからそっと力を抜いた。
「やっぱり、黒神くんの魔法とは違うんですね」
「ええ。間違いないわ」
鏡野が迷いなく言い切る。
鈴華はその横顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「……ありがとう、澪」
鏡野も、わずかに表情を和らげる。
しかし、すぐにその視線を、警察へ連行されていく男たちへ向けた。
「ただ……」
穏やかさの消えた青みがかった紫の瞳が、鋭く細められる。
「まだ、事件が終わったわけではないわ」
鈴華も男たちの背中へ目を向ける。
鏡野は、先ほど耳にした言葉を思い返していた。
「さっきの男たちは、『ボス』と言っていた」
捕らえた者たちは、誰かの指示に従っていただけ。
『漆黒の流星』の名を利用し、事件を起こしている中心人物は別にいる。
夕陽が沈み始め、廃倉庫街を覆う影が少しずつ濃くなっていく。
鏡野は連行されていく男たちを見つめ、表情を引き締めた。
「本当の首謀者は、まだ姿を見せていない」
その言葉に、鈴華も気を引き締める。
二人の足元では、黒い魔力の残滓が、いまだ不気味な気配を漂わせていた。




