第2章エピローグ②:次に会う時まで
空港ターミナルの屋外送迎デッキ。
フェンスの向こうに広がる滑走路では、一機の旅客機がゆっくりと進んでいた。
やがてエンジン音が大きくなり、機体は一気に速度を上げていく。
零と鈴華は並んでフェンスの前に立ち、その姿を黙って見つめていた。
機首が持ち上がる。
アルディア王国へ向かう機体は滑走路を離れると、そのまま青空へ向かって高度を上げていった。
次第に小さくなっていく機影を追いながら、鈴華が少しだけ寂しそうに目を細める。
「……行っちゃいましたね」
「ああ。まあ、アイリス姉なら問題ないだろ」
零は空を見上げたまま、いつもの気の抜けた調子で答えた。
国へ戻れば、今回の事件の後始末も、王位を継ぐための準備も待っている。
決して楽な道ではないだろう。
それでも、侯爵の前で自分の未来を選んだアイリスなら、きっと大丈夫だ。
「そうですね」
鈴華も小さく頷いた。
やがて飛行機は雲の向こうへ消え、完全に姿が見えなくなる。
しばらく名残惜しそうに空を眺めていた鈴華だったが、その隣で、零だけは違う方向へ意識を向けていた。
黄金色の瞳が、ゆっくりと背後へ向けられる。
休日の送迎デッキには、多くの人が行き交っていた。
飛行機を眺める家族連れや、望遠レンズを構える人々。
穏やかな話し声と、時折響く子供の笑い声。
その中で、零は雑踏の一角を見据える。
「そろそろ出てこいよ」
「……え?」
鈴華が不思議そうに振り返る。
零は彼女の方を見ないまま、目を細めた。
「いつまで隠れてるつもりだ?」
その声が落ちた直後、人混みの中から一人の男がゆっくりと歩み出た。
周囲の人々は何も気づかないまま、その横を通り過ぎていく。
それなのに、行き交う話し声も、遠いエンジン音も、急に一枚隔てたように遠のいた。
男の顔を確かめた瞬間、鈴華の表情が一変する。
「――ッ!」
身体が反射的に強張る。
黒に近い濃紺の髪。
淡い青の瞳。
そして、周囲とは明らかに異なる鋭い気配。
「カイル・ヴェルナー……!」
鈴華は咄嗟に半歩身を引き、右手へ意識を集中させた。
相手はA級国際指名手配犯。
一週間前、迎賓施設で零と死闘を繰り広げた殺し屋だ。
こんな場所で戦闘になれば、周囲の一般客を巻き込む。
それが分かっているからこそ、すぐに魔法を発動することはできない。
それでも、碧色の瞳から先ほどまでの穏やかさは完全に消えていた。
「どうして、ここに……?」
カイルは何も答えず、二人から数メートル離れたところで足を止めた。
両手は下ろしたまま。
魔力を高める様子もない。
零も、その場から動かなかった。
休日の送迎デッキには、人が多すぎる。
ここでやり合えば、周りを巻き込むのは避けられない。
向こうもそれを分かったうえで、この場所を選んで姿を見せたのだろう。
それでも零は警戒を解かず、カイルの一挙一動を見据えていた。
鈴華もまた、唇を引き結んでいた。
風紀部の一員として、本来なら真っ先に通報すべき相手だ。
けれど、零が動かない理由も分かる。
ここで騒ぎになれば、一番危ないのは周りにいる人たちだった。
「いいのか?」
零が口を開く。
そして親指で、先ほど飛行機が消えていった空を示した。
「王女様なら、もう帰ったぞ」
「構わん」
カイルは空へ一瞥すら向けなかった。
「殺し稼業は、しばらく休業だ」
「……休業?」
零の眉がぴくりと動く。
鈴華も警戒こそ崩さなかったものの、その意味を測りかねるようにカイルを見つめていた。
「……どういうつもりだ」
「仕事で標的を仕留め損ねた。初めてだ」
カイルは淡々と告げた。
感情の起伏はない。
ただ、事実を並べているだけの声だった。
「そのうえ、原因のお前を潰しに行って、それも果たせなかった」
「あれは引き分けだろ?」
「違う」
カイルは否定した。
そして、右手をゆっくりと持ち上げる。
「俺にとっては、敗北と同じだ」
その五指が、空を掴むように握られた。
「この手で貫けなかったものは、これまで一つもない」
防御魔法も、障壁も、そして人も――。
仕事で相対した誰一人として、この一撃を止めた者はいなかった。
だから迷わずにいられた。
この手がある限り、仕留め損ねることはないと信じていた。
その前提が、たった一日で崩れた。
「止まったんだ、あれが」
短い言葉だった。
それだけに、そこへ込められたものの重さが伝わる。
「しかも、そのあとだ」
カイルの視線が零を捉える。
「あれだけ削ったはずのお前が、地下であの魔力の塊を撃ち抜いた」
「……見てたな。あの時」
「お前も、気づいていたな」
零は否定しなかった。
「俺が全力を出しても止められなかった男は、俺との戦いのあとで、まだあれだけのものを残していた」
握った拳が、かすかに震える。
怒りではない。
一度、言葉が途切れた。
遠くで響いた離陸音が、やけに遠く聞こえる。
「――分かるか」
初めて、カイルの声に温度が乗った。
「二十年だ。この腕一本で生きてきた。それが一日で、何一つ通用しなかった」
「…………」
鈴華は何も言えなかった。
目の前に立っているのは、一週間前まで自分たちの命を狙っていた殺し屋だ。
それなのに、今そこにあるのは殺意ではない。
積み上げてきたものが崩れた男の、剥き出しの姿だった。
「今のままお前に挑んでも、同じ結果になる」
カイルは拳を下ろした。
「なら、鍛え直す。それだけだ」
「……それで、殺しを休むのか」
「仕事をしながらできることじゃない」
あっさりと言い切る。
「金なら困らん。それに――」
そこで、口の端がかすかに動いた。
「今は、そっちの方が面白い」
そこで一度言葉を切ると、改めて零を見据える。
その淡い青の瞳が、相手の奥底まで探るように鋭く細められた。
「それに、お前……まだ上があるだろ?」
「…………」
零の返事が、一拍だけ遅れた。
ほんの一瞬の間だったが、カイルは見逃さなかった。
「漆黒の流星。あれで全部とは、どうにも思えん」
「……そんなんじゃねぇよ」
零は表情を変えず、カイルを見たまま返した。
「買い被りすぎだ」
「そうか」
カイルはそれ以上追及しなかった。
今ここで答えを聞く必要はない、とでも言うように目を細める。
「なら、次に戦った時に確かめる」
零はすぐには答えなかった。
代わりに、一歩だけ距離を詰める。
「……言っとくが」
声が低くなった。
「あんたはA級の指名手配犯だ。次に会った時は、こんな話じゃ済まねぇかもな」
「構わん」
カイルは即答した。
「その時は、その時だ」
それだけ告げると、軽く顎を引く。
「次に会う時までに腕を磨く。今度こそ、お前を倒す」
その言葉を聞いた零の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
さっきまでとは違う。
獲物を狙う殺し屋と、それを迎え撃つ執行官ではない。
純粋に次の勝負を見据える、二人の魔法使いの視線がぶつかる。
「だったら次は、最初から本気で来い」
「……いいだろう」
短い答えだった。
「ただし――」
零は黄金色の瞳を細めた。
「次に戦う時は、俺の戦い方に付き合ってもらうぜ」
あの日、零はカイルの得意とする接近戦へ付き合った。
狭い廊下では、撃ちながら駆けることもできなかった。
次は違う。
最初から銀河魔法を駆使し、相手との距離を自在に変えながら戦う――零本来の戦い方、『流星遊撃』。
『漆黒の流星』の土俵で戦うということだった。
「望むところだ」
それだけだった。
カイルは背を向け、そのまま人混みの中へ歩き出す。
零も、もう何も言わなかった。
遠のいていた喧騒が、少しずつ戻ってくる。
行き交う人々の話し声。
子供の笑い声。
滑走路から届く低い駆動音。
その中へ、濃紺の背中が少しずつ紛れていく。
鈴華は最後まで警戒を解かず、その背中を追っていた。
やがてカイルの姿は完全に見えなくなる。
それでもしばらく、鈴華はその方向を見つめたままだった。
今日の夜に第2章の最終話をアップ予定です。
その時に活動報告を上げる予定です。




