13話:天輝花②〜訓練の成果〜
侯爵が右手を持ち上げる。
掌の上で魔力が渦を巻き、鋭く尖った風の刃が形を成した。
「ならば、試してみるとしよう」
放たれた刃を、鈴華は横へ跳んで避ける。
着地した床の脇を、二発目、三発目が抉っていった。
止まれば当たる。
鈴華は駆けながら光弾を返す。
だが、それは侯爵の掌から広がった魔力の壁に阻まれた。
「悪くない。だが軽い」
言い終えると同時に、侯爵が床を蹴った。
踏み込みは鋭い。
身体強化を施しているのだろう。
振り抜かれた拳も、学生同士の模擬戦とは比較にならない速度で鈴華へ迫る。
だが、鈴華の碧色の瞳は、その動きをはっきりと捉えていた。
(見える……!)
決して遅くない。
まともに受ければ、一撃で体勢を崩されるだけの威力もある。
それなのに、目の前まで拳が迫っても身体は動きを止めなかった。
脳裏を過ったのは、放課後の屋外演習場だった。
『連射』
零の声と共に、いくつもの銀河星が四方から飛来する。
一発目を避ければ二発目、その進路を読んだように三発目が迫り、さらに逃げた先へ次の銀河星が待っている。
訓練だからといって、零は容赦してくれなかった。
何度地面を転がされたのか分からない。
あと少しというところまで迫りながら、一撃も与えられずに終わったことも、数えきれなかった。
今だって、鈴華はまだ零へまともな一撃を当てられていない。
それでも、必死についていった時間は確実に身体へ染みついていた。
相手の視線、肩の動き、踏み込む直前の重心、身体を巡る魔力の流れ。
以前なら意識しなければ拾えなかった情報を、今では考えるより先に身体が感じ取っている。
(黒神くんの訓練に比べたら――これくらい、見切れる!)
侯爵の拳が鈴華を捉える。
そう見えた瞬間、その姿が陽炎のように揺らいだ。
「……何?」
拳が何もない空間を切る。
侯爵が咄嗟に視線を巡らせた時には、鈴華はすでに数メートル離れた側面へ回り込んでいた。
「はっ!」
掌から放たれた光が、侯爵の肩口へ炸裂する。
「ぐっ……!」
衝撃で身体が大きくよろめく。
鈴華はそのまま追いかけない。
一撃を入れるとすぐに間合いを取り直し、侯爵とアイリスの間へ戻れる位置を保った。
苛立った侯爵が身体を返し、今度は逃げ道ごと塞ぐように横薙ぎの魔法を放つ。
拳とは違い、広い範囲をまとめて薙ぎ払う一撃だった。
魔力が炸裂し、コンクリートの床を舐めるように衝撃が走る。
その中心にいた鈴華の姿が飲み込まれた。
しかし、爆風が晴れても、そこに人影はない。
「……またか」
「こちらです」
「――!」
背後から聞こえた声に振り返る。
その時には、もう遅かった。
鈴華の光魔法が侯爵の背中へ直撃し、眩い光と共に身体を前へ押し出す。
「くっ……!」
振り向きざまに侯爵が魔法を放つが、そこにも鈴華はいない。
正面にいると認識した次の瞬間には側面へ。
距離を取ったように見えたはずなのに、実際には死角へ回り込んでいる。
初めて『夢幻』の形を掴んだ頃は、一度認識をずらすだけで精一杯だった。
相手に捉え直されれば、そこで終わり。
次のずれを作る前に、銀河星が目の前まで迫っていた。
けれど零は、そこで止まることを許してくれなかった。
捉え直されるたびに、何度でもずらせ。
そう言って、何度も銀河星の弾幕を潜らせた。
回避しながら認識をずらし、捉え直される前に次のずれを重ねる。
できるようになるまで、ただ撃ち続けた。
その積み重ねが、今になって一つへ繋がっている。
侯爵が再び踏み込む。
拳が空を切る。
すぐさま反対方向へ魔法を撃ち込むが、そちらにも鈴華はいない。
「はぁっ!」
死角から放たれた光が胸元へ直撃し、侯爵の身体を大きく後退させた。
それでも強引に腕を振るうが、またしても虚空を切る。
次に鈴華の姿を見つけた時には、脇腹へ二発目の光が叩き込まれていた。
「ぐっ……!」
ついに侯爵の片膝が床へ落ちた。
鈴華はそこで足を止め、呼吸を整えながら慎重に間合いを保った。
今は明確にこちらが押している。
だからといって、油断する気にはなれなかった。
零との訓練では、一度攻撃を避けたくらいで安心すれば、その先へ次の銀河星が飛んできた。
気を抜いた瞬間がどれほど危険なのかを、身体で覚えている。
それに――そう長くは保たない。
先ほどの三人と、今の攻防。
認識をずらすたびに、魔力も集中も削られていく。
『夢幻』を張り直し続けた消耗が、確実に身体へ溜まっていた。
指先が、少しずつ重くなってきている。
ただ、それとは別に、胸の奥には小さな実感が生まれていた。
(……ちゃんと、身になってる)
零には、まだ届かない。
それでも、必死についていこうと足掻いた時間は無駄ではなかった。
相手の動きを見る目も、攻撃を予測する感覚も、『夢幻』を重ねながら戦う技術も、確かに自分の血肉になっている。
「……なるほど」
片膝をついた侯爵が低く呟き、唇の端を指で拭った。
指先についた血を見ると、それまでとは違う冷たい目で鈴華を見上げる。
「少々、君を侮っていたようだ」
「もうやめてください。これ以上続けても――」
「続けるとも」
侯爵は鈴華の言葉を遮りながら立ち上がると、上着の内側へ手を差し入れた。
「ここまで来て、退けるものか」
「……?」
取り出されたのは、掌ほどの長さをした銀色の円筒だった。
中央には透明なカートリッジが嵌め込まれ、その中を淡い黄金色の液体が満たしている。
液体の内部では、まるで細かな光の粉を溶かしたような粒子がゆっくりと瞬いていた。
「……おじさま。それは……」
背後でアイリスが息を呑む。
王宮で報告を聞いたことがあった。
国内で違法に出回り、使用者から死者まで出しているという薬。
押収された現物の写真も、その中にあった。
忘れるはずがない。
あの黄金色の輝きだ。
侯爵は銀色の筒を持ち上げると、透明なカートリッジを見せつけるように軽く傾けた。
「分かるか。天輝花だ」
「……っ!」
鈴華の表情も変わった。
昨夜アイリスから聞き、今日レオンからも聞かされたばかりの名前。
本来は魔力欠乏症の治療に使われる希少な花。
しかし一時的に魔力を引き上げる作用を悪用され、強い中毒性と魔力暴走、身体機能の低下を引き起こす。
使い続ければ命まで奪われる。
だからこそ、軍事利用は禁じられている。
その天輝花から作られた薬剤が、今まさに目の前にある。
「正確には、天輝花から魔力増強成分を抽出し、高濃度に精製したものだ。医療用とは比較にならない」
「おじさま! そんなものを使えば、おじさまご自身が……!」
アイリスが思わず一歩出ようとする。
「アイリス様、お下がりください」
レオンが腕を伸ばし、その前を塞いだ。
「身体への負担なら承知している」
侯爵は透明なカートリッジへ視線を落としながら、躊躇なく答えた。
「王になるためだ。この程度の代償なら安いものだよ」
「やめてください!」
鈴華が床を蹴る。
狙うのは侯爵ではない。
あの注射器を、手から払い落とすことだけだった。
だが、一歩遅い。
侯爵は円筒型の自動注射器を左の上腕へ押し当てた。
カシュッ――。
乾いた作動音と共に内蔵された針が皮膚を貫き、透明なカートリッジを満たしていた黄金色の液体が一気に減っていく。
「ぐっ……!」
天輝花の高濃度抽出液が注入された瞬間、侯爵の身体が大きく震えた。
手から離れた注射器が床へ落ち、乾いた金属音を立てて転がっていく。
鈴華は追撃に出ようとして、すぐに足を止めた。
何が起こるのか分からない以上、アイリスから離れすぎる方が危険だ。
侯爵を警戒しながら少しずつ間合いを取り、いつでも背後へ戻れる位置を確保する。
数秒。
何も起こらない。
そう思った次の瞬間だった。
「ぐっ……あああああッ!」
ドンッ――!!
膨大な魔力が、侯爵の身体から爆発するように噴き出した。
「くっ……!」
鈴華は咄嗟に腕で顔を庇う。
魔法を放ったわけではない。
ただ魔力が解放されただけなのに、足元の床へ細かな亀裂が走り、近くに停められていた車体が軋みながら揺れた。
吹き荒れる魔力の奔流が、長い黒髪と借り物のカーディガンを激しく煽る。
「この魔力……!」
先ほどまでとは、まるで違う。
膨れ上がった魔力が全身を巡り、肉体そのものを強引に底上げしている。
さらに身体から溢れた魔力が皮膚の表面へ留まり、分厚い防壁のように侯爵を包み込んでいた。




