5話:黒の魔法使い②
放課後。
魔法学生風紀機構――通称『風紀部』。
その星峰支部では、巡回を終えた部員たちが、持ち帰った報告書の整理を進めていた。
風紀部は、各魔法学校から選抜された学生によって構成される治安維持組織である。
所属は学校ではなく、魔法学生風紀機構そのもの。
そのため支部には、中学一年生から高校三年生まで、学校も学年も異なる生徒たちが集まっている。
入部試験は毎年、春と秋の二回。
魔法の実技だけでなく、法令や危機管理を問う筆記試験も課され、合格した者だけが正式な風紀部員として認められる。
主な任務は、市内の巡回と魔法犯罪への初動対応。
魔法警察が到着するまで住民を避難させ、現場を封鎖することも、彼らの重要な役目だった。
支部内の机には、市内地図や報告書が所狭しと広げられている。
壁の大型モニターには、各地区を巡回する部員たちの現在地が表示され、室内には紙をめくる音とキーボードを叩く音が絶え間なく響いていた。
その一角で、白河鈴華は一枚の報告書を手にしていた。
隣の席では、同じ星峰魔法高等学校に通う鏡野澪が、先輩部員と事件記録を照合している。
星峰魔法高等学校の首席入学生にして、風紀部星峰支部のエース。
高校へ進学したばかりにもかかわらず、鏡野はすでに先輩たちから一目置かれていた。
鈴華にとっては大切な親友であり、いつか追いつきたい目標でもある。
だが今、鈴華の意識は鏡野ではなく、手元の報告書へ向けられていた。
ここ数日、星峰市内で立て続けに発生した三件の事件。
いずれの現場にも、黒い炎を操る魔法使いが現れている。
そして犯人は、被害者たちの前でこう名乗っていた。
『漆黒の流星』――と。
報告書には、現場で集められた目撃証言が記載されている。
『黒い炎を使っていた』
『弾けた火の粉が、星みたいに見えた』
『黒い炎が尾を引いて、流れ星のようだった』
犯人が使っていたものは、あくまで黒い炎だ。
ただ、その炎が弾けた際に飛び散る火の粉や、尾を引く軌跡を目撃した者の中には、それを星のようだったと証言する者もいたらしい。
鈴華の指先が、報告書に記された一文の上で止まった。
(黒い星……)
脳裏によみがえったのは、入学式の日に見た光景だった。
路地裏へ降り注ぎ、自分たちを助けてくれた漆黒の星。
そして実技試験でプールを一撃のもとに消し飛ばした、黒神零の魔法。
漆黒の球体を包む紫銀色の粒子は、夜空に瞬く星々のように輝いていた。
黒いにもかかわらず、禍々しさなど感じさせない。
思わず見惚れてしまうほど、美しい魔法だった。
(黒神くんの魔法とは、違います)
報告書に記されているのは、黒い炎。
零が使ったのは、漆黒の星。
見た目も性質も違っている。
鈴華は、零が今回の犯人だとは思っていなかった。
だからこそ、ただ魔法の色が同じというだけで、彼の名前を出すべきではないと思った。
それでも、同じ『黒い魔法』という共通点が、鈴華の胸へ引っ掛かりを残している。
「白河」
呼びかけられ、鈴華ははっと顔を上げた。
いつの間にか、先輩部員が机を挟んで立っている。
その視線は、鈴華が握ったままの報告書へ向けられていた。
「ずいぶん熱心に読んでいるけど、何か気になることでもあった?」
「……いえ」
鈴華は少し迷ったあと、首を横へ振った。
零の魔法とは、明らかに違う。
確かなことが何も分からない段階で、親しくなったばかりのクラスメイトについて話すべきではないだろう。
「少し、気になっただけです」
「そう?」
先輩は鈴華の表情を窺ったものの、それ以上は追及しなかった。
手元の資料を閉じると、壁に掛けられた時計へ目を向ける。
「今日の巡回はこれで終わり。報告書も、残りは私たちで整理しておくわ」
「ありがとうございます」
鈴華が席を立つのとほぼ同時に、支部のあちこちで帰り支度を始める音が聞こえてきた。
机の上の資料を揃え、鞄へ筆記用具をしまう。
その様子を見守っていた先輩が、ふと思い出したように口を開いた。
「何か気になることがあるなら、一人で抱え込まないこと」
その穏やかな声に、鈴華は目を瞬かせる。
先輩は責めるでも問い詰めるでもなく、ただ鈴華を安心させるように微笑んでいた。
「私たちは仲間なんだから」
「……はい」
返事をした鈴華へ、先輩はもう一つだけ付け加えた。
「それと、無茶はしないこと。あなたは放っておくと、自分のことを後回しにするでしょう?」
見抜かれていたことが少し恥ずかしくて、鈴華は目を伏せる。
中学三年から鈴華を見てきた先輩には、隠しても無駄なのだろう。
数日前、夕暮れの教室で零から言われたことが、そのまま重なった。
あのときも、零が自分を心配してくれていることは分かっていた。
だが、まったく違う相手から同じことを言われて、その言葉はようやく実感を伴って胸へ落ちてくる。
誰かを守るためには、まず自分が倒れないこと。
無茶をして傷つくことと、勇気を出して踏み出すことは、きっと同じではない。
鈴華は胸の前で拳を握ると、先ほどよりも力強く頷いた。
「はい。気をつけます」
「それでよし」
先輩が満足そうに笑う。
鈴華は鞄を肩へ掛けると、一礼して支部をあとにした。
外へ出た途端、夕暮れの風が長い黒髪を揺らす。
空はすでに茜色へ染まり、街には少しずつ灯りがともり始めていた。
鈴華は腕時計へ目を落とす。
(黒神くんの掃除も、そろそろ終わる頃でしょうか)
一週間続いた罰掃除も、今日が最終日だった。
風紀部の活動が終わったばかりなのだから、そのまま帰っても構わない。
今日も手伝ってほしいと、零に頼まれていたわけでもなかった。
それなのに、足は最寄りの駅ではなく、星峰魔法高等学校の方角へ向いている。
鈴華はそんな自分に気づき、少しだけ頬を緩めた。
(……まだ、間に合いますよね)
鞄を抱え直すと、夕暮れに染まる校舎へ向かって歩きだした。
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星峰魔法高等学校。
今は使われていない、古い教室。
窓から差し込む夕陽が床を赤く染め、箒で舞い上がった埃を淡く照らしていた。
黒神零は教卓の周りを掃き終えると、凝り固まった腰を伸ばす。
「これで、ようやく終わるか……」
一週間続いた罰掃除も、今日で最後。
机と椅子はすでに元の位置へ戻してある。
残っているのは、窓際の一角だけだった。
最初は、面倒でしかなかった。
放課後を潰され、教師からは小言を言われ、埃まみれの教室を毎日掃除させられる。
さっさと終わってほしい。
そう思っていたはずなのだが――。
気づけば、鈴華が毎日のように手伝いへ来るようになっていた。
学校であった出来事や、風紀部の活動。
魔法の話に、売店で売っているパンの話。
箒を動かしながら交わす他愛もない会話が、いつの間にか二人の放課後の日課になっている。
(……まあ、悪くない一週間だったか)
そんなことを考えてしまった自分がおかしくて、零は笑った。
そのとき、教室の扉が控えめに二度叩かれる。
「黒神くん」
聞き慣れた声に、零は振り返った。
扉を開けた鈴華は、息を弾ませている。
長い黒髪も、普段より少しだけ乱れていた。
その左腕には、風紀部の腕章が残ったままだ。
どうやら活動を終え、その足で戻ってきたらしい。
零は驚くでもなく、口元に笑みを浮かべた。
「やっぱり来たか」
鈴華は一瞬だけ目を丸くしたあと、照れくさそうに微笑む。
「来ると思っていたんですか?」
「なんとなくな」
零が残った窓際へ視線を戻すと、鈴華は慣れた足取りで教室の隅へ向かった。
立て掛けられていた箒を一本取り、零へ振り返る。
「今日も手伝います」
「風紀部の活動があったんだろ。無理して来なくてもよかったのに」
「大丈夫です。巡回はもう終わりましたから」
鈴華は箒を両手で持ったまま、少しだけ視線を伏せた。
「それに……今日で最後ですし」
「それに?」
問い返され、鈴華は頬を染める。
それでも誤魔化さず、零の顔を見て続けた。
「最後まで、付き合いたいなと思って」
零は意外そうに黄金色の瞳を瞬かせる。
やがて、困ったように鼻先を掻いた。
「……頑固だねぇ」
「よく言われます」
鈴華がどこか誇らしそうに答える。
その返事がおかしくて、零も堪えきれずに笑った。
「じゃ、さっさと終わらせるか」
「はい」
二人は並んで、残っていた窓際の掃除を始めた。




