12話:流れ星①〜漆黒の流星〜
三人の足音が、廊下の奥へ消えていく。
その気配が十分に遠ざかったのを確かめ、零は短く息を吐いた。
目の前にいるのは、カイル・ヴェルナー。
昨夜、アイリスを襲ったA級国際指名手配犯だ。
零は無言のまま軽く腰を落とした。
一度、二度と膝を曲げ伸ばす。
続いて肩を回し、最後に両手を前へ出して手首をほぐす。
その間も、カイルの姿は視界から外さない。
何気ない準備運動に見えて、どちらの足にも体重を預け切ってはいなかった。
「…………」
カイルは動かず、その様子を見ていた。
零の態度を、ただの油断だと受け取っている様子もない。
身体をほぐし終えると、零は指先だけを軽く開いた。
「一つ、聞いていいか?」
「なんだ」
短い返事を受け、零はカイルへ黄金色の瞳を向ける。
「どこで俺に繋がった」
昨夜、直接相対した時間は、ほんの数十秒だった。
あの場では銀河魔法を使ったが、『漆黒の流星』を名乗ってはいない。
それでもカイルは、先ほど迷うことなく自分をその名で呼んだ。
「気になるか?」
「一晩でそこまで辿ったんなら、理由くらい知っときたいだろ」
零がそう返すと、カイルは数秒だけ間を置いた。
「昨夜の会場にいた学生を当たった。黒神零。星峰魔法高等学校の一年生」
「そこまでは、誰でも辿れるだろ」
名前と学校が分かったところで、『漆黒の流星』には繋がらない。
「だが、お前のことを調べると、妙な話がいくつも出てきた」
零が眉を上げる。
カイルはその反応を見ながら続けた。
「お前があの学校の入学試験を受けたのは、半年ほど前だ」
星峰魔法高等学校の入学試験は、学力だけでなく、魔法の技術や魔力制御、実戦での対応力まで問われる。
零が入学の切符を手にしたのも、その試験だった。
「……それで」
「それだけならな」
カイルの声は淡々としていた。
「漆黒の流星の動きが、裏で追えなくなったのも、ちょうどその頃だ」
零の目が細くなる。
世界各地の魔法犯罪へ介入してきた、アストラル・オーダーの特別執行官。
その異名を警戒する者は、裏の世界にも少なくない。
どこへ現れ、誰を捕らえたのか。
断片的な情報でも、知りたがる者はいる。
「少なくとも、俺の耳に届く範囲では、その名が出なくなったということだ」
アストラル・オーダーの内部事情まで掴んでいるわけではないらしい。
それでも、零が日本の高校へ入るために動いた時期と、表から追える活動が途切れた時期は重なっていた。
「それだけじゃ、根拠としちゃ弱いんじゃねぇか?」
「ああ。だから、入学後のことも調べた」
カイルの視線が、零の顔へ据えられる。
「お前は学校で、屋外プールを破壊したそうだな」
「否定はしねぇよ」
零は短く答えた。
「プール一つ消し飛ばして、それだけか」
「あれは不可抗力だ」
零の脳裏に、入学直後の実技試験で放った超新星が過った。
屋外プールの水を丸ごと蒸発させ、プールそのものまで破壊した、あの一件だ。
学校側からすれば、とても「不可抗力」で済む話ではない。
カイルはそれ以上追及せず、話を戻した。
「問題は、そこで使われた魔法だ」
零は答えず、視線だけで続きを促した。
「黒い魔力の球を使う、見慣れない魔法。しかも、あの規模だ。見た者には相当な印象を残したらしい」
学校の中での出来事だ。
詳細な映像が出回っているわけではない。
カイルが拾ったのは、あくまで目撃した者たちの話だった。
それでも、何もなかったことにはできないほど、零の魔法は目立っていた。
「色だけなら、他にも使う者はいる」
「色だけで決めたわけじゃない」
カイルは即座に返す。
「漆黒の流星が使う魔法についても、噂くらいは聞いている。昨夜、目の前で見た魔法は、その噂と重なった。調べる理由には十分だった」
零は口を挟まず、続きを待った。
時期が重なり、魔法の特徴にも似たところがある。
断定するには足りなくても、疑って調べる相手は絞れる。
「そして、四月。この街で、漆黒の流星を名乗る連中が事件を起こした」
零の視線に、鋭さが増した。
自分の異名を勝手に使っていた、半グレ集団。
鈴華が巻き込まれた、あの事件だった。
「表向きには、魔法学生風紀機構と警察が片をつけたことになっている」
つい先ほどまでここにいた鈴華も、あの事件の当事者だった。
零の正体を知ったのも、あの夜のことだ。
「だが、捕まった連中の周辺では、別の話が流れていた」
カイルは一度、言葉を切った。
窓から差し込む昼の光が、二人の間へ白い帯を落としている。
「リーダーは、『本物の漆黒の流星にやられた』と喚いていたそうだ」
「……拾ったのか」
カイルは、その反応を見逃さなかった。
「大半は、負けた言い訳だと思ったらしい。だが、俺には聞き流せなかった」
半年ほど前から動きを追えなくなった、『漆黒の流星』。
同じ頃、日本の魔法高校への入学を決めた黒神零。
その少年が、入学後に特殊な黒い魔法で騒ぎを起こしている。
さらに同じ街では、『漆黒の流星』を騙った者が「本物にやられた」と口にしていた。
一つひとつは、噂や状況の一致に過ぎない。
だが、昨夜あの手を止めた少年へ、それらが重なってくる。
「ただ、入学試験から入学までの足取りは、はっきりしなかった」
カイルは、零を観察するように続けた。
「日本に残ったのか、いったん戻ったのか。そこまでは掴めていない」
「そりゃ好都合だ」
零は短く返す。
だが、次の言葉に、その目が動いた。
「お前の日本での身元を辿ると、京都に繋がる家が出てきた」
「…………」
零は、今度は相槌さえ打たなかった。
カイルの声だけが、廊下に続く。
「入学まで、そちらに身を寄せていた可能性はある。それなら、日本で表立って動いていなかったことも不自然ではない」
「そっから先は、想像だろ」
零は低く返した。
声の調子は変わらない。
だが、そこにはわずかな硬さが混じっていた。
「ああ。だが、日本に拠点があることは分かった」
カイルも、推測であることは否定しなかった。
一晩で、零の足取りをすべて掴んだわけではない。
それでも、本人へ辿り着くための手掛かりを、ここまで拾い集めていた。
「……よく調べたな」
「情報だけなら、候補の一人だったかもしれない」
カイルの声音が、ふっと変わる。
「だが、俺は昨夜、お前と直接やり合っている」
暗闇の中で、アイリスへ伸ばした手。
確実に仕留めるはずだったその一撃を、零は割って入って止めた。
「俺の攻撃に間に合った。それだけじゃない。離れた場所から向けた視線にも気づいていた」
「見られてりゃ分かるだろ」
カイルは笑わなかった。
「普通は気づかない。まして、ただの高校生ならな」
調べ始めたきっかけは、昨夜の違和感だった。
名前を追い、学校での出来事を拾い、自分の知る『漆黒の流星』の情報と照らし合わせる。
そして最後に、自分自身が確かめた零の実力を重ねた。
遠くで、鈍い衝撃音が響いた。
どこかで、まだ戦いが続いている。
零はその音を意識に留めながら、目の前の男を見返した。
「名前だけなら、ただの学生だった。だが、その名前の持ち主は、俺の一撃を止めた」
カイルの目が鋭くなる。
「これだけ揃えば、確かめる価値はある」
零は数秒だけ黙った。
やがて、ゆっくりと頷く。
「……正解だ」
たった一言。
それが、最後の答えになった。
「よくそこまで繋げたな」
「否定しないのか」
カイルの問いに、零は表情を変えずに答えた。
「今さら、意味ねぇだろ」
「賢明だな」
カイルの目に、満足の色が浮かんだ。
拾い集めた情報には、まだ推測も混じっていた。
それでも、黒神零が『漆黒の流星』だという結論は、本人の一言で確かなものになった。
「それで?」
零は両手を軽く開いた。
「俺を確かめて、終わりじゃねぇんだろ」
「もちろんだ」
カイルが足を開いた。
ただそれだけで、廊下の空気が張り詰める。
「昨夜、俺は標的を仕留め損ねた」
「アイリス姉か」
零の問いに、カイルは短く頷いた。
「俺が仕事で標的を仕留め損ねたのは、初めてだ」
「……そうか」
誇るような響きはなかった。
カイルは失敗を隠そうともせず、ただ事実として口にしている。
「その原因がお前だ」
ゆっくりと、両拳が上がった。
「確かめたい」
「何を?」
問い返す零へ、鋭い視線が向けられる。
「『漆黒の流星』が、どれほどのものなのか」
零はカイルの構えを見た。
無駄がない。
昨夜、ほんの一瞬触れただけでも、その技量は分かった。
実際に拳を交えれば、どれほどのものか。
興味がないと言えば嘘になる。
けれど、先に行かせた三人を待たせ続けるつもりはなかった。
「……好きにしろ」
零は片足を引き、重心を落とした。
身体へ魔力を巡らせる。
銀河星は作らない。
身体強化を施し、両手を軽く構えただけだった。
それを見て、カイルの眉がぴくりと動く。
「噂の魔法は使わないのか」
「そっちの間合いに付き合ってやるよ」
零は黄金色の瞳を細めたまま、口の端を上げた。
ここは施設の中だ。
上の階では、まだ護衛とメイドが戦っている。
狭い廊下で銀河星を撃ち合えば、建物ごと巻き込みかねない。
それに――相手の間合いと踏み込みを見極めなければ、この男は突破できない。
昨夜止めた一撃の先を、自分の身体で確かめておきたかった。
「……舐められたものだな」
カイルの声が、低く沈んだ。
「いいだろう。その余裕がいつまで続くか、見せてもらう」




