6話:風紀部エース・鏡野澪
東京都星峰市--夜
街灯の明かりも届きにくい細い路地裏。
昼間とは違い、人の気配はほとんどない。
どこかの室外機が低く唸り、風が空き缶を転がす音だけが静かな夜へ響いていた。
そんな薄暗い路地の中央に、1人の男が立っている。
その周囲を囲むように、数人の男たちが緊張した面持ちで並んでいた。
誰1人として武器は構えていない。
それでも、この場を支配しているのは張り詰めた空気だった。
男はゆっくりと彼らを見回す。
右手には黒い炎。
揺らめく炎は赤く燃え上がることもなく、闇へ溶け込むように静かに揺れている。
炎が揺れるたび、男の頬へ黒い影が落ちた。
1人の男がおずおずと口を開く。
「兄貴。」
「今日も……例の名前を使うんですか?」
ただ黒い炎を見つめたまま、小さく笑った。
「当然だ。」
低い声が静かな路地へ響く。
「漆黒の流星。」
「その名を聞けば、大抵の連中は勝手に怯える。」
口元がゆっくりと歪む。
「わざわざ力を見せつける必要もない。」
「名前だけで勝手に片付いてくれる。」
取り巻きたちは顔を見合わせる。
次の瞬間、一斉に笑みを浮かべた。
「さすが兄貴。」
「今日も誰一人逆らいませんでした。」
「警察も風紀部も大騒ぎですよ。」
男は小さく鼻で笑う。
右手をゆっくり握ると、黒い炎が一瞬だけ勢いを増した。
「なら覚えておけ。」
一歩だけ前へ踏み出す。
革靴が静かな路地へ乾いた音を響かせた。
その瞳には、自分こそ本物だと言わんばかりの歪んだ自信が宿っている。
「今日から俺が。」
一拍置く。
夜風が男のコートを揺らした。
「漆黒の流星だ。」
その宣言と同時に、取り巻きたちは一斉に頭を下げる。
「漆黒の流星!」
「兄貴!」
歓声が路地裏へ響いた。
黒い炎が静かに揺らめく。
その姿は、まるで長年その名を背負ってきた英雄のような風格さえ漂わせていた。
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翌日
風紀部星峰支部。
ここ数日で相次いで発生している『黒い魔法使い事件』。
正式な事件名はまだ定められていない。
しかし、犯人が現場で『漆黒の流星』と名乗り続けたことで、風紀部ではいつしか『漆黒の流星事件』と呼ばれるようになっていた。
件数は5件にまで膨れ上がり、被害も少しずつ拡大している。
風紀部でも事態を重く見て、本格的な調査が始まっていた。
支部の机には事件報告書、市内地図、現場写真が整然と並べられている。
聞き込みへ向かった部員も多く、普段は賑やかな支部も今日はどこか静かだった。
室内に残っているのは2人だけ。
白河鈴華。
そして、星峰魔法高等学校主席入学にして、風紀部星峰支部エース――鏡野澪。
静かな部屋には、紙をめくる音だけが規則正しく響いていた。
鏡野は事件報告書だけでなく、市内地図や現場写真にも視線を走らせる。
1つの証言だけで結論は出さない。
複数の資料を照らし合わせ、事実だけを積み重ねていく。
それが風紀部エースと呼ばれる彼女のやり方だった。
鈴華はそんな鏡野の姿を横目で見つめる。
冷静な判断力。
揺るがない分析力。
同じ1年生であり、親友でもある。
それでも風紀部では、鏡野は一歩も二歩も先を歩く存在だった。
やがて鏡野は1枚の報告書を手に取り、小さく呟く。
「黒い炎……」
青みがかったグレーの長い髪が、わずかに肩の上で揺れた。
鈴華も資料へ視線を落とす。
「目撃証言は、ほとんど一致しています。」
鏡野は小さく頷くと、机の上へ置かれていた学校新聞へ手を伸ばした。
そこには先日の実技演習の記事が掲載されている。
『1年C組・黒神零 実技演習中にプールを破壊』
鏡野は記事を数秒見つめると、静かに顔を上げた。
「黒神零。」
「彼も黒い魔法を使うのよね?」
一拍置き、鈴華へ視線を向ける。
鈴華は素直に頷いた。
「はい。」
プールで見た光景が脳裏によみがえる。
夜空へ浮かぶように現れた漆黒の星。
その周囲を舞う紫銀色の粒子。
静かで、美しく、それでいて圧倒的だった。
「あの時見た魔法は……黒い星でした。」
「黒い炎ではありません。」
鏡野は腕を組み、小さく目を閉じる。
事件資料。
学校新聞。
そして鈴華の証言。
1つ1つを頭の中で整理していく。
「同じ黒でも違う、と。」
「はい……。」
鈴華は少しだけ表情を曇らせた。
「だから関係ない、とは言い切れませんけど……。」
「私には、少し違うように見えました。」
鏡野は鈴華を静かに見つめる。
その答えに迷いがあることも、黒神くんを信じたい気持ちが混ざっていることも伝わってきた。
それでも鈴華は嘘をついていない。
自分が見た事実だけを話している。
「なるほどね。」
鏡野は短く頷いた。
その時だった。
鈴華は思わず言葉を続ける。
「それに、入学式の時も――」
そこまで口にした瞬間、はっと口元を押さえた。
(しまった……。)
入学式の日の路地裏。
あの出来事を知っているのは、自分だけだった。
零は事情聴取を受ける前に姿を消している。
本人が話していないことを、自分から口にしていい話ではない。
鏡野の視線が静かに鈴華へ向けられる。
一言も聞き逃さない鋭い眼差しだった。
「入学式?」
「それは初耳ね。」
鈴華は慌てて首を横へ振る。
「……いえ。」
「何でもありません。」
鏡野は数秒だけ鈴華を見つめた。
何かを隠している。
それだけは分かった。
だが、今は無理に聞き出す必要はない。
「そう。」
それ以上は追及せず
短く答えると、学校新聞を机へ戻した。
そして資料を一枚ずつ揃えながら静かに口を開く。
「推測だけでは前へ進めない。」
一拍置き、鈴華へ視線を向ける。
「事実は本人から聞くのが一番早いわ。」
鈴華は小さく息を吐いた。
「……そうですね。」
鏡野は資料をまとめ、静かに立ち上がる。
「明日の昼休み。」
「黒神零に話を聞きましょう。」
鈴華も静かに頷いた。
胸の中の不安は、まだ消えていない。
黒神くんを信じたい。
でも、確信は持てない。
だからこそ、自分の目で真実を確かめたい。
その想いだけは、誰よりも強く胸の中にあった。
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翌日。
昼休み。
春の風が吹き抜ける屋上へ、黒神零はいつものように姿を見せた。
フェンス際では、影山怜治と天野悠が昼食を広げている。
影山は珍しくスマートフォンを見つめながら難しい顔をしていた。
零は少し眉を上げる。
「珍しいな」
「今日は騒がねぇのか?」
影山は勢いよくスマートフォンを掲げた。
「同志黒神!」
「例の事件、正式に『漆黒の流星事件』って呼ばれ始めたぞ!」
零は顔をしかめる。
「……誰が決めたんだよ」
影山は肩をすくめた。
「ニュースもネットもその呼び方ばっかりだ!」
天野が苦笑する。
「もう通称として定着したんだろ」
零は小さくため息を吐いた。
(はあ、、、)
(面倒なことになってきたな)
影山は画面をスクロールする。
「しかももう5件目!」
「警察も本格的に動き始めたらしい!」
零は画面へ視線を落とした。
「愉快犯にしちゃ派手になってきたな」
天野も腕を組む。
「笑い話じゃ済まなくなってきたな」
その時だった。
屋上の扉が静かに開く。
春風が吹き込み、2人の髪を優しく揺らした。
先に姿を見せたのは、青みがかったグレーの長い髪をなびかせた少女。
鏡野澪。
その一歩後ろには、白河鈴華も続いていた。
2人とも校内にもかかわらず、左腕には風紀部の腕章が巻かれている。
屋上の空気が、ほんの少しだけ引き締まった。
影山が思わず声を上げる。
「ほう、風紀部としてお出ましか。」
続けて鏡野を指差した。
「しかも風紀部エース様のおまけ付きだ!」
零は首を傾げる。
「エース?」
天野が少し驚いたように零を見る。
「知らないのか?」
零は肩をすくめた。
「興味ねぇし。」
影山は待ってましたとばかりに胸を張る。
「鏡野澪!」
「中学時代から風紀部で何件もの魔法事件を解決してきた実力者!」
人差し指を1本立てる。
「高校1年生なのに、もう風紀部のエースって呼ばれてる有名人だ!」
天野も静かに頷いた。
「実力は本物だ。」
「校内……いや、市内でも知らない奴はほとんどいないんじゃないか。」
零は改めて鏡野を見る。
無駄のない立ち姿。
静かな視線。
相手を威圧しているわけではない。
それでも自然と目を引く、不思議な存在感があった。
(へぇ……。)
(風紀部エース、ね。)
(伊達じゃなさそうだ。)
鏡野は零の前まで歩み寄る。
紫がかった青い瞳が、真っ直ぐ零を見据えた。
「黒神零。」
「少し時間をもらえるかしら。」
零は売店で買った弁当を閉じ、ゆっくり立ち上がる。
「いいけど。」
「何の用だ?」
澪は遠回しな言い方はしなかった。
静かな口調のまま、本題を切り出す。
「最近起きている漆黒の流星事件についてよ。」
「あなたも黒い魔法を使うそうね。」
零は肩の力を抜いたまま頷く。
「使うけど。」
「それが?」
短い返事だった。
鏡野は表情を変えない。
真っ直ぐ零を見つめたまま続ける。
「何か心当たりはある?」
零は少しだけ考え、小さく首を横へ振る。
「悪い。」
「今回は本当に知らねぇ。」
鏡野は静かに頷いた。
「そう。」
「なら、一つお願いがあるわ。」
零は首を傾げる。
「お願い?」
鏡野は迷いなく答えた。
「あなたの魔法について教えて欲しいの。」
「事件との違いを調べる参考にしたい。」
零は数秒だけ澪の瞳を見つめ返した。
やがて、少し困ったように笑う。
「悪いけど……嫌だね。」
あっさりとした返事だった。
まるで「今日はパンじゃなくて弁当なんだ」と話すくらいの軽さで断る。
影山が思わず吹き出す。
「即答かよ!」
天野も苦笑しながら肩をすくめた。
「もう少し考えてやれ。」
しかし鏡野は引かなかった。
表情1つ変えず、静かに零を見つめ続ける。
「必要なの。」
一拍置き、穏やかな口調のまま続けた。
「あなたを疑いたいわけじゃない。」
「でも、風紀部として確認しなければならない。」
「事件と無関係だと分かれば、それだけでも大きな収穫になるわ。」
押し付けるような言い方ではない。
感情論でもない。
風紀部として当然の役目を、淡々と口にしているだけだった。
零はその視線を受け止める。
断られても焦らない。
食い下がっても感情的にならない。
ただ、やるべきことをやろうとしている。
(……なるほど。)
(風紀部エースって呼ばれるだけはある。)
一度断れば、大抵の相手は諦める。
だが、この少女は違った。
引かない。
それでいて、無理強いもしない。
その姿勢が少しだけ気に入った。
零は小さく口元を緩める。
(嫌いじゃねぇな。)
(それに、風紀部エースってのがどれくらいのもんか。)
(少し見てみるか。)
零は肩をすくめた。
「いいぜ。」
鏡野の瞳がわずかに揺れる。
予想外だったのか、一瞬だけ目を見開く。
しかし、その表情もすぐにいつもの落ち着きを取り戻した。
零は人差し指を一本立てる。
「その代わり――。」
一拍置き、いつもの気怠げな笑みを浮かべる。
「模擬戦をして、俺に勝ったら教えてやる。」
一瞬、屋上が静まり返った。
天野が勢いよく立ち上がる。
「はぁっ!?」
影山は思わず苦笑した。
「そう来たか。」
鈴華は驚いて一歩前へ出る。
「えっ!?」
碧色の瞳を大きく見開いた。
「ど、どうしてそうなるんですか!?」
ただ話を聞くだけだと思っていた。
それが、いつの間にか模擬戦になっている。
鈴華には理解が追いつかない。
零は鈴華へ視線を向け、小さく肩をすくめた。
「欲しいもんがあるなら。」
「自分の手で掴み取れ。」
あっさりと言う。
鈴華は思わず額へ手を当てた。
「そういう問題じゃありません……。」
影山は腹を抱えて笑い出す。
「はははっ!」
「それでこそ同志黒神だ!」
天野も苦笑しながら首を振った。
「毎度のことだな。」
そんな周囲とは対照的に、鏡野だけは静かだった。
数秒だけ零を見つめる。
模擬戦。
それが条件なら、それでいい。
やがて小さく頷いた。
「……いいわ。」
「その条件、受けて立つ。」
零は満足そうに口元を緩める。
「決まりだな。」
春風が屋上を吹き抜ける。
フェンスが小さく軋んだ。
こうして――。
黒神零と風紀部エース・鏡野澪。
2人の模擬戦が幕を開けようとしていた。




