12話:流れ星④〜決着〜
肩から上腕へ。
肘を越え、前腕へ。
そして最後には、すべての雷光が右手へ収束していく。
「…………」
その変化を見た零の笑みも、すっと薄くなった。
カイルが五指を揃える。
大量の雷魔力が、手のひらから指先へ向けてさらに圧縮された。
それまで周囲へ散っていたスパークさえ次第に数を減らし、代わりに右手を覆う青白い光だけが鋭さを増していく。
速さだけではない。
雷によって限界まで引き上げた身体能力へ、一点に凝縮した貫通力を重ねる。
その右手は、もはや手刀ではない。
すべてを穿つための、一本の雷槍だった。
「迅雷穿」
低く告げ、カイルが腰を落とす。
右腕を後方へ引いた瞬間、余剰の雷が床を這い、周囲の空気が震えた。
「…………」
零はその構えを静かに見つめる。
――貫く気か。
対処は、すぐに浮かんだ。
銀河星――バージョン黒洞。
魔法を飲み込み、無効化する。
四月のあの日、鈴華へ迫った魔法も、そうやって消した。
あの雷も同じだ。
魔力でできている以上、飲み込める。
だが、それだけだ。
黒洞が消せるのは、魔法と、そこから生まれたものだけ。
雷を剥がしたところで、あの右腕そのものは止まらない。
威力の落ちた突きが、そのまま身体へ入ってくる。
もっとも、そこまで削げば躱せる。
零の指が、ぴくりと動きかけた。
……いや。
視線の先で、カイルが構えている。
震える腕を押さえつけ、灼けた身体を無理やり立たせて、残った全部をあの一点へ注いでいる。
その魔力を剥がせば、後に残るのはこの男が積み上げてきた技術だけだ。
鈍らせて、避けて、終わらせる。
――それは、違うだろ。
握りかけた手を、零はそのまま前へ出した。
「いいぜ」
零の口元が、再び上がった。
「正面から来るなら――こっちも正面から行ってやる」
掌に集まった漆黒の魔力が、一つの銀河星を形作った。
大きさは、今まで使った隕石と同じくらい。
しかし、その内側へ押し込められた魔力は比べものにならないほど濃密だった。
極限まで圧縮された漆黒の銀河星。
その周囲で、紫銀色の粒子が激しく瞬く。
「銀河星――バージョン流れ星」
銀河星から溢れた漆黒の魔力が、掌から腕へ、肩へ、そして全身へと広がっていく。
紫銀色の星屑が零の身体を取り巻き、足元では圧縮された魔力が今にも弾けそうに脈動していた。
一直線に伸びた廊下の両端。
右手に迅雷を凝縮した殺し屋と、漆黒の銀河を纏った少年。
互いに退く気はない。
漆黒と紫銀を纏ったその姿に、カイルの目が見開かれた。
――そうか。これが、『漆黒の流星』か。
「来い――漆黒の流星」
「言われなくても」
次の瞬間――。
カイルの足元で、青白い雷が爆ぜた。
床を蹴った身体が、弾丸のように撃ち出される。
元々の脚力に雷魔法による身体強化を重ね、さらにその加速のすべてを右手の一点へ集中させる。
真正面から迫る、青白い迅雷。
零も腰を沈めた。
「突撃」
圧縮された銀河星が、爆発的な推進力へ変わった。
漆黒の魔力が零の身体を押し出し、その周囲を紫銀色の粒子が長い尾となって流れていく。
まさしく――流れ星。
二人の間にあった距離が、一瞬で消えた。
「――ッ!」
「――!」
カイルの『迅雷穿』が、零の胸を穿とうと突き出される。
零も流れ星の加速を一切殺さず、掌に残した銀河星を真正面へ叩きつけた。
青白い迅雷と、漆黒の流れ星。
二つの魔力が――真正面から激突した。
ドォォォォォン――!!
凄まじい轟音と共に、廊下全体が揺れた。
衝突点を中心に床へ蜘蛛の巣状の亀裂が広がり、左右の窓ガラスが一斉に砕け散る。
青白い雷光が天井や壁へ暴れ回り、それを押し返すように漆黒の魔力が膨れ上がった。
紫銀色の粒子が爆風に巻き込まれ、無数の星屑となって廊下一面へ吹き荒れる。
「ぐっ……!」
「っ……!」
一瞬――。
二つの力が、完全に拮抗した。
カイルの右手を包む雷槍が、零の銀河星を押し潰すように前へ進む。
零も一歩も退かない。
足元の床が砕け、靴底が徐々に後ろへ押されていく。
それでも掌へ残した銀河星へさらに魔力を送り込み、真正面から『迅雷穿』を受け止める。
「――ッ!」
カイルの全身で雷が爆ぜる。
右手の光が、さらに鋭さを増した。
零も奥歯を噛みしめる。
「まだ――!」
紫銀色の星屑が、一際強く瞬いた。
圧縮された銀河星が、限界まで膨れ上がる。
その瞬間、カイルの右腕を覆っていた雷が、ほんの一瞬、途切れた。
神経へ流し続けた雷が、ついに身体の限界を超えたのだ。
途切れたのは、刹那。
すぐに光は戻る。
だが、押し合いの中で、その一瞬は致命的だった。
ドンッ――!!
二人の身体が、同時に弾き飛ばされた。
零は床を数メートル滑り、片足を強く踏み込んで勢いを殺す。
反対側、カイルも壁際まで押し戻され、片膝をついた。
「…………」
先ほどまでの轟音が嘘のように、静寂が戻る。
割れた窓から吹き込む風だけが、廊下に漂う粉塵をゆっくりと押し流していた。
カイルの右腕からは、まだ細かな雷が散っている。
だが、先ほどまでの勢いはなく、五指には震えが残っていた。
零も無傷ではない。
右袖は肩口まで裂け、前腕から二の腕にかけて深い裂傷が走っている。
胸元の服も焼け焦げ、その下の皮膚が赤黒く変色していた。
流れ落ちた血が手首へ達するのを見て、零は一度だけ右手を握った。
握れる。
まだ動く。
「……おっかねぇ」
零は口の端だけで笑った。
「まともに入ってたら、本当に穴開いてたぞ」
対するカイルは、答えなかった。
自分の右手を、ただ見下ろしている。
――貫けなかった。
この手は、これまで一度も止まったことがない。
防御魔法も、障壁も、すべて穿ってきた。
だから仕事を落としたことがなかった。
昨夜、初めて標的を仕留め損ねた。
そして今、その原因である少年に、最も得意な一撃を正面から受け止められた。
「……そうか」
掠れた声が漏れる。
「止まるのか、これが」
カイルがゆっくり立ち上がる。
呼吸は乱れている。
それでも、その瞳から戦意は消えていなかった。
「まだやるか?」
零が右腕を軽く振る。
カイルも、震えの残る右手を握り直した。
「当然だ」
「そっか」
二人が再び構えようとした――その時だった。
「――いたぞ!」
廊下の奥から、怒声が響いた。
続いて、複数の足音。
現れたのは、六人ほどの武装した男たちだった。
零の姿を確認するなり左右へ散開し、それぞれが魔力を高めていく。
「そいつだ! ここで仕留めろ!」
零は男たちを一瞥したあと、カイルへ視線を向けた。
「あんたの仲間か?」
「違う」
カイルの声から、先ほどまでの熱が消えていた。
「同じ依頼主に雇われただけだ」
それを聞いた男の一人が、苛立ったように声を荒らげる。
「カイル! 何をしている! さっさとそいつを――」
男の声が、途中で止まった。
カイルの冷え切った視線が向けられたからだ。
しばらく男たちを睨んでいたカイルは、やがて構えを解いた。
「……興が削がれた」
「もういいのか?」
零の問いに、カイルは視線だけを戻す。
右腕に残っていた最後の雷が消えていく。
「次は――邪魔の入らない場所で殺してやる」
「…………」
零は数秒だけカイルを見返した。
それから特に引き止めることもなく、肩の力を抜く。
「そっか。じゃあ、次まで死ぬなよ」
「それはこっちの台詞だ」
短く言い残し、カイルは男たちとは反対側へ歩き始めた。
「おい、待て! カイル!」
呼び止める声にも反応しない。
そのまま廊下の角を曲がり、姿を消していった。
零はその背中を見送ってから、呆れたように肩をすくめる。
「好き勝手な奴だな」
「余裕を見せている場合か!」
怒声と共に、魔力が膨れ上がる。
零はようやく、残された六人へ視線を戻した。
全員が、すでに攻撃へ移れる状態。
けれど、零が気にしたのは彼らではなかった。
「……やべ」
鈴華たちが消えていった廊下の奥へ目を向ける。
カイルとの戦闘に、思っていた以上の時間を使った。
その瞬間。
『……約束ですよ?』
別れ際の鈴華の表情が、頭へ浮かぶ。
「すぐ追いつくって言ったんだったな」
「何を一人で――」
「悪い」
零が右手を持ち上げる。
「今、急いでんだ」
「――!」
「銀河星――バージョン隕石」
漆黒の魔力球が、次々と周囲へ浮かび上がった。
そのすべてを紫銀色の粒子が取り巻き、六つの銀河星がそれぞれ別の標的へ向きを変える。
男たちの顔色が変わる。
だが、もう遅い。
「連射」
銀河星が、紫銀色の軌跡を引いて一斉に飛び出した。
一人目が魔法を放つより早く胸元を撃ち抜かれ、壁へ叩きつけられる。
その横で二人目が防御魔法を展開しようとしたが、形成しきる前に直撃を受けた。
三人目は横へ跳んだ。
その着地点へ、既に別の銀河星が置かれている。
四人目が仲間の陰へ回り込もうとすれば、壁を掠めて回り込んだ一発が背後から捉えた。
残る二人が反撃のために腕を掲げた時には、その腕の横から星屑の尾が滑り込んでいる。
最後の一人が床へ崩れ落ちるまで、ほんの数秒。
狙いも、順番も、すべて撃つ前から決まっていた。
「よし」
零は動く者がいないことだけを確認し、すぐさま鈴華たちの後を追おうとした。
だが、二歩ほど進んだところで、足が止まる。
「…………」
視界の端にあったのは、連絡廊下の手前にあるエレベーターホールだった。
敵によって止められたエレベーターは、ここでも階数表示が消えたままだった。
呼び出しボタンにも明かりはない。
零はしばらく、閉ざされた扉を見つめた。
地下へ続く階段は、連絡廊下を抜けたさらに先にある。
今から走っても、時間を使いすぎた。
鈴華たちは、もうかなり先まで進んでいるはずだ。
「階段じゃ間に合わねぇな……」
零はエレベーターへ歩いていった。
金属製の扉の前へ立ち、合わせ目へ目を向ける。
そこで、ふっと、何かを思いついた顔になる。
「別に――箱がなくても、下には行けるよな」
右拳へ魔力を巡らせる。
次の瞬間。
ドンッ――!
拳が扉の合わせ目へ叩き込まれた。
金属が大きく歪み、内側のロック機構が鈍い音を立てる。
零はできた隙間へ両手を差し込み、身体強化を重ねた腕へ力を込めた。
「っ……!」
ギギギギギ――!
耳障りな金属音と共に、扉が左右へ押し広げられていく。
一人が通れるだけの隙間ができると、その先に暗い昇降路が姿を現した。
エレベーター本体は、上の階で停止しているらしい。
目の前に床はない。
縦長の暗闇が、地下深くまで続いている。
その中を、何本もの太いワイヤーが通っていた。
「こっちの方が早いな」
身を乗り出して、下を覗く。
暗闇の奥。
かなり下方に、地下階の照明が微かに見えた。
零は躊躇することなく昇降路へ入ると、一本のワイヤーを両手で掴んだ。
さらに両足でも、挟み込むように保持する。
「…………」
掌と足元へ、薄く魔力を纏わせる。
このまま高速で滑り降りれば、ワイヤーとの摩擦で手足は一瞬にして焼ける。
それを防ぐため、接触面へ集中させた魔力を薄い保護膜として展開する。
熱を遮りながら、握る力だけで速度を調整する。
零は手を軽く滑らせ、感触を確かめた。
「こんなもんか」
視線を下へ。
「行くか」
両手と足の力を、一気に緩めた。
身体が落ちる。
重力に引かれ、ワイヤーを伝って一気に地下へ加速していく。
ギィィィィィ――!
鋭い摩擦音が、狭い昇降路へ反響した。
掌と足元から、細かな火花が散る。
魔力によって摩擦熱そのものは防いでいるが、身体へ叩きつけられる風までは消せない。
服の裾が激しくはためき、乱れた髪が後方へ流れる。
地下一階、さらにその下。
各階のエレベーター扉が、次々と頭上へ消えていく。
零はワイヤーを挟む両足を交互にずらし、姿勢を制御しながら落下速度をさらに上げた。
その姿は滑り降りているというより――まるで垂直に伸びる一本の道を、そのまま駆け降りているようだった。
「……まだ遅い」
握る力を、もう一段緩める。
身体がさらに加速した。
火花が長い尾となって暗闇を流れ、風切り音が耳元で唸る。
どれだけ時間を使った。
あの男と拳を交えている間、地下では何が起きていた。
三人だけで、無事に辿り着けているのか。
そんな中。
『……約束ですよ?』
また、鈴華の声が蘇る。
「分かってるって」
誰もいない昇降路で、零は歯を食いしばった。
やがて、下方に目的の階が見えてくる。
今度は両手へ一気に力を込めた。
両足でもワイヤーを強く挟み込み、接触面を覆う魔力をさらに厚くする。
ギィィィィィッ――!
激しい火花。
身体へ掛かる強烈な減速。
零は腕と脚でそれを受け止めながら、凄まじい速度だった落下を一気に殺していく。
そして、地下階の扉が、ちょうど横へ並んだ。
「ここだな」
片手でワイヤーを掴んだまま、身体を前後へ振る。
一度、二度。
十分に勢いをつけると、零はワイヤーから手を離した。
身体が暗闇を横切る。
そのまま――。
ドンッ!
両足でエレベーター扉へ着地した。
衝撃で、金属が大きく歪む。
零はすぐさま、開いた隙間へ指を掛け、腕へ魔力を巡らせた。
「よっと!」
左右へ一気にこじ開ける。
できた隙間へ身体を滑り込ませると、零は地下階の床へ軽く着地した。
「…………」
乱れた服。
大きく裂けた右袖。
頬と腕には、カイルとの戦闘で負った傷が残っている。
それでも、顔を上げた零の黄金色の瞳からは、先ほどまで戦いを楽しんでいた色が完全に消えていた。
視線の先、地下駐車場へ続く通路。
「……遅くなったな」
ぽつりと呟く。
脳裏に浮かんだのは、心配そうに自分を見上げていた鈴華の顔だった。
「待ってろよ」
次の瞬間、零は床を蹴った。
今度こそ――鈴華たちのいる地下駐車場へ向かって、一気に駆け出した。




