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漆黒の流星《ブラックスター》  作者: ショウ
第2章:天輝花

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13話:天輝花③〜待たせたな〜

「はぁ……はぁ……」


侯爵がゆっくりと顔を上げた。


こめかみから首筋にかけて血管が浮き、呼吸も明らかに荒い。

握った指先には微かな震えまであり、人間の身体が耐えられる範囲を越えた力を無理やり引き出していることは、鈴華にも一目で分かった。

それなのに侯爵は苦痛に顔を歪めるどころか、自分の掌を眺めながら恍惚とした笑みを浮かべている。


「……素晴らしい。これほどとは……」


ゆっくりと指を握り込む。

それだけで周囲の魔力が波打ち、床に積もった埃が円を描くように吹き飛んだ。


「鈴華さん……」


背後から聞こえたアイリスの声には、不安が滲んでいた。


「大丈夫です」


鈴華は振り返らず、視線を侯爵から外さないまま答える。


「レオン伯爵。アイリスさんをお願いします」


「……承知しました」


レオンはアイリスを自らの背後へ完全に隠すように位置を変えた。

それを気配だけで確かめた瞬間、侯爵の姿が大きくぶれた。


「――!」


速い。

天輝花を使う前とは比較にならないほど、踏み込みも身体の切り返しも鋭くなっている。

それでも鈴華は見失わなかった。

前から来る一発だけではない。

左右から、死角から、さらに逃げた先まで読んで追い込んでくる銀河星。

それを相手に逃げ続けてきた経験が、考えるより先に身体を反応させている。


鈴華は即座に『夢幻』を展開した。

侯爵の拳が、実際の鈴華とは大きく離れた場所へ振り抜かれる。

その時には、本物の鈴華はすでに数メートル先の側面へ回り込んでいた。


「はっ!」


光魔法が侯爵の胸元へ直撃する。

だが――。


バシュッ!


「……!」


光は身体へ届くより先に弾けた。

全身を覆う異常な密度の魔力。

先ほどなら体勢を崩せた一撃が、防壁の表面を揺らしただけで消えていく。


「今度はこちらの番だ」


侯爵が身体を返した。

鈴華は再び『夢幻』を発動し、認識上の自分を大きく別の位置へずらす。

当然、侯爵の拳は空振りした。

ところが、侯爵はすぐには追わなかった。

拳を外した姿勢のまま、何もない床へ向かって一気に腕を振り下ろす。


ドォンッ――!!


膨大な魔力が衝撃波となり、地下駐車場を円状に薙ぎ払った。


「っ……!」


数メートル離れていた鈴華の身体まで、強烈な衝撃に押し流される。

両腕を交差して防いだものの、靴底が床を長く滑った。


(夢幻が効いていないわけじゃない……!)


侯爵は本当の位置を捉えていない。

今の攻撃も、鈴華がいない場所へ向けられた。

それでも、どこにいるのか分からないのなら、周囲ごと吹き飛ばせばいい。

天輝花によって得た異常な魔力量が、そんな力任せの戦い方を可能にしている。

鈴華はすぐに体勢を立て直した。

侯爵が踏み込めば『夢幻』で視線を外し、数メートル先へ自分の位置を誤認させる。

その隙に反対側へ回り込み、光魔法を撃ち込んだ。


「そこです!」


光が直撃する。

しかし、防壁に弾かれる。

すぐに位置を変え、今度は背後から二発目を放つ。

それも身体へ届く前に魔力の壁へ阻まれた。

侯爵の攻撃は、依然として鈴華自身を捉えられていない。

一方で、こちらの攻撃も通らない。

先ほどまでとは、完全に戦況が変わっていた。


「いつまで逃げ続けるつもりだ?」


侯爵の低い声が地下駐車場へ響く。

直後、その両腕が大きく開かれた。


「――!」


鈴華の表情が変わる。

狙いを定めるつもりがない。

侯爵を中心に、膨大な魔力が急速に膨張していく。

その声から、それまでの品が抜け落ちていた。


「全部まとめて――吹き飛ばすまでだ!」


魔力が爆発した。

鈴華は即座に後方へ跳びながら、正面に光の障壁を展開する。

次の瞬間、轟音と共に凄まじい圧力が襲いかかった。


「くっ……!」


障壁ごと身体が押し流される。

床へ叩きつけられ、そのまま何度か転がったところでようやく勢いが止まった。


「鈴華さん!」


アイリスの声が聞こえる。


「……大丈夫です!」


鈴華は片手を床へつき、痛む身体を起こした。

背中も腕も痛い。

それでも、まだ動ける。

再びアイリスたちの前へ戻ると、侯爵が眉を寄せた。


「まだ立つか」


「当然です」


額には汗が浮かび、呼吸も先ほどまでより乱れている。

それでも碧色の瞳から戦意は消えていなかった。


「黒神くんの訓練は――こんなものじゃありませんでしたから」


「何?」


侯爵が怪訝そうに目を細める。

鈴華はそれ以上説明することなく、黙って構え直した。

強がりのつもりはなかった。

何度地面へ転がされても、そのたびに立ち上がり、もう一度あの弾幕へ飛び込んできた。

あの日々に比べれば、まだ何も終わっていない。


(これくらいで――倒れるわけにはいかない!)


掌へ光を集め、床を蹴る。

『夢幻』によって、侯爵の視界に映る鈴華の位置が大きくずれた。

正面にいると思わせたまま、鈴華自身は斜め後方へと回り込む。

侯爵の拳が虚空を打った。

その隙へ、光を纏わせた掌を叩き込む。


「はぁっ!」


バンッ――!

眩い光が炸裂し、魔力の防壁が大きく揺れる。


――広げて撃っても、弾かれるだけ。


鈴華は間髪入れず、今炸裂したのと寸分違わぬ一点へ、次の光を叩き込んだ。

防壁が揺らぎを取り戻すより早く、同じ場所を続けて穿つ。


二撃目。

光が一点へ集中し、分厚い防壁の表面へ亀裂のような揺らぎが走った。


「もう一度――!」


三撃目。

さらに魔力を押し込む。

バシュッ――!


「……!」


侯爵の身体が、半歩だけ後ろへ下がった。

たった半歩。

それでも、確かに届いた。

天輝花による魔力の防壁を抜き、その向こうにある身体へ衝撃が伝わった。


「まだ――!」


鈴華がさらに踏み込もうとする。

だが、侯爵の表情が歪んだ。


「調子に乗るな!」


「――っ!」


腕が横薙ぎに振り払われる。

その動きに膨大な魔力が重なり、衝撃波となって鈴華へ襲いかかった。

今度は防ぎきれない。


「きゃっ――!」


身体が大きく吹き飛び、床を何度も転がった末に、柱の近くでようやく止まった。


「……くっ」


鈴華は片手を床へつき、立ち上がろうとする。

けれど腕が震え、脚にも思うように力が入らない。

『夢幻』を重ね続けた消耗が、ここへ来て一気に押し寄せていた。


「鈴華さん!」


アイリスが思わず駆け出そうとした。


「なりません!」


レオンが即座に腕を広げ、その進路を塞ぐ。


「ですが、鈴華さんが……!」


アイリスの声が震えている。

レオンも鈴華が心配ではないはずがない。

それでも、決してアイリスの傍を離れなかった。


「白河様は、アイリス様をお守りするために戦っておられるのです。ここで前へ出られては、そのお覚悟を無にすることになります」


「……っ」


アイリスの足が止まる。

苦しそうに唇を結びながら、倒れた鈴華を見つめた。


「まだ……です」


掠れた声が届く。

鈴華は床へついた腕へ力を込め、どうにか膝を立てようとしていた。


「まだ……終わってません……」


けれど、鈴華が立ち上がるより早く、侯爵は彼女から視線を外した。


「そこで見ていなさい」


そのままアイリスへ向き直る。

天輝花によって膨れ上がった魔力は、まだ身体を覆っている。

ただし呼吸はさらに荒くなり、首筋に浮かぶ血管も先ほど以上に濃くなっていた。


「最後にもう一度だけ聞こう、アイリス。王位継承権を放棄しろ」


一歩ずつ距離を詰める。


「君が退けば、私が王になる。これで最後だ」


レオンの背中越しに、アイリスは叔父を見つめた。

怖い。

脚は今も震えている。

天輝花によって異常な力を手にしたその姿は、幼い頃から知っていた叔父とは別人のようだった。

それでも――。


「……いいえ」


今度は最初よりも、はっきりと言い切った。


「私は――あなたの言う通りにはなりません」


侯爵の顔から感情が消えた。


「そうか。なら――仕方がない」


床を蹴る。


「アイリス様!」


レオンは迷わなかった。

完全にアイリスの前へ身体を入れ、侯爵の進路を塞ぐ。


「退け、レオン!」


「退きません!」


侯爵の拳が振るわれた。

レオンは両腕を交差させ、その表面へ薄い防御魔法を重ねて受け止める。


ドンッ――!


「ぐっ……!」


魔力を纏った拳が真正面からぶつかり、張った防壁が一撃で砕けた。

衝撃がそのまま腕へ抜け、レオンの身体が大きく後ろへ押し込まれる。

靴底が床を削り、両腕には強烈な痺れが走った。

それでもレオンは倒れなかった。

背後には、自らが忠誠を誓った王女がいる。

その事実だけで、押し潰されそうになる身体を踏み止まらせるには十分だった。


「レオン!」


「私がお守りいたします」


苦しげに呼吸しながらも、レオンは振り返らない。


「それが――私の役目です」


侯爵の目が、冷たく細められた。


「ならば、一緒に消えろ」


右拳へ、さらに膨大な魔力が集まり始める。

床に伏した鈴華も、その気配を感じ取った。

止めなければならない。

腕へ力を込め、立ち上がろうとする。

けれど脚がまだ言うことを聞かず、間に合わないことだけが嫌でも分かってしまった。


「やめて――!」


アイリスの声が地下駐車場へ響く。

侯爵の拳が、レオンごと、その背後にいるアイリスを叩き潰そうと振り抜かれる。

その瞬間――鋭い風切り音が走った。


「――?」


侯爵が横へ視線を向ける。

地下駐車場へ続く通路の奥。

暗がりの向こうから、一つの漆黒の魔力球が飛来していた。

その周囲には、紫銀色の粒子が星屑のような軌跡を残している。


「……!」


鈴華の碧色の瞳が大きく見開かれた。

見間違えるはずがない。

毎日のように、何度も自分へ向かって飛んできた魔法なのだから。


ドンッ――!!


漆黒の魔力弾が、侯爵の右腕へ真正面から突き刺さった。


「ぐっ!?」


振り抜かれるはずだった拳が大きく弾かれ、天輝花の魔力に覆われた侯爵の身体が数メートル横へ押し流される。

その隙に、レオンはアイリスの肩を抱くようにして後方へ下がった。

爆発の余韻がゆっくりと消えていく。

地下駐車場には、先ほどの魔力弾が残した紫銀色の粒子が星屑のように漂っていた。

鈴華は息を整えることも忘れ、その光の向こうを見つめる。


「……黒神くん」


掠れた声が漏れた。

地下へ続く通路の奥から、一人の少年が歩いてくる。

服は乱れ、右袖は大きく裂けていた。

頬にも腕にも傷が残り、少し前まで激しい戦闘をしていたことは一目で分かる。

それでも、黄金色の瞳はいつもと変わらなかった。

零は地下駐車場へ足を踏み入れると、まず周囲へ視線を走らせる。

柱の近くで片膝をついている鈴華。

アイリスを庇うレオン。

その背後にいるアイリス。

そして、天輝花による膨大な魔力を纏った侯爵。

床は割れ、車は歪み、壁には無数の亀裂が走っている。

これだけの相手を前に、鈴華が一人でどれだけ粘ったのか。

零にはすぐに分かった。

ほんの一瞬だけ、その表情が硬くなる。

けれど鈴華へ視線を戻す頃には、もう、いつもの顔へ戻っていた。


「よく粘ったな。白河」


少しだけ申し訳なさそうに笑う。


「悪い……待たせたな」

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