8話:王女の休息④〜零の弱点?〜
食事を終えた三人は、再び夜の街へ出た。
先ほどより人通りは減っている。
それでも繁華街はまだ明るく、店先から流れる音楽や人々の笑い声が、冷え始めた夜気の中へ溶けていた。
零は何気ない様子で周囲を見回す。
通りの向こうにも、背後にも、不審な気配はない。
「零くん」
「ん?」
アイリスが一軒の建物を指差した。
入口から派手な電子音が漏れ、色とりどりの光が通りまで溢れている。
「あれは、何のお店ですか?」
「ああ。ゲーセン」
「げーせん……?」
聞き慣れない言葉にアイリスが首を傾げる。
「ゲームセンターですよ」
鈴華が補足する。
アイリスはガラス越しに店内を覗き込んだ。
並んだ筐体や点滅する照明を映し、その琥珀色の瞳が好奇心に輝く。
「入ってみるか?」
零が軽く顎で店を示す。
アイリスはすぐに頷いた。
「はい。行ってみたいです」
弾んだ返事に零は僅かに口元を上げた。
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数分後――。
『GAME OVER』
派手な音とともに、画面へ無情な文字が表示された。
「…………」
銃型のコントローラーを握った零が、無言で画面を見つめている。
その隣では、鈴華も何とも言えない表情で同じ画面を眺めていた。
「……これ、照準ずれてないか?」
零がぽつりと呟く。
「機械のせいにするのは、少し早くありませんか?」
鈴華が顔を向ける。
零は手にしたコントローラーを持ち上げ、疑わしそうに眺めた。
「いや。俺がこんなに外すわけねぇし」
「そう言われましても……」
鈴華は苦笑しながら、画面に残った成績へ目を向ける。
先ほどから、零の弾は驚くほど敵に当たっていない。
高速で動く標的を狙うゲームとはいえ、それにしても外しすぎていた。
「もう一回やる」
納得できないらしく、零が再び硬貨を入れる。
軽快な電子音とともにゲームが始まり、画面の奥から敵が飛び出してきた。
零はすぐさま銃口を向ける。
発砲。
弾は敵の僅か横を通り過ぎた。
「…………」
零の眉が僅かに動く。
次は画面の右側。
狙いを定めて引き金を引くが、またしても外れた。
「黒神くんって……」
隣から、鈴華の呟きが聞こえた。
その声音に嫌な予感を覚え、零が横目を向ける。
「何?」
「いえ……」
鈴華は少し言いにくそうに視線を泳がせたあと、遠慮がちに続けた。
「魔法だと、あんなに正確なのにと思いまして……」
「…………」
零の目が細くなる。
訓練では、何発もの魔法で鈴華の進路へ正確に撃ち込んでくる。
必死に逃げ続けても、その先へ先へと攻撃を置いてくるほどだ。
それなのに、ゲームになった途端にこれである。
零はコントローラーを下ろし、じっとりと鈴華を見た。
「白河。お前、最近ちょっと言うようになったよな」
「そうでしょうか?」
鈴華はきょとんと首を傾げる。
「最初の頃は、もうちょい俺に気ぃ遣ってなかった?」
零が探るように目を向ける。
鈴華は少しだけ考えたあと、碧色の瞳でまっすぐに見返した。
「黒神くんが、気を遣っても気づいてくださらないからではありませんか?」
「俺のせいかよ」
予想していなかった返答だったのか、零が眉を上げる。
鈴華は、そんな零を見て小さく笑った。
「それに、黒神くんも私へ遠慮していませんよね?」
「……まあ、それはそうだけど」
零は否定できず、後頭部を掻く。
考えてみれば、自分も鈴華に好き勝手なことを言っている。
訓練では容赦なく魔法を撃ち込み、倒れた相手を茶化したことまであった。
「でしたら、お互い様ですね」
鈴華は、どこか満足そうに微笑んだ。
「……ほんと、言うようになったな」
「黒神くんのおかげです」
「それ、絶対褒めてないだろ」
零は呆れたように返しながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
そんな二人のやり取りを、アイリスは少し離れたところから見ていた。
「ふふっ……」
笑いを堪えようと口元へ手を当てているが、肩は小さく震えている。
零がじとっとした目を向けた。
「アイリス姉まで笑う?」
「ご、ごめんなさい」
そう言いながらも、アイリスの笑みは消えない。
「でも、零くんにも苦手なことがあるのですね」
「そりゃあるだろ。俺、何でもできるなんて言った覚えねぇぞ」
零は特に格好をつけるでもなく答え、コントローラーを筐体へ戻した。
「まあ、ゲームで負けても死なねぇしな」
「基準が物騒すぎます……」
鈴華が困ったように眉を下げる。
その隣で、アイリスがもう一度楽しそうに声を漏らした。
それからも三人は、いくつかのゲームを回った
魔法では正確無比とも言える精度を誇る少年が、ゲームとなると途端に人並み以下になった。
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そして三人が次に向かった先は、カラオケ屋だった。
「カラオケ……」
アイリスは、物珍しそうに室内を見回していた。
壁に掛けられた大きなモニター。
その両脇に置かれたスピーカー。
テーブルには、二本のマイクと選曲用の端末が並んでいる。
「ここで歌うのですね」
「ああ。好きなのを入れて、好きに歌えばいい」
零は室内へ入ると、一度だけ廊下を振り返り、非常口の案内へ目を通した。
それからソファへ深く腰掛け、選曲用の端末を手に取る。
アイリスも隣から、興味深そうに画面を覗き込んだ。
「英語の曲もありますよ」
鈴華が検索画面を開いてみせる。
アイリスが曲目を眺め始める一方で、零は迷うことなく一曲を選んだ。
「じゃ、俺からな」
イントロが流れ始める。
鈴華は飲み物を手に、何気なく零へ視線を向けた。
そして、数十秒後。
「…………」
持っていたグラスを、ゆっくりとテーブルへ戻した。
何かがおかしい。
いや、明らかにおかしい。
音程が曲とほとんど合っていない。
上がるはずのところで下がり、下がるはずのところで上がる。
それなのに、零本人は気づいていないのか、普段と変わらない顔で歌い続けていた。
やがて曲が終わる。
「ふぅ」
零は満足そうにマイクを下ろし、二人を見る。
「どうよ?」
「…………」
鈴華は言葉に詰まった。
正直に言うべきか。
それとも、傷つけない言い方を探すべきか。
迷った末に、どうにか笑顔を作る。
「……とても、自由な歌い方ですね」
「それ、褒めてないだろ」
零が怪訝そうに眉を寄せる。
鈴華は視線を僅かに泳がせながら、言葉を探した。
「いえ、その……黒神くんらしさは、よく出ていたと思います」
「じゃあ、こっち見て言えよ」
「…………」
鈴華の笑顔が固まった。
零は、その反応だけで察したらしい。
「おい」
「……すみません」
鈴華が申し訳なさそうに頭を下げる。
「謝られる方がきついんだけど」
零が不満そうにソファへ背中を預けた。
すると、その向かいから、堪えきれない声が漏れる。
「ふふっ……」
アイリスだった。
口元へ手を添えているものの、肩が小さく揺れている。
零は、そんなアイリスを横目で見た。
「そんな笑う?」
「ご、ごめんなさい。でも……」
アイリスは何とか笑いを堪えようとした。
しかし、零と目が合った途端――。
「あははっ」
とうとう声を上げて笑った。
その笑顔を見た零の表情から、不満げな色が消えていく。
「……まあ、いっか」
小さく呟き、マイクをテーブルへ置いた。
鈴華は、その横顔を一瞬だけ見つめる。
ホテルで見たアイリスも、笑ってはいた。
けれど、あれは王女として周囲を心配させないための笑顔だった。
今は違う。
一人の少女として、心の底から笑っている。
「白河」
「はい?」
名前を呼ばれ、鈴華が顔を上げる。
零はテーブルに置いたマイクを指差した。
「次、お前な」
「どうして私なのですか?」
予想していなかった指名に鈴華の碧色の瞳が大きくなる。
零は先ほどの評価への仕返しとばかりに、口元を吊り上げた。
「人の歌を聴いて、あそこまで困った顔したんだ。もちろん歌えるんだろ?」
「困った顔などしていません」
「してただろ」
零の断言に鈴華は僅かに眉を下げる。
それでも、差し出されたマイクは素直に受け取った。
「分かりました。そこまでおっしゃるなら、歌います」
「おう。期待してる」
零はソファへ深く座り直した。
どうせ少しくらい失敗するだろう。
その時は、先ほどの仕返しに茶化してやればいい。
そんな軽い気持ちだった。
やがてイントロが流れ始める。
鈴華は静かに息を吸い、マイクへ唇を寄せた。
透き通った歌声が、流れる曲へ綺麗に重なっていく。
「…………」
最初の一節で、零の表情から悪戯っぽい笑みが消えた。
音程は安定しており、高い音も無理なく伸びていく。
普段の落ち着いた話し声からは想像できないほど澄んだ歌声が、室内いっぱいに響いていた。
アイリスも驚いたように鈴華を見つめている。
やがて一曲を歌い終え、最後の音が消えた。
室内に僅かな余韻が残る。
「……どうでしたか?」
鈴華がマイクを下ろし、零を見る。
その表情には、ほんの少しだけ得意げな色が浮かんでいた。
「…………」
零は数秒黙った。
想像していたより――いや、文句のつけようがないほど上手い。
先ほどの自分とは、比べるまでもなかった。
だが、素直に認めるのも何となく悔しい。
「……まあ、悪くないんじゃね?」
「…………」
鈴華の碧色の瞳が、すっと細くなる。
「その長い沈黙のあとで、ですか?」
「別に深い意味はねぇよ」
零は何食わぬ顔で飲み物へ手を伸ばす。
鈴華は、そんな零をじっと見つめた。
「負け惜しみですか?」
「違ぇよ」
返事だけは妙に早かった。
その様子を見ていたアイリスが、楽しそうに口元へ手を添える。
「鈴華さん、とてもお上手でした」
「ありがとうございます、アイリスさん」
鈴華は嬉しそうに微笑む。
そして、すぐに零へ視線を戻した。
「ほら。アイリスさんは素直に褒めてくださいましたよ?」
「俺だって褒めただろ」
「『まあまあ』や『悪くない』は、褒め言葉には入りません」
「注文多いな……」
零は面倒そうに返す。
けれど、その口元にも僅かな笑みが浮かんでいた。
「では、次は私が歌ってもいいですか?」
アイリスが選曲用の端末を手に尋ねる。
「もちろんです」
鈴華がマイクを手渡す。
アイリスは故郷でも親しまれている英語の曲を選んだ。
流れ始めた穏やかな旋律へ、柔らかな歌声が重なる。
王女として人前に立つ時の張り詰めた声ではない。
好きな歌を口ずさむ、一人の少女の声だった。
その後も三人は、代わる代わる曲を入れた。
零が歌うたびに鈴華が言葉を選び、アイリスが笑う。
鈴華が歌えば、零は「まあまあ」を繰り返し、そのたびに言い合いになる。
笑い声と歌声は途切れることなく続き、夜はゆっくりと更けていった。
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それから、数時間後――。
カラオケ店の自動ドアが開いた。
三人が外へ出ると、冷たい朝の空気が頬を撫でる。
「……朝ですね」
アイリスが空を見上げる。
夜の闇は薄れ、東の空が僅かに白み始めていた。
「さすがに遊びすぎたな」
零もつられるように空を見る。
その横では、鈴華が何度目か分からない欠伸を噛み殺していた。
「黒神くんが、次から次へと連れていくからですよ……」
「白河も帰るって一回も言わなかったじゃん」
零が横目を向ける。
鈴華は少しだけ言葉に詰まり、気まずそうに視線を逸らした。
「それは……私も楽しかったですから」
「なら、お互い様だろ」
「こういう時だけ、私の言葉を使わないでください」
眠そうな顔のまま、鈴華が小さく笑う。
そんな二人を見て、アイリスも柔らかく微笑んだ。
三人は休める場所を探し、近くにあった公園へ足を向けた。
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夜明け前の公園。
人影はほとんどなく、静かな風が木々の間を抜けていた。
枝葉がさらさらと揺れる。
遠くからは、朝を告げる鳥の声が聞こえ始めている。
「ちょっと休んでくか」
零が大きな木の下にあるベンチへ腰を下ろす。
二つある園路のどちらも見渡せる場所だった。
鈴華も、その隣へ座る。
「賛成です……」
いつものしっかりした声とは違い、かなり眠そうだ。
アイリスは零の反対側へ腰掛け、そんな鈴華を微笑ましそうに見つめた。
「鈴華さん、とても眠そうですね」
「まだ、大丈夫です……」
鈴華はそう答えながら、何度も瞬きをする。
零が横目でその様子を見た。
「その台詞、今にも寝る奴が言うやつだぞ」
「寝ませんよ……」
鈴華は小さく首を横へ振った。
しかし、その声にはまるで力がない。
数秒後。
「…………」
鈴華の瞼がゆっくりと閉じていく。
頭が僅かに揺れ――。
こてん、と零の肩へ預けられた。
「ん?」
零が横を見る。
長い黒髪が自分の肩へ流れ落ち、鈴華は目を閉じたまま穏やかな寝息を立てていた。
「……寝てんじゃん」
零が小さく呟く。
起こすことはしなかった。
鈴華の頭が肩から落ちないよう、僅かに身体の位置をずらす。
その様子を見ていたアイリスが、くすりと笑った。
「本当に仲がよろしいのですね」
「そうか? 白河が勝手に寝ただけだろ」
零は不思議そうに返す。
そう言いながらも、鈴華が眠りやすいように身体を動かさずにいる。
アイリスは、その姿を見つめて柔らかく目を細めた。
「……きっと、そういうところだと思います」
「何が?」
「いいえ。何でもありません」
アイリスはそれ以上何も言わず、二人を微笑ましそうに見つめた。
しばらく、静かな時間が流れる。
夜通し騒いでいたのが嘘のようだった。
聞こえるのは、木々を抜ける風と、朝を告げる鳥の声だけ。
アイリスは眠っている鈴華を見つめたあと、明るくなり始めた東の空へ視線を向けた。
「……こうして三人で過ごすのは、あの日以来ですね」
アイリスがぽつりと呟く。
零の黄金色の瞳が、僅かに動いた。
「あの日?」
「はい。三年前、零くんと蕾さんと一緒に、ロンドンの時計台へ行った日です」
「…………」
零も何も言わず、同じ空を見つめる。
三年前、ロンドンの街を蕾とアイリスと三人で歩いた。
時計台を目指して街を巡り、くだらない話をしながら三人で笑った。
もう二度と戻ることのできない、大切な一日。
「……ああ。そういや、そうだったな」
零の声には、僅かな懐かしさが滲んでいた。
「あの日も三人で街を歩いて、たくさんお話をして……本当に楽しかったです」
あの時のアイリスも短い時間ではあったが、一国の王女ではなかった。
零と蕾に連れられ、初めて見るものへ目を輝かせる、一人の少女だった。
「蕾も、あの日は楽しそうだったからな」
「はい。零くんも、とても楽しそうでした」
思いがけない言葉だったのか、零がアイリスへ目を向ける。
「俺も?」
「ええ。蕾さんと言い合いながらも、ずっと笑っていましたから」
「……そうだったか?」
零はどこか照れくさそうに視線を空へ戻した。
その口元が昔を懐かしむようにほんの僅かに緩む。
「ふふっ……そうでしたよ」
アイリスの声に、懐かしさと寂しさが滲む。
それでも、その笑顔は悲しみだけに沈んではいなかった。
「今日も……あの日と同じくらい、楽しかったです」
「そりゃよかった」
零は短く答えた。
母を失った悲しみも、兄を失った悲しみも、自分を狙う者がいるという恐怖も、何一つ消えてはいない。
それでも――。
昨夜、ホテルで無理に作っていた笑顔とは違う。
今のアイリスの表情には、三年前と同じ柔らかさが戻っていた。
零の肩では、鈴華が気持ちよさそうに眠っている。
その反対側では、アイリスが三年前の思い出を胸に、穏やかな笑みを浮かべている。
そして三人の向こうで――。
新しい一日を告げる朝日が、ゆっくりと昇り始めていた。




