10話:真相⑤〜忘れてた〜
昼過ぎ――。
零たちは、昨夜アイリスが滞在していたホテルの近くまで戻ってきた。
だが、その正面玄関が見えたところで、自然と足が止まる。
「……すごい人ですね」
鈴華が思わず呟いた。
ホテルの前には何台もの中継車が並び、カメラやマイクを手にした報道陣が入口周辺に集まっている。
規制線の内側には警察車両も停まっていた。
制服姿の警察官が人の流れを整理し、その脇を捜査員らしき者たちが慌ただしく出入りしている。
昨夜、このホテルでアルディア王国第一王女への襲撃事件が起きた。
それだけでも大きなニュースだ。
王女の安否や事件の詳しい状況を知ろうと、これほどの報道陣が詰めかけるのも無理はなかった。
「……あそこを通るのは、難しそうですね」
「だな。入る前に捕まりそうだ」
零はホテルだけでなく、その周辺にも目を配った。
あれだけ人が集まっていれば、誰が何を目的にそこにいるのか、外から眺めただけでは分からない。
昨夜の襲撃者の仲間が紛れている可能性もある。
アイリスは、出がけに零から借りた帽子のつばを下げた。
零と鈴華の少し後ろから、見慣れたはずのホテルを不安そうに見つめている。
「さて……どうすっかな」
零が周囲へ視線を移した、その時だった。
「――ようやく来たか」
「ん?」
聞き覚えのある声に振り返る。
少し離れた建物の陰に、一人の少年が立っていた。
幻影はすでに解けている。
昨夜のタキシードから普段着へ着替えた影山が、腕を組んでこちらを見ていた。
「俺のことを忘れていないか、同志黒神?」
「…………」
零が目を瞬かせる。
数秒ほど考えたあと、思い出したように手を打った。
「ああ。わりー、忘れてた」
「本当に忘れていたのか!?」
影山の声が思わず大きくなる。
零はホテルの方を顎で示した。
「おい、声でけぇって」
影山は慌てて口を閉じ、報道陣へ目を向けた。
幸い、こちらを気にした者はいない。
一度咳払いをすると、三人を建物の脇へ招いた。
大通りから少し奥まった場所まで移り、今度は声を抑える。
「誰のせいだと思っている。俺をあの部屋に置き去りにしたうえ、連絡の一つも寄越さず……」
「悪かったって」
零は片手を上げたが、影山の言い分はまだ終わっていなかった。
「しかも、アイリス王女の姿でだぞ。いつ誰が入ってくるか、こっちは気が気じゃなかったんだ」
零たちがアイリスを連れ出す間、影山は彼女の姿で部屋に残っていた。
幻影の持続時間は十分程度。
長く身代わりを続けられるわけではなかった。
「伯爵が何とかしてくれたんだろ?」
「ああ。『お休みになるので、誰も入れるな』とな。おかげで、元に戻るところは見られずに済んだ」
その後もレオンの手配で人目を避け、影山は部屋を出たらしい。
一晩中、王女のふりを続けさせられたわけではない。
それでも、慣れない役目で気疲れしたことに変わりはなかった。
「ま、お前なら何とかすると思ってたよ」
「便利な言葉で片づけるな」
影山のこめかみが引きつる。
そんな二人を見て、鈴華は困ったように苦笑した。
だが、不意に影山が言葉を止める。
「……ん?」
その視線が、鈴華の服装に向けられていた。
白いTシャツに、黒いカーディガン。
下こそ制服のスカートだが、上は普段の鈴華とは違う。
しかも、どちらも彼女には少し大きかった。
影山の目が鈴華から零へ移る。
零の体格なら、ちょうどいい大きさだ。
もう一度、鈴華へ戻る。
やがて、その口元がゆっくりと吊り上がった。
「白河嬢」
「……なんでしょう?」
その呼び方を聞いた瞬間、鈴華の表情に警戒が浮かぶ。
影山が自分をそう呼ぶ時は、大抵ろくなことを言わない。
案の定、影山は意味ありげに零へ顔を向けた。
「なるほど……白河嬢とお楽しみだったのか」
「は?」
零が間の抜けた声を漏らす。
影山は一人で納得したように頷いた。
「俺のことを忘れるわけだな、同志黒神」
「おい」
零が眉を寄せるより早く、鈴華が口を開いた。
「違います!」
思わず声が大きくなりかけ、慌てて口元を押さえる。
先ほど影山が注意されたばかりなのに、自分まで同じことをしてしまった。
鈴華は頬を赤くしながら、声を落として続けた。
「昨日のシャツをそのまま着るのが気になったので、黒神くんに服を借りただけです」
「ほう。同志黒神の服を」
影山の笑みが深くなる。
鈴華はようやく、自分から答えを与えてしまったことに気づいた。
「……どうして、そんな言い方をするんですか」
「俺は事実を確認しただけだが?」
影山は涼しい顔で眼鏡の位置を直した。
どう見ても楽しんでいる。
「変な勘違いすんなよ。何もねぇから」
「分かっているとも。何も勘違いなどしていないぞ?」
零が口を挟んでも、影山は平然としたものだった。
「じゃあ、その顔やめろ」
呆れた声で返す零の隣で、鈴華も疑わしそうに影山を見つめる。
「……影山くん」
「なんだ、白河嬢」
まだその呼び方を続けるつもりらしい。
鈴華は目を細めた。
「その呼び方も、やめてください」
「これは失礼」
口では謝りながらも、笑みは消えていなかった。
影山は軽く肩を揺らして笑い、ようやく話を戻す。
「まあ、この件はあとでゆっくり聞くとして――」
「聞かなくていい」
零に即座に遮られ、影山は口元の笑みを収めた。
「さて、冗談はここまでだ。レオン伯爵に頼まれて、お前たちを待っていた」
「レオンからですか?」
アイリスが顔を上げる。
影山は頷き、報道陣で埋め尽くされたホテルへ目を向けた。
「ええ。戻ってきたら案内するようにと。伯爵はもう、別の場所へ移っています」
「別の場所って?」
零の問いに、影山は声をさらに落とした。
「迎賓施設だ。日本側が、要人の一時滞在用に用意している建物らしい。さすがに、この騒ぎの中へ王女を連れていくわけにはいかんだろう」
ここで王女本人が姿を現せば、たちまち囲まれてしまう。
人混みから距離を取っている今のうちに、移動した方がよかった。
「詳しい話は、向こうで聞いてくれ。ついてこい」
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四人はホテルの正面を避け、その周辺を離れた。
影山に案内されて辿り着いたのは、同じ星峰市内の、静かな住宅地の外れに建つ一棟の建物だった。
一見すると、落ち着いた造りの高級施設にしか見えない。
だが、敷地を囲む塀の上には監視装置が並び、建物の脇には地下駐車場へ続く車路が口を開けている。
周囲に報道陣の姿は見当たらなかった。
「ここか?」
「ああ。伯爵が急遽、使用を取り付けたらしい」
影山は通りを確かめてから、建物の裏手へ向かった。
「王国の滞在先としては公表されていない。関係者にも、知らせているのはごく一部だそうだ」
「なるほどな」
零も周囲へ目を配る。
場所を移しただけで安心はできない。
それでも、あの人混みの中へ戻るよりは、周囲の動きを把握しやすかった。
四人は人目につきにくい裏口から入り、影山を先頭に廊下を進む。
やがて、一室の前で足を止めた。
「ここだ」
影山が扉をノックする。
内側から応答があり、名乗ると、鍵の外れる音がした。
扉を開けたのは、見覚えのある男だった。
昨夜、零がアイリスたちと四人きりで話したいと頼んだ際、真っ先に反対した護衛だ。
隙のない立ち姿も、鋭い眼差しも変わらない。
だが、四人の中にアイリスを認めると、その表情がふっと緩んだ。
「アイリス殿下……。どうぞ、お入りください」
男は声を抑えて四人を迎え入れた。
全員が入ったところで廊下を確かめ、扉を閉めて鍵を掛ける。
「アイリス様……!」
部屋の奥から、年長のメイドが駆け寄ってきた。
長年、アイリスの身の回りを世話してきた女性だ。
昨夜も、襲撃のあとに真っ先に彼女の無事を確かめていた。
その後ろから、レオンも足早に歩み寄ってくる。
「アイリス様。お待ちしておりました」
「レオン……」
アイリスの表情が緩んだ。
帽子を取り、心配そうな顔をする三人へ目を向ける。
「心配をかけてしまいましたね」
「いえ。こうしてご無事のお姿を拝見できて、安心いたしました」
レオンの声は落ち着いていたが、目元には安堵が滲んでいる。
零に託したことを後悔していたわけではない。
それでも、自分の目で無事を確かめるまでは、気を緩められなかったのだろう。
「ありがとうございます、レオン」
アイリスが柔らかく微笑む。
レオンはその顔を見つめ、目を細めた。
「……少し、お元気になられたようですね」
「そう見えますか?」
不思議そうに尋ねたアイリスへ、レオンは静かに頷く。
「ええ」
悲しみが消えたわけではない。
けれど、無理に気丈に振る舞っていた昨夜とは、どこか違っていた。
何があったのかを、ここで細かく尋ねるつもりはないらしい。
レオンはアイリスの後ろへ視線を移した。
「黒神様」
「おう。戻ったぜ」
零が気楽に片手を上げる。
その仕草に、レオンは昨夜の別れ際を思い出した。
アイリスを託した自分へ、零は言葉を返さなかった。
ただ、背中越しに片手を上げて応じた。
そして今、こうして彼女を連れ帰ってくれた。
「……ありがとうございます」
レオンが目礼すると、零も口元を緩めた。
二人の間に、それ以上の言葉は要らなかった。
続いて、レオンは鈴華へ向き直る。
「白河様も、昨夜からアイリス様に付き添っていただき、ありがとうございました」
「いえ。私も、ご一緒できてよかったです」
鈴華はそう答え、アイリスと目を合わせて微笑んだ。
その横で、零は室内を見回していた。
レオンと、扉を開けた護衛。
それに、メイドが一人。
昨日までアイリスの周囲にいた、多くの王国関係者の姿はない。
「……随分と少ねぇな」
「ええ。今、私が心から信頼できる者だけを集めました」
落ち着いた答えだった。
アイリスも、その言葉に表情を引き締める。
「レオン。それは、どういうことですか?」
「そのことも含め、これからお話しいたします」
レオンは護衛の男へ目配せした。
男は扉のそばに控え、廊下の物音へ意識を向ける。
「まずは、お掛けください」
促され、零たちがソファへ向かおうとしたところで――。
「同志黒神」
「ん?」
影山に呼び止められ、零が足を止めた。




