10話:真相②〜怖くて厳しいお姉さん〜
しばらく、ため息混じりのやり取りが続いた。
『……その件は、あとで改めて聞きます』
やがて、女性の声が落ち着きを取り戻した。
『今は、アイリス王女を襲った男の話をしましょう』
「ああ。何か分かったか?」
零が背もたれから身体を起こす。
先ほどまでの軽さが薄れたことに、階段にいる鈴華も気づいた。
『ええ。ちょうど玄一さんから、情報が届いたところです』
「父さんから?」
女性が頷く。
声だけでなく、画面に映る表情も引き締まっていた。
『昨夜の襲撃者の身元が判明しました。A級の国際指名手配犯です』
「……A級か」
零の黄金色の瞳が、わずかに細くなる。
国際指名手配犯は、その危険度に応じてランク分けされている。
D級から始まり、C級、B級、そしてA級。
さらに、公には存在すら明かされていないS級まで。
零もよく知る区分だった。
中でも、A級以上は扱いが大きく異なる。
――デッド・オア・アライブ。
生死を問わない。
それが認められるほど危険な犯罪者として、世界各国から追われる存在だった。
『素手での暗殺を得意とする殺し屋です。これまでにも、複数の要人暗殺に関与しています』
「素手ね。道理で、あの動きか」
零は昨夜の一撃を思い返した。
停電と同時にアイリスへ迫り、迷わず喉元を狙ってきた腕。
武器を持っていなかったのではない。
あの男にとっては、自らの身体こそが凶器なのだ。
「厄介なのを寄越してくれたもんだな」
言い方こそ軽いものの、零の目は端末から離れなかった。
鈴華も階段の手すりへ添えていた指に、知らず力を込める。
昨夜、自分たちと同じ会場に、そんな男が潜んでいた。
『詳しい情報は、あなたの携帯にも送っておきます』
「了解」
零が短く答える。
だが、女性の話はそれだけでは終わらなかった。
『それと、もう一つ。こちらも玄一さんからの情報ですが――アルディア王国の侯爵が一人、行方不明になっています』
「侯爵?」
『ええ。女王陛下の弟君です』
零の表情が変わった。
女王の実弟であれば、その身には王家の血が流れている。
今、王位継承の第一候補はアイリスだ。
だが、もし彼女までいなくなれば、王位へ最も近づく者の一人がその侯爵だった。
「……随分と嫌なタイミングだな」
女王と第一王子が命を落とし、昨夜はアイリスまで狙われた。
そんな中で、侯爵とも連絡が取れなくなっている。
侯爵もまた、王位継承を巡る何者かに狙われたのか。
それとも、アイリスを襲った一連の事件に関わっているのか。
『何が起きたのかは、まだ分かりません』
零の考えを察したように、女性が答えた。
『ただ、この状況で無関係と決めつけることもできないでしょう』
「ああ。どっちにしても、放っておけねぇな」
零は低く応じた。
A級の殺し屋を使った暗殺未遂と、王位継承候補の失踪。
繋がりを示すものは、まだない。
けれど、アイリスの安全を考えるうえで、見過ごせる話でもなかった。
『こちらでも調査を続けます。何か分かり次第、連絡します』
「頼む」
女性が一度頷き、少しだけ声を強めた。
『それまでは、くれぐれも注意すること。それと――これ以上、余計な騒ぎは起こさないように』
「善処するよ」
いつもの調子で返す零へ、画面の向こうから無言の視線が向けられた。
零はそれを受け流すように、ソファから階段の方へ顔を向ける。
「さて。ひとまず話も済んだし、そろそろ出てきたらどうだ、白河」
「…………え?」
鈴華の身体が固まった。
こちらを見ている黄金色の瞳と目が合う。
今さら身を隠すわけにもいかず、鈴華は残りの段を下りた。
「……ここ、黒神くんのお家だったんですね」
「ああ。おはよう、白河。よく寝てたな」
「おはようございます……」
いつもと変わらない挨拶に、鈴華もぺこりと頭を下げた。
けれど、今はそれよりも気になることがある。
「いつから、気づいていたんですか?」
「お前が階段まで来た辺り」
零は何でもないことのように答える。
鈴華は困ったように眉を下げ、ソファのそばで足を止めた。
「ほとんど最初からではありませんか……。でしたら、声をかけてください」
「白河が出てこないから、何かタイミングでも見てんのかと思って」
「見ていましたけど……。聞いていてよいお話なのか、分からなかったんです」
鈴華が端末へちらりと目を向ける。
零はそんな彼女へ、気負いのない声で答えた。
「別にいいだろ。白河だし」
「……私だから、ですか?」
あまりにも気軽な返事だった。
鈴華は一瞬、何を言われたのか分からずに零を見る。
「今さら、お前が言いふらすなんて思ってねぇよ」
零はそれ以上、説明しようとはしなかった。
昨夜の暗殺未遂に居合わせた以上、鈴華も無関係ではない。
それでも、今の話には国際指名手配犯や王位継承に関わる情報まで含まれていた。
誰にでも聞かせていい話ではないはずだ。
それを、自分なら構わないと言われた。
「…………」
問い返しかけた鈴華だったが、零の普段どおりの顔を見て、言葉を飲み込んだ。
すると、専用端末から声がかかる。
『ちなみに、私にも見えていましたよ。時々、画面の端に映っていましたから』
「そちらからも、ですか……?」
鈴華が端末へ顔を向ける。
画面の向こうの女性は、先ほどまでの厳しい表情を和らげていた。
どうやら鈴華は、二人に気づかれたまま、ずっと階段で立ち止まっていたらしい。
「……それなら、なおさら教えてほしかったです」
わずかに頬を赤らめた鈴華へ、女性が穏やかに微笑む。
『失礼しました。初めまして、白河鈴華さん』
「えっ……どうして、私の名前を……?」
いきなり名を呼ばれ、碧色の瞳が大きくなる。
女性は鈴華の驚きを気にした様子もなく、落ち着いて答えた。
『あなたのことは、以前から存じていますから』
「…………?」
鈴華は思わず隣を見る。
その視線を受けた零が、すぐに片手を上げた。
「俺じゃねぇぞ」
「まだ何も言っていません」
零の口元に、面白がるような笑みが浮かぶ。
「顔に書いてあった」
「勝手に読まないでください」
鈴華が少しだけ眉を寄せる。
画面の向こうから、くすりと笑う声が聞こえた。
『改めまして――』
その声に、鈴華が端末へ向き直る。
『アストラル・オーダー長官、エレノア・ヴァレンタインです』
「…………え?」
鈴華の思考が止まった。
アストラル・オーダー。
世界各国の魔法事件へ介入する国際魔法機関。
零が所属する第一執行部『星刻』も、その一部にすぎない。
目の前の女性は、その組織すべてを率いる人物だという。
「ちょ、長官……?」
『ええ。零の上司です』
驚く鈴華へ、エレノアは柔らかな笑みを返した。
鈴華は零と画面を交互に見比べる。
先ほどまでの気安いやり取りが、まだ耳に残っていた。
上司と部下というより、やはり仲の良い姉弟の方がしっくりくる。
『そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ』
「あ……失礼いたしました。初めまして、白河鈴華です」
鈴華は慌てて姿勢を正し、頭を下げた。
その拍子に、借り物のTシャツを着たままだったことを思い出す。
けれど、今から着替えに戻るわけにもいかなかった。
落ち着こうと息を整え、改めて画面を見る。
柔らかな表情に、穏やかな口調。
国際魔法機関の長官と聞いて想像するような、近寄り難さは感じられなかった。
それに――。
『どうかしましたか?』
「あ……いえ」
見つめすぎてしまったらしい。
鈴華は少し迷ったあと、抱いていた疑問を口にした。
「黒神くんから伺っていた印象と、少し違いましたので……」
『零は、私のことを何と?』
エレノアの笑顔は変わらない。
けれど、隣で零の肩がぴくりと動いた。
「えっと……」
鈴華は一度、零を見る。
零は何故か、専用端末とは別の方へ顔を向けていた。
その反応を不思議に思いながらも、鈴華は正直に答える。
「本気で怒っている時ほど、にこにこ笑う方だと……。笑顔のまま説教されるから、余計に怖いと伺いました」
リビングが静まり返った。
エレノアはすぐには答えない。
にこやかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと零へ視線を移した。
『……本気で怒っている時ほど、にこにこ笑う』
「……そこだけ切り取るなよ」
零がぼそりと抗議する。
エレノアの笑みが、さらに深まった。
今まさに、話に聞いていたとおりの笑顔だった。
『では、詳しく聞かせてもらいましょうか。黒神執行官?』
「……はい」
鈴華は目を瞬かせた。
つい先ほどまで長官を相手に遠慮なく言い返していた人物とは思えないほど、素直な返事だった。
けれど、ここまでのやり取りを思い返してみる。
王女をホテルから連れ出し、一晩中遊び回った。
相手にとっては夜明け前の連絡で、注意されても悪びれることなく答えていた。
鈴華は、隣で大人しくなっている零をちらりと見る。
(……でも、半分くらいは黒神くんのせいなのでは?)
そんなことを思ったが――。
今は、口にしないでおくことにした。




