10話:真相①〜知らない天井〜
カーテンの隙間から差し込んだ光が鈴華の頬を照らしていた。
「……ん……」
眩しさに小さく身じろぎし、ゆっくりと瞼を開く。
ぼんやりとした視界に映ったのは、見覚えのない天井だった。
「……ここは……?」
身体の下には柔らかなベッドがある。
まだ眠気の残る頭で周囲を見回し、鈴華はそろそろと上半身を起こした。
長い黒髪が肩から流れ落ちる。
窓の外はすっかり明るく、部屋の時計へ目を向ければ、針は昼近くを指していた。
「……こんな時間まで眠っていたんですね」
そこまで呟いてから、改めて室内を見回す。
きちんと整えられた机と椅子。
本棚には何冊もの本が並び、机の上には写真立てが一つ置かれていた。
壁にも、何枚かの写真が飾られている。
誰の部屋なのだろう。
写真を確かめようとしたところで、鈴華は身につけている服の感触に違和感を覚えた。
「…………え?」
自分の身体へ視線を落とし、そのまま動きを止める。
制服ではなかった。
着ているのは、ゆったりとしたTシャツとスウェットパンツ。
どちらも自分のものではなく、肩や裾が少し余っている。
近くの椅子には、畳まれた制服が置かれていた。
「私……いつ、着替えたのでしょう……?」
Tシャツの袖口を摘まみ、昨夜の記憶を辿る。
零とホテルへ行き、パーティーに参加した。
そこでアイリスが襲われ、そのあと三人でホテルを抜け出した。
アイリスの服を買って、食事をして、ゲームセンターへ行って。
零が驚くほどゲームを苦手としていることや、カラオケで聞かされた個性的な歌声は、はっきり覚えている。
最後には、公園へ立ち寄ったはずだ。
「……黒神くんの隣に座って……」
そこから先の記憶がなかった。
眠かったことは覚えている。
けれど、ベッドへ入ったことも、着替えたことも思い出せない。
鈴華はもう一度、借り物らしい服を見下ろした。
飾り気のないTシャツに、ゆったりとしたスウェット。
自分より大きな誰かの服だと思った途端、ある人物の顔が浮かぶ。
「……黒神くんの……?」
口にした瞬間、頬がじわりと熱くなった。
先ほどまで気にもならなかった布の感触が、急に落ち着かないものになる。
鈴華は袖口から手を離し、小さく頭を振った。
「……何を意識しているんでしょう、私は」
ただ服を借りただけだ。
そもそも、ここが零の家なのかどうかも、まだ確かめていない。
そう自分へ言い聞かせた時、ベッドのそばに敷かれた布団へ目が留まった。
「……アイリスさん」
枕の上へ長い金髪を広げ、アイリスが眠っていた。
規則正しい寝息を立てるその顔は、昨夜の緊張が嘘のように穏やかだった。
掛け布団から覗くのは、鈴華と同じような大きめのTシャツ。
どうやら服を借りたのは、自分だけではないらしい。
「着替えを手伝ってくださったのでしょうか……」
公園では、自分が先に眠ってしまったのだろう。
そのあとでアイリスが世話をしてくれたのかもしれない。
けれど、記憶がない以上、今は確かめようがなかった。
誰の服なのかも含めて、起きてから聞けばいい。
鈴華はそう考え、余った裾をそっと整えた。
「…………」
昨夜のアイリスには、あまりにも色々なことがあった。
今は、できるだけゆっくり眠っていてほしい。
鈴華は音を立てないようベッドから降りると、眠るアイリスを残して静かに部屋を出た。
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廊下へ出ても、見覚えのあるものはなかった。
鈴華は辺りを確かめながら歩き、少し先にある階段へ向かった。
その途中、階下から聞き慣れた声が届く。
「だから、色々あったんだって」
零だった。
その声に、鈴華はひとまずほっとする。
「やっぱり……黒神くんの家なのでしょうか」
少なくとも、零がここにいることは確かだった。
鈴華は自分のTシャツへ目を落としかけ、今は考えないようにと前を向く。
階段を下り始めると、今度は女性の声が聞こえてきた。
『その「色々」を説明してほしいのですが……。こんな時間に連絡してきたんですから、何かあったのでしょう?』
「まあ、あったな」
女性の声には眠気が滲んでいた。
対する零は、いつもと変わらない気の抜けた調子だ。
『……零。順番に話してください』
「パーティーでアイリス姉が襲われてさ。そのあと、ホテルから連れ出した」
数段下りたところで、鈴華は足を緩めた。
女性の声に聞き覚えはない。
零は誰と話しているのだろう。
そう思った、その時だった。
『……王女様をホテルから連れ出した!?』
「っ!?」
突然響いた大声に、鈴華の肩が跳ねる。
今の声でアイリスが起きてしまったのではないかと、思わず二階を振り返った。
「声でけぇって」
『誰のせいで大声を出していると思っているんですか!』
先ほどまでの眠たげな声は、すっかり消えていた。
階段を下りきる少し手前からは、リビングの一部が見える。
ソファに座った零がテーブルに置かれた通信端末へ顔を向けていた。
『私は言いましたよね? あなたはあくまで保険。何事もなければ、パーティーを楽しんでくればいいと』
「楽しんだぞ?」
『そういう話をしているんじゃありません!』
即座に返された言葉に、鈴華は思わず苦笑した。
確かに昨夜は楽しんだ。
もっとも、その大半はパーティー会場の外でのことだったが。
『……おかげで、すっかり目が覚めました』
「そりゃよかった」
零は悪びれもせずに答える。
通信の向こうから、深く息を吐く音が聞こえた。
『助けたことを責めているんじゃないの。そのあと、どうしてホテルから連れ出すことになったのかを聞いているんです』
「あのまま部屋に戻したって、また一人で抱え込むだけだろ。ちょっと息抜きさせたんだよ」
零は背もたれへ身体を預けたまま、端末を見ていた。
「レオン伯爵も見送ってくれたしな」
『だからといって、暗殺未遂の直後ですよ?』
「俺がついてた。護衛なら、それで足りるだろ」
その声に迷いはなかった。
鈴華も昨夜の襲撃を止めた零の姿を思い出す。
それでも、連れ出したと聞かされた側が驚くのは当然だった。
端末の画面に見える窓の外は、暗い。
日本はもうすぐ正午だが、通信相手はまだ深夜のようだった。
(……どなたなのでしょう?)
零へここまで遠慮なく言える女性に、鈴華は心当たりがなかった。
相手は呆れながらも、事情を聞こうとしている。
零の方も、叱られ慣れているかのように気安く答えていた。
仕事上だけの関係には、どうにも見えない。
(なんだか、仲の良い姉弟みたいですね……)
鈴華がそんなことを考えている間にも話は続いていた。
『それで? ホテルを出たあとは、どこへ行ったんです?』
「服買って、飯食って。あとはゲーセンとカラオケ」
零が指折り数える。
通信の向こうから返事がなくなったが、気にした様子もなかった。
「最後に公園で朝日を見て、それから帰ってきた」
『…………』
長い沈黙が落ちた。
その間に声をかけようかと迷った鈴華は、次の言葉に機会を奪われた。
『暗殺未遂に遭った王女様を連れて、朝まで遊び回っていたということですか!?』
また大声が響く。
鈴華は階段の途中で、完全に出ていくタイミングを失っていた。
改めて昨夜の行動を並べられると、確かにとんでもないことをしている。
けれど、鈴華の胸には、アイリスが見せた笑顔も残っていた。
自分で選んだ服を抱えていた時の、嬉しそうな顔。
零の失敗に、声を上げて笑っていた姿。
壇上で人々へ向けていた、無理に整えた笑顔とは違うものだった。
心配をかけたことまで正当化はできない。
それでも、あの時間がアイリスにとって必要だったことは、鈴華にも分かっていた。




