プロローグ〜最後の任務②
数時間後――
イギリス・ロンドン郊外。
夜の街並みに溶け込むように、ガラスと鋼鉄を基調としたモダンで洗練された巨大施設が静かに佇んでいた。
世界最高峰の魔法組織、アストラル・オーダー。
その本部は、国連を思わせる国際的な権威と威厳を持ちながら、最新鋭の科学技術と魔法技術が融合した統括機関だった。
表向きは民間の国際研究機関として機能しているが、内部では世界中から集まる魔法事案を監視・解析し、各執行部へ指令を出す中枢として機能している。
施設最上階、作戦室。
青白い照明が広々とした室内を照らし、壁一面に設置された大型モニターには、世界各地の魔法関連事案がリアルタイムで表示されている。低く響く機械音と通信音が重なる中、複数のスタッフが冷静に情報を処理していた。
静かに自動ドアが開く。
「よ。」
気怠げな声とともに、黒神零が部屋へ入ってきた。コートについた埃を軽く払い、デスクへ一冊の報告書を置く。
「依頼完了。」
デスクに向かっていたエレノア・ヴァレンタインは、書類から顔を上げた。零の姿を確認すると、張っていた表情が少しだけ緩む。
「おかえり、零。」
その声には、自然と安堵が滲んでいた。
「今回も無事で何よりよ。」
零は軽く肩をすくめる。
「運が良かっただけだ。」
エレノアは苦笑しながら報告書へ目を通し始める。読み進めるにつれ、その眉が少しずつ寄っていった。
「……また建物を半壊させたの?」
零は近くの椅子へ腰を下ろす。
「古かったんだろ。」
即答だった。
エレノアは深くため息をつく。
「そういう問題じゃないわ。」
書類を閉じ、零をじっと見つめた。零は視線を逸らしながら頭を掻く。
「依頼主は喜んでた。」
「後始末をする人は喜ばないの。」
一拍置いてから、零は小さく笑った。
「それは悪かった。」
その表情を見たエレノアは肩を落とす。
「……全然そう思ってないでしょう?」
「バレたか。」
思わず2人とも笑ってしまう。
こんな他愛ないやり取りも、もう何年も続いていた。
笑みが落ち着くと、エレノアは姿勢を正した。
今度は長官として話す番だった。
「……それで。」
零も自然と表情を引き締める。
「日本へ帰りたいという話だけれど。」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになる。
零は窓の外へ視線を向けた。ロンドンの夜景が、静かに広がっている。
「決心は変わらねぇ。」
短い返事だった。
エレノアはゆっくり立ち上がる。
デスクを回り込み、零の隣まで歩いてきた。
夜景を眺める零の横に並び、静かに口を開く。
「蕾との約束でしょう?」
その名前を聞いた瞬間、零の表情がわずかに柔らかくなった。
彼はしばらく黙ったまま夜景を見つめ、やがて静かに続けた。
「あいつの夢だったからな。」
黄金色の瞳は遠くを見つめている。
「普通の高校生活。」
小さく笑う。
「今思えば、随分平和な夢だった。」
エレノアも同じ夜景へ目を向けた。
「あなたが、その夢を見届けてあげるのね。」
零は照れ隠しのように肩をすくめる。
「まあな。」
一拍置いて、小さく続けた。
「約束だから。」
それだけだった。
けれど、その一言に込められた想いは、十分に伝わっていた。
エレノアは困ったように微笑んだ。
「本当に不器用。」
零は鼻の頭を掻きながら苦笑する。
「褒め言葉だ。」
その返事に、エレノアは思わず吹き出した。
「褒めてないわ。」
笑いが落ち着くと、エレノアは一枚の書類を取り出す。長官としての声が、静かに部屋に響いた。
「黒神零。」
「本日をもって、第1執行部『星刻』特別執行官としての任務を一時停止します。」
零は静かに頷いた。
「特別休暇を許可します。期間は最長3年間。」
書類を受け取りながら、零は小さく呟く。
「サンキュー。」
エレノアは優しく微笑んだ。
「その間は、日本で好きに過ごしなさい。」
そして、人差し指を1本立てる。
「ただし。問題を起こしたら、すぐに呼び戻します。」
零は書類へ視線を落としたまま、小さく笑った。
「それは保証できねぇな。」
予想どおりの返事だった。エレノアは肩を落とし、大きくため息をつく。
「そこは保証して欲しいわ。」
部屋の空気が少しだけ和らぐ。
零は静かに立ち上がった。
軽く手を振ると、そのまま扉へ向かって歩き出す。
自動ドアの前で一度だけ立ち止まり、振り返ることなく告げた。
「何かあったら連絡する。」
エレノアは穏やかに頷いた。
「ええ。」
「行ってらっしゃい、零。」
静かにドアが閉まる。
1人残されたエレノアは、小さく息を吐いた。
そして閉ざされた扉を見つめながら、優しく微笑む。
「……楽しんできなさい。」




