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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第1章:漆黒の流星

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5話:黒の魔法使い③

しばらくの間、教室には箒が床を擦る音だけが響いていた。

鈴華は掃除を進めながら、何度か零の横顔を窺う。

風紀部で読んだ報告書が、どうしても頭から離れなかった。


迷った末に、鈴華は意を決して口を開く。


「黒神くん」


「ん?」


零が机を動かす手を止めた。


「黒い魔法使いの事件について、ご存じですか?」


「ああ。今日、影山から聞いた」


零は机の脚を床の印へ合わせると、再び箒を手に取る。


「風紀部でも追ってるのか?」


「はい。ここ数日、黒い炎を使った事件が続いているんです」


鈴華は声を落とし、手元へ視線を向けた。


「犯人は現場で、自分のことを『漆黒の流星(ブラックスター)』と名乗っているそうです」


零の箒が、ほんの一瞬だけ止まる。

だが、鈴華がその変化に気づくよりも早く、何事もなかったように動き始めた。


「へぇ。そりゃまた、大層な名前を名乗ったもんだな」


声音は、いつもと変わらない。

興味があるのかないのか分からない、飄々とした口調だった。


「支部でも調べているんですが、まだ相手の正体までは分かっていません」


鈴華は箒を胸元へ引き寄せ、零を見つめる。


「黒神くんは、今回の犯人が本物だと思いますか?」


零は答えず、窓の外へ目を向けた。

傾いた陽が、黄金色の瞳を淡く照らしている。


「さあな」


やがて鈴華へ振り返ると、口元を悪戯っぽくつり上げた。


「案外、俺が本物だったりして」


「え……?」


あまりにも自然に言われたため、鈴華は一瞬、言葉を失った。


入学式の日、路地裏へ降り注いだ黒い星。

実技試験で見せた、圧倒的な威力。

イギリスから帰国したという経歴。

そして、目の前にいる黒神零。

ばらばらだったものが、一瞬だけつながりかける。

しかし――。

目の前にいるのは、授業中になるとほとんど眠っている高校一年生だ。

世界最高峰の国際魔法機関に所属し、世界中の事件を解決してきた特別執行官とは、どうしても結びつかなかった。

鈴華の口元から、自然と笑みがこぼれる。


「ふふっ。黒神くん、冗談がお上手なんですね」


「あれ、信じねぇの?」


「確かに、とても強いとは思います」


鈴華は零の顔を真っ直ぐ見つめたあと、困ったように眉尻を下げた。


「ですが、現役の高校生が、世界中で事件を解決してきた特別執行官だなんて、普通は考えません」


「そういうもんか?」


「それに……」


鈴華は少しだけ視線を逸らす。


「黒神くん、授業中はほとんど寝ていますし」


零が眉を上げた。


「そこかよ」


呆れたような反応にも、鈴華は悪びれることなく首を傾げる。


「だって、本当のことでしょう?」


「人を勤務態度だけで判断するのはどうかと思うぞ」


鈴華は一拍置き、静かに訂正した。


「授業は勤務ではありませんよ」


即座に返され、零は一瞬だけ黙り込む。


「……言ったな、このやろー」


わざとらしく不満そうな顔をする零を見て、鈴華は楽しそうに笑った。

先ほどまで胸に残っていた緊張が、少しだけ和らいでいく。


それでも、事件について聞きたかったことがなくなったわけではない。

鈴華は笑みを収めると、再び口を開いた。


「ちなみに私は、今回の犯人は偽物だと思っています」


「なんで?」


「風紀部の資料で、本物の『漆黒の流星(ブラックスター)』についても調べたんです」


そこで言葉を止め、少し気まずそうに零の様子を窺う。


「アストラル・オーダーでは……かなりの問題児だったみたいですけど」


零は思わず苦笑した。


「今日はよく問題児って言葉を聞く日だな」


「今日?」


「昼に影山からも似たような話を聞いた」


零は頭を掻き、誰に聞かせるでもなく呟く。


「そこまで問題を起こしてたかねぇ……」


「まるで本人みたいな言い方ですね」


鈴華に指摘され、零の指が止まった。


「……影山から聞いた話だよ」


一拍遅れた返答に、鈴華は不思議そうに首を傾げる。

それでも追及はせず、報告書に記されていた内容を思い返した。


「確かに、問題行動は多かったそうです」


鈴華は箒の柄へ重ねていた手に、力を込める。


「でも、その一方で、困っている人を助けたり、多くの事件を解決したり……そういう公開記録も、たくさん残っていました」


その声から、迷いが消えた。


「だから、自分の異名を見せびらかすために事件を起こしたり、理由もなく人を傷つけたりする人には思えないんです」


零の動きが止まる。

ほんの一瞬だけ、黄金色の瞳が揺れた。


「……そうか」


返ってきたのは、それだけだった。

その横顔からは、先ほどまでの軽い調子が消えている。

どこか驚いたような、それでいて少し嬉しそうな――鈴華にはうまく言葉にできない表情だった。

やがて零は、何事もなかったように歩き出す。

鈴華の横を通り過ぎようとした、そのときだった。

大きな右手が、鈴華の頭へ伸びる。


「……え?」


零の手が、艶やかな黒髪の上へ触れた。

ポン、ポン――と。

労うように、優しく二度だけ頭を撫でる。

あまりにも自然な仕草に、鈴華は動くこともできなかった。

やがて零の手が離れる。

その直後、黄金色の瞳が泳いだ。


「……埃」


「え?」


「髪に埃がついてた。掃除してるときに考え込むからだ」


零は自分の指先へ視線を落としながら、何でもないことのように答えた。

けれど、髪についた埃を取るだけなら、二度も優しく頭へ触れる必要はなかったはずだ。

鈴華はそのことに気づきながらも、何も指摘しなかった。

零は逃げるように背を向け、再び箒を動かし始める。

そのまま、聞き取れるかどうかというほどの声で呟いた。


「……サンキュー」


「え?」


鈴華が聞き返したときには、零はすでに何事もなかったように掃除を続けている。


「何でもねぇよ」


鈴華は、触れられた場所へそっと手を添えた。

胸の奥が、じんわりと温かい。

自分の言葉を喜んでくれたのだろうか。

そう思うと、頬へ集まる熱はなかなか引いてくれなかった。

それを誤魔化すように、箒を握り直す。

そのとき、報告書に記されていたもう一つの内容を思い出した。


「そういえば、本物の『漆黒の流星(ブラックスター)』は、半年前から消息が分からないそうです」


零が背を向けたまま答える。


「そうなのか?」


「はい。極秘任務に就いているとか、任務中に亡くなったとか……いろいろな噂があるみたいで」


鈴華は思い出しながら、困ったような笑みを浮かべた。


「中には、恋人と駆け落ちしたんじゃないか、なんて話まで――」


「それはない!」


自分でも驚くほど、強い否定が零の口から飛び出した。

教室へ、箒の音すら消えた静寂が落ちる。

鈴華は目を瞬かせ、零の背中を見つめた。


「……どうして、そこだけ言い切れるんですか?」


「いや、それは……」


零は自分の口から出た言葉に、今さら気づいたらしい。

気まずそうに視線を逸らし、咳払いをした。


「あー……普通に考えて、だ。世界中で名前を知られてる魔法使いが、そんな理由で急に消えるとは思えねぇだろ」


頭を掻きながら告げる零へ、鈴華はひとまず頷く。


「……確かに、それはそうですね」


理屈としては分からなくもない。

だが、極秘任務や死亡という噂には反応しなかったのに、駆け落ちだけは即座に否定した。


(今の反応……)


鈴華は箒を動かしながら、そっと零の横顔を窺う。

零は何もなかったかのように掃除を続けていた。

いつもどおり、掴みどころのない横顔。

それでも胸の中には、消えなかった違和感がもう一つ積み重なっている。


(やっぱり、何か知っているのでしょうか……)


気にはなる。

だが、無理に聞いても、零はきっと答えてくれない。

鈴華は問いかけたい気持ちを胸へしまい、残っていた埃を一か所へ集めた。

やがて零が、最後の埃をちり取りへ入れる。


「……終わったな」


二人で教室を見回した。

乱れていた机と椅子は綺麗に並び、床にも目立った埃は残っていない。

一週間続いた罰掃除も、これで終わりだった。

零は箒を教室の隅へ戻すと、鞄を手に取る。


「白河。このあと、暇か?」


突然尋ねられ、鈴華は目を瞬かせた。


「特に予定はありませんけど……」


「じゃあ、甘いもんでも食いに行こうぜ」


あまりにも気軽な誘いだった。

意味を理解するまでに少し時間がかかり、鈴華は驚いたように自分を指差す。


「私も、ですか?」


零はきょとんとした顔をした。


「ほかに誰がいるんだよ」


その返しがあまりにも自然で、鈴華の胸が弾んだ。

零は教室の扉へ向かいながら、肩越しに振り返る。


「一週間も付き合ってもらったんだ。最後くらい、お疲れ様会をさせろ」


気負いも、照れもない。

ただ当然のように、自分も一緒に行くものとして声を掛けてくれた。

それが鈴華には、何よりも嬉しかった。


「はい」


頬へ浮かぶ笑みを隠さず、零のあとを追う。


「喜んで」


二人が教室を出ると、茜色の光が廊下へ長い影を伸ばした。


挿絵(By みてみん)

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