11話:再襲撃①〜開戦〜
レオンが、テーブルに広げていた資料へ手を伸ばす。
ひとまず、今やるべきことは見えた。
姿を消した侯爵を探し出すこと。
そして、これまで集まった疑いを事実へ変えるだけの証拠を掴むこと。
零もソファの背もたれへ身体を預け直した。
「ったく……面倒なことになったな」
気の抜けた声が、重く沈んでいた室内の空気を少しだけ緩める。
その時だった。
肘掛けに置かれていた零の指が、ぴたりと止まった。
黄金色の瞳が、何気なく窓へ向けられる。
「黒神くん?」
鈴華が、そのわずかな変化に気づいた。
零は答えない。
意識だけを、窓の向こうへ研ぎ澄ませる。
通りを行き交う人々、車の走る音、建物の間を抜けていく風。
その中に――明らかに周囲とは違う動きが混ざっていた。
一つ、二つ、さらに奥にもいる。
互いに一定の距離を保ちながら、敷地の脇や向かいの建物へ散っていく。
「……多いな」
低く漏れた声に、レオンの顔つきが変わった。
「何か?」
「外」
零は立ち上がると、窓とアイリスたちの間へ移動した。
「全員、窓から離れろ」
その声音から、先ほどまでの気怠さが消える。
鈴華はすぐにアイリスへ身体を寄せ、部屋の奥へ下がった。
メイドもそのそばへつき、レオンはテーブルの資料を素早く封筒へ戻していく。
護衛の男は腰元へ手を伸ばした。
「人数は?」
レオンが窓から距離を取りながら尋ねる。
零は外へ意識を向けたまま、眉を寄せた。
「十人以上。まだいるかもな」
「そんなに……」
鈴華の表情が引き締まる。
すぐに携帯端末を取り出し、警察と風紀部の支部へ、現在地と襲撃の恐れがあることを伝え始めた。
すでに居場所を知られているのなら、隠し続ける意味はない。
周囲には住宅もある。
今、自分にできることを迷わず選ぶ。
その一方で、護衛の男は扉へ視線を向けた。
「廊下を確認します」
「待て」
零の一言に、男の足が止まる。
黄金色の瞳は、まだ窓の外から逸れていない。
「外だけとは限らねぇ。扉頼む」
「承知しました」
護衛は武器を抜き、入口のそばへ移動した。
物音一つ逃さないよう、廊下へ意識を集中させる。
零はさらに別の気配を探った。
昨夜、停電したパーティー会場で、アイリスの喉元へ腕を伸ばした男。
一度しか相対していない。
それでも、あの殺し屋の異様な気配は覚えている。
「……昨日の奴はいねぇな」
連絡を終えた鈴華が端末を下ろした。
「今朝、エレノアさんがお話しされていた殺し屋のことですか?」
「ああ。少なくとも、外の連中には混じってねぇ」
アイリスの表情が強張る。
あの男がいない。
だからといって、安心できる状況ではなかった。
むしろ、これだけの人数とは別に動いている可能性まで残っている。
零は外の配置を探りながら、眉間に皺を寄せた。
「……にしても」
ぽつりと声を落とす。
「なんで、ここ知ってんだ?」
レオンの目つきが鋭くなった。
この迎賓施設を新たな滞在場所として知る者は、ごく限られている。
さらに、内通者と思われる人物についても、すでに監視を始めていた。
「また情報が漏れたのでしょうか……?」
鈴華が周囲を見回す。
「さあな」
零は軽く返した。
「決めんのはまだ早ぇよ」
ここまで尾行されていた気配はなかった。
とはいえ、居場所を突き止める方法が尾行だけとは限らない。
零は一度だけ室内へ視線を巡らせた。
「昨日から持ってる物、調べてみろ」
「持ち物を?」
レオンの問いに、零は自分の服のポケットを軽く叩く。
「追っかけるより、目印つけた方が楽だろ」
その一言で、意図は十分伝わった。
レオンが上着と携帯端末を確認し始める。
鈴華とメイドもアイリスの服や荷物へ目を通した。
護衛の男は扉への警戒を保ちながら、自分の上着を探っていく。
そして――。
「……これは」
男の手が、襟の裏で止まった。
縫い目の陰に、見慣れない黒いものが貼りついている。
慎重に剥がすと、小指の爪ほどの薄い装置が姿を現した。
「黒神様」
呼ばれた零が振り返る。
護衛の手のひらを見るなり、その男のそばへ歩み寄った。
「見せて」
受け取った装置を裏返す。
指先で軽く角度を変え、数秒だけ確かめる。
零の目が細くなった。
「……発信機だな」
護衛の男の顔から血の気が引く。
「いつの間に……」
零は装置から視線を上げた。
「その上着、昨日から同じ?」
「昨夜から着替えておりません。襲撃後は、そのような余裕もなく……」
男は悔しそうに襟元へ触れる。
昨夜の襲撃後。
ホテルの中には警備関係者や職員、王国側の人間まで入り乱れていた。
混乱に乗じて近づく機会は、いくらでもあっただろう。
「じゃ、あのドサクサかもな」
零は発信機を指先で摘まんだ。
いつ仕込まれたのか。
誰が取りつけたのか。
そこまでは分からない。
だが――今ここに敵が集まっている理由としては十分だった。
「では、この場所が知られたのも……」
レオンが装置を見る。
「たぶん、こいつだ」
零は軽く発信機を揺らした。
「尾行なんかしなくても、勝手に居場所教えてくれんだから楽なもんだ」
護衛の男が苦い表情を浮かべる。
だが、零は責めるような視線を向けなかった。
発信機を仕込んだ側が狙ったのは、この男自身ではない。
「この人、ずっとレオン伯爵の護衛してたんだろ?」
「その通りです」
「なら、離れねぇって読まれたんじゃね?」
零はあっさりと言った。
「レオン伯爵についてけば、いずれアイリス姉にも辿り着く」
その言葉に、アイリスが息を呑む。
昨夜のホテルから、新しい場所へ移ったレオンたち。
もし、その時点ですでに発信機が仕込まれていたのなら。
敵は直接姿を見せることなく、この場所まで追うことができた。
そして、アイリスが合流するのを待つことも――。
「……私たち自身が、ここまで案内してしまったということですか」
アイリスの声が沈む。
「結果だけならな」
零は発信機をテーブルの端へ置いた。
レオンの拳が、静かに握られる。
「もう少し警戒していれば……」
「それはあと」
零が窓へ顔を戻した。
先ほどよりも気配が近い。
外に散っていた者たちが、一斉に動き始めている。
黄金色の瞳から、完全に軽さが消えた。
「来るぞ」
短い一言で、室内の空気が切り替わった。
鈴華はアイリスのそばへ寄り、身体を窓から隠すよう位置を変える。
護衛の男は扉側を守るよう武器を構えた。
レオンとメイドも、アイリスを部屋の奥へ庇う。
直後――。
窓の外を、黒い影が横切った。
「伏せろ!」
零の声が飛ぶ。
鈴華は即座にアイリスの腕を掴んだ。
「アイリスさん、こちらへ!」
二人がソファの陰へ身を沈める。
次の瞬間。
ガシャァァァン――!
耳をつんざく破砕音。
大きな窓ガラスが砕け、日の光を反射した破片が室内へ散った。
その向こうから、人影が飛び込んでくる。
一人、二人、三人。
武装した男たちが次々に着地し、その後ろでも新たな影が窓枠へ手を掛ける。
「まだ来ます!」
鈴華がソファの陰から外を確認する。
室内へ踏み込んだ者だけではない。
周囲には、まだ複数の気配が残っている。
「ったく……」
零がふっと笑った。
「ずいぶん大所帯だな」
声音はいつものまま。
だが、襲撃者を捉える黄金色の瞳には、気の抜けた色など一欠片もない。
零は半歩だけ前へ出た。
「白河」
背後を振り返ることなく告げる。
「アイリス姉、頼む」
「はい」
鈴華の返事に迷いはなかった。
前へ飛び出すことはしない。
自分の身が先。
指示があれば従う。
今朝、零と交わした約束だった。
そして今、零から任された役目は――アイリスを守ること。
鈴華はアイリスを背に入れ、両手へ淡い光の魔力を纏わせる。
その前で、零がゆっくりと右手を上げた。
「銀河星――バージョン隕石」
漆黒の魔力が集束する。
一つ、二つ、さらにその左右へ、拳ほどの銀河星が次々と生成され、紫銀色の粒子が星屑のように周囲を瞬いた。
室内で撃つ以上、威力は絞る。
狙うのは、踏み込んできた連中だけ。
零は侵入者たちを見渡した。
昨夜の殺し屋はいない。
それでも、今は目の前の敵を片づける方が先だ。
男の一人が、床を蹴った。
零の口元が、わずかに上がる。
「話が終わるまで待っててくれたのか」
右手を振り抜く。
「親切だな」
浮かんでいた銀河星が、一斉に照準を変えた。
「連射」
漆黒の流星が放たれる。
紫銀色の星屑を引き連れながら、砕けたガラスの舞う室内を駆け抜けた。
再び――戦いの幕が上がった。




