10話:真相⑥〜ありがとう〜
影山は鈴華へ一度だけ目を向け、それから零のそばへ歩み寄る。
「……いいのか?」
「何が?」
他の者には聞こえないほどの声だった。
影山は、アイリスとメイドのやり取りを見守る鈴華を示す。
「お前はともかく、白河までここに残して。なんなら、俺が一緒に連れて帰るが?」
「あー……俺もそう言ったんだけどな」
零は頭を掻いた。
「そうなのか?」
「ああ」
そこで一度、鈴華を見る。
自宅を出る前に交わした言葉が頭を過った。
危険だと説明しても、帰るように言っても、彼女は自分にできることをしたいと譲らなかった。
「強情というか、頑固というか……ついてくるって折れなくてよ」
零は、ぼやくように言った。
影山はその横顔をしばらく見つめ、それから鈴華へ目を移す。
やがて、一人で納得したように頷いた。
「そうか……同志黒神も愛されたもんだな」
「うるせー。そんなんじゃねぇよ」
零は間髪入れずに返した。
影山は楽しそうに口元を緩める。
「そういうことにしておこう」
「お前な……」
零が睨んでも、影山はどこ吹く風だった。
ただ、それ以上からかうことはしない。
零も声を落としたまま、言葉を付け足す。
「何かあったら俺の指示に従う。下がれって言ったら下がる。そこは、ちゃんと約束させたよ」
「……なるほどな」
影山の顔から、からかうような笑みが薄れた。
零がただ押し切られて、何も考えずに連れてきたわけではない。
それを確かめたかったのだろう。
「白河も危険を承知で決めたのなら、俺から言うことはない」
影山も鈴華の性格は知っている。
本人の意思を無視して、ここから連れ帰れるとは思っていなかった。
短い話を終えると、零から離れ、部屋全体へ向き直る。
「それじゃ、俺はここまでだ」
その言葉に、アイリスたちも顔を向けた。
「案内役の仕事は済んだからな。伯爵にも、ここで失礼すると伝えてある」
これから始まるのは、王国内部の事情に踏み込む話だ。
情報を集めることが好きでも、興味本位で聞いていい話ばかりではない。
戦う力も、王女を守る権限も、自分にはない。
影山は自分から、ここで区切りをつけることにしたらしい。
零も、その判断を引き止めようとはしなかった。
「影山さん」
出口へ向かおうとした影山を、アイリスが呼び止める。
振り返った彼へ、改めて向き直った。
「昨夜は、本当にありがとうございました」
アイリスは丁寧に頭を下げる。
「私の身代わりになるなんて、危険な役目だったと思います。それでも、引き受けてくださって……」
「いえ。伯爵にも助けていただきましたから」
真正面から礼を言われ、影山は少し困ったように頬を掻いた。
「アイリス王女が楽しめたのなら、それで十分ですよ」
その言葉に、アイリスがもう一度頭を下げる。
続いて、鈴華も一歩前へ出た。
「私からも。ありがとうございました、影山くん」
「白河?」
影山が目を瞬かせる。
鈴華は柔らかな笑みを浮かべた。
「昨夜も、今日も、いろいろ助けてもらいましたから」
先ほど散々からかわれたことと、助けてもらったことは別だ。
感謝の気持ちまで、なくなったわけではなかった。
「気にするな。俺も好きで首を突っ込んだんだ」
影山は肩の力を抜くように笑った。
続いて、レオンも深く頭を下げる。
「影山様。私からも、改めてお礼を申し上げます」
「伯爵……」
レオンの声に冗談の色はなかった。
「昨夜の身代わりに加え、今日は黒神様たちの案内までお任せしてしまいました。貴方のご協力に、心から感謝いたします」
「……どうか、頭を上げてください」
伯爵にまで改まって礼を言われ、さすがの影山も居心地が悪そうだった。
照れを誤魔化すように眼鏡の位置を直す。
「お役に立てたのでしたら、何よりです」
そう答えると、今度こそ出口へ向かった。
護衛の男が鍵を外し、扉のそばを空ける。
零は、その前を通る影山の背中を見つめた。
突然、王女の身代わりを任され、散々文句を言いながらも、最後まで力を貸してくれた。
「影山」
「ん?」
扉へ手を掛けた影山が振り返る。
零はいつもの気の抜けた表情のまま、片手を軽く上げた。
「サンキュー。いろいろ助かった」
ほんの一瞬、影山が意外そうな顔をした。
ここまで散々軽口を交わしてきた零から、改めて礼を言われるとは思っていなかったのかもしれない。
だが、すぐにいつもの笑みを浮かべる。
「ああ。俺は俺のやり方で、昨夜の男とアルディア周りの動きを少し洗っておく。何か拾えたら知らせよう」
「無茶すんなよ」
「情報屋だからな。引き際は心得ている」
影山は扉を開いた。
廊下へ出る直前、もう一度振り返る。
「同志黒神」
眼鏡の奥の目が、面白そうに細められた。
「骨は拾ってやる」
「勝手に殺すな」
最後まで余計な一言を残し、影山は部屋を後にした。
護衛が廊下を確かめ、扉を閉める。
再び、鍵の掛かる音が響いた。
零は閉じた扉をしばらく見つめ、口元を緩める。
「ったく……」
その呟きを最後に、室内は静かになった。
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零と鈴華、アイリスがソファへ腰を下ろす。
その正面へ、レオンも座った。
護衛は扉のそばに立ち、メイドはアイリスの近くへ控えている。
この部屋に残ったのは、六人だけだった。
「黒神様。白河様」
レオンが二人を見る。
再会を喜んだ時の安堵は、もうその顔から消えていた。
「これからお話しすることは、アルディア王国の今後に関わります。どうか、この場で聞いたことは不用意に口外なさらないよう、お願いいたします」
「分かりました」
鈴華は背筋を伸ばした。
零も短く頷き、レオンへ目を向ける。
「それと、アイリス様」
「はい」
呼びかけられたアイリスが顔を上げた。
レオンは一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「これまで、お伝えできずにいたことがございます」
「私にも、伏せていたことですか……?」
琥珀色の瞳に戸惑いが浮かぶ。
レオンはテーブルの上で組んでいた指をほどいた。
「女王陛下と第一王子殿下が相次いで亡くなられた時点で、私は王国内部から情報が漏れている可能性を疑っておりました」
「情報が……?」
アイリスの表情が曇る。
母と兄の死。
そこに、王家の内側から情報を流していた者が関わっているかもしれない。
「お二人の行動や警備に関する情報を、何者かが外部へ流していたのではないか。そう考えたのです」
「だから、アイリス姉の時は先に手を打ったってわけか」
零はソファへ身体を預けたまま、レオンへ視線を向ける。
「アイリス様の来日に際しては、本当の予定を知る者を可能な限り限定しました。それ以外の関係者には、相手ごとに異なる偽の滞在先や移動経路を伝えております」
「なるほど。偽情報か」
零が納得したように呟く。
本当はどこへ滞在し、いつパーティーへ出席するのか。
それを知る者は、ごく限られていた。
それ以外の関係者が握っているのは、レオンが一人ずつ違う形で流した偽の予定だけ。
どの偽情報が外へ漏れたのかが分かれば、誰が漏らしたのかも分かる。
そして、もし王国内部に内通者がいたとしても、そこから本物のアイリスへ辿り着くことはできない。
少なくとも、そのはずだった。
「ところが――昨夜、アイリス様は襲撃を受けました」
それまで淡々と説明していたレオンの声に、硬さが混じる。
零の表情からも軽さが消えた。
襲撃者は偶然アイリスを見つけたわけではない。
本物のアイリスが日本にいることを知り、昨夜のパーティー会場へ現れている。
鈴華も、そこで話の意味に気づいた。
「では……本当の予定を知っていた方から、情報が漏れたということですか?」
「そう見るべきでしょう」
レオンの視線が鋭くなる。
「アイリス様が日本に滞在していること。そして、昨夜のパーティーへ出席されること。その両方を知る者は限られています」
「だったら、怪しい奴もかなり絞れたんじゃねぇの?」
零が背もたれから身体を起こす。
「ええ。それに、昨夜はもう一つ動きがありました」
レオンは淡々と続けた。
「偽の滞在先として伝えていた場所の一つに、不審な者たちが現れたのです。その場所を伝えた相手は、一人しかおりません」
「……引っかかったか」
零が低く呟く。
本当の予定を知る数少ない者のうち、偽の滞在先も同時に伝えられていた人物。
二つの情報が重なる相手は、ほとんど残らない。
「内通者と思われる人物は――すでにほぼ絞り込めています」
「……もう、そこまで」
アイリスの指先が、膝の上で強張った。
レオンは彼女の反応を見ながらも、そこで言葉を止めることはなかった。
「現在は監視下に置いています。今ここで問い詰めれば、その先にいる者との繋がりを断たれる恐れがありますから」
内通者を捕らえるだけでは終わらない。
誰に情報を渡していたのか。
その先で、誰が動いているのか。
レオンが知りたいのは、そこだった。
「……だからか。昨日、俺との面識を隠してたのも」
零がぼそりと呟く。
「黒神様との関係を公にすれば、こちらが貴方を頼っていることまで知られる可能性があります」
レオンの説明を聞き、鈴華の脳裏にも昨夜の出来事が蘇る。
パーティー会場で再会した時、レオンは零と三年前から面識があることを表へ出さなかった。
さらに、アイリスと影山を入れ替えた時も――。
「だから、入れ替わりに気づいても何も聞かなかったんだな」
「黒神様にお任せした以上、あの場で余計な情報を口にする方が危険だと判断しました」
「なるほどな」
零は短く返す。
誰が敵なのか分からない。
だからこそ、知る者を増やさない。
レオンが昨夜取っていた行動には、すべて理由があったのだ。
鈴華もようやく腑に落ちたように、張っていた表情を和らげた。
その時だった。
「……そういや」
零が何かを思い出したように顔を上げる。
「今朝、エレ姉から聞いたんだけどよ」
黄金色の瞳が、レオンを捉えた。
「侯爵が今、行方不明になってんだろ?」
その名が出た瞬間、アイリスがびくりと身を強張らせた。
亡くなった女王の実弟。
彼女にとっては、実の叔父にあたる人物だ。
「王国内でも居場所を掴めてねぇって話だったけど――」
零はそこで言葉を切る。
王家からの情報漏洩。
アイリスを狙った昨夜の襲撃。
そして、同じ時期に姿を消した侯爵。
別々だった情報を頭の中で繋ぎ、零は問いを投げた。
「あれも、今回の件と関係してるんだろ?」
「関係があります」
レオンはきっぱりと言い切った。
アイリスの琥珀色の瞳が揺れる。
「おじさまが……?」
その声には、戸惑いが滲んでいた。
レオンはアイリスへ目を向ける。
「ですが、侯爵が何をしていたのかをお話しするには、その前に知っていただかなければならないことがあります」
そう告げると、レオンは脇に置いていた封筒を手に取った。
零の視線が、その封筒へ落ちる。
「……何を掴んだ?」
「三年前まで遡ります」
その一言に、零の表情が変わった。
アイリスも何かを察したようにレオンを見つめる。
鈴華だけが、まだ話の行き先を掴めずにいた。
「三年前……?」
「ロンドンで起きた、天輝花を巡る事件です」
懐かしいとは、とても呼べない。
三年前、まだ十二歳だった零と蕾が、アイリスの護衛を務めていた時に起きた事件。
本来は魔力欠乏症の治療に使われる希少な植物――天輝花。
その栽培方法と実物を手に入れるため、アイリスを攫った者たちと、零たちは対峙した。
首謀者も内通者も捕らえられ、アイリスも救い出された。
事件は解決した。
少なくとも――当時の零たちは、そう聞かされていた。
レオンは封筒から数枚の資料を取り出し、テーブルへ並べる。
「三年前の事件のあとも、天輝花を違法に流通させ、利益を得ていた者たちが――アルディア王国内に残っていたのです」




