9話:仕組まれた罠②
鈴華は必死に魔力を練る。
拘束されたままでも諦めるわけにはいかない。
両手へ意識を集中させる。
掌へ淡い光が集まっていく。
「はあっ!」
光弾を放つ。
一直線に男へ向かって飛ぶ光。
しかし――。
男は片手を軽く振っただけだった。
黒い霧が光を飲み込み、そのまま跡形もなく消し去る。
爆発すら起きない。
まるで最初から存在しなかったかのようだった。
男は鼻で笑う。
「威勢だけはいいな。」
鈴華は歯を食いしばる。
身体は震えている。
恐怖で足先が冷たくなる。
それでも。
碧色の瞳だけは男を真っ直ぐ見据えていた。
男はその視線に気付き、少しだけ口元を緩める。
「安心しろ。」
掌へ黒い炎が灯る。
赤でも青でもない。
光さえ吸い込むような禍々しい黒炎。
ゆらゆらと静かに揺れ始める。
「俺も鬼じゃねぇ。」
肩をすくめる。
「言うことを聞くなら、命だけは助けてやる。」
後ろで見ていた手下たちが笑い声を上げた。
「ボス、優しいっすね!」
「そんなチャンス、滅多にねぇぞ!」
男は満足そうに頷く。
鈴華を見上げ、不敵に笑った。
「どうだ?」
「悪い話じゃねぇだろ?」
鈴華は小さく俯く。
身体は震えている。
心臓も激しく鼓動していた。
怖い。逃げたい。
そんな感情が胸の奥から何度も込み上げてくる。
それでも。
鈴華はゆっくりと顔を上げた。
碧色の瞳は揺れている。
それでも、その視線だけは決して逸らさなかった。
「……いいえ。」
男の眉がわずかに動く。
鈴華は震える声で続けた。
「私は……風紀部です。」
胸の前で拳を握り締める。
震えは止まらない。
それでも、その手は強く握られていた。
「皆さんを守るために、ここへ来ました。」
呼吸が乱れる。
胸が苦しい。
それでも言葉だけは止めない。
「あなたたちのような人たちに……。」
一度息を吸う。
「屈するわけにはいきません!」
工場内が静まり返る。
男の笑みが、静かに消えた。
先ほどまでの余裕はなく、瞳だけが冷たく鈴華を見据えている。
男はゆっくりと掌を前へ向けた。
「そうか。」
黒い炎が集まり始める。
火属性と闇属性。
二つの魔力が絡み合い、一つの巨大な黒炎へ姿を変えていく。
熱気だけで空気が大きく歪む。
床に落ちた埃が熱風に巻き上げられた。
鈴華の表情が青ざめる。
(……まずい。)
本能が警鐘を鳴らす。
まともに受ければ終わる。
男は冷たく笑った。
「じゃあ――死ね。」
男が腕を振る。
巨大な黒炎が鈴華へ向かって放たれた。
轟音が工場内へ響く。
禍々しい炎が一直線に迫る。
熱風だけで頬が焼けるようだった。
鈴華は息を呑む。
身体は闇に拘束されたまま。
逃げられない。
避けることも、防ぐこともできない。
(ごめんなさい……。)
風紀部のみんな。
両親。
様々な顔が脳裏をよぎる。
そして最後に浮かんだのは、1人の少年だった。
いつも気怠そうに笑いながら。
それでも困っている人を放っておけない少年。
(黒神くん……。)
その瞬間だった。
「銀河星――。」
低く、静かな声が響く。
工場の空気が変わる。
張り詰めていた空気が、一瞬で塗り替えられる。
「バージョン黒洞。」
次の瞬間。
鈴華の目の前へ無数の黒い粒子が現れた。
1つ。2つ。3つ。
数え切れないほどの粒子が、高速で回転を始める。
紫銀色の輝きを纏いながら、まるで夜空へ散りばめられた星々のように。
粒子は互いに引き寄せられ。
収束し圧縮され。
1つの漆黒の球体を形作った。
球体は静かに脈動する。
その中心では銀河のように粒子が回り続けていた。
幻想的で。
どこまでも美しい。
それでいて、底知れない力を秘めていることが本能で分かる。
「吸収。」
静かな一言。
次の瞬間だった。
男が放った巨大な黒炎が、漆黒の球体へ吸い寄せられる。
轟々と燃え盛っていた炎が熱も爆風も闇もすべてが球体へ飲み込まれていく。
一瞬だった。
爆発は起こらない。
衝撃もない。
巨大な黒炎は、まるで最初から存在しなかったかのように消え去った。
工場内へ静寂が訪れる。
煙がゆっくりと晴れていく。
鈴華は恐る恐る目を開いた。
自分の目の前には、漆黒の球体が静かに浮かんでいる。
その周囲では紫銀色の粒子が幻想的に舞っていた。
鈴華は思わず息を呑む。
(この魔法……。)
見間違えるはずがなかった。
入学式の朝、路地裏で新入生を救った黒い流星。
昼休みの模擬戦で鏡野澪を圧倒した、精密無比な漆黒の星。
そして、プールを跡形もなく消し飛ばした圧倒的な一撃。
形こそ違う。
それでも、この漆黒の輝きも。
星のように瞬く紫銀色の粒子も。
夜空を思わせる幻想的な魔力も。
すべて同じだった。
(黒神くんだ……。)
鈴華は目の前の漆黒の球体を見つめる。
入学式の日も。
模擬戦の日も。
その力は敵を圧倒するために使われていた。
けれど今は違う。
漆黒の球体は、まるで鈴華を守る盾のように、その前へ静かに浮かんでいる。
恐怖からも。
絶望からも。
自分を遠ざけるように。
張り詰めていた心が、ゆっくりとほどけていく。
胸の奥が熱く震えた。
碧色の瞳がわずかに潤む。
そして自然と、その名前が零れ落ちた。
「……黒神くん?」
その声に応えるように。
工場の入口から、ゆっくりと足音が響く。
コツ……。
コツ……。
静かな足音だけが工場内へ響いていく。
「悪いな。」
聞き慣れた声だった。
鈴華が振り向く。
逆光の中。
1人の少年が立っている。
黒いコートを羽織り。
両手をポケットへ入れたまま。
黄金色の瞳だけが静かに男たちを見据えていた。
零は軽く肩をすくめる。
「ハズレを潰してたら遅くなった。」
一歩前へ出る。
黒洞の横へ並ぶように立ち、鈴華へ視線を向けた。
「待たせたな、白河。」
その声を聞いた瞬間。
鈴華の胸に張り詰めていたものが、一気にほどけた。
安堵で力が抜けそうになる。
零はそんな鈴華を一瞥すると、すぐ男たちへ視線を戻した。
「ったく……。」
小さく息を吐く。
黄金色の瞳が静かに細められた。
「派手にやってくれてるみたいだな。」




