7話:VS風紀部エース④
放課後。
昼休みの模擬戦から、数時間が経っていた。
教室には、まだあの戦いの余韻が残っている。
終礼が終わり、生徒たちが次々と帰り支度を始める中、零も教科書を鞄へ放り込み、大きく伸びをした。
「さて、帰るか」
影山が鞄を肩へ担ぎ、にやりと笑う。
「同志黒神。今日は駅前にでも寄っていかないか?」
そこで意味ありげに声を潜めた。
「新作のクレープが出たらしいぞ」
その一言に、零の耳がぴくりと動く。
「甘いもんか。悪くねぇな」
天野も鞄を手に取り、頷いた。
「俺も付き合うよ」
三人が席を立った、そのときだった。
「黒神くん」
教室へ聞き慣れた声が響く。
零の肩がぴくりと震えた。
振り返るまでもない。
(……来た)
昼休みの模擬戦。
最後は楽しくなりすぎて、思わず超新星を使いかけた。
冷静になった今なら分かる。
さすがに、少し調子へ乗りすぎた。
(昼休みのことだな)
零が恐る恐る振り返る。
そこには、にこりと微笑む鈴華が立っていた。
「途中まで、一緒に帰りませんか?」
その笑顔を見た瞬間、影山と天野は顔を見合わせた。
「……同志」
影山が神妙な顔で頷く。
「俺たちは先に帰る。健闘を祈る」
そう言うや否や、さっさと教室を出ていく。
天野も苦笑しながら、そのあとに続いた。
「悪い、黒神。これは助けられない」
「おい、見捨てるな!」
零が思わず声を上げる。
しかし、二人は振り返らない。
廊下から影山の楽しそうな声だけが聞こえてきた。
「骨は拾ってやる!」
零は恨めしそうに二人の背中を見送った。
(薄情な奴らだ……)
それでも諦めず、最後の抵抗を試みる。
「悪い、白河」
何事もなかったように笑い、鞄を肩へ担いだ。
「実は今から、外せない用事が――」
「お・は・な・しがあります」
食い気味だった。
一拍置き、鈴華は再び優しく微笑む。
「一緒に帰りませんか?」
その笑顔は、いつもと何も変わらない。
それなのに、不思議と逃げ道だけが見当たらなかった。
「……はい。喜んで」
零はあっさり観念する。
鈴華は満足そうに微笑んだ。
「では、行きましょうか」
こうして二人は並んで教室をあとにした。
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二人は並んで校門を出た。
夕暮れの街を吹き抜ける春風が、鈴華の長い黒髪を優しく揺らす。
しばらくの間、二人の間には穏やかな時間が流れていた。
零は何度か口を開きかけては、何も言わずに閉じる。
この空気には慣れていない。
やがて観念したように、ようやく口を開いた。
「あー……白河さん?」
鈴華は足を止めることなく、顔だけを零へ向ける。
「はい?」
穏やかな返事だった。
零は少しだけ言葉を選んでから、慎重に尋ねる。
「怒ってる?」
鈴華は少し考え、首を横へ振った。
「いえ……」
一拍置き、視線を前へ戻す。
「怒っているというより、呆れています」
困ったような笑みを浮かべる鈴華を見て、零はほっと胸を撫で下ろした。
「怒ってねぇだけ助かった」
「助かっていません」
鈴華はすぐに表情を引き締める。
「これから、お話があります」
「……はい」
零の返事から、早くも元気が消えた。
鈴華は真っ直ぐに、その顔を見上げる。
「プールを壊した魔法を、また使おうとしましたよね?」
零は気まずそうに視線を空へ逃がした。
「あー……」
否定しない。
それだけで十分な答えだった。
鈴華の碧色の瞳が、責めるように零を見つめる。
「自覚はあるんですか?」
さらに呆れの滲んだ声で続けた。
「せっかく一週間かけて、罰掃除を終えたばかりなんですよ?」
「でもさ」
零は困ったように笑う。
「撃ってないだろ?」
鈴華は足を止め、零を見つめた。
「撃とうとしていました」
夕陽に照らされた碧色の瞳が、わずかに細められる。
「予鈴が鳴らなかったら、本当に撃っていましたよね?」
零は答えに詰まり、視線を夕焼けへ逃がした。
「……楽しくなっちまってさ」
昼休みの鏡野を思い返す。
最大火力を真正面から撃ち破られても、その瞳から闘志は消えていなかった。
「鏡野なら、まだ何か返してくる気がしたんだよ」
零は夕焼けに染まる空を見上げたまま、口元を緩める。
「もっと上を見てみたくなった」
「あの魔法を使ってまで、ですか?」
「ああ」
零は飾ることなく頷いた。
「あのまま続いてたら、たぶん止まらなかった」
「たぶんではありません」
鈴華は肩を落とす。
「澪の力をもっと見たかったことは分かりました。でも、それは屋内訓練場であの魔法を使っていい理由にはなりません」
「それは……まあ、そうだな」
零も素直に認めるしかなかった。
鈴華は怒っているというより、本気で心配している。
そのことが、零にもようやく伝わり始めていた。
「あの魔法を室内で使ったら、訓練場だってどうなっていたか分からないじゃないですか」
「……まあ」
零は昼休みの光景を思い返す。
超新星は、自分が扱う魔法の中でも指折りの破壊力を持つ砲撃魔法だ。
学校の防護結界には、ある程度の余裕が持たせてあるだろう。
それでも、超新星を真正面から受け止められる保証はない。
「たぶん、防護結界じゃ耐えられなかったな」
あっさり認めると、鈴華の目が大きく見開かれた。
「分かっていたんですか?」
「いや、あのときはそこまで頭が回ってなかった」
零は気まずそうに目を逸らす。
「つい、楽しくなっちまって」
鈴華は深々と息を吐いた。
「その『楽しくなってしまった』が、一番心配なんです」
春風が二人の間を吹き抜ける。
鈴華は表情を和らげないまま、零を見上げた。
「これからは、本当に気をつけてください」
零は何も言わず、その顔を見つめる。
責めたいわけではない。
ただ、心配してくれている。
そのことだけは、ちゃんと伝わった。
零は観念したように肩の力を抜く。
「悪かった」
短い一言。
だが、それは今日一番の素直な謝罪だった。
鈴華はその返事を聞き、ようやく表情を和らげる。
「……分かってくれたなら、それでいいです」
二人は再び歩き出す。
夕陽が、長く伸びた二人の影を歩道へ映していた。
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先ほどまでの張り詰めた空気は、いつの間にか和らいでいた。
しばらく歩いたところで、鈴華が夕焼けに染まる街並みを眺めながら口を開く。
「それにしても……澪、悔しそうでしたね」
風に揺れた黒髪を耳へかける。
零はポケットへ手を入れたまま頷いた。
「ああ」
「でも、少しだけ楽しそうでもありました」
鈴華は昼休みの模擬戦を思い返し、柔らかく微笑む。
零もわずかに目を細めた。
「強い奴と戦うのは、嫌いじゃないんだろ」
最大火力を破られても、最後まで諦めずに向かってきた。
負けず嫌いで、簡単には折れない。
そんな相手は、零も嫌いではなかった。
鈴華は隣を歩く零の横顔を覗き込むように首を傾げる。
「黒神くんも、そうですよね?」
そこで少しだけ楽しそうに目を細めた。
「今日の黒神くん、とても楽しそうでした」
零は空を見上げる。
夕焼けに染まった雲が、ゆっくりと流れていた。
「まあな。久しぶりに楽しかった」
その口元に自然と笑みが浮かぶ。
飾り気のない、本音だった。
鈴華は少しだけ目を丸くしたあと、嬉しそうに微笑む。
「あれほど楽しそうに戦う黒神くん、初めて見ました」
昼休みに見た、子どものような笑顔を思い出す。
「澪も、きっと同じ気持ちだったと思います」
「そうか?」
「はい。今日の模擬戦は、きっと忘れられないと思います」
鈴華はどこか誇らしげに笑った。
「それに、ああ見えて澪はとても優しいんですよ」
零は思わず目を瞬かせる。
「あの鏡野が?」
昼休みの模擬戦が頭をよぎった。
氷槍を次々と放ち、水流で逃げ道を塞ぎ、最後には巨大な水龍まで繰り出してきた少女。
どう考えても、『優しい』という印象には結びつかない。
「……本当か?」
思わず漏れた本音に、鈴華はくすりと笑った。
「ふふっ。そう思いますよね」
鈴華はどこか懐かしそうに目を細める。
「風紀部でも、いつも周りのことを気に掛けてくれるんです」
「へぇ……」
零はまだ納得しきれない様子で、昼休みの鏡野を思い返している。
そんな横顔を見ながら、鈴華は今度は零の姿を思い浮かべていた。
攻撃を攻撃で撃ち落とし、戦場を縦横無尽に駆け抜けていく姿。
その一方で、入学式の日には見ず知らずの少女たちへ迷わず手を差し伸べた。
夕暮れの教室では、自分の魔法の相談にも付き合ってくれた。
気まぐれで、自由奔放。
面倒そうにしながらも、最後には必ず助けてくれる。
鈴華は口元を緩めた。
「……黒神くんも、人のことは言えませんけど」
ぼそりと呟く。
「ん? なんか言ったか?」
鈴華は何事もなかったように首を横へ振った。
「いえ。なんでもありません」
「……そうか?」
零はわずかに眉を寄せたものの、それ以上は追及しなかった。
少しだけ沈黙が流れる。
この空気が居心地悪くなったのか、零は話題を変えるように口を開いた。
「そういえば、鏡野とは、ずいぶん仲がいいんだな」
鈴華は少し照れ臭そうに笑う。
「はい。澪とは中学からの付き合いなんです」
夕焼けに染まる街並みへ視線を向ける。
「私にとって、大切な友達です」
零は黙って頷いた。
鈴華は少しだけ迷ってから、隣を歩く零を見上げる。
聞いていいのかは分からない。
それでも、気になってしまった。
「黒神くんにも……昔から仲のいいお友達はいるんですか?」
その問いに、零の歩みがほんの少しだけ鈍る。
脳裏を、一人の少女がよぎった。
太陽のような笑顔。
天真爛漫で、どんなときも真っ直ぐ前を向いていた。
小柄な身体で、それでも誰よりも頼もしく前を走っていた。
いつも自分の手を引き、振り回すように走っていく。
笑って、怒って、ときには泣いて。
そして、魔法を使えば誰もが息を呑んだ。
夕焼けの中へ、その面影が浮かび上がる。
「いたよ」
零は遠くを見るように目を細めた。
その口元には懐かしむような笑みが浮かんでいる。
けれど、その奥には消えることのない寂しさが滲んでいた。
「もう一年以上、会ってないけどな」
鈴華の胸が、わずかに締めつけられる。
普段の気怠げな笑顔とは違う。
手を伸ばしても届かない遠い場所を見つめているような、寂しげな横顔だった。
(聞かない方が、よかったでしょうか……)
謝ろうと口を開きかけたとき、零が前方へ目を向けた。
「そんじゃ、ここまでだな」
その声に、鈴華は周囲を見回す。
いつの間にか、風紀部星峰支部へ続く道の前まで来ていた。
零は反対方向を親指で示す。
「俺はこっち」
鈴華は頷いた。
「はい」
少しだけ名残惜しそうに微笑む。
「また明日です」
零も軽く手を上げた。
「おう。また明日」
そのまま踵を返し、夕暮れの街へ歩き出す。
鈴華は、零の背中が見えなくなるまで見送っていた。
普段は飄々としているのに、時折見せる寂しそうな横顔。
あの表情は、先ほど話していた『友達』のことを思い出していたからなのだろうか。
鈴華は胸に残った引っ掛かりを抱えたまま、息を吐く。
「……また明日」
誰にも聞こえないほどの声で呟き、風紀部星峰支部へ向かって歩き始めた。
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一人になった零は、夕焼けに染まる空を見上げた。
先ほどまで脳裏に浮かんでいた少女の面影が、ゆっくりと茜色の空へ溶けていく。
少しだけ立ち止まったあと、零はいつもの気怠げな表情へ戻った。
「漆黒の流星事件、か……」
昼休みに影山から聞いた話を思い出す。
『漆黒の流星』の異名を騙り、街で騒ぎを起こしている者がいる。
単に名前の威光を利用しているだけなのか。
それとも、ほかに何か目的があるのか。
今の情報だけでは、まだ判断できない。
ただの愉快犯なら、それでいい。
だが、被害はすでに一般の商店にまで広がり始めている。
零はポケットへ両手を入れ、夕暮れの街へ視線を向けた。
「……嫌な流れだな」
その呟きは、春の風に乗って消えていった。




