10話:真相③〜レオンの元へ〜
それから、しばらくして――。
『――では、私はそろそろ休みます』
「ああ。おやすみ」
長かったエレノアの説教も、ようやく終わりを迎えた。
画面の向こうでは、エレノアが目元へ指を添えている。
日本はもうすぐ正午だが、イギリスはまだ夜明け前だ。
零の報告で眠気を吹き飛ばされたうえ、その本人を相手に説教までしたのだから、疲れるのも無理はなかった。
『先ほどの件は、こちらでも引き続き調べます。何か分かり次第、連絡しますから』
「ああ。頼む」
零はあっさりと頷いた。
つい先ほどまで大人しく注意を受けていたのに、もう普段の調子へ戻っている。
『……零。今の話、本当に分かっていますね?』
「分かってるって」
エレノアは疑わしそうに零を見つめたが、それ以上は言わなかった。
代わりに、そばに立つ鈴華へ表情を和らげる。
『鈴華さんも、長い話に付き合わせてしまって申し訳ありません』
「いえ。こちらこそ、お話を聞かせていただいて、ありがとうございました」
鈴華が頭を下げると、エレノアは穏やかに微笑んだ。
『それでは、おやすみなさい』
「おやすみなさい、エレノアさん」
ほどなくして通信が切れた。
リビングに静けさが戻り、鈴華は暗くなった画面を見つめる。
アストラル・オーダーの長官。
肩書きから想像していたほど近寄り難い人ではなかった。
鈴華には穏やかに接してくれたし、零とのやり取りからも、二人の付き合いの長さが窺えた。
もっとも――。
「……黒神くん」
「ん?」
鈴華は隣にいる零へ、碧色の瞳を向けた。
「エレノアさんが厳しくなるのって、半分くらいは黒神くんのせいじゃありませんか?」
「お前まで説教すんのかよ。やっと終わったとこだぞ」
零がうんざりしたように背もたれへ身体を預ける。
その反応に、鈴華はくすりと笑った。
「説教ではありません。少し、そう思っただけです」
「……少しって顔じゃねぇけどな」
鈴華は答える代わりに、そっと視線を逸らした。
そのまま何気なく見下ろしたところで、借り物のTシャツが目に入る。
「……そういえば」
起きてから、ずっと気になっていたことがあった。
鈴華が余った袖口を指先で摘まむと、零もその手元へ目を向ける。
「ああ、それ、俺のだから」
「やっぱり、そうなんですね……」
予想はしていた。
それでも本人の口から聞かされると、急にその服を意識してしまう。
鈴華は落ち着かない気持ちを抑え、顔を上げた。
「あの、着替えは……」
「アイリス姉に頼んだよ。俺は服を渡しただけだから、安心しろって」
言いかけたところで、零が答えた。
鈴華は、ほっと胸を撫で下ろす。
「そうだったんですね。あとで、お礼を言わないと……」
今朝、隣で眠っていたアイリスの姿を思い出す。
自分も疲れていただろうに、鈴華の着替えまで手伝ってくれたらしい。
その時、階上で扉の開く音がした。
ゆっくりとした足音が近づいてくる。
二人が顔を向けると、眠そうに目元を擦るアイリスが、階段の上へ姿を見せた。
長い金髪には、ところどころ寝癖がついている。
鈴華と同じく、零から借りたTシャツとスウェット姿だった。
「おはようございます、アイリスさん」
「……おはようございます、鈴華さん。零くんも……」
アイリスは欠伸を噛み殺しながら、階段を下りてきた。
普段のきちんとした立ち居振る舞いとは違い、まだ半分ほど眠っているような足取りだ。
「おはよ、アイリス姉。よく寝てたな」
「はい。すっかり、お世話になってしまいましたね」
少し恥ずかしそうに微笑んだアイリスが、リビングへ入ってくる。
鈴華はその前へ進み、改めて頭を下げた。
「あの、着替えを手伝ってくださったそうで……ありがとうございました」
「いえ。鈴華さんには、昨夜たくさん助けていただきましたから」
アイリスは気にしないでほしいというように微笑んだ。
零は二人のやり取りを見届け、壁の時計へ目を向ける。
「二人とも、そろそろ腹減っただろ?」
「……そういえば、少し」
アイリスが腹へそっと手を添えた。
鈴華も、言われてみれば空腹を感じている。
昨夜はお好み焼きを食べたあとも遊び続け、朝になってから眠った。
食事からは、随分と時間が経っていた。
「じゃ、飯にするか」
「私も、何かお手伝いします」
台所へ向かう零を追い、鈴華も歩き出した。
手を動かしていれば、先ほどまでの恥ずかしさも少しは紛れそうだった。
キッチンへ入った途端、カウンターに並んだ菓子の箱や袋が目に入る。
クッキー、チョコレート、マシュマロ。
一人暮らしの男子高校生の家とは思えないほど、甘いものだけが几帳面に揃えられていた。
(……やっぱり、黒神くんの家ですね)
鈴華は思わず口元を緩め、冷蔵庫を開ける零の隣へ並んだ。
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三人は、遅い朝ごはんを兼ねた簡単な昼食を取った。
料理を並べ、同じテーブルを囲む。
昨夜の出来事を話しているうちに、アイリスの目からも眠気が薄れていった。
「零くんにも、苦手なことがあるんですね。少し、意外でした」
「まだ言うか、それ」
零が顔をしかめると、アイリスが楽しそうに笑う。
魔法ではあれほど正確な攻撃を放つのに、画面の敵にはなかなか弾が当たらない。
その違いが、よほど意外だったらしい。
「そういえば、歌の方も――」
「白河。それ以上言ったら戦争だぞ」
先回りして牽制され、鈴華は思わず笑った。
「まだ、何も言っていませんよ?」
「その先は聞かなくても分かるって」
アイリスもつられたように口元を押さえる。
和やかな空気の中で、鈴華はふと、まだ聞けていなかったことを思い出した。
「そういえば……私、どうやってここまで来たんですか?」
「ん? 俺がおぶってきた」
零は箸を止めることもなく答えた。
まるで、今日の天気でも話すような調子だった。
鈴華はその顔を見つめたまま、動きを止める。
「……おぶって、ですか?」
「公園で一回起こしたら、半分寝たまま歩き出してさ。公園を出たところで、また寝ちまった」
零は思い出すように、味噌汁を一口すすった。
「アイリス姉も眠そうだったし、一度うちで休んでから戻ろうってことになったんだよ」
零にしてみれば、それだけの話なのだろう。
けれど、鈴華にとってはそうではなかった。
最後に覚えているのは、公園のベンチで零の隣に座ったところまで。
そのあと、帰り道の途中で眠ってしまい、零の背中へ身体を預けたまま、ここまで運ばれてきたことになる。
想像した途端、頬がじわりと熱を帯びた。
「……起こしてくださいよ」
「だから、起こしたって。また寝たの、どこの誰だよ」
それでは、文句も言えなかった。
鈴華は視線を落とし、指先でTシャツの裾を握る。
「……運んでくださって、ありがとうございました」
「おう」
零は気にした様子もなく応じた。
そのあまりの気軽さに、鈴華はますます落ち着かなくなる。
「でも、その……できれば、忘れてください」
「無茶言うなよ」
呆れたような返事に、向かいのアイリスが肩を震わせた。
母と兄を失った悲しみが消えたわけではない。
それでも、昨日のパーティー会場で見かけた時とは違う。
今は、二人との何気ないやり取りに、自然な笑みを浮かべていた。
鈴華はその顔を見て、昨夜一緒に出かけてよかったと改めて思った。
やがて、食事を終えた頃。
「零くん」
「ん?」
アイリスが食器から手を離し、顔を上げる。
零も、いつもと変わらない調子でその言葉を待った。
「そろそろ、ホテルへ戻りましょう」
今朝、公園で決めたことだ。
自分にできることから始めればいい。
一人で、すべてを背負おうとしなくていい。
零の言葉も、そこで自分が選んだ答えも、休んでいる間に変わったわけではなかった。
まだ迷いはある。
けれど、もう少しだけここにいたいという気持ちに任せ、帰るのを先延ばしにするつもりはなかった。
「おう。じゃ、戻るか」
「はい」
零は決意を確かめ直すこともなく、頷いた。
アイリス自身が選んだのなら、それで十分だった。
その隣で――。
「……ホテルへ戻るんですか?」
鈴華がきょとんと二人を見比べる。
「というか……いつの間に、そんな話になったのでしょう?」
「あー……」
零が鈴華を見る。
アイリスも一瞬だけ目を丸くしたあと、何かを思い出したように口元を綻ばせた。
「そういえば鈴華さん、あの時は眠っていましたね」
「……あの時?」
「公園で、めちゃくちゃ気持ちよさそうにな」
そこでようやく、鈴華にも事情が飲み込めたらしい。
ほんのりと頬を赤くすると、零からふいっと顔を背けた。
「……仕方ないじゃないですか。昨日は一晩中付き合わされたんですから」
「はいはい」
「その返事、絶対に分かってませんよね?」
再び始まった二人のやり取りに、アイリスは楽しそうに笑った。




